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二十七 雪の日の出来事。

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これは、とある街にある小さな神社に祀られている龍神様とお友達のお話。ここには龍之介という神様と太郎という神様が住んでいる。二人は仙人や精霊や動物、人間の子供、もちろん神様たちが気軽に遊びに来られるようにお食事処を始めてみた。そんな小さな神社のたくさんの、おはなし。



小雪がやんで晴れわたった夜空の片隅で母親の腕に抱かれて子守唄を聞いていた小さな星の坊が地上の瞬きを眺めていた。
「おいらもあんなふうにキラキラしたいなぁ。父ちゃんや母ちゃんみたいにピカピカ夜空を照らしたいなぁ。」
坊はそう思いながら身を乗り出すと、なんと母親の腕の中からポロリと落ちてしまった。


龍之介は、さっきまで舞っていた雪がやんでいるのに気がつき、タバコに火を点けるとふらりと外の空気を吸いに出た。分厚く覆っていた雲が嘘のように晴れ、薄い三日月が空を密やかに照らしていた。タバコの煙をふわりと吐きながら見るとはなしに空を見ていると一筋の小さな光がすーっと音もなく流れ、龍之介の目の前にポトリと落ちた。慌てて駆け寄るとそこには星の坊がキョトンとしたまま座っていた。
「おやまぁ、星の坊よ。怪我はないかね?なんでまたこんな地上に落ちてきたのかの?」
星の坊はしばらく龍之介を見ながら足を投げ出して座っていたが、
「こんばんは、龍神様。おいら昴(こう)、母ちゃんに抱っこしてもらってたはずなんだけど、下の光がきれいだなぁって見ていたら気づいたらここに居たの。ここはどこですか?母ちゃんのとこに帰りたいなぁ。。。」
昴はそういうとため息をついた。そして空を見上げて大きなあくびをひとつした。
「坊は昴というのかい。わしは龍之介じゃ。今日はもう遅いからうちで寝るがいい。中にお入り。」
龍之介はそう言うと昴を中に案内し太郎に紹介すると座敷に布団を敷いてやった。
昴はよほど疲れたのか布団に潜り込むとそのままスヤスヤと眠ってしまった。
さっきの雲間が嘘のようにまた、雪が降り始めた。静かに、周りの音を消し去るように、しんしんと降り積もっていった。

「おはようございまーす。」
昴は元気に起きてきた。朝の香りと美味しそうなご飯の香りが入り混じる座敷を走り抜けると龍之介のところにやってきて
「お手伝いしてもいいですか?地上にはどんなごはんがあるの?」
と興味津々だ。
龍之介は鍋に味噌を入れながら、
「今朝はヤマメの干物の焼いたのとだし巻き玉子、それに里芋と大根の味噌汁じゃよ。星の国ではあまり食べられんかの?」
と笑いながら卵焼きの皿を渡しお膳を指差した。昴は3つのお膳に玉子焼きと魚と味噌汁を並べ、白いご飯を山盛りにした茶碗を1つずつ大切そうに並べていった。
「昴のご飯はこんなにはいらんじゃろ?小さな茶碗によそってやろうの。」
お箸を並べて太郎が揃うと3人は手を合わせいただきますと言ってご飯をたべはじめた。
「龍神様、これはなぁに?この焼いたやつ。美味しい。この玉子焼き母ちゃんのと同じぐらい美味しい。ご飯も味噌汁もみんな美味しいです。」
と笑顔でぱくぱくと食べ続けた。
「のう、昴よ。わしらは2人とも龍神じゃからの、わしは龍之介、こっちは太郎と呼んでくれんかの。わしらのことは皆そう呼ぶんじゃよ。じゃから遠慮はいらんよ。」
龍之介がそう言うと昴は箸を止め、食べかけのご飯がポロリと落ちるほど驚いて
「天の神様のお名前を呼んだりしたらおいらは暗い暗いところに入れられてしまいます。そんな罰当たりなこと、、、」
と、目を大きく見開いたまましばらく金縛りにあったように身動きも出来なくなっていた。
「おいおい、わしらは天の神様ほど身分は高くない。天の神様はお一人じゃしの。それに暗い暗いところに、昴みたいに可愛い坊を閉じ込めることなぞ心が痛んでできんわい。心配などせずにただ龍之介さん、太郎さんと呼んでおくれ。」
龍之介は笑いながらさあ冷める前に食べておしまいと頭を撫でた。

