銀貨一枚と引き換えに

天霧 ロウ

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 無理矢理気持ちを切り替えたリヴンは、首に手を当てると、見上げてくるエウェンを見つめた。

「えっと……時間あるし、行きたいところとか付き合うけど」
「行きたいところかあ」

 エウェンが顎に手を当て「うーん」と首をかしげる。そんなエウェンを眺めつつ、人通りへ視線を向ける。
 ふとリヴンは見覚えのある背丈を見つけた。人混みの中から近づいてくる人物を凝視していれば、相手がリヴンに気づいた。目元まで隠していたフードを少し持ち上げた。そうすると、栗色の髪がちらりと見えた。

「あれ? 兄ちゃん……じゃなくて、リヴンじゃん」
「やっぱりケリックか。お前、どうして王都にいるんだ。父さんや母さんは?」

 リヴンを名前で呼ぼうとするケリックに複雑な心境を思いつつ、目尻を下げて笑うと片手を挙げた。反対にケリックは緑色の瞳をすがめた。

「いない。友達の頼みで、一緒に来ただけ。今は別行動中」
「そっか。けど、未成年が一人で王都を歩くなんて危ないだろ」
「それはリヴンだって同じだろ」
「俺はこんな見た目だからいいんだ。けど、お前は違うだろ?」

 体が大きく、目つきの悪さから絡まれない自分と背丈もエウェンと変わらず、あどけなさが残った中性的で端整な顔立ちのケリックでは危険度は違う。
 兄としての欲目もあるが、小さい頃のケリックは妹ができたかと思ったほど愛らしかった。実際、村にきたばかりのケリックを村娘たちよりもよほどモテていた。
 そんなケリックも成長して骨格や声はすっかり男になったが、愛らしさを美しさへ昇華した端整な顔立ちと細身なせいか黙っていれば、今でも観光客からは女に間違われる時がある。
 エウェンもケリックに気づいたようだ。リヴンの隣に来ると、向かいにいるケリックを一瞥した。

「リヴくん、その子は?」
「俺の弟――ケリックだ。ケリック、こいつはエウェン……えっと」

 どう紹介すればいいか口ごもれば、エウェンは瞳をすうっと細めた。かと思いきや、満面の笑みで腕に抱きついてきた。蔓草の髪をゆらゆら揺らし、リヴンの頭まで撫でてくる始末だ。
 
「見ての通り、僕は植物種の魔物でエウェンっていうんだ。リヴくんとはクラスメイトで恋人同士だよ」

 腕に抱きつくのは今に始まったことではない。けれど、蔓草の髪で頭や顎を撫でられるのははじめてだった。心なしか、エウェンの笑みも挑発的な感じがする。
 まさか銀貨一枚支払うのを人質に付き合っているとは言えない。兄の威厳が一気に崩れる。
 ぎこちなくケリックに笑いかける。

「まあ、そんなところだ」
「……リヴン、恋人できたんだ」

 ぽつりと呟いたケリックの声はやけに低く聞こえた。拳を強く握りしめ、うつむいたケリックを不思議に思いつつ、話題を逸らすことにした。

「せっかくだし、お前も一緒にまわらないか?」
「俺はいいよ。恋人とまわれば」

 むすっとした口調で言うケリックにリヴンはどうしたものやらと思った。おまけにフードを引っ張って顔を隠す始末だ。
 フードを被っていれば少しは安全かもしれないが、やはり兄としては心配だ。

「そんなこと言うなって。お前になにかあったら、父さんと母さんが心配するぞ」
「……」

 リヴンが「ほら」と言って手を出すと、ケリックはじっとリヴンの手を睨むように見た後、リヴンの隣にいるエウェンを見た。
 エウェンはあいかわらずリヴンの腕にぴったりとくっ付いていてケリックの視線に気づくと、にこっと笑った。

「僕は気にしないよ。リヴくんの大事な『弟』さんになにかあったら大変だしね」

 ケリックが息を飲むと、エウェンを鋭く睨んだ。しばし二人は見つめ合った末、視線を先に外したのはケリックだった。
 ちらっとリヴンを見るが、すぐに背を向けた。

「平気だって言ってるじゃん。偉そうに兄貴面しやがって」

 苛立ちを込めて吐き捨てたケリックは、リヴンが声をかける暇もなく人ごみへ消えた。今までで一番辛辣な態度にリヴンは目を白黒させた。

「あいつ何怒ってるんだ? というか、まだ反抗期なのか……」
「ある意味反抗期かもね。心配?」

 エウェンの問いにリヴンは顔を引き締めると頷いた。

「当然だろ、あいつは俺の弟なんだ。地元ならともかく、こんな土地感もない場所でなにかあったら大変だ」
「じゃあ、追いかけようよ」
「いいのか?」
 
 これはリヴンとケリックの問題だ。関係のないエウェンを巻き込むのは気が引ける。しかし、エウェンは「いいよ」と笑顔で返した。

「僕も大人げない対応して第一印象が悪かったし、未来のことを考えれば、挽回しとかないとね」
「お、おう?」

 意図がわからないものの、リヴンよりも町に詳しいエウェンが頼りになるのは確かだ。さっそくケリックが去っていた方へ進んでいく。
 リヴンはあっという間にケリックを見失ってしまったが、エウェンはしっかり捉えているようだ。迷うことなく人混みを突き進んだ。
 その後を追いかけた先は、人混みから外れた薄暗い路地だ。

