星を戴く王と後宮の商人

ソウヤミナセ

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10章 褒美は甘いチョコレート

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 ***

 音もなく閉まった扉を数秒見つめた後、ノイはアリムに向き直った。

「俺も失礼します。部屋の前にいるので、何かあったら呼んでください。」

 ノイがワゴンの上を軽く台拭きで拭いて、会釈をする。
 アリムはそれを半眼で眺めていた。

「……おかわり。」
「はい?」
「たっぷりってお願いしたじゃないですか。」

 アリムは部屋に戻ると、苛立たしげにテーブルにコップを置く。
 ドカッと椅子に腰掛けば、ノイは片眉を上げてアリムを見下ろした。

「……なんで怒ってるんですか。」
「怒ってるように見えますか?」

 ノイは頷いて、ミルに残った豆を、フィルターに流しこんだ。
 彼は何事もなかったように、コーヒーを淹れなおし始める。
 アリムはむしゃくしゃした様子で前髪をかき上げた。

「チョコ。」
「はい?」
「持ってるでしょ、あのチョコ。あるだけ寄越せ。」
「はぁ?」

 アリムはノイのウエストポーチを指差した。
 ノイがムッと眉間に皺を寄せる。

「甘い物ならそこにあるでしょう。」
「持ってないんですか?」
「ありますけど、あれは俺の非常食です。」

 アリムは眉を跳ね上げ、ノイを睨みつける。

「なら……!」

 アリムはマカロンを2つ鷲掴み、ガタンっと立ち上がる。
 そしてツカツカとノイに詰め寄った。
 お湯を注いでいたノイは、咄嗟に動けずにたじろぐ。

「なんですか……?」

 アリムはノイの布面に指を引っ掛けて、グイッと乱暴に下に引っ張った。
 パチンっと留め具が簡単に外れて、ノイの鼻から下が空気に晒される。
 細い顎が露わになった刹那、アリムはその口にマカロンを突っ込んだ。
 突然の事に抗議の声をあげかけていた口は、呆気なくマカロンを口に招き入れる。

「うぐぅ!」

 一口サイズと言えど、二つも口に詰め込まれては、口は閉まらない。
 アリムは顎を押さえつけ、強引に口を閉じさせた。
 ノイが目を白黒させる。
 口の中の水分を奪われ、思うように嚥下する事ができないようだ。
 ノイは慌ててポットを置いて、水差しの水をガブガブ飲んだ。

「な、なんだよ!」

 口の端にマカロンの欠片をつけながら、唾を伸ばす。
 アリムは更に不機嫌そうに鼻に皺を寄せる。
 そして無言のまま、手のひらを突き出した。

「はあぁぁ?」

 ノイは大きめの口をへの字に曲げて、渋面を作った。
 僅かに斜めになっている鼻梁に、複雑な皺が寄る。
 形も高さも申し分ないが、骨折でもしたのだろう。それを証明するように、鼻筋には深い傷跡が残っていた。

「マカロン、2つ食べましたね!なら2つはお返しいただかないと。なんならカヌレも召し上がりますか?」

 アリムは到底一口では食べきれないカヌレを指差した。

「い、いりませんっ!」

 ノイは慌てて首を振り、ウエストポーチの中を漁る。
 大きな手のひらに鷲掴みにされたチョコレートは、包装紙がシワシワになっていた。

「どうぞっ!これであるだけです!」

 アリムはしわしわになったチョコレートを受け取り、ニンマリと口の端を吊り上げた。包装紙を1つ剥がし、チョコレートを口に放り込む。

「うまっ。」
「……。」

 ノイは器用に片眉と片頬を歪めて、その様子を眺めている。
 コーヒーがそっと差し出される。
 アリムはカップいっぱいに注がれたコーヒーを見て、また満足そうにニンマリと笑った。

「んーっ!最高の組み合わせだ。」
「……それはようございました。」

 アリムはフッと顔をあげ、悪戯に笑う。

「そんな顔だったんですね。」
「っ!」

 ノイは初めて布面が取れていた事に気がついたかのように、飛び上がった。
 慌てて後ろを向き、留め具を留め直す。

「勘弁してください……。首が飛びます……。」
「男同士で何を疑われるっていうんですか。」
「王の伴侶だって事を、忘れないでください……。」

 アリムは「あぁ……。」と言葉を濁し、ノイから視線を逸らす。
 時折自分の立場を忘れてしまう。いつか城下に戻れるような気がしていた。

 『そんな事許すか。お前は俺の妃だ。』

 ラシードの固い声が頭に響く。
 人の心は変わる。
 王の声を思い出す度に、自分にそう言い聞かせている。

「……バーリは男色なんですか?」
「殿下を妃に迎えたって事は、そうなんじゃないですか?」
「んー……。」

 アリムはカップの縁をなぞり、唇を尖らせる。

「……バーリは今年お幾つになられるんですか?」
「30歳です。」
「王子、王女はおられますか?」
「隠し子の事までは存じません。」

 ノイはぶっきらぼうに答えると、それ以上は話したくないという意思を見せた。
 親衛隊としては、王のことをペラペラ話す訳にはいかないのだろう。
 アリムはコーヒーに口をつける。
 子を成す事は必要だ。ラシードの年齢ならばなおさら。
 周りの人間も黙っているはずがない。
 自分が疎まれている理由もわかる。子を成せねばならない状況で、迎えたのが男の平民なのだから。

