星を戴く王と後宮の商人

ソウヤミナセ

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11.バステンとオルフィ

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「星神の王にご挨拶申し上げます。」

 アリムとノイは、拳を掲げて、深く頭を下げる。
 ノイは小さな声で「あそこはバーリの執務室です。」と説明する。

「顔を上げろ。散歩中か?」

 顔を上げると、機嫌良さそうに目尻を下げているラシードと目が合う。
 ラシードは「珍しいな。」と笑い、ノイに視線を向けた。

「ノイが連れ出してくれたのか?」
「殿下のご希望でございます。」
「ほぉ?」

 ラシードが眉をあげ、意味深げに二人を見下ろす。

「どこに行くんだ?」
「練武場です。」
「待ってろ。俺も行く。」

 ラシードはヒョイっと窓の中へと引っ込んだ。
 窓の後ろで、ギョッと目を丸くした男と目が合う。
 男は慌ててアリムに拝礼をしたが、すぐにバタバタとラシードを追いかけていった。

「あの人は秘書官のジーンさんっす。」

 あの慌てようを見ると、よっぽど急ぎの用件でもあったのだろう。
 だが一緒に行くと言われた以上は、待っていないといけない。
 三角巾が外れてからというもの、ラシードの機嫌はすこぶる良かった。
 礼拝中も真面目ぶった顔をしていると思ったら、ニヤニヤとアリムを眇めている。
 その度に、耳飾りが重たく感じ、アリムは耳を赤く染めた。

「待たせたな。」

 ラシードが長衣の裾を靡かせて、大きく手を振ってやって来た。
 程よく日に焼けた頬が、わずかに蒸気している。
 ターバンクラウンがキラリと陽の光を弾いた。
 アリムは思わずうっすらと笑みを浮かべる。
 ラシードはそれに、一層笑みを深めた。

「練武場には何をしに行くんだ?」

 さっとアリムの隣に立ち、腰を抱き寄せる。
 その流れるような仕草に、違和感を感じる者はいないようだった。
 ……抱かれたアリムを除いてだが。
 アリムの頬が一気に赤くなる。

「……ただ散策をしているだけです。許可がでたら、馬にも乗りたいな、と。」
「馬?」

 アリムは背が高い方だが、ラシードはその頭一つ分大きい。
 自然と見上げる形になる。
 ラシードはアリムの腰を抱いたまま、ゆっくりと歩き始めた。
 ノイは逡巡したように、後ろで止まってしまった。

「馬に乗れるのか?」
「故郷では良く乗っていました。」
「ならば、幼い頃から?」
「はい。」

 チラリとアリムがノイを振り返った。
 視線で振り返っただけだったが、ノイとしっかり目が合った。
 ノイは小さく頷き、話が聞こえないくらいの距離を空けて歩き始める。
 アリムはそれを確認すると、ホッと胸を撫で下ろした。

「どうした?」
「……りんごはお好きですか?」
「りんご?」

 唐突な問いに、ラシードはキョトンとする。
 鋭い目つきが、僅かに丸くなっただけで、雰囲気は随分と和らぐ。
 アリムはそれに気が付いて、ホッと肩の力を抜いた。

「先程、果樹園の前を通りました。赤々としていて、とても美味しそうだな、と思いまして。」
「あぁ。リンゴか。そうだな……好きでも嫌いでもないが……。」
「え!?」

 アリムは大仰に目を丸くした。
 ラシードもアリムの反応に、同じような顔をする。

「お前は好きなのか?」
「はい。果物では一等好きです。」
「いや!美味いと思うぞ!リンゴは間違いないよな!」

 ラシードが慌てたように、己の言葉を訂正する。
 そして誤魔化すように、腰を屈めてアリムの顔を覗き込んだ。
「ん?」と曖昧な笑みを作り、ずいっと顔を近づける。
 ノイはギョッと目を瞠り、反射的に視線を逸らす。
 だが、二人の距離がこれ以上近付くことはなかった。

