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十七 儚き螢の想い出。
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儚き螢の想い出。
これは、とある街にある小さな神社に祀られている龍神様とお友達のお話。ここには龍之介という神様と太郎という神様が住んでいる。二人は仙人や精霊や動物、人間の子供、もちろん神様たちが気軽に遊びに来られるようにお食事処を始めてみた。そんな小さな神社の、まだ誰とも出会う前のおはなし。
「雨粒かぁ。あの娘は今もあの厚い雲の上で輝いておるじゃろうが、こんな夕暮れの雨粒は胸が痛いの。」
太郎は入口の床机に座り、タバコの煙の行方を見るとはなしに眺めながら独りごちた。
あの娘が現れたのも、こんな大粒の雨がぽとぽとと落ちる夕暮れ時であった。薄墨色の浴衣の柄はせせらぎと蛍。そして濃紺に紅色の市松模様の帯を締めて紅色と濃紺の蛇の目傘をさしていたあの娘は、そのまま雨に溶けてしまうかと思うほど儚く美しかった。
あの時、なぜ彼女が逝く事を止めなかったのか。
できもしないことが胸に刺さった棘のように時折疼く。
「おや、太郎さん物想いかね?タバコの灰が、ほれ作務衣に落ちておるぞ。」
龍之介は徳利に冷えた日本酒をたっぷり入れて、大きなぐい呑二つと若鮎の天ぷら、小エビの佃煮と、菜っ葉と油揚げの煮浸しを小鉢に入れ持って来ると自分も床机に座り、ぐい呑を満たすと太郎に渡した。
「こんな日は呑むにかぎるの。遠き刻に想いを馳せるのもよかろうて。」
それは、まだ子供達が生まれるずーっと前。戦争が終わりを告げ街が少しずつ息を吹き返した、そんな頃のこと。
太郎と龍之介はまだお食事処などしておらず、この洞穴から外の街をただ護っていた。
そんなある雨の夕暮れ。
「もうし、ここは龍神様のお住まいでしょうか。少しの間雨宿りをさせていただけませんでしょうか。軒先で構いません。外が見えた方がいいものですから。」
そう声をかけてきたのはなんとも儚げな美しい蛍の精霊であった。
「おお、こちらへ入りなされ。ささ、梅雨とはいえ冷えなさったじゃろ。足湯を持って参ろうの。この床机に腰掛けて。熱いお茶を持ってこようの。」
龍之介がそう言って床机を指差し太郎に振り返った。
太郎は、まるで雷にでも打たれたようにその蛍の娘を見つめたまま動くことができなかった。
「ふむ。足湯はわしが持ってこようの。太郎さん、突っ立っておらんで話を聞いてやってはくれまいか。」
そう言われてもしばらくの間体が動かない。どうしたことか、と太郎が戸惑っていると、龍之介が甲斐甲斐しく世話をしている姿がなぜかジリジリと胸の奥を焦がす。我も何かせねばと乾いた手ぬぐいとお茶を持つと龍之介との間に割って入るようにして床机の上に盆を置いた。
龍之介はくすりと笑った。
「それで、お前は一体こんな大粒の雨の日に一人で何をしておったのじゃな?」
「はい。私はその先の小川の葦のたもとに住んでおります、儚灯(はかなび)と申します。あの葦原で大切な人と約束をしておりましたが、大雨の後消息が分からなくなってしまったのです。私たちは大人になって仕舞えば雨は木のうろやなにかで避けられるのですが、子供の時には宿主のカワニナが流されて仕舞えばどこで羽化できるか分かったものではありません。私たちはもう羽化寸前でしたのに。」
儚灯はそう言うとほろほろと涙を流してうつむいてしまいました。
「お前の想い人は、名はなんと言うのかの?」
龍之介はお茶をいれなおすと金平糖を皿に盛り出してやった。
「甘いものは落ち着くからの。少し口に含んでごらん。」
「あの人の名は螢之介と申します。もう、遠い大きな川へ流されたのかもしれませぬ。私はあと三日で命が尽きてしまいます。他のお方とのお話もございますが、螢之介さんが来るのを待っていたいのです。可笑しいと思われるでしょうが、あの人は約束を違えたことなどないのです。」