「……。」

 ノイはゴソゴソとウエストポーチをまた探り始めた。
 そして皿の上に、手包の四角いキャラメルを置く。

「毒殺犯がいたとしても、絶対に俺じゃありませんからね。」

 アリムは目を丸くした。形や包み方を見ると、明らかな手作りだった。

「妹の手作りです。お嫌でなければ。」
「妹さんがいるんですか?」
「2人います。」

 自らの事を話すのは恥ずかしいのだろう。
 ノイは気まずそうに目を合わさずにいる。
 アリムは油紙を丁寧に剥がし、少し濃い焦がし色のついたキャラメルを口に入れた。
 トロリと口の中で溶けた甘さに、目を丸くする。

「うまっ!」
「……菓子作りだけはうまいんです。」
「最高ですね。」

 アリムはもう一つ食べたい、と目で訴えたが、ノイは首を振る。
 そしてウエストポーチを探る仕草をして、パッと手を開いて見せた。
 もう空っぽらしい。
 つまり、アリムはノイの間食を食べ切ってしまったようだった。

「……後継問題は、殿下の責任じゃないんですから。その責任を負うのは、殿下じゃなくて、バーリです。」

 ノイは口の中で早口に呟いた。
 聞き逃しそうな話し方に、アリムは一瞬動きを止める。
 頭の中で処理するのに、少しの時間が必要だった。
 ノイは何事もなかったかのように、出涸らしの入ったフィルターを丸め、屑入れに片付ける。
 だがノイの眉間には、わずかな皺が寄っていた。
 平静を装ってはいるが、気まずい思いを隠す事ができないでいる。
 親衛隊として、本来なら口を出してはいけない領域なのだ。

「……ありがとうございます。」

 驚いて、そう伝えるのがやっとだった。
 ノイはそれに小さく頷き、今度こそ頭を下げて、退室をしたのだった。

 ***

 それからしばらくは怒涛の日々を送った。
 アリムの腕は、この翌日にあっさりと三角巾が外れた。
 リハビリは『軍式でいいなら、空いてる時間に俺がやります。』と、ノイが手を挙げた。
 もちろんセイラムは難色を示したが、アリムは心の中でホッとしていた。

 セイラムのあの目の意味に気づかない訳がないのだ。

 そして次第にリハビリに時間を割いている場合ではなくなった。
 レイブンが宮節日の衣装について、事あるごとにアリムの指示を仰ぎにやってきたのだ。
 まず、トウマから譲り受けた……はずの糸で、試し染めをし、スカーフを仕立ててきた。

「驚きです!こんなに発色がよく、扱いやすい糸は初めてです!」

 ウキウキとした壮年の男の様子を見ながら、アリムも満足そうに頷いた。
 生地は伸縮性も良く、軽やかで通気性も良かった。
 存分に細工を凝らして布を織ることも可能だろう。
 アリムは幾つかの細工のアイディアと、装飾の希望を伝えた。

「南領の妃様には、特産の薔薇の地模様を。東領の妃様には……優美なドレープをたっぷりと。オパールとアメシストを散りばめてはいかがですか?」

 特にリアナの衣裳には、細かな希望を出した。

「妃殿下の衣裳は如何なさいますか?」
「僕ですか?」

 アリムは肩をすくめ、三角巾を指差す。

「あの色で全身を仕立ててください。上衣も下衣も全部。帯は真っ黒で。……バーリの色は絶対に使わないでください。」

 アリムはその一点だけ念を押した。
 あまりに地味で主張のない要求に、レイブンは残念そうな顔をする。
 しかし着飾る必要がないのだから、場にあった最低限の装いで良いのだ。
 それからレイブンは妃達とアリムの間を行ったり来たりし、デザインの調整を行った。
 マルグリットの要望は紙に起こすと10枚になるらしい。苦笑いが出たが、可愛らしいものだ。

 アルバシウムも枯れる事なく、日に日に花ぶりが瑞々しくなってきた。
 ラシードから、この花の話を聞いて以来、もっと手を掛けようと決心したアリムは、まずノイに話を聞くことにした。

「花なんて育てた事ないですよ。」

 ノイはあからさまに嫌そうな顔をした。
 次にレイブンに話を聞いてみる。

「カナンを栽培するときは、時折肥料をやっております。そちらをお持ちしましょうか?」

 そうして肥料を手に入れたアリムは、試しに土に混ぜ込んでみた。
 すると翌日アルバシウムの花振が、ひと回り大きくなったような気がした。
 そして日を置くごとに、背丈も大きくなり、匂いも強くなっていく。
 キシュワールですら、チラリとバルコニーを覗いた時に目を丸くしていた。
 その時の表情の変化を見た時の達成感は、何にも言い難い。
 アリムは隠れてニヤニヤとほくそ笑んだ。
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