朝ごはんの片付けを済ませると龍之介は昴を呼んで外に連れ出してくれた。
昨日降った雪がキラキラと陽の光を受けて輝いていた。
「うわぁ!こんなに眩しい光見たことないや!目が痛いくらい。これがお日様の光なの?お日様ってすごいなぁ。辺り一面輝いて何もかもがはっきり見える!」
昴は突っ立ったまま辺りを見回し、空を見上げ、空に向かって手を広げた。
「昴、魚釣りに出かけてみんかね?今朝食べたヤマメの生きたやつを観て見たかろう?」
龍之介は釣竿を二本とビクを持つと
「お前さんあまり歩いたことがないじゃろうから背負子に負ぶってやろうのぉ。」
と背負子を出してきてそこに座らせた。

雪道はサクサク音を立てて真っ白な道に点々と足跡を刻んでゆく。昴は、前は真っ白なのに後ろに跡が続いていくのが面白くて、ただ黙って足跡をみていた。道の脇の木々からサラサラと雪が落ちてくる。それがまた陽の光を受けて小ない小さな虹のかけらが舞っているようだった。
しばらく2人が黙ったまま山路を登っていると不意に木々の間から声がした。
「龍之介さん、おはようございます。今から魚釣り?おいらも一緒に行ってもいい?」
声をかけてきたのはこの先に最近できた沢の精霊の子供でここいらでは小沢の坊と呼ばれている子だ。
「おう、小沢の坊よ早いのぉ。一緒に行くかね?この子は星の子で昴と言うのじゃ。魚を釣るのを見せてやろうと思っての。」
「へえ、お星様なんだ!昴っていうの?おいら坊、小沢の坊って呼ばれてるの。おはよう。よろしくね」
そう言うと笑顔で龍之介の竿を持つと、
「菫ヶ淵に行くんでしょ?おいらが潜って獲ってきてやるよ。川海老や沢ガニも獲ってこようか?龍之介さんの川海老の天ぷらは最高に美味しいんだぁ。」
そう言って駆け出した。そして龍之介と昴がつく頃には小沢の坊が潜って獲ったヤマメや川海老、沢ガニがビクにいっぱいになっていた。坊が上がってくると、それでも1匹ぐらいは昴に釣ぬらせてやろうと龍之介が仕掛けをつけて淵に釣り糸を垂れてもたせた。
しばらくは何事もなく、ただ垂れていた釣り糸がピクリとしてそして大きく動いた。
「今じゃ!昴、引いてみろ。」
龍之介と坊が2人で引くマネをすると昴も同じに大きく引き上げた。
すると大きなイワナがビクビクとしぶきを飛ばして釣りあがってきた。3人は歓声をあげながら岸にあげると針を外しビクに入れ、そろそろ帰るかと支度をした。
帰り道は昴も歩くと言うので2人で走り回らせながら雪道を下った。昴と坊はまだ踏まれていない雪を見つけては小さな足跡をつけて、木を揺らしては粉雪を舞わせケラケラと笑い転げながら帰り道を下った。

洞穴に着くと2人を囲炉裏のそばに座らせ龍之介は料理をしはじめた。
太郎さんが綿入れを二着持ってくると2人をくるくると包んで熱いお茶と亥の子餅を持ってきた。囲炉裏の縁はほかほかと温かく綿入れの中で2人はお茶を飲みながらしばらくパチパチはぜる炭火を眺めていた。たまに亥の子餅をかじり、またお茶をすする。
「昴、おじいさんみたい。お茶ズズッて。」
坊が笑うと昴もつられて笑った。可愛らしい笑い声が洞穴の暖かな空気にとけながらやわらかく響いていた。

「さあ、昼ごはんができたぞ。昴が釣ったイワナは半身は刺身にしたよ。後の半身は白味噌の味噌床に漬けてあるから帰ったら母さんに焼いておもらい。坊がとってきてくれたヤマメと川海老と沢ガニは天ぷらじゃ。ヤマメの小さいのは今煮付けているよ。天ぷらも煮付けもたくさんあるゆえ父さんと母さんに土産に持ってお帰り。今は熱々の蕎麦も出来ているから冷めぬ間にお食べ。」
そう言うと2人の前にご馳走を並べ龍之介と、太郎も座ると熱々の蕎麦に天ぷらを乗せて食べ始めた。子供達は蕎麦をすすり、刺身を味わい、天ぷらを頬張った。二人は美味しいと言っては笑い、熱いと言っては笑い、そしてペロリと平らげた。そして疲れたのか綿入れにくるまったままウトウト眠り始めた。
太郎は座敷に布団を2組敷くとそっと2人を寝かせてやった。

