星を戴く王と後宮の商人

ソウヤミナセ

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第一部終話 夏夜の庭園

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「妃殿下。」

 ガゼボの向こうから、突然声をかけられる。
 アリムは驚いて顔を上げた。

「……お久しぶりですね、セイラムさん。」

 宮医のセイラムが、にこやかにガゼボに向かって歩いてきた。
 飾緒はグレー。フォームドは伯爵家なのだ、と今更ながらに確認する。

「久しぶりにお会いしたくて、探しておりました。」

 セイラムはそう言うと、目尻を垂れ下げた。
 アリムは得意の作り笑顔を貼り付ける。

 ーー今日はちょっと……。

 しばらくは往診も断っていた。
 リハビリはノイに頼んでいるし、キシュワールにある程度の医学の知識があるとわかったからだ。

 そして何より……。

「今日の装いは、いつにも増してお美しいですね。……特にお顔に描いた花が……。」

 セイラムはそう言いながら目元を赤く染める。

「本当にお似合いです……。」
「ありがとうございます……。」

 アリムはセイラムから目を逸らして、マントのブローチをいじる。

 ふとイーサンの視線を感じた。

 顔をあげると、イーサンが一歩前に出る。そしてにこやかにセイラムに向かって腰を折った。

「フォームド先生、お久しぶりです。」
「トマス卿、良い夜ですね。」
 セイラムも胸に手を当て、軽く頭を下げた。
「フォームド先生は……。」
「ところで妃殿下、腕の具合は如何ですか?」

 イーサンは話を続けようとしたが、セイラムがそれを断ち切った。
 わざとではなかったかもしれない。
 だがセイラムはチラッとイーサンを見ただけで、すぐにアリムに向き直る。

「先日ナトマ卿が薬を持って行きましたが、何かあったのでしょうか?」
「……ノイ個人の薬じゃないですかね。私のものではなかったと思いますけど。」
「ノイ……ですか?」

 アリムはセイラムに席を勧めない事に決めた。
 一方のセイラムは、チラリと椅子に視線をやり、座りたがっているように見える。

「腕の具合も大分いいですよ。今までお世話になりました。」
「……それはよろしゅうございます。」

 しんっとガゼボが静まり返る。

 アリムはすくっと立ち上がり、城の方に目を向けた。

「戻らないと。」
「お供してもよろしいですか?」

 セイラムがさっと手を差し出した。
 エスコートをしたい、という事だろう。
 しかしアリムはその手をみて、眉を顰めた。

「……いえ。先生と一緒に戻っては、おかしな目で見られますので、別々に戻りましょう。」
「おかしな目?」

 何故かセイラムの目が、輝いたような気がした。

 いつからだろうか。ーー

 セイラムがアリムを見つめる目つきが変わったのは。
 後宮で孤独だった時、アリムはセイラムに助けてもらった。腕に包帯を巻いてもらった時に、傷ついた心も癒してもらったはずなのに。

 ーー俺は薄情だな……。

 周りに温かな味方が出来てくると、セイラムの目が怖くなってきたのだ。
 今日もセイラムの熱に浮いた瞳を見ていられなくて、目を逸らしてしまう。

「庭園は暗いですので、1人では危のうございます。」
「エタンがいるから大丈夫ですよ。」

 アリムは後ろを示す。
 むしろセイラムが同行するよりも安心なはずだ。
 イーサンは、何故セイラムが名乗りを上げたのかがわからなかったのだろう。
 眉間に皺を寄せて「もちろんでこざいます。」と頷いた。
 セイラムがイーサンに目を向けた。
 チリッと瞳に敵意を宿る。

「……エタンとは?」
「……。」

 アリムはセイラムの暗い目に、ハッと口を噤む。
 顰められたセイラムの声には、隠そうともしない苛立ちが滲んでいる。
 もうやめてほしかった。
 アリムは指を握り込み、力を込める。
 ギュッと掌に爪が食い込んでいった。

「……妃殿下……。」
「私の愛称ですよ。」

 イーサンが場違いなほどに明るい声で、手を挙げる。

「……1人の臣下を特別に愛称で呼ぶのは、おやめになった方がよろしいですよ。」
「まさか!私だけなど、恐れ多い事です。」

 他にも愛称で呼ばれる者がいる、と告げると、更にセイラムの目つきが歪む。

「……私とお戻りください。妃殿下。」
「……先生っ!」

 アリムはとうとう耐えきれなくなり、声を荒らげた。

「今の時間は、拝謁を受けていなければならなかったんです。それなのに、サボって先生と外にいたと、周りに勘違いされては困ります。」
「…….拝謁を抜け出した言い訳が必要ではございませんか?」
「いいえ。先生が皆さんに説明する必要はありません。」

