星を戴く王と後宮の商人

ソウヤミナセ

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8章 王宮の花

「……俺は……お前に会いたかったんだ。」

 ーー会いたかった……?

 唐突に不思議な事を言われ、アリムはラシードを見つめた。
 ラシードはアリムの頬を包み込みながら、独白するように、ポツリポツリと話し始める。

「はじめは側にいてくれれば満足だと思っていた。だが会うほどに欲が出てくる。」

 硬く引き結ばれた唇に触れ、親指で上唇を捲られる。

「伴侶として触れたいし、友として遊びたいし、臣として取り立てたい。」
「……?」
「お前に求めている事が多すぎて、お前に何をしてもらいたいのか、よくわからないんだ。」

 アリムはラシードが何を言おうとしているのか分からず、戸惑って為されるがままになる。

「……私に求めていることがおありなのですか?」

 ラシードは露わになった歯列に、軽く爪を当てる。
 当然アリムは反抗して唇が閉ざした。
 やめろ、とラシードを睨みつけると、今度は鼻を摘まれる。

「ああ。自分の欲深さに嫌気がさす。」

 今まで与えられてきた、多くの下賜品の事を思い出し、ぽそりと告げる。

「下賜品が多いのも、そのせいですか?」

 訴えた声は鼻声で、ラシードとアリムは思わず目を丸くした。
 アリムが慌てて頭を振ると、ラシードの指は簡単に離れていった。

「他のお妃様方にどうなさってるのかはわかりませんが、エメラルドも黄金も、バーリを思わせる品が多すぎるんです。」
「贈りたくて贈ったものだ。何がいけない?」
「バーリは私を王妃にしたいのですか?」
「…… 。」

 アリムは「しまった」と思わず口を押さえた。
 あまりに思い上がった問いかけだった。男のアリムが国母になれる訳はなく、ましてやアリムにそのつもりはない。
 ラシードの気安い雰囲気に、己の立場を忘れていた。
 今のアリムは平民でも王族でもない。
 ただ妃という名だけを与えられた、不安定な存在なのだ。
 野心があると思われれば、敵が増える。アリムの立場が今以上に悪くなる。

 ーー王妃になれると思ってるなんて、勘違いされたら困る……っ。

 ラシードはスゥッと目を細め、僅かに口を開く。
 何を言われるのか、アリムは自分の指先が冷たくなっていくのを感じた。

「……お前が望んでいないだろう?」

 消え入りそうな呟きだった。
 想像とは違うその不安気な声音に、アリムは目を見開いた。

「俺が望めば、お前は受けてくれるのか?違うだろう?」

 アリムはラシードの言葉に、思わず何度も頷いた。
 それはもう、頭が取れそうな勢いで。
 ラシードは拗ねたように眉間に皺を寄せた。

「お前は本当に無礼者だな。上辺は好意的なくせに、肝心なところで俺を否定する。俺の何が気に入らない?国王だからか?見た目が嫌いなのか?それとも年上が嫌なのか?」

 国王以外、見事に検討外れな理由を並べ、ラシードはアリムの無事な方の肩を掴む。
 意外な力の込め方に、アリムは思わず顔を顰めた。

「……お前は俺をどう思っているんだ?」
「……。」

 何と答えれば良いかわからなかった。
 掴みどころのない、面倒な男。
 アリムを妃と呼び、苦境に立たせる嫌な奴。男を後宮に招きいれた、非常識な王。

 敵意ばかりが向けられるこの後宮で唯一、アリムを絶対に否定しない存在。ーー


 敵意と、悪意のある誤解。それらはいつもアリムを狙っていて、僅かでも隙を見せれば、簡単にアリムを殺すだろう。
 それは全て、ラシード次第なのだ。

 ーーこの人は、こんなにも怖い……。

 言い淀むアリムに、ラシードの瞳の奥が僅かに揺れた。
 そのほんの少し揺蕩った感情の波は、ただただ静かにアリムを飲み込んでいく。

「アリム……。」

 もう片方の腕が、アリムの腰を抱いた。
 ゆったりと、長い上着の裾が揺れる。
 束帯の端に結ばれた小さな玉が、カラリと微かな音を立てた。
 覆いかぶさる大きな体躯に、アリムは咄嗟に彼の上着の肩を握った。

「バ……。」
「静かに……。」

 ラシードはアリムの肩に額を埋め、緩く頭を振る。

「答えなくて良い……。何も言うな……。」

 くぐもった声が、どうしてか切なく聞こえる。
 首筋に触れる、艶やかな髪の柔らかさに、ブルリと体が震えた。

「城の者にも、星にも、お前を傷つけさせない。お前の望むものも全て与える。……だから、俺を嫌うな。」

 絞り出すような低い声は、微かに掠れていた。
 潜められた吐息が、遠慮がちにアリムの首筋を撫でていく。
 熱が首筋からじわじわと広がっていく。
 まるで熱病のようだ。
 ラシードのうわごとは、アリムの脳髄を侵食していく。

「嫌ってなどおりません。」

 アリムは導かれるように腕を伸ばした。
 包み込んだラシードの背中は、熱くしっとりと湿っている。
 不思議に思って、彼のこめかみに触れると、そこは更に汗ばんでいた。

「……触れてくれるのか?」

 ラシードはアリムの手を掴み、そっと手のひらに頰を擦り寄せる。
 そしてエメラルドの耳飾りに唇を押し付けた。
 耳朶に触れる柔らかな唇の感触に、ぞわりと震え上がる。
 だがそっと上げられた双眸には、先程とは別の熱い熱と燦きが浮かんでいた。
 エメラルドの瞳に、黄金の星が散りばめられている。
 少ない瞬きの中、その瞳にはアリムの困惑した顔が、しっかりと映っていた。

「バーリ……。私はバーリを信じたいのです……。」

 ラシードの深い色の瞳が、ゆっくりと瞬く。

「……どうか、僕を殺すようなことはなさらないでください。バーリは僕を後宮に引き入れたのですから、責任を持って、僕を守ってください。これ以上怪我をするのも、命の危険に晒されるのも、絶対に嫌です。」

 そこまで言い切ると、アリムの心臓が大きく跳ねた。
 カッと指先が燃え上がる錯覚に襲われ、思わず手を離そうとする。
 ラシードがアリムの指先に口付けをしたのだ。
 しかしラシードは逃げそうになったアリムの手を更に握り込み、もう一度強引に口元に引き寄せた。
 体勢が傾くと同時に、肩を抱かれ、熱い吐息が手のひらを焼く。
 柔らかな唇が、アリムの親指の付け根を食む。

「約束しよう。」

 手のひらに頬を寄せ、ラシードは決意に満ちた声音で頷く。
 その頬の質感は、滑らかだが、決して柔らかくはない。しかしその質感は思ったよりも心地よかった。

「お前の事は、俺が一生責任を持つと。」
「え?」

 ラシードは決意に満ちた表情で、アリムを見つめていた。
 熱く煌めく瞳には。アリムの戸惑いに満ちた顔が映り込んでいる。
 確かに守ってくるとは言った。だが、一生責任を持って欲しいとは言っていない。
 これではまるでプロポーズではないか。

「あ、あの……。」

 アリムは戸惑いに気づいているのか。
 ラシードは目を細めて笑うと、またエメラルドに唇を押し付けて囁いた。

「一生、責任を持つよ」とーー
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