儚灯は金平糖を一つ口に含むと、悲しげにカリリと噛み砕いた。甘さとソーダ水のほのかな香りが口に広がる。
また、涙が溢れて落ちた。
太郎は、この美しい儚灯の想い人を見つけてやらねばと思いつつも、もう現れなければいいのにと頭の片隅で思っている自分に気がついた。なんということだ。龍神である自分が、こんな事を思うとは。いくらわしが若輩といえどこのような気の迷い、恥じねばならぬ。払わねばならぬ。
太郎は
「少し外を見てこようの。この辺りの川であろうからきっとお前を探していよう。わしが連れて来られるかはわからぬが探してみなければわからぬからの。」
自分の思いを振り払うかのように、太郎は外へ飛び立っていった。
太郎は龍に姿を変えると、川に沿って下っていった。辺りはもう、闇が包み込んでいる。そして、あちらこちらで蛍がひらひらと瞬いていた。
雨は強く弱く降り続き、川の流れは暗がりの中轟々と音を立てていた。
螢之介は羽化した直後に激流に呑まれ川下まで流されてきてしまった。翅は傷み一枚もげてしまって、もう飛ぶ力すら残っていなかった。それでも儚灯に会いたい一心でここまでは飛んで来たのだ。後は歩くしかない。そう思うと冷え切った体を、柳の根方に寄りかかってほんの少し休めることにした。
歩いて行ったらどのくらいかかるのだろう。儚灯は後どれくらい待っていられるのだろう。そんなことに想いを巡らせていたがいつしか眠りの闇に落ちていった。
どのくらい眠っていたのだろう、遠い闇の向こうから自分を呼ぶ声が聞こえる。重い瞼をうっすらと開けるとそこに一頭の龍がこちらを見ている。もう、何が起きているのかもわからぬほどに眠くて眠くて、それでも名を尋ねられた時に「はい」と答えた気がした。
螢之介はふわりと舞い上がると龍の背に乗せられ飛んでいる夢を見ていた。
もう力も入らぬほどに疲れ切って
、今という刻に考えも及ばぬほどになっているというのに風を切り闇を切り川上に向かっている。
冷たい風に当たっている間に頭が動き始め、自分が本当に龍に乗っていることに気がついて螢之介は思い切って尋ねてみた。
「どうして私はあなた様の背に乗っているのでしょう。私は螢之介と申します。あなた様はお名前はなんとおっしゃるのですか?」
「わしか、わしは安田神社で龍之介さんとともにこの辺りを護っておる龍神で太郎と申す。儚灯がお前を探し、待ち侘びておるのでわしが探しに来たのじゃよ。お前さんあの神社の小川で生まれたのじゃろう?この雨で流されたのではと、儚灯が泣いておった。お前の命が尽きる前に連れて行かねば、わしがわしを許すことができぬ。少し速く飛ぶゆえちゃんとつかまるのじゃぞ。」
太郎は柳の根方で倒れていた螢之介を見つけた時、この傷ついた若者を連れて行くかどうか少しの間考えた。
螢之介の命の灯はもう尽きかけている。相当流れや風雨に打たれたのだろうその身体は、見るからに弱り果てていた。
それでも儚灯が神社の洞穴で待っている、あの健気な姿が頭の片隅から離れない。わしではあの娘を守ってはやれぬ。たとえわしらと同じ刻を生きられるようにしたとしても、この若者のことをどんなに刻を超えても忘れることはないだろう。わしにできることといえばこの若者を連れて一刻も早く帰ることしかないではないか、何を迷っているのだ。
わしと、あの娘では生きる世界が違うのだ。
太郎は螢之介を背中に乗せ川上を目指した。
洞穴に着いたのはそろそろ夜があけようかと空が動きだした頃だった。
雨がポツリポツリと雲の尻尾から残りの雫を落とし東へ流れていき、入れ代わりに白い雲の間から朝陽が山頂を照らし始めていた。
龍からいつもの姿に戻り螢之介を抱えた太郎が入り口をくぐると、走り寄ってきた儚灯が螢之介の手を取り太郎を仰ぎ見て
「太郎さんありがとうございます!この人、こんなに傷ついて。。。」
