龍神様のお食事処。 

月の涙白き花弁。

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三十 昼中の月、闇の明か星。

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これは、とある街にある小さな神社に祀られている龍神様とお友達のお話。ここには龍之介と太郎という神様が住んでいる。二人は仙人や精霊や動物、人間の子供、もちろん神様たちが気軽に遊びに来られるようにお食事処を始めてみた。そんな小さな神社のたくさんのお話の中の小さな小さな出来事。




雪のちらつく真夜中の山中に裾を引き摺るようなざらざらとした音が響きわたる。
誰を呼ばうこともなく、誰を探すでもなく、ただ彷徨うその姿は、まるで足抜けに失敗した女郎のようで結い上げた髪はボサボサに形を変え美しかった着物にも泥がこびりつき見る影もない。
ただ、ずざざ、ずざざと歩き回る音が、夜の山に響くばかりだった。


ある日の早朝、ちらちらと舞い散る粉雪をものともせずに天魚を獲って岸に上がってきた坊は、森の中から微かに聞こえてくる不思議な音に気がついた。
その音は、辺りを凍てつかせるように静かに、でもはっきりと冷たい気を放ちながら遠くに近くにと鳴っている。
ずざざ、ずざざ、と響くその音に坊は背筋が凍る心地でそっと森の奥を見やった。
薄暗い木々の影に一際陰を落とすように蠢く黒い何かは、坊の視線に気づく様子もなく森の奥深くへと不気味な音を響かせて消えて行ってしまった。
天魚を入れた魚籠をすとんと落として、坊は大きな悲鳴をあげると一目散に走って龍之介の洞穴に駆け込んだ。あまりの怖さにいてもたってもいられなくなって、その恐ろしくも悲しい気配と音に涙が溢れて止まらなかった。
「あの、あの、」
坊は言葉を忘れてしまったように口をぱくぱくさせて涙を流して泣いている。
「どうしたのじゃ!奥に入って暖まるのがいい。太郎さん足湯を、それと半纏じゃ!」
龍之介は坊の濡れた着物を着替えさせ足湯を使わせると火鉢のすぐ横に座らせ半纏で包み込んだ。
「熱い甘酒じゃからな、気をつけてお飲み。落ち着くまで話さんでいいからの。」
そう言うと坊を抱き上げ膝に乗せて火鉢に当たり過ぎぬ様気をつけながら落ち着くのを待っていた。



「悲しや、悲しや、我の半身を切り取られて。痛し、痛し、あやつの首を刎ねてやろうか。いや、それは駄目だ。我が闇に呑まれてしまう。。。悲しや、悲しや、我はこの身を無くし闇に堕ちるしかないのだろうか。常闇の中の一粒の闇に。悲しや悲しや、悲しや、悲しや。。。。。」


「うむ。それは氷雨じゃな。青文字(アオモジ)の精霊じゃ。いい香りのする木でな、人々が半分切ったのじゃ。全部を切ってしまうともう生えてこまい。じゃが、その時にはもう精霊の宿る気に成長しておったのじゃ。それできっと痛かったのじゃろう。あれ以来森を彷徨っておる。わしも何度か会いに行き霊薬を飲ませたりしたのじゃが、体が治っても心の傷はなかなか治らぬ。どうしたものか。あのままでは闇堕ちしてしまい悪霊になり彷徨い続けてしまう。」
龍之介はほぅっとため息をついた。
坊は、氷雨の悲しみと痛みが空気を震わせていたことが身に染みたので、今夜はここにいてもいいかと尋ねた。ここ最近杉の爺様は寒くて外には出てきてくれない。
「おいら、あんな悲しい気持ち受け止めてあげられない。おいらがもっともっと強くて大人の精霊だったら、もしかしたら氷雨さんは元気になれたかな?」
そう言い涙のたまった目で龍之介と太郎を交互に見ていた。

