きみの隣、ぼくのプレミス

みふぃあ

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1-ぼくのモーニングルーティン

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九月の暑さみたいな「しつこさ」から解放されて、でもまだ十一月の肌寒さもない。
そんな中間にいる十月の朝は、布団の重みがやけに心地よく感じる。
意識半分をぼんやりと夢の中に浸りながら、俺は薄手の毛布に包まっていた。
遅れた季節の移り変わりを感じさせる、あっという間に過ぎ去るこの季節が一番好きだ。

つい十五分ほど前に、スマートフォンのアラームが鳴った。が、画面も見ずに手探りで止めて、スヌーズ機能も忘れず切った。毎朝、定刻にアラームを設定しているが、深い眠りから目を覚ますためにすぎない。端からこのアラームで起きるつもりはないのだ。

玄関のあたりから、微かに話し声が聞こえる。母さんの声と、もう一人。何を話してるのかまでは聞き取れない。でも、この時間に声がするってことは、だいたい決まってる。低くて落ち着いた声。
ああ、祐輔ゆうすけが来たんだな――聞き慣れたその声が耳に届いた瞬間、「スイッチ」が切り替わる。
朝から幼馴染が家に来たら、普通は慌てるものなのかもしれない。でも、俺にとっては、その声色は「もう起きろ」という危険信号ではなく、「まだ大丈夫」という安心の合図。

布団から出ようとほんの少しだけ体に力を入れて、すぐ諦めた。
祐輔が来たなら、絶対に遅刻することはない。どうせ、このあと「いつも通り」俺を起こしにくる。
そんな甘えきった思考回路で、俺の意識は心地よい微睡みへと落ちていった。

階段下、リビングのほうから弟の未絃みつるの声が聞こえた。朝から元気だなぁ。そうなると、そろそろ頃合いか。階段を上がってくる足音がする。二段、三段……控えめで静かで、規則的なリズム。

 コンコン、とノックの音。返事をするのは面倒で、布団を頭まで引きあげてごまかす。

「……渉、入るよ?」

付き合いの長い幼馴染だというのに、毎回ノックと小さな声掛けをする律儀さ。こいつの人となりが些細なところにも表れている。

「渉ー? 起きて……るわけないか」

部屋の扉が開く音、人の気配。聞き慣れた足音……。
ベッドの縁に腰を下ろす。マットレスが沈み込む、微かな振動。――祐輔だ。
声をかけてくるわけでもなく、ただそこにいる気配。
不思議と嫌じゃない。むしろ、その重みが心地よくて、俺は寝返りを打つふりをして、さらに深く布団をかぶった。

俺の朝は大体、こうして始まる。  
一回目の目覚ましは、枕元のアラーム。二回目の目覚ましは、隣の家からやってくる世話焼きの幼馴染。
もうずっと前から繰り返している、俺の日常だ。

肩にそっと触れる温もりは、不思議と嫌じゃない。むしろ、その重みが心地よくて、俺はさらに深く布団に潜り込もうとする――。
「……渉、起きて。朝だよ」

穏やかだけど有無を言わせない声に、俺は渋々起きる決意をすることにした。

「んー……あと、五分……」

口をついて出たのは、我ながら情けないいつものセリフ。
祐輔はため息をついているだろうか。それとも呆れているだろうか。

「五分あげたら、絶対また寝るでしょ。先週、それで駅まで走ったの忘れた?」
「……うぅ……ゆうすけぇ……」

名前を呼べば許されると思っているあたり、俺も大概だとは思う。
布団を引っ剥がされ、強制的に朝の光の中に引きずり出された。

「はいはい、祐輔ですよ。カーテン、開けるからね?」
「うわっ、まぶし……」
「おはよ、渉。……ほら、寝癖すごいよ」

呆れたような声色が落ちてきた。視界がぼやけていて、逆光の中に立つ祐輔の表情はよく見えない。
「だよなぁ。どのあたり?」

手櫛でぐしゃぐしゃと撫でてみるけど、逆にひどくなってる気しかしない。  鏡を見る気力もないまま頭を掻いていると、祐輔が俺の肩を押さえて髪に手を伸ばした。

「じっとして。直してあげるから」

触れる手つきは丁寧で、跳ねた髪先を梳く指が、さらさらと髪を撫でていく。美容師か、お前は。心の中でツッコミを入れつつ、俺はされるがままに身を任せる。

「――よし、これで直ったと思うよ」
「おー。毎朝サンキュー」
「どういたしまして。はい、眼鏡」

ベッドサイドの棚から眼鏡をとって、当たり前みたいな顔で差し出してくる。  
こいつは毎朝こうやって、俺の視界を整えてから一日を始めさせる気らしい。
起こしに来て、髪を直して、眼鏡まで渡してくれる。過保護とかそういうレベルを超えて、もはや介護に近いんじゃないか?

