星を戴く王と後宮の商人

ソウヤミナセ

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5章 茶会は楽し

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***

「アリム妃殿下の腕の具合はもういいのか。」

アリムが使った書物を片付けた、書庫からの帰り。
城内の廊下で声を掛けられる。
嫌な声だ、と思いながら振り向くと、案の定嫌な顔があった。

「キシュワール。久しぶりだな。元気だったか。」
「お久しぶりでございます、ニーグ大臣。」

ニーグの胸に輝くエンブレムを一瞥する。
金のプレートには、軍事を表す剣のマークが彫られている。
それは相変わらず、意味もなく執拗に磨かれていた。
キシュワールは、胸に拳を押し付け、深く腰を折り、軍部式の敬礼をした。
ニーグはそれを見て、ハハッと笑い声をあげた。

「やめてくれ。俺はもうお前の上司ではないのだから。」
「……。」
「それにお前は、軍人ではなくなったのだから、そんな敬礼はしなくていいんだよ。」

ニーグはキシュワールの肩に手を置き、さも優しげに微笑んだ。

「その覆面もすっかり馴染んだようだな。よかった、安心したよ。」

キシュワールはニーグに言われた通り、すぐに敬礼を解いた。
肩でニーグの手を弾くような形になったが、偶然である。
ニーグはわざとらしく手を押さえながら、嫌な笑いを更に深めた。

「第3妃様がお怪我をなさったと聞いたぞ。もうお加減はよろしいのか?」
「私は医者ではありませんので、わかりかねます。」
「ははっ。白々しいな。戦場で生死を操っていた奴が。元親衛隊長は、怪我の具合を診ることもできないのか。」

キシュワールは露骨な揶揄に顔色を変えず、頭を下げる。

「後宮付きになった為、見立てが鈍っているようです。」
「……まぁ、いい。」

ニーグは途端につまらなさそうな顔をして、肩を竦めた。
見せつけるように指先でエンブレムを弄くる。
静かな廊下に、耳障りな金属音が微かに響く。

「アリム妃殿下は後宮に馴染んでいるか?」
「先日はリアナ妃殿下と、歓談しておいででした。」
「リアナ妃殿下か。あの方はよくわからん。まぁ、バーリの寵愛がなくても、実家の力があれば安心か。マコガレン侯爵さえ後ろ盾にいれば、バーリなんぞ怖くはないよな。」
「……。」

キシュワールは露骨に眉を顰めた。
場内でラシードの事を軽んじる事を言うなど、許しがたいことだ。

「お言葉が過ぎるかと。」

苛立ちを露わにしたキシュワールに、ニーグは片眉をあげた。

「陛下の犬。」
「……。」
「犬なら鳴いてみせろよ。捨てられて寂しいんだろう?」

ニーグは小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
キシュワールの態度が癪に触ったらしい。
相変わらずの沸点の低さに、内心でげんなりする。
こうなれば心を無にしてやり過ごすしかない。
ニーグは冷え切った声で、訥々と罵詈雑言を並べ立てる。

「捨てられるわけないと思っていたかもしれないけどな、陛下だって犬の相手ばかりしてる訳にはいかなかったんだよ。お前と来たら、四六時中我が物顔で付いて回って、見てるこっちが恥ずかしいくらいだった。いつまでも陛下の忠臣面しているのはやめるべきだな。お前はもう、男妃殿下の犬になったんだからなぁ。」

よくもまぁスラスラと、人を罵る言葉が出てくるものだ。
半ば感心しながら言葉を受け流す。
こういう人間だと、昔から知っている。

ニーグは剣を振るえない。
戦好きの前王が、戦況の読めないニーグを適任者として、大臣の地位に据えたのは、知る人ぞ知る所だ。
胸で光るだけの、エンブレムのような存在。

毒にも薬にもならない、前王が残した遺物だ。
戦をしないラシードに仕えていては、更になんの意義もない。
それでもニーグは、己の権力に固執するのだ。

「犬とは大した物言いだな。」

そろそろ戻らないとならないな……と考えていた所で、思いもよらない声が降ってきた。
突如、空気が痛いほどに震える。
弾かれて振り向くと、ラシードが丁度扉をくぐって出てくる所だった。
ラシードは不機嫌そうにあくびを噛み殺している。

「へ、陛下……!」

狼狽えたニーグが、慌てて膝をつく。
当然だろう。キシュワールですら、ラシードがこんな所で仮眠をとっているなど、思わなかった。
キシュワールも一歩遅れて、頭上に拳を捧げ、最敬礼の姿勢を取った。