お昼をまわった頃、元気な声が龍之介たちの耳に届いた。
「こんにちはー、たくみとこうきでーす。坊と約束してたねんけど来なくて。ここで待ってもいいですか?」
二人は駆け込んでくると、蕎麦をすするのを止めて顔を上げた坊と目があった。
「え?ご飯食べてたんか。心配したやん!」
たくみはちょっと笑いそうになるのを堪えながら坊にそう言うと足湯を貰いに行った。


暗い森の中、消し炭色の着物に憲法黒茶(けんぽうくろちゃ)の帯をだらりと垂らし紫鳶色の枝に柳茶色の花の柄がぼんやりと泥に塗れている。黒鳶色の帯締めは黒曜石の帯留から離れてしまいそうに解けている。飾り襟だけが葡萄色に銀糸の小花をくっきりと散らして、それがやけに物悲しく艶を見せていた。
氷雨は長い長い間歩き回り、止まることも我が身の木がどこにあるかさえも解らなくなっていた。
闇が、氷雨を取り込もうと静かに空気に染み込んでくる。必死に振り払おうと頑張るけれど、抗うことにも疲れてきた。
「我は闇に呑まれるのか?我は、それでいいのか?」
自問自答を何百回何千回繰り返しても答えは生まれてこない。それでも闇を振り払わなければ。それだけを心に歩き回るしかできずにいた。


「たくみ、こうき。おいらとても怖くて外に出るの今は嫌なんだ。おいら、どうして強くないのかな。もっともっと大人の精霊になりたいの。今すぐに。でも、なれないんだ。おいら悲しいよぉ。」
坊はそばの箸を止めてまた大粒の涙をぽろぽろとこぼし始めた。
「なになに?なに?坊は強いと思うで。だから今はお蕎麦食べよう。ご飯食べへんかったら強くなれへんやん?僕らがそばにいるから。僕らは親友やろ?だから大丈夫やから。」
たくみは慌ててハンカチをポケットから出した。こうきはティッシュで坊の鼻水を拭いてあげて背中を摩った。
坊はうんうんと頷いて蕎麦を啜りゆっくりと出汁を飲んだ。

「そんな怖い思いしたんや。氷雨さんはとっても痛かったんかな。半分残った木はまだちゃんと根付いてるん?もし根付いてるんやったらそろそろお花が咲くんちゃうかな?龍之介さん、氷雨さんは山奥に生えてはるの?」
こうきは氷雨の木が枯れてしまったら本格的に危ない気がして聞いてみた。
「まだちゃんと根は付いておるよ。じゃが花がほんの少ししか咲かぬのじゃ。氷雨の精気が保っていれば花はつくはずじゃ。毎年少しずつ減っておるのが気がかりでの。正気を取り戻してもらうためになにが必要なのかが判らぬのじゃ。わしも太郎さんも、山神様までもが気にかけておるんじゃがのぉ。」
五人はしばらく黙ったまま坊が蕎麦を食べ終わるのを見ていた。
龍之介が、ふと立ち上がると
「たくみとこうきもおやつを食べるか?蕎麦がきにきな粉をかけてやろうの。それに鶯餅も作ったんじゃ。熱い黒豆茶も出そうの。」
そう言うとお茶の用意をして戻ってきた。
「温かいものを腹に入れると落ち着くからの。まずはお茶をゆっくり飲んでお菓子を食べようの。」
こうきは鶯餅を口に運びながら思いを巡らせていた。
たくみも蕎麦がきを食べながら考えに耽っていた。そして二人同時に口を開いた。
「僕らが氷雨さんに謝ったらどうかな?」
二人は顔を見比べるとどうぞどうぞと仕草をした。
「なにやってんの?一人ずつ喋ってよ。笑っちゃうじゃないか。」
やっと坊の顔から笑みがこぼれた。
「あの、氷雨さんは人の力で切られたんでしょ?いい香りの木ってことはなんか箱とか作ったりするのか、お線香とかの材料にするんかな?だから多分半分は残してまた育ったら切りにこようって思ってたんちゃうかな。今でもそんなふうに木から香りをとったりするんかはわからへんけど、最初に切りはった時はそう思ってたと思うねん。だから僕らが心から謝ってみたい。許してもらえるかわからへんけど、少しでも気持ちが楽にならへんかな。」
こうきがそう言うと、たくみも頷いて
「僕もそう思ったねん。ほんまは元気になってほしいし、これからもいい香りのするお花を咲かせてほしい。だから幽霊みたいに森の中を歩き続けて欲しくないねん。例えば消えてしまうとしても、消えて欲しくは全然ないねんけど、消えちゃうんやったらコロゾウみたいに光の中に行ってほしい。でも、消えて欲しくない。まだ会ったことないけど、そんなに悲しい思いをしはったんやったら楽しいことをたくさん心に持ってからじゃないと消えたらあかんと思うねん。龍之介さん、会いに行ったらあかん?」
と言った。
龍之介と太郎は黙ってしまった。自分たち神の力でも変えられなかった氷雨の心が果たして子供達にどうにかできるだろうか。
この子達の飛び越えてくる力が負の感情にあてられて辛くなりはしないだろうか。
「ふむ、一晩考えてもいいかの。お前たちはまだ子供じゃ。危険なことをさせるのはわしらは嫌なんじゃ。じゃが、お前たちの心の優しさが氷雨に届くならばこちらに戻って来れるやもしれぬ。軽々しくいいぞとは言えぬ。お前たちも氷雨も同じくらいに大切なんじゃよ。時間をおくれ。」