「うむ、それでもここを目指しておったよ。翅がもげてしまったのに歩き続けて。わしが行った時には眠っておったがの。それでもお前を呼ぶ声がずっと聞こえておった。座敷に寝かせてやろうの。龍之介さん、済まぬが布団を敷いてやってください。温かくしてやらねば。着物の替えもお願いします。」
龍之介は黙って頷くと布団を敷き着物を着替えさせてやった。太郎は小さな火鉢に火を熾し側に置いてやると
「儚灯、側にいておやり。温かくなれば目も覚めるじゃろう。」
そう言うとタバコを吸いに外に出て行った。
龍之介も入口の床机に座り二人を見守りながらも太郎を気にかけていた。
夕陽が、辺りの青葉を金色に染め西の空を燃えるように沈んでゆく。
螢之介は薄く目を開け
「儚灯、やっと会えた。お前と過ごした時間が永遠のようだ。また、いつの世か逢いたいな。」
そう言い残し、蒼い光の中に溶けて逝ってしまった。
儚灯は今握っていた手を、その形のまま握りしめ光の行方を目で追うと、頬に伝う涙にすらも気付かず入り口の方を見つ続けた。
数日の間、儚灯は掃除や台所仕事を手伝っていた。
太郎は、このままここに居てくれたならと心の奥で願いはしたが口には出さずに堪えていた。
とある夕方、儚灯が太郎と龍之介を呼ぶと
「そろそろお暇する時が参りました。私ごときにこのようにお心をかけていただき本当にありがとうございました。螢之介まで探していただき、これ以上の幸せはございません。これから、あの人に逢いに行きます。お二人とも、どうぞお元気で。ありがとうございました。」
そう言うと夕陽の中にはらはらと舞い散るように溶けて、逝ってしまった。
その夜、太郎は一人盃を傾けた。空には上弦の月が淡い光を放っていた。
あの娘は若者に逢えただろうか。いついつまでも、寄り添っていてほしいと願わずにはいられなかった。
「そろそろ梅雨も明けるの。螢も終わりじゃな。今年も暑うなるじゃろうの。」
龍之介は太郎のぐい呑に酒を注ぎながら空を見た。
あの雲のそのずーっと上の儚灯を想いながら。
これは、とある街にある小さな神社に祀られている龍神様とお友達のお話。ここには龍之介という神様と太郎という神様が住んでいる。二人は仙人や精霊や動物、人間の子供、もちろん神様たちが気軽に遊びに来られるようにお食事処を始めてみた。そんな小さな神社の、まだ誰とも出会う前のおはなし。
「雨粒かぁ。あの娘は今もあの厚い雲の上で輝いておるじゃろうが、こんな夕暮れの雨粒は胸が痛いの。」
太郎は入口の床机に座り、タバコの煙の行方を見るとはなしに眺めながら独りごちた。
あの娘が現れたのも、こんな大粒の雨がぽとぽとと落ちる夕暮れ時であった。薄墨色の浴衣の柄はせせらぎと蛍。そして濃紺に紅色の市松模様の帯を締めて紅色と濃紺の蛇の目傘をさしていたあの娘は、そのまま雨に溶けてしまうかと思うほど儚く美しかった。
あの時、なぜ彼女が逝く事を止めなかったのか。
できもしないことが胸に刺さった棘のように時折疼く。
「おや、太郎さん物想いかね?タバコの灰が、ほれ作務衣に落ちておるぞ。」
龍之介は徳利に冷えた日本酒をたっぷり入れて、大きなぐい呑二つと若鮎の天ぷら、小エビの佃煮と、菜っ葉と油揚げの煮浸しを小鉢に入れ持って来ると自分も床机に座り、ぐい呑を満たすと太郎に渡した。
「こんな日は呑むにかぎるの。遠き刻に想いを馳せるのもよかろうて。」
それは、まだ子供達が生まれるずーっと前。戦争が終わりを告げ街が少しずつ息を吹き返した、そんな頃のこと。
太郎と龍之介はまだお食事処などしておらず、この洞穴から外の街をただ護っていた。
そんなある雨の夕暮れ。
「もうし、ここは龍神様のお住まいでしょうか。少しの間雨宿りをさせていただけませんでしょうか。軒先で構いません。外が見えた方がいいものですから。」
そう声をかけてきたのはなんとも儚げな美しい蛍の精霊であった。