ラシードは長い王衣の裾を揺らしながら、ニーグの前に進み出る。
そして呆れたように片眉を上げると、大きく溜息をついた。

「ニーグ。お前の声は大きすぎる。筒抜けだぞ。」
「……申し訳ございません。」
「相変わらず口が悪いな。俺はキシュワールを捨てた覚えはないぞ。」
「た、例え話でございます……。」
「なんの例えなんだかな。」

ニーグは顔を上げられず、口の中でもごもごと言葉を捏ねる。
しかし何を言っているのか、聞き取る事はできない。
ラシードは特に聴き直すことはせず、キシュワールに視線を移す。

「キシュワール。」
「はい。」
「お前、こんな所で油を売っていていいのか?アリムはどうした。」
「ただいま戻ります。」
「そうか。頼むぞ。」

ラシードは頷いて、キシュワールの肩に手を置いた。

ーー臣下として頭を垂れるのは、いつぶりだろうか……。

胸の内が凪いでいくのを感じた。
主人と呼べなくなったが、やはり絆で繋がっているのだ、と安堵する。

「失礼いたします。」

キシュワールに続いて、ニーグも前のめりになりながら立ち上がる。

「では、私も……。」
「ところでニーグ。」

ラシードがニーグを呼び、その肩を押し留めた。
先程の声音とは打って変わり、地を這うような低い声。
びくりとニーグの体が大きく震えた。

「先ほどのリアナ妃殿下への発言は、私個人のものではなく……!」
「そんな事はどうでもいい。」
「は?」

ニーグは目を丸くして、思わず顔をあげた。
咎められるのは、リアナへの発言だと思っていたからだ。
呆けたニーグの顔を見て、ラシードの瞳が鋭くなる。

「男妃殿下とは、敬意のない呼び方だな。」
「は……。」

今度こそニーグは言葉を継げなくなった。
気配を消して立ち去ろうとしてきたキシュワールも、食い入る様にラシードを見つめる。
ラシードの瞳が、どんどんと針のように鋭くなる。
刺される様なその鋭さに、ニーグの身体がどんどん縮こまる。

「……お前達があいつの事をなんと噂しているか知らないとでも思っているのか?」

潜めた怒りが呪文になったようだった。
空気内の静電気が騒ぎ始め、耳元でチリチリと不穏な音を立てはじめる。
廊下の空気が大きくたわむ。
脳内が揺さ振られる目眩のような感覚と、体が総毛立つ感覚に、ニーグは口元を押さえた。
キシュワールは激しく頭を振り、不快感を追い払おうとする。
狂う平衡感覚を取り戻そうと、足を踏ん張った。

「……っ。」

ラシードが大きく舌打ちをする。

「すまない。」

そう吐き捨て、エメラルドの耳飾りに触れ、何度か指をなすりつける仕草をする。
するとエメラルドは電気を取り込んだかのように僅かに発光した。
その瞬間、吸い込まれるように不快感がなくなっていく。
キシュワールは息を呑みこむ。
主人の厄介なところは、この感情の切り替わりだ。
どのタイミングで逆鱗に触れているのかわからない。
その事を知らない臣下の多くが、気が付けば酷い怒りを買っている。
しかしここまで怒りを露わにするのは珍しい。

キシュワールは、ラシードが耳飾りに触れているところを久しぶりに見た。
ニーグは足を震わせながら、平服の姿勢をとった。

「どうか、お許しを……。」

情けなく声が震えている。
胸で光る剣のエンブレムが、何とも滑稽だ。
ラシードは苛立たしげに片眉を上げて、臣下を見下ろした。

「他意があったわけではございません。アリム妃殿下を心より敬慕しております。」
「星が煩くて敵わんのに、城の人間まで煩いとは……。耳が割れそうだ。」

ラシードはしきりに耳飾りを指でこする。

「仕事がなくて退屈しているから、邪推をするようになるんだろうな。」

深いため息をつき、今度はこめかみを揉む。
眉間に深い皺が寄った。

「キシュワール。」
「はい。」

突然視線を移され、キシュワールは弾かれたように返事をした。

「アリムを呼んでくれ。庭の東屋で少し休憩したい。」

ラシードはニーグの肩を叩き、めんどくさそうに手を振る。

「お前は退がれ。」

それだけ言うと、興味を失ったように窓の向こうに目をやる。
ニーグは一度深く敬礼をした。
だがそれも形だけで、あとは小走りで逃げ去っていく。
バタバタと言う雑な足音が遠ざかっていく廊下で、ラシードの更に深い溜息が響いた。
鋭い目の際に、うっすらと影がさす。
伏せられた睫毛のせいだ。
わかってはいるが、気安く声をかけられる雰囲気ではない。

「すぐに、呼んでくれ。」

キシュワールは返事をする代わりに、深く腰を折った。
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