冷たい雪混じりの雨が氷雨の足元を絡め取ろうとしてくる。
「倒れるわけにはいかぬ。我にはまだやることがあったはず。この雨も時期に温んでくるはず。我の花は今年も咲けるだろうか。我はこの冷たい雨に、ただ打たれていなければいけないのだろうか。。。」


「龍之介さん、どうなさるつもりじゃ?わしは子供達だけで行かせるのは良い結果を生むとは思えんのじゃが。」
太郎はぐい呑に酒を満たしながらそう言った。
龍之介は蕗のとうとたんぽぽの葉の天ぷらとノボロギクの胡麻味噌和えを皿に盛り付け戻ってきた。
坊は座敷の奥で柔らかな布団にくるまり眠っている。深い眠りにつくまで太郎も龍之介も坊のそばを離れなかった。こんなに怯えた坊を見るのは初めてかもしれなかった。
「うむ。賭けじゃと思っておる。子供達の受ける傷を考えると、わしも踏み切れぬ。かと言って氷雨を放っておくわけには行かぬ。あの子はもともと優しい精霊じゃった。人を快く思い共存することも厭わなかった。それなのにあんなにも大きく切り取られて、半身となった痛みは想像を絶すると思うのじゃ。氷雨にこちらに戻ってきてもらうためには、一体なにが必要なんじゃろう。」
龍之介はノボロギクを口に放り込み酒を含んだ。ノボロギクのほろ苦く甘い香りが口に広がり胡桃の香ばしさで、いつもなら酒が進む。
二人はこの後はただ酒を舐め肴を口に運んだ。しかしまるで砂を噛むように味覚は麻痺して考えに集中するばかりだった。