「お前はここで待っててくれ」
「リヴくん。まっ――」

 嫌な予感がする。エウェンの制止を無視して、ケリックが消えた路地へ駆け出した。
 路地に入れば、ケリックの苛立った声とそれや揶揄するニヤついた声が聞こえる。声の方へづかづかと進んでいくと、ケリックが男達に壁へ追いやられ、取り囲まれていた。
 背筋に冷たいものが走り、リヴンは囲んでいる男達の一人の肩を掴んだ。

「おい」
「あん?」

 男が振り向いた。リヴンよりも身長が低く、相手はリヴンの険しい顔に一瞬驚いたが、すぐ強気に出てきた。

「なんだよ」
「うちの弟をいじめんな」
「弟? 弟だって?!」

 そういうとその男をはじめ、まわりの男が下品な笑いだした。ケリックは睨んではいるものの、すっかり縮こまっていた。
 男は笑いが収まるとニヤニヤと笑った。

「ずいぶん弟思いのお兄ちゃんだなあ?」
「あいつ顔可愛いし、こいつの『穴』なんじゃね?」

 大事な弟のケリックを下品にこき下ろされ、カッと頭が熱くなる。理性よりも早く、男に殴りかかっていた。

「俺と弟はそんな関係じゃねえ! 弟を侮辱すんな!」

 男が地面に倒れると、一緒にいた男達が「こいつ殴りやがった!」「調子乗りやがって!」と怒号を飛ばしながらリヴンを取り囲む。
 相手の拳がリヴンの頬を殴る。脳が揺さぶられ、視界がぶれる。それでも、リヴンは怯まず、襲ってくる男達の顔面を容赦なく殴りつけ、次々と倒していった。
 殴り終わる頃には、殴り合いをしていた拳は痛み、リヴンの右頬も青く腫れ上がっていた。ぜぇぜぇと荒い息を整え、手の甲で口の端から垂れる血を拭った。
 壁際でずっと縮こまっているケリックの傍へ近寄り、そっと頭をなでた。

「ケリック、大丈夫か?」
「……なんで、きたんだよ。恋人は?」
「あいつがお前を追いかけようって言ってくれたんだ」
「ふーん……」

 とはいえ、エウェンの制止を無視して飛び出したため、後でエウェンになにを言われるかわからない。チラッとケリックがリヴンを見上げた後、視線を落とした。

「リヴンってケンカ強かったんだ」
「強くねーよ。ケンカなんて初めてだ。土地勘ない場所なんだから、気をつけろ。あんまり兄ちゃんを心配させんなよ?」

 くしゃくしゃと頭を撫で、痛む頬を無理やり持ち上げてにっと笑う。ケリックはリヴンをじっと見た後、ぎゅっと手を握って俯いた。

「お前に何かあったら母さんと父さんもすごく心配するぞ」
「わかってる……」

 むっすりとしているケリックにリヴンは苦笑した。
 年頃のケリックにとっては少し鬱陶しいのだろう。けれど、リヴンにとって大切な弟なのだ。心配するなというのが無理な話だ。

「友人と待ち合わせしてるんだろ? そこまでついて行ってやるから」
「……」
「ケリック?」

 リヴンはケリックの視線に合わせるように少し屈むと、ケリックは顔を勢いよく上げて、リヴンを睨んだ。

「リヴンは過保護なんだよ!! 俺だってもう十四になったんだからガキ扱いすんな!!」
「ケリック? どうしたんだ急に?」

 ケリックの豹変に戸惑っていれば、ケリックが緑色の瞳を潤ませながら、さらに目尻をつり上げた。

「前から思ってたんだけど、リヴンは血の繋がりがない――本当の家族じゃないんだから構うなよ! 臨時労働代も自分のために使えよ! どうせ、他人なんだから!!」

 堰を切って怒鳴るケリックにぽかんとした。
 今までリヴンの後をついてきて甘えていたケリックがまさか怒鳴るとは思っていなかった。
 血の繋がりがない。それは事実だ。リヴンは十分理解もしていた。けれど、いざ弟のケリックからいわれると、結構――かなりショックだった。
 なんて言えばいいかわからず黙っていた。ケリックはじっとリヴンを睨んだ後、ぎゅっと眉を寄せて地面へ視線を落とした。
 兄としてケリックに何か言うべきだが、家族じゃないと言われたショックで言葉がでてこない。
 沈黙が流れ、気まずい中、耳馴染んだ声が耳に届いた。