「――ほら、ちゃんと起きて。もう着替えないと……あと十五分で家出ないと遅刻するよ?」
「え?」

レンズ越しでクリアになった視界で、枕元に放り出してあったスマートフォンの画面に目をやって思わず思考が止まる。

「――マジで? 今日、まだ金曜じゃん……!」

勝手に土曜日の休日のつもりでいた脳が、一気に現実に引き戻される感覚。どうやら俺は、曜日を勘違いしていたらしい。昨日の帰りに買った新刊のミステリー小説を、じっくり読もうと思ってたのに……。

「もう、だから言ったでしょ。あと十五分で家出ないと遅刻するって」

高校生にもなって情けない、という自覚はある。あるけれど。
――俺の日常ってやつは、結局のところ「祐輔がいること」で回っているんだよなぁ。
そんなことをぼんやりと考えながら制服に着替え、俺たちは部屋を出た。

***

階段を降りてリビングの扉を開けると、香ばしいパンの匂いと、朝の光が溢れてきた。ダイニングテーブルには、すでに身支度を終えた未絃が座っている。俺を見るなり、ふわふわとした悪戯っぽい笑みを向けた。

「あ、わた兄やっと起きた~!」

「はい、これ」と差し出された皿には、程よい焼き目のついたトーストが乗っている。親切にもバターまで塗ってあるらしい。軽く礼を言って受け取ると、未絃はにっこりと微笑んで続けた。

「もう、ゆう兄は『専属アラーム』だね~。毎朝わた兄を起こしてあげて、ほんとに優しいんだから!」
「別に俺が頼んでるわけじゃ――」
「はいはい、素直じゃないなぁ。でもわた兄、朝弱いんだから起きれないでしょ~」

憎まれ口を叩きながら席に着くと、キッチンから戻ってきた祐輔が少しだけ困ったような笑顔を浮かべた。

「あはは、もう日常茶飯事だからね」

その手には、俺の分の牛乳が注がれたグラスが握られている。対する自分の手元には、氷が揺れるアイスコーヒー。弟と幼馴染による、あまりに完成された連携プレーだ。
未絃はそれを見て、ふと眉尻を下げて、むくれたような声を出した。

「あ。でも――わた兄、ずっと続くと思ってるでしょ?」
「はぁ?」
「ゆう兄だって大変なんだよ~? 毎朝早起きして、人の世話まで焼いてさ……。ねぇ、ゆう兄?」

そう言って、俺ではなく祐輔の方を見て、未絃は大げさに肩をすくめるような仕草をする。
俺はコップに伸ばした手を止めて、まじまじと弟の顔を見た。こいつは一体、何を言ってるんだ?

「大変じゃないよ。僕が好きでやってることだから」

ほら、祐輔の表情だっていつも通りだ。
『ずっと続くと思ってる』?続くに決まってるじゃないか。だって、祐輔だぞ?
そこに「大変」とか「努力」とか、そういう不確定な要素が入り込む余地なんてない。残念ながら、未絃の同情は的外れだ。

「うるさいなー。お前も遅刻しないように早く行けよ」

湧き上がった弟の懸念が、俺には酷くナンセンスなものに思えた。未絃は「はいはい」と鞄を手に立ち上がる。

「それじゃ、ぼくは先に行くね。わた兄、戸締まりよろしく~」

そう言って、未絃は軽やかに玄関に向かい、ドアを開けて出て行った。
バタン、と玄関の扉が閉まる音が静かなリビングに響く。
あとに残されたのは、いつも通りのリビングと、いつも通りの俺たち。
未絃の言った「大変」なんて言葉が似合わないほど、祐輔は涼しい顔で手元のグラスを傾け、少し小さくなった氷を鳴らす。

「……渉、どうしたの? あんまりゆっくりしてるとほんとに遅刻しちゃうよ?」

その表情はまるで、今日も何も変わらないように見えた。

「んぐっ……わ、分かってるよ!」

呆れた声に現実に引き戻され、俺は慌てて残りの食パンと牛乳を口に押し込んだ。
ほら、やっぱり。あいつは祐輔のことを分かってない。俺の日常は、今日も盤石だ。
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