「こんにちは。たくみとこうきです。」
いつになく頑なな思いを抱いた子供たちが奥に入ってきた。
龍之介は草餅と黒豆茶を用意して待っていた。
坊は座敷の奥で半纏にくるまって火鉢にあたっていた。
「龍之介さん、龍之介さんは氷雨さんの居場所がわかるんやんね?僕らをそこに連れて行ってください。もしが失敗したら、僕らも痛いかも知れへん。僕らも悲しいかも知れへん。でも、氷雨さんのことを助けてあげたいねん。幽霊になったら、その青文字っていう木も枯れてしまうんでしょ?そんなん嫌や。どんなお花が咲くか僕は知らへんもん。見てみたいねん。氷雨さんのお花を見たいねん。だからお願いします。氷雨さんに合わせてください。」
たくみが頭を下げるとこうきも一緒に頭を下げた。
「坊も来る?なんか、なんとなくやけどこれって三人でないとあかん気がするねん。怖かったら二人で行ってくるから、ここから見守っててほしい。でも、一緒やったらもっと力が出る気がするねん。」
こうきは坊を見つめた。
「まずは席について、お茶が冷めてしまうからの。わしの話を聞いておくれ。」
龍之介は坊も呼ぶと三人をいつもの席に座らせ椅子を二つ持ってきて太郎と二人で卓を囲んだ。
「本当のことを言うとな、お前たちを氷雨には合わせたくはない。精霊が怒るところを見たことがあるじゃろう?お前たちに何か酷いことをしてくるやも知れぬ。普通の精霊でさえがお前たちの心を簡単に傷つける。それでさえ心配じゃと言うのに氷雨は今我を失っている状態じゃ。お前たちにどんなことをしてくるかと思うと、わしらであっても怖いんじゃよ。もしもの時はまだ早いが記憶を全て消して、ここのことは思い出せぬようにしなければならんかもしれん。お前たちと別れるのはわしらも坊も辛いんじゃ。」
龍之介はいつになく暗い口調でそう言ってお茶を口に運んだ。
沈黙がこの暖かなはずの洞穴の中をしんしんと冷やしていくようだ。
みんなが氷雨に思いを馳せる分氷雨の心が洞穴にも入り込んできていた。
「こんなに冷たいんや、氷雨さんの周りの空気。お母さんの縫ってくれた半纏着せてあげたい。お母さん、老人会に毎年たくさん半纏作ってプレゼントしてはるねん。赤くて可愛いやつが今年は一つ余ったって言うてて、来年にって置いてあるの。もらってきて着せてあげたらあったかくなりはるかなぁ。」

「龍之介さん、太郎さんは居られるかしら。梅のお花をお届けに来ましてよ。それと蕗のとうを摘んで参りましたの。」
唐突に入り口から明るい声と共に暖かな風と淡い香りが入り込んできた

そこには一振りの梅の枝を持ち手籠に山盛りの蕗のとうを持った梅花姫が立っていた。
「あら、お取り込み中かしら。蕗のとうの天ぷらそばをいただきたかったのだけれど出直しましょうか?たくみさんこうきさんこんにちは。坊はどうしてそんなに半纏なんかにくるまっているの?寒い?私のそばは温かくてよ。いらっしゃいな。」
太郎がもう一つ椅子を持ってくると梅花姫が坊を膝に乗せて抱きしめてくれた。坊の中の氷雨の悲しみや冷たさや痛さが春の氷柱のようにゆっくりと溶けていく。

蕗のとうの天ぷら蕎麦を出してもらうと、坊を膝から下ろして箸を取りながら梅花姫はみんなの話に耳を傾けていた。
「そうね、氷雨ちゃんは本当に悲しくて痛そうなのよ。私たちの姿も見えないほどに。でもね、闇に堕ちたくないから自分でも頑張っているの、心を取り戻したくて。それで彷徨っているのよ。私たち精霊たちは見守っているの、それしかできなくて。少しずつでも力を取り戻せるように青文字の木の方に栄養がいくように心がけてね。でも、たくみさんとこくきさんと坊なら暖かな心を注いであげることができるんじゃないかしら。龍之介さんと太郎さんのご心配はよくよく解りますわ。だけど記憶を封印するのは早計ですわ。この子達はそんなに弱くはありませんよ。私たちをいつも守っていつも力を分けてくれているじゃありませんか。わたくしがついて参ります。その赤い半纏を氷雨ちゃんに着せてあげましょうよ。うふふ、お蕎麦美味しゅうございます。」
梅花姫の温かな心が子供達を包み込んだ。水の神である龍之介と太郎にはこんなにも温かな空気は作れない。春の精霊ならではなのだろうか。もしかしたら氷雨に我を取り戻させることができるかも知れない。