「リヴくん、大丈夫?!」

 エウェンがリヴンの背中に抱きつくと、リヴンはハッとした。肩越しにエウェンを確認すれば、エウェンが笑いかけてくる。その笑顔を見た途端、鼻の奥がツンと痛みだした。
 震えそうになる唇を噛みしめて耐えていると、エウェンの手が、リヴンの手をに握ってきた。

「リヴくん、デートの続きしよ?」
「でも」

 先ほどあったできごとを思えば、ケリックを一人にできない。しかし、エウェンはぐっとリヴンの腕を力強く掴んで、引っ張った。

「ほら、行こう」

 言葉とは裏腹に有無を言わせない強さとケリックに兄弟なのを否定されたショックもあいまってか、いつもより意固地になる気は起きなかった。
 大人しくエウェンに引っ張られるまま路地から出る。途中でチラッとエリックを見たが、エリックはあいかわらず地面を睨んでいた。
 小さな噴水広場に着くと、ベンチに座らされた。隣に腰を下ろしたエウェンは蔓草の髪を千切ると、手の中で器用にハンカチへと作り替えた。
 さりげない行為だが、高度な生成魔法だ。それを易々とこなすエウェンに感心していると、薬草の香りがする濡れたハンカチを頬に当てられた。

「痛っ!」
「動かない。あーあ、すごい腫れちゃってる。男前に磨きがかかったね」

 ふふっと笑うエウェンを少し睨む。「自分でやる」と言って、エウェンが押さえていたハンカチを自分の手で押さえた。

「リヴくんショックで死にそうって顔してる」
「うるせぇ」
「よっぽど弟くんがかわいくてしょうがなかったんだね」
「当然だろ。家族なんだから」

 母が再婚した日からリヴンには弟が出来た。
 初めて会った時のケリックは八歳だった。父の後ろから不安そうにリヴンを見上げていた。ケリックに怯えられないように視線を合わせ、そっと優しく声をかけて「今日からリヴンがお前の兄ちゃんだ」と笑ったのを今でも覚えている。
 大切な、大切な弟だ。
 リヴンが黙っていると、エウェンが大きくため息をついた。

「リヴくんはやっぱり恋愛経験がないから疎いのかな?」
「うるせーな」
「弟くんが怒った理由、教えてあげようか?」

 にこっと笑うエウェンにリヴンの本能が瞬く間に危険だ、教えてもらうな。危険だぞと叫んだ。
 今までのパターンだとこの後に絶対何か要求してくる。それもリヴンが嫌がる代価だ。

「別にいい」
「ふーん、じゃあ弟くんとは仲直りできないね」
「……」
「まあ、僕はそっちでもいいんだけどね」

 そういうと血が乾いてカサブタが出来た口の端にちゅっとキスをしてきた。
 ケリックと一刻も早く仲直りをしたい気持ちが勝り、リヴンは苦虫を噛み潰したような顔をして言った。

「やっぱ教えろ」
「じゃあ、約束して?」

 エウェンが小指を立ててリヴンに差し出してくる。エウェンの口から出る言葉に嫌な予感がじわじわとした。
 差し出された小指を睨んでいると、エウェンが唇を開いた。

「僕を……嫌いにならないで」

 てっきり金銭を要求されると思っていた。それだけに告げられた内容は予想外だ。
 思いっきり眉を寄せ、ガシガシと頭を掻いた。

「なんだよ、それ」
「言葉通りだよ。ね、約束……して?」

 いつものように飄々とした魔猫のような言葉とは裏腹に、エウェンの笑顔は硬い。リヴンを映す琥珀色の瞳も小さく揺れている。

「……」

 危険だ、この約束は絶対するな。したらだめだ。やばいどころじゃないと先ほどから本能が叫ぶ。
 そんなリヴンの内面を見透かすかすかのようにエウェンが続ける。

「どうする? リヴくん」
「なんでお前は、そこまで俺にこだわるわけ?」

 ずっと思っていた疑問を口にした。
 これといってクラスで目立つわけでもない。片田舎からでてきたただの一般人だ。だからこそ、自分にこだわるエウェンが理解できない。仮に体目当てでもここまでするものだろうか。
 じっとエウェンを見つめる。エウェンはゆっくり瞬きをして、わざとらしい蠱惑的な笑みを浮かべた。