「おお、こちらへ入りなされ。ささ、梅雨とはいえ冷えなさったじゃろ。足湯を持って参ろうの。この床机に腰掛けて。熱いお茶を持ってこようの。」
龍之介がそう言って床机を指差し太郎に振り返った。
太郎は、まるで雷にでも打たれたようにその蛍の娘を見つめたまま動くことができなかった。
「ふむ。足湯はわしが持ってこようの。太郎さん、突っ立っておらんで話を聞いてやってはくれまいか。」
そう言われてもしばらくの間体が動かない。どうしたことか、と太郎が戸惑っていると、龍之介が甲斐甲斐しく世話をしている姿がなぜかジリジリと胸の奥を焦がす。我も何かせねばと乾いた手ぬぐいとお茶を持つと龍之介との間に割って入るようにして床机の上に盆を置いた。
龍之介はくすりと笑った。
「それで、お前は一体こんな大粒の雨の日に一人で何をしておったのじゃな?」
「はい。私はその先の小川の葦のたもとに住んでおります、儚灯(はかなび)と申します。あの葦原で大切な人と約束をしておりましたが、大雨の後消息が分からなくなってしまったのです。私たちは大人になって仕舞えば雨は木のうろやなにかで避けられるのですが、子供の時には宿主のカワニナが流されて仕舞えばどこで羽化できるか分かったものではありません。私たちはもう羽化寸前でしたのに。」
儚灯はそう言うとほろほろと涙を流してうつむいてしまいました。
「お前の想い人は、名はなんと言うのかの?」
龍之介はお茶をいれなおすと金平糖を皿に盛り出してやった。
「甘いものは落ち着くからの。少し口に含んでごらん。」
「あの人の名は螢之介と申します。もう、遠い大きな川へ流されたのかもしれませぬ。私はあと三日で命が尽きてしまいます。他のお方とのお話もございますが、螢之介さんが来るのを待っていたいのです。可笑しいと思われるでしょうが、あの人は約束を違えたことなどないのです。」
儚灯は金平糖を一つ口に含むと、悲しげにカリリと噛み砕いた。甘さとソーダ水のほのかな香りが口に広がる。
また、涙が溢れて落ちた。
太郎は、この美しい儚灯の想い人を見つけてやらねばと思いつつも、もう現れなければいいのにと頭の片隅で思っている自分に気がついた。なんということだ。龍神である自分が、こんな事を思うとは。いくらわしが若輩といえどこのような気の迷い、恥じねばならぬ。払わねばならぬ。
太郎は
「少し外を見てこようの。この辺りの川であろうからきっとお前を探していよう。わしが連れて来られるかはわからぬが探してみなければわからぬからの。」
自分の思いを振り払うかのように、太郎は外へ飛び立っていった。
太郎は龍に姿を変えると、川に沿って下っていった。辺りはもう、闇が包み込んでいる。そして、あちらこちらで蛍がひらひらと瞬いていた。
雨は強く弱く降り続き、川の流れは暗がりの中轟々と音を立てていた。
螢之介は羽化した直後に激流に呑まれ川下まで流されてきてしまった。翅は傷み一枚もげてしまって、もう飛ぶ力すら残っていなかった。それでも儚灯に会いたい一心でここまでは飛んで来たのだ。後は歩くしかない。そう思うと冷え切った体を、柳の根方に寄りかかってほんの少し休めることにした。
歩いて行ったらどのくらいかかるのだろう。儚灯は後どれくらい待っていられるのだろう。そんなことに想いを巡らせていたがいつしか眠りの闇に落ちていった。
どのくらい眠っていたのだろう、遠い闇の向こうから自分を呼ぶ声が聞こえる。重い瞼をうっすらと開けるとそこに一頭の龍がこちらを見ている。もう、何が起きているのかもわからぬほどに眠くて眠くて、それでも名を尋ねられた時に「はい」と答えた気がした。
螢之介はふわりと舞い上がると龍の背に乗せられ飛んでいる夢を見ていた。
もう力も入らぬほどに疲れ切って
、今という刻に考えも及ばぬほどになっているというのに風を切り闇を切り川上に向かっている。
冷たい風に当たっている間に頭が動き始め、自分が本当に龍に乗っていることに気がついて螢之介は思い切って尋ねてみた。