土曜の昼、また子供達がやってきた。綺麗に包んでリボンをかけられた半纏をたくさんの花が印刷された紙袋に入れてある。
「お母さんにとても困ってる人にあげたいねんって言ったの。その人は傷ついてとても痛くて悲しくて寒がってはるのって言うたらお花がたくさん描いてある紙袋やったらきっとその人も心が晴れやかになると思うって。あの、氷雨さん喜んでくれはるかなぁ。」
たくみはおずおずと紙袋を見せると後ろから華やかな声がした。
「たくみさんこうきさん坊、こんにちは。桜花姫も手伝いたいって言うので連れてきましたのよ。なんて可愛らしい袋でしょ。きっと氷雨ちゃんも喜んでくれてよ。氷雨ちゃんは今は森の奥の湧水のところに居るみたい。龍之介さん太郎さん、大丈夫ですわ。きっとこの子達なら氷雨ちゃんを取り戻せます。行って参ります。」
そう言うと三人を間に挟んで梅花姫と桜花姫に手を繋がれふわりとそこから消えてしまった。
「山神の娘たちはさすがじゃな。後は帰ってくるのを待つしかありませんな。龍之介さん。」
太郎はお茶を淹れ直すと湯呑みに注いでくれた。

森の奥はまるで真冬が忘れものでもしたかと思うほど空気が重く冷たかった。
ずざざ、ずざざと音がする方に顔を向けると着物の裾をドロドロにして爪先から血を滲ませた氷雨が歩き回っているのが見えた。
子供達は最初こそ恐怖に縮こまったが、そこにある悲しみと痛みに触れて溢れる涙を我慢しながら話しかけた。
「こんにちは氷雨さん、僕はたくみ、こっちはこうきと坊です。僕らは氷雨さんとは初めて会うけど、氷雨さんに謝りたくてきました。大人が、いつにしたんかはわからへんけど氷雨さんを切ってしまったこと、痛くて悲しくさせてしまったこと、ごめんなさい。お母さんから半纏を預かってきたの。少しでもあったかくなってほしと思って。僕らが触ったら嫌かも知れへんから桜花姫さんと梅花姫さんに着せてもらってほしいねん。もしか嫌やったら言うてね。これ以上どうしたらいいかわからへんけど、許してくれるまで何度でも謝りに来ます。こうきと決めてたねん。氷雨さんが痛く無くなるまで何度でも謝ろうって。人の勝手で痛くさせてごめんなさい。」
たくみの目からポロリと大きな涙が溢れた。
氷雨の爪先にたくみの涙が落ちて弾けた。