「それは教えてあげない」
「なんでだよ」
「なんででしょう?」

 逆に聞き返したエウェンはゆるりと目を細めた。気のせいか、その笑みには、隠しきれない寂しさがのぞいていた。
 はじめて見せる感情に、胸をかきむしりたい衝動を覚える。なんとかこらえて、エウェンを見つめていれば、エウェンが小指を揺らした。

「それで、約束するの? しないの?」

 約束したら一生後悔するぞ。二度と引き返せなくなるぞ。とリヴンの本能が叫ぶ。けれど、いくら恋愛経験がなくて鈍いリヴンでも、もうわかっていた。
 例え、銀貨一枚の関係から始まったとはいえ、とっくにエウェンが好きなのだと。
 腹をくくれば、何も怖くない。否、リヴンが勝手に怯えていただけだ。エウェンの小指に自分の小指をしっかりと絡める。

「約束してやるよ」
「ありがとう」

 そういったエウェンの顔はとても穏やかだった。その顔を引き出したのが自分だと思えば、胸から全身に至るまで血が勢いよく巡るのを感じる。
 エウェンが小指を話すと続けた。

「これは僕の予想だけど、弟くんはね、弟としてみてほしくないんだよ」
「そういわれてもな……。血の繋がりがなくても、俺にとって大切な弟だ。つーかそれ以外どう見ろっていうんだよ」

 エウェンの言いたいことがわからず首を傾げた。
 ケリックは確かに血の繋がりはないがリヴンの弟だ。それはリヴンの中で揺るがない事実であり、真実だ。大切な家族だと思っているのに、その思いがケリックの怒る原因と言われてもわからない。
 リヴンの思考を読んだようにエウェンが肩をすくめた。

「弟くんが怒ってるのはまさにその考えだよ。弟くんはね、リヴくんを一人の男としてきっと好きなんだよ。でも、リヴくんは鈍いし、まさか弟くんが自分を恋愛対象に見てるなんて思いもしないでしょ?」
「恋愛って、俺は男だし、ケリックも男だぞ」

 王都にいると魔物と共生が進んでいるのもあいまって、同性同士の恋人をままみかける。だが、ひとたび王都を出れば勝手が違う。村や町では、同性愛は浸透していない。故郷の村でも、否定はされないが、やはり異性愛が普通だ。
 リヴンだって、エウェンが例外なだけで、今でも恋愛対象は女だ。
 エウェンが蔓草の髪を揺らしながら、目の前を通り過ぎていく人々を無関心に眺めた。

「人間という種が子孫を残すためには、男女で付き合うのが生物として正しいんだよ。魔法三原則で生命を生み出すのを禁じられてるし、魔物の僕らと違って融通の利かないキミらはそれ以外の形じゃ互いの血を残せないんだから」

 わざとなのか小馬鹿な物言いに、リヴンは居心地が悪くなった。エウェンは視線を別のベンチへとずらした。そこには同性の恋人同士と思われる二人が手を握り、親しげに話していた。
 エウェンがそのやりとりに目を細めた。

「でも、僕ら生物は魔法具のように単純じゃない。全員がその正しさに当てはまるとは限らない。中には同性だから好きになったんじゃなくて、好きになった相手が同性だっただけって人もいるだろうしね」
「そうかもしんねぇけど……」

 まさに今のリヴンがそうだ。一方で、リヴンは納得できない。
 異性を好きになる。それがリヴンにとっては当たり前のことだ。それ以外考えたことがなかった。現にエウェン以外の男を好きになるなどありえない。気持ち悪いにもほどがある。
 エウェンがしかめっ面のリヴンに小さく笑った。

「リヴくんはさ、飲み水に香りをつけるならなにがいい?」
「レモンだな」
「僕はラベンダーだね。今みたいに好みは別れるんだ。それと似たようなもんだよ」
「似たようなものっていわれても……」

 理屈を頭でわかっても、心はやはり納得できない。
 なによりケリックを恋愛対象に見られない。リヴンの中ではケリックは大切な弟であり、家族なのだ。それはもうリヴンの中では揺らぐことのない事実だ。エウェンが励ますように背中を叩いてきた。

「弟くんにどう答えるかはリヴくん次第だよ」
「……」

 リヴンはエウェンの言葉にどうしたものかと思った。
 大切な家族、大切な弟。血の繋がりがなくともケリックはリヴンにとってやはり大事な弟だ。性欲を持つなど論外だ。そもそも、リヴンはエウェンが例外なだけで、異性愛者だ。

「リヴくん、これは試験じゃないよ」
「そんなの知ってるっつーの」

 むすっとして答えれば、エウェンがリヴンの頬に当てていたハンカチを取った。エウェンなら魔法で濡らせるなんて容易なはずだ。なのにわざわざ「濡らしてくるね」と言って立ち上がった。

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