星を戴く王と後宮の商人

ソウヤミナセ

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8章 ベルンハル①公爵邸の歓待

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「……。」

 アリムは人のいない庭をゆっくりと歩き、頬を撫でる風を受ける。

 しばらく歩くと、景色のいい場所に出た。
 そこは開けた場所で、アルバシウムと薔薇が咲き乱れたところだった。広場の中央にはテーブルセットがあり、オハラのお気に入りの場所なのだ、と知ることができた。

「そういえば、花を育てるのがお好きだと聞いたな。」

 アリムは周りに誰もいない事を確認すると、そっと椅子に腰掛ける。
 薔薇の膨よかな香りと、薔薇よりも僅かに酸味のある香りと。
 鼻のいいアリムは、明確に二つの香りを嗅ぎ分ける事ができる。
 柔らかくも香り高い芳香が体と心に染み渡った。

 背もたれに寄りかかり、ほぉっと一息つく。

 思えば、1人になるのは久し振りだ。

 イートンの村を出て王都で暮らしていた時。
 望んでも望まなくても、孤独な瞬間は必ず訪れた。
 1人で目を覚ます夜中、休日の予定がない午後、相手のいない食事。
 突然与えられたその静かな時間にアリムはなかなか慣れなかった。

「……でもその時間も、今となっては必要だったり……。」

 小さく笑いながらアリムはテーブルに突っ伏する。
 日差しが気持ちよく、ウトウトとする。
 だがあまり長居もできないだろう。
 ラシードとオハラが話を終えれば、アリムを探すはずだから。

「あ~……まだ戻りなくないなぁ……。」
「まだこちらにいらしても構いません。」

 聞き慣れた声と、突然被さった影に、アリムはうっそりと顔を上げた。

「キシュワール?」
「意外とすぐ見つかったな。」
「あれ、ノイもいたの?」

 アリムは眠気でむず痒い瞼を軽く擦り、体を起こした。
 キシュワールとノイが並んでアリムを見下ろしている。

「休憩してたんじゃないの?」

 アリムはそう言いながら、2人の姿を見てホッと胸を撫で下ろした。
 ノイが眉を上げて渋面を作る。

「殿下ほっぽって、休めるわけないじゃないっすか。」
「えぇ?それはありがとう……。」
「お一人でここまでいらしたのですか?」

 キシュワールが辺りを見渡す。

「……王太后様が護衛をつけてくださったけど、はぐれた。」
 アリムは用意していた言い訳を嘯くと、あくびを噛み殺しながら背もたれに寄りかかった。
 事の次第を察したのだろう。
 キシュワールの眉間に峡谷のような皺が寄る。
 アリムは「はぐれたんだって。」と念を押した。

「バーリは今、王太后様とお話し中だよ。それが終わる前に戻らないと。」
「まだこちらで休憩なさっていても、大丈夫だと思います。」

 キシュワールはそう言い、また辺りを見渡した。何となく気持ちよさそうに目を細めているのは、気のせいではないだろう。
 アリムは嬉しそうに微笑む。

「少し話そう。」

 改まった誘いに、ノイは二つ返事で頷いた。

「いいっすよ。」
「座る?」
「仕事になんねぇよ。」
「そう?あー、なんか口寂しいな。さっきのお菓子、少し持ってくれば良かった。」
「狙ってんだろ……。」

 ノイは目を細めて、ウェストポーチの中からチョコレートとキャンディを掴み取る。
 アリムはニヤリと笑い、早速チョコレートの包みを剥がした。
 キシュワールは呆れたようにフゥッと息を漏らす。
 今回は毒味の事を咎めないらしい。

「王太后陛下と随分と親しいのですね。」

 キシュワールの問いかけに、アリムは首を傾げる。

「言わなかったっけ?呉服屋にいた時の常連様だったんだよ。」
「陛下がですか?」
「うん。その時はマレドンナさんと名乗ってらしたけどね。」

 キシュワールは驚いて二の句が告げないでいる。代わりにノイは、合点が言った様子で大きく頷いた。

「いきなり母さんとか言うから、心臓飛び出るかと思いましたよ。」
「図々しかったかな。」

 アリムは僅かに眉を曇らせる。
 ノイは肩をすくめ、「意外と眩しいな」とアリムの頭上に手のひらを翳して、日陰を作った。そして日差しの方向に体をずらす。

「陛下が喜んでたんならいいんでないっすか。どうなんすか、ドラニア卿。」
「……最善ではないにしろ、あの場を収めるには致し方なかったかと。」
「流石母親だよな。バーリをあんな風に扱うなんて。」