「わたくしとても痛かったんです。誰かに謝って欲しかったの。でも、私を切った職人はとうの昔にこの世を去ってしまった。彼を待っていたのに。そうしたら痛みがわたくしを支配したんです。怖かった、冷たい暗闇がわたくしの心を狙っていて離れてくれなくて。怖かった、とてもとても。」
氷雨は泣き崩れ湧水の泥に座り込んでしまった。
「ああ!もっと冷えてしまうやん!」
こうきと坊は思わず手を出して乾いた地面に連れていくと岩に座り直させた。
「氷雨ちゃんこんなになってしまって、髪を解かして結い直しましょうね。お着物もこんな色ではなかったはずよ?桜花、奉書紙出してくださる。柘植の櫛は持ってきたのに忘れてしまって。髪飾りもいいのがあったから持ってきたのよ。まずはたくみさんのお母様が心を込めて作ってくださった半纏を羽織ってみて、きっと心まで温まってよ。」
梅花姫と桜花姫が髪を結い直していると着物の襟から色が変わり始めた。
薄墨色から留紺色に染まってゆく。
髪に青文字の花を彫り込んだ柘植の櫛を留め鼈甲のかんざしで飾りを挿すと髪が出来上がった。二人は帯を締め直して帯締めを結んだ。さっきまでの暗い色の帯が瑠璃色に輝いて帯締めは勿忘草色、帯留は黒曜石のままだったがそれが映えて美しい。裾模様の青文字の花は若草色に変わり枝は煤竹色に染め変わった。
「この飾り襟は似合わなくてよ。無地の若草色にしましょうね。ほら、なんて美しいの。これでこそ氷雨ちゃんだわ。あなたの香りが好きよ。この子達はあなたに帰ってきて欲しかったのよ。おかえりなさい。龍之介さんや太郎さん、お父様もとても気にしていらしたのよ。龍之介さんのところに行きましょう。きっと蕗のとうの天ぷら蕎麦を作ってくださってるはずよ。」
たくみとこうきが手を差し伸べるとゆっくりと冷たい氷雨の手を握る。坊は梅花姫と桜花姫に挟まれて帰路についた。

「おかえり。氷雨!なんと元気になってくれたのじゃな。ささ、座敷に座りなされ足湯と軟膏を持ってこようの。染みるかも知れぬが時期治るからの。今龍之介さんが蕎麦を作っておるよ。」
太郎がそう言うと、子供達もみんなの分の足湯と手拭いを運んできた。
火鉢を二つ置いてみんなが温まるようにすると座敷には天ぷらそばが並んだ。
子供達には少し苦いかも知れないとたんぽぽの葉と花の天ぷらも用意した。
「龍之介さん、太郎さん、それにたくみさん、こうきさん、坊さん、ありがとうございました。わたくしはとても怖かったんです。半身になった後もあの方はよく傷を見に来てくれました。そして香油とこの黒曜石の飾りを持ってきてくれていたのです。まるで夫婦(めおと)にでもなったような心持ちでした。あの方は私に話しかける為のように山を登ってきてくれました。ですが、いつの戦の頃でしょうか、行かねばならぬ今生の別と一言を残し去ってしまったのです。それから半身が疼き始め痛みと悲しみに知らず知らずのうちに呑まれていたのです。龍之介さんがくださったお薬がなければ私はとうの昔に闇に堕ちていたと思います。重ね重ねありがとうございます。皆様のおかげでここに戻って参りました。まだ花をつける力も残っているようです。今しばらくよろしくお願いいたします。」
手をつき頭を下げる氷雨に龍之介が優しく言葉をかける。
「頭を上げなされ。蕎麦が伸びてしまう。半纏がように似合っておるの。人の温もりはわしらでは作り出せぬ。この子達は自分たちの記憶を消しても構わぬからとお前を助けに行った。わしらにはできぬことじゃ。不思議な物よの。わしらには無い物をこの子達は持っておる。人と精霊の子供達の絆がわしらの気持ちを、世界を暖かく包んでくれるのじゃろうの。」


たくみやこうきも家路につき皆が帰った後、まだ坊は龍之介と共にいた。
「まだ怖いか?今日の晩御飯は天魚の塩焼きとノボロギクと厚揚げの煮浸し、蕗のとうの天ぷらと蕗のとう味噌じゃよ。わしらは酒を飲むがお前は蕎麦がきを椀物にしたゆえにの。温まるぞ。」
座敷に料理が並び太郎は今日の酒とぐい呑を持ってきた。
温かな空気を胸いっぱいに吸い込むと、坊は
「明日の朝には帰るね。杉の爺様が寂しがるといけないから。」
とわらった。

そろそろ蕗のとうも花を開き、色とりどりの花の知らせも届き始めるだろう。
ひっそりと咲く青文字の花と共に。


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