「馬にもやるか?」
「……喜ぶと思います。」

 アリムはグイッとラシードの肩を押し、むぅっと眉間に皺を寄せる。
 王に対して随分な扱いだが、ラシードはクックっと肩を震わせるだけだった。
 それを忌々しそうに睨みつけ、距離を取ろうと、ラシードの肩を押し退ける。
 しかしラシードの体はびくともせずに、むしろ更に強く腰を抱き込まれる羽目になる。

 こっそり後ろを盗み見るーー
 そっぽを向いたノイが更に距離を取っているところだったーー

 ***

 その場に足を踏み入れた瞬間、ぶわりと空気が変わった。
 舞い上がる砂埃、汗の匂い、強い湿気が混ざり合い、意図せず咳き込んでしまう。
「大丈夫か?」
 ラシードはアリムにハンカチを差し出した。

「むさ苦しいだろう?」

 アリムはラシードのハンカチを押し留め、首を振る。

「砂埃が喉に入って驚いただけです。」

 練武場の中心では、男達の怒声が轟いていた。
 アリムはそれを真っ直ぐに見つめ、キラキラと目を輝かせた。

「壮観だ……。」
「第二騎士団だ。ノイが所属している所だな。親衛隊と兼任しているんだ。」
「へぇ……。」

 ラシードの言い振りでは、ノイは親衛隊を解任されているわけではないようだ。
 その事に内心でホッとする。
 騎士達は、練武場の周りを走り込んだり、木刀を打ちつけたりと、個人的な鍛錬に励んでいるようだ。

 一人の男が、相手の木刀を受け損ね、大きく弾き飛んだ。
 アリムはヒュッと息を呑む。
 受け身を取りながらも、地面を激しく転がって行く様に、思わず身体が竦んでしまう。

「星王にご挨拶申し上げます!」

 バタバタと激しい足音を立て、大男が駆け寄ってきた。
 その後ろをノイが飄々とついてきている。
 男は騎士団の制服をキチッと着込んではいたが、覗く肌からは汗が滴り、蒸気が立ち上っていた。
 恐らくこの場で、一番背が高いだろう。
 それに筋肉が誰よりも隆起していて、さながら熊のようだった。

「ホーン卿、久しぶりだな。」

 ラシードはゆったりと笑みを浮かべて頷いた。

「今日は俺の妃と散歩に来たんだ。いつも通りに過ごしてくれ。」
「は……。」

 ホーン、と呼ばれた男は、アリムに視線をやり、僅かに眉を顰める。
 それはほんの一瞬の表情の変化だった。
 しかしアリムは見逃さない。

「……アリム・イスファール・ラ・アレジャブルです。今日はお邪魔いたします。」

 面倒な事は早く終わらせようと、アリムは人好きのする笑みを浮かべて、自己紹介をした。
 ホーンはまた眉間に皺を寄せ、拝礼の体勢を取る。

「王国の青き月にご挨拶申し上げます。第二騎士団団長の、サーガン・ホーンと申します。ご挨拶が遅くなり、申し訳ございません。」
「ナトマ卿の騎士団だと伺いました。大切な働き手をこちらにいただいてしまい、申し訳ございません。」
「……。」 

 ホーンはそれに対して、何も答えずに沈黙する。
 アリムにいい感情を抱いていないのは、明らかだった。
 ノイが「チッ」と小さな舌打ちをする。 

「馬でも見ましょうか?俺の子で良ければ、乗れますよ。」
「親衛隊は一人一騎、馬を持てるんだ。」

 ラシードが柔らかな声音で、アリムに説明する。

「ノイの馬も良いが、俺の馬はどうだ?気性も穏やかだし、乗りやすい。」

 そう言って長衣の裾でアリムを包むように抱き込む。
 ホーンの顔が見えなくなる。

「馬場を借りるぞ。ノイ、後でな。」

 ラシードはノイを一瞥する。
 アリムは慌ててホーンに頭を下げようとした。
 しかしラシードは「さぁ、行こう。」とアリムに微笑みかけて、グイグイと背中を押してくる。
 結局アリムはラシードの長衣の裾に巻き込まれる形で、この場を後にする羽目になった。
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