 アリムはできる限り、はっきりとした拒絶を口にしたつもりだった。
 セイラムから逃げるように身体をかわし、ガゼボから出て行こうとする。

 しかしセイラムは、去ろうとする背中を追いかけた。
 そしてあろうことか、手を伸ばしてアリムの腕を掴んだのだ。

 熱い手。

 絡みつく指にぞわりと腕が粟立つ。

「っ!離せっ!」

 気がつけば咄嗟に手を振り払おうとしていた。
 セイラムがパッと手を離し、手を上に上げる。

「ひ、妃殿下……?」

 アリムは触れられた腕を庇うように抱いた。

「触らないでくださいっ!……俺はラシードの妃です……!」

 アリムはこれ以上触れられたくなくて、後退りをする。

 セイラムは傷ついたように目を瞠った。

 しかし手は縋るかのように、またアリムへと伸ばされる。

「……っ!」
「セイラム=フォームド、警告だ。妃殿下から距離を取れ。」

 イーサンの低い声が東屋に重たく響いた。

 イーサンは腰に佩た剣に触れると、アリムの前に立った。

「この警告が最後だ。10数える間に、この東屋から出ていけ。」

 セイラムの視線が、イーサンの後ろのアリムに向けられる。否定をして欲しいような、そんな縋るような目つきだ。

 だがアリムは何も言えなかった。

 この目に宿った気持ちに、応えることなどできないのだから。

「1、2……。」
「……何か誤解があったようですが。」
「3、4、5……。」
「先生、お願いですから先に戻ってください。」

 アリムは最後に強張った声で訴える。
 もう、ここで終わりにするべきだった。


「俺も……ラシードの所に戻りますから……。」
「……。」

 セイラムが力無く肩を落とした。
 グレーの飾り緒も一緒に、ゆらりと揺れる。
 東屋には温い空気が満ちて、汗と湿気が背中に張り付いていた。

 セイラムの穏やかに輝いていたはずの瞳が、途端に輝きを失う。
 彼は瞳を伏せ、胸に手を当てて礼をした。

「……御前を失礼致します。」

 セイラムが踵を返すと、後ろでまとめていた長い髪の毛が、空に流れる。まるで未練を残すかのように。

 イーサンはその背中が見えなくなるまで、注意深くアリムを背中に庇っていた。

 セイラムは会場に戻らず、城を出ていくつもりのようだ。消え去る方向が、馬車の待機場所である、出入り口前の大広場だった。

 イーサンはフゥッと息を吐いた。

「エタン……。」

 アリムは小さな声でイーサンを呼んだ。
 イーサンは笑みを作り、アリムを振り返る。

「はい。」
「……すみません。巻き込んでしまって。」
「こういう時のために、騎士がいるのです。いつでも頼ってください。」

 イーサンは優しく頷くと、体の力を抜いてリラックスした。
 脅威は去ったと、アリムに示しているようだった。
 アリムはその気遣いに、何と答えようかと考えあぐねる。

 ーー俺の事、どう思ったかな……。

 アリムは口の端を吊り上げて、得意の笑みを作り上げた。

「ありがとうございます。」
「もう少し休んでいかれますか?」

 セイラムには、城に戻ると言ったが……。
 アリムはまた煌々と輝いている城の明かりに目をやった。

 楽団の奏でる音が、微かに風に乗ってきていた。心地よいバイオリンの音に目を閉じて、ささくれた心を慰める。 

 きっと王族はあの場で、貴族達から挨拶を受けているのだろう。
 あの人達は、挨拶を受ける資格がある人々だ。しかしその中に混ざって、胸を張っていられる自信がなかった。

 平民だから。男だから。アルリーシャだから。
 そのどれもが、アリムを貶める理由にはならないのに。

「……そうしようかな。戻った所で、今更だろうし。」
「そのうち誰かが探しにくるかもしれませんが、それまではのんびり致しましょう。」

 アリムは頷くと、またベンチに腰を下ろした。



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