 ノイがクックと肩を震わせる。
 その背中をキシュワールが強く叩いた。
 ノイは慣れた衝撃に「うっ!」と小さく唸る。

「ただ今後は場所にご注意ください。特にこの屋敷の人間の前ではこれ以上はやめた方がよろしいかと。」
「ホントだよねぇ……。」
「お二人は常にあの調子です。あまりお気に留めずに。」

 キシュワールのつっけんどんな慰めに、アリムはフフッと笑みを漏らした。

「そうするよ。ありがとう。」

 キシュワールは軽く会釈をすると、また視線を辺りに向ける。
 何を気にしているのかと思えば、少し先にある演舞場を見ているようだ。

「どうしたの?」
「交流戦でもしようかと思うのですが。」
「交流戦?」

 唐突な申し出に、アリムは目を丸くした。キシュワールは頷くと、演舞場を指差す。

「他領の騎士と手合わせするのも、騎士の訓練になります。妃殿下、お許しいだけますか?」
「え……えと。俺は構わないけど。」
「おっ!いいっすね!俺も出てぇな!」

 珍しくノイがやる気を見せ、腕捲りをする。
 ノイの声が挑戦的に聞こえるのは気のせいだろうか。
 キシュワールはタラーレンのボタンを一つ外すと、フッと口元を緩める。

「ああ。今回は私とお前で出よう。」

 元々切れ上がった瞳が、更に鋭く細められる。
 何故突然そんな事を言い出したのかわからず、アリムは目を白黒させた。

「では、私はバーリと王太后陛下に許可をいただいてから、試合の準備をして参ります。」
「う、うん。それって、俺も観戦していいやつ?」
「もちろんでございます。」

 キシュワールは頷くと、ノイに二、三の指示をして、足早に去っていった。
 ノイはニヤァッと笑う。滅多に見せない下卑た笑いに、アリムは面食らって彼を見た。

「ここで柔軟していいっすか?」
「いいけど。突然どうしたの?」
「んー?」

 ノイは隊服の上着を脱ぎ捨て、グッと体を伸ばす。しなやかに伸びる彼の体は、大型の狼のようだ。

「ドラニア卿も騎士だから、久し振りに体を動かしたくなったんじゃねぇの?」
「ノイは訓練嫌いだろ。」
「嫌いじゃねぇよ。殿下が起きる前には、庭で色々やってるんだぜ。」
「へぇ?」

 意外な情報に、アリムは目を丸くする。ノイは体を逸らせ、交互に腰を捻ながら「いててっ」とぼやいた。

「また攣らないように気をつけてね。」

 ニヤニヤ笑いながら揶揄うと、
 ノイは傷のある鼻に皺を寄せた。
 アリムは更に揶揄いたくなり、そぉっと腕を伸ばす。
 それを素早く察知したノイは「やめろよっ!」と悲鳴をあげて横に飛び退いた。

「暇なら一緒にやればいいだろ!」
「なるほど!」

 アリムはいそいそとショールを置くと、ノイの横に並んで、彼の動きを真似た。
 ノイはチラリとアリムを見て、ワザと難易度の高いストレッチをする。

「いてててっ!ノイ、ワザとだろ?」

 ノイをいいだけ馬鹿にしていたが、普段体をほぐしていないアリムは更に体が硬い。

 イーサンとラドルフが交代に来るまで、アリムは笑いながら身体を動かした。
 不思議な事に先程までの不安は消えて、模擬試合を純粋に楽しみに感じる。

「したら、御前失礼致します。」
「ノイ、今回はちゃんと応援するよ。」

 第二騎士団の模擬戦で、不貞腐れた事を揶揄った。
 するとノイはムッと軽く眉を顰め軽く肩をすくめる。

「今回は思う存分楽しんでください。」

 そう言ってノイはニヤリと笑う。その言葉の意味は、アリムにはわからなかった。
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