昼の片付けを済ませ、煮付けや天ぷらを包み、荷物を風呂敷に包んでいると2人が目を覚ました。そろそろ夕映えが辺りを包み始めていた。

「昴よ、そろそろ帰らねば母さんが心配しておられよう。ちょっと遊びすぎたかの。坊、一緒に送りに行くかい。空は寒いゆえその綿入れは着たままでおいで。さあ、荷物をちゃんと持つのじゃよ。」
そう言うと外に出て、龍之介さんはしばらく祈るように胸の前に手を組むと丹田に力を込めて一声轟くようにいなないた。すると辺りが淡い黄金色に満ちて大きな龍に姿を変えた。
「さあ、2人とも頭にお乗り。わしのヒゲにつかまるのじゃぞ。振り落したりせぬようにのんびり昇ろうかの。」
そう言うとそろりと夕空に浮かび上がった。
夕映えはバラ色からすみれ色に、そしてだんだん藍色が濃くなってゆく。そんな中ゆるりゆるりと登っていく様はまるで飛行機雲のようで、誰かが見上げてもきっと龍とは気づかなかっただろう。

高く高く上がって行くと空にはたくさんの星が瞬き、下を覗くと、なるほど街の灯がキラキラ、チカチカと落ちてしまった星のように色とりどりに輝いている。

「坊。ほらね、空の星に負けないくらいに綺麗だろう?おいら、見とれて落っこちちゃったんだ、ちょっと恥ずかしかったけど、坊と友達になれたし、美味しいものもいただいたし、魚も初めて釣ったし、今日は楽しかったねー。」
昴がそう言うと坊は少し寂しそうに
「昴が行っちゃうとちょっと寂しいな。おいら友達はたくさんいるけど、お星様の友達は初めてだ。母ちゃんがいいって言ってくれたらまた来てね。」
そう言うと昴を綿入れごと抱きしめた。
すると向こうの方から昴を探す声がした。
「あ!母ちゃんだ!おーい、こっちだよー!」
昴が大声を出すと母星が慌てて龍之介のところに駆け寄ってきた。
「ああ、龍神様この子を見つけてくださったのですね。なんとお礼を申し上げればよろしいのでしょう。もう息子は見つからないかと思っていました。本当にありがとうございます。」
母星は涙を流して喜んだ。昴はお土産の魚を渡すと、龍之介や坊と魚を獲ったこと、刺身や蕎麦をご馳走になったこと、そして朝の玉子焼きが美味しかったことをはしゃいで話し続けていたのだが、龍之介さん、龍之介さんと名前を呼んでいるのを聞いてなんで神様をお名前で呼ぶのかと叱りつけた。
すると龍之介が
「わしら龍神は各地に沢山おりましてな。ひとまとめに龍神はとは言いますが皆名前を持っております。皆が龍神では紛らわしいゆえ我らは名前で呼び合うのですよ。だから昴の事を怒らんでやってください。わしから名前で呼んで欲しいと頼んだんですからの。」
そう言って昴の頭を撫でてくれた。
そうして離れがたい子供達を引き剥がすように別れを告げると、また遊びにおいで、しかし次はわしが迎えに来てやろうと約束すると、スルスルと真っ暗な夜空を地上へ降りていった。
坊はもう疲れてしまったのかヒゲに捕まったままウトウトしていた。

ふわりと洞穴の前に降り立つと太郎が待ち構えていて坊を綿入れごと抱き上げ、布団に寝かしてやった。

「星の子が落ちてくるなど滅多にないことゆえなかなか楽しかったの。」
太郎が笑うとヤマメの煮付けと熱燗を持ってきた龍之介が
「ほんに、わしの前に昴が落ちてきたときは目を疑ったぞ。可愛らしい姿で雪の上にぺたんと足を投げ出して座っている姿、焼きついてはなれんわい。」
そう言うと太郎に渡したぐい呑に酒を注いだ。そして自分のぐい呑も酒で満たすと魚を口に放り込み酒を含んで寂しさとともに噛み締めた。
また、会えるであろうと思うのだが、それでもあの可愛らしい姿の昴に、会えるかどうかはわからない。


空には親子星がまたたいていた。
そしてまた雲が流れ出し、明日の朝の雪を思わせていた。
春はそこまで来ているはずだが、当分は雪景色を楽しめそうだ。
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