「どうして私はあなた様の背に乗っているのでしょう。私は螢之介と申します。あなた様はお名前はなんとおっしゃるのですか?」
「わしか、わしは安田神社で龍之介さんとともにこの辺りを護っておる龍神で太郎と申す。儚灯がお前を探し、待ち侘びておるのでわしが探しに来たのじゃよ。お前さんあの神社の小川で生まれたのじゃろう?この雨で流されたのではと、儚灯が泣いておった。お前の命が尽きる前に連れて行かねば、わしがわしを許すことができぬ。少し速く飛ぶゆえちゃんとつかまるのじゃぞ。」
太郎は柳の根方で倒れていた螢之介を見つけた時、この傷ついた若者を連れて行くかどうか少しの間考えた。
螢之介の命の灯はもう尽きかけている。相当流れや風雨に打たれたのだろうその身体は、見るからに弱り果てていた。
それでも儚灯が神社の洞穴で待っている、あの健気な姿が頭の片隅から離れない。わしではあの娘を守ってはやれぬ。たとえわしらと同じ刻を生きられるようにしたとしても、この若者のことをどんなに刻を超えても忘れることはないだろう。わしにできることといえばこの若者を連れて一刻も早く帰ることしかないではないか、何を迷っているのだ。
わしと、あの娘では生きる世界が違うのだ。
太郎は螢之介を背中に乗せ川上を目指した。
洞穴に着いたのはそろそろ夜があけようかと空が動きだした頃だった。
雨がポツリポツリと雲の尻尾から残りの雫を落とし東へ流れていき、入れ代わりに白い雲の間から朝陽が山頂を照らし始めていた。
龍からいつもの姿に戻り螢之介を抱えた太郎が入り口をくぐると、走り寄ってきた儚灯が螢之介の手を取り太郎を仰ぎ見て
「太郎さんありがとうございます!この人、こんなに傷ついて。。。」
「うむ、それでもここを目指しておったよ。翅がもげてしまったのに歩き続けて。わしが行った時には眠っておったがの。それでもお前を呼ぶ声がずっと聞こえておった。座敷に寝かせてやろうの。龍之介さん、済まぬが布団を敷いてやってください。温かくしてやらねば。着物の替えもお願いします。」
龍之介は黙って頷くと布団を敷き着物を着替えさせてやった。太郎は小さな火鉢に火を熾し側に置いてやると
「儚灯、側にいておやり。温かくなれば目も覚めるじゃろう。」
そう言うとタバコを吸いに外に出て行った。
龍之介も入口の床机に座り二人を見守りながらも太郎を気にかけていた。
夕陽が、辺りの青葉を金色に染め西の空を燃えるように沈んでゆく。
螢之介は薄く目を開け
「儚灯、やっと会えた。お前と過ごした時間が永遠のようだ。また、いつの世か逢いたいな。」
そう言い残し、蒼い光の中に溶けて逝ってしまった。
儚灯は今握っていた手を、その形のまま握りしめ光の行方を目で追うと、頬に伝う涙にすらも気付かず入り口の方を見つ続けた。
数日の間、儚灯は掃除や台所仕事を手伝っていた。
太郎は、このままここに居てくれたならと心の奥で願いはしたが口には出さずに堪えていた。
とある夕方、儚灯が太郎と龍之介を呼ぶと
「そろそろお暇する時が参りました。私ごときにこのようにお心をかけていただき本当にありがとうございました。螢之介まで探していただき、これ以上の幸せはございません。これから、あの人に逢いに行きます。お二人とも、どうぞお元気で。ありがとうございました。」
そう言うと夕陽の中にはらはらと舞い散るように溶けて、逝ってしまった。
その夜、太郎は一人盃を傾けた。空には上弦の月が淡い光を放っていた。
あの娘は若者に逢えただろうか。いついつまでも、寄り添っていてほしいと願わずにはいられなかった。
「そろそろ梅雨も明けるの。螢も終わりじゃな。今年も暑うなるじゃろうの。」
龍之介は太郎のぐい呑に酒を注ぎながら空を見た。
あの雲のそのずーっと上の儚灯を想いながら。
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