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三十三 煌めきの中の花浅葱。

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これは、とある街にある小さな神社に祀られている龍神様とお友達のお話。ここには龍之介と太郎という神様が住んでいる。二人は仙人や精霊や人間の子供、もちろん神様たちが気軽に遊びに来られるようにお食事処を始めてみた。そんな小さな神社のたくさんの、おはなし。


梅雨が、そろそろ雲の端っこを北の空に引っ張って走り去ろうという暑い日曜日、たくみとこうきと坊はいつものように秘密基地でカエル隊ごっこに精を出していた。小川の水の中は冷たくて気持ちがいい。三人は夢中になって遊んでいたのだが、小さな声で呼ばれた気がして動きを止めた。
「。。。だれか、、、た、すけ、て、、、」
最初は空耳かと思ったのだが、三人が動きを止め耳を澄ますとその声は、途切れ途切れだが助けを呼んでいる。
三人は慌ててキョロキョロと辺りを見回した。
すると月白色の紗の着物に花浅葱色の帯を締めた女の人が楓の木の根片で座り込んでいた。着物の裾には露草が染め抜かれている。
一目で精霊であると解った三人は
「お姉さん、今から龍之介さんのとこに連れて行ってあげるからもう少しだけ辛抱してな。僕らにつかまって。」
そう言うと抱えるようにして龍之介のところへと連れて来た。
「龍之介さーん!大変大変!精霊さんの具合が悪いねん!助けて!」
それを聞いた龍之介は入り口まで走ってくると精霊を抱き抱え奥へ運んだ。太郎がとりあえず座布団を並べて敷いていた。
「どうなさった。とりあえず頭を冷やそうかの。冷たい水をあがりなされ。しばらくは暗いところでゆっくりするのが良かろうの。」
そう言うと、吸い口のような形の陶器で水を口に持っていった。その精霊はごくごくと水を飲み、少し咳き込んでそれでもまだ口に含もうとした。
「あ、お姉さん、背中さすってあげるから慌てんとゆっくり飲みや。咳出ちゃうやろ?」
たくみが慌てて背中をさすって、こうきと坊はうちわでハタハタと顔や足元をあおいでいる。
水を飲んで風に当たり、しかも子供たちがせっせと世話をしてくれることで落ち着きを取り戻したその精霊は、ポツリポツリと語り始めた。
「みなさん初めまして。私は、河原に咲いている露草の甘雨(かんう)と申します。先日の大雨で私たち露草の咲いておりました河原が冠水いたしまして、その後上流から来た流木でメチャメチャになってしまいました。そうしましたら流木が欲しかったのでしょうか、人達が私たちを踏み荒らして木を持ち帰りましたの。私たち草は、ある程度踏み荒らされても起き上がる術は持っております。ところが、どういうわけか今回元気に起き上がれなくなってしまいました。これは代替わりなのではないかと思い龍之介さんに見届けていただかなければと思い参じました。ですが、まだ季節が早い気がいたします。こんなものなのでしょうか。」
力なく座っている甘雨を子供達は申し訳なさそうに心配そうに見つめていた。
たくみとこうきは、少し離れて話を聞くことにしたのかいつもの席に座っている。
「お姉さん。甘雨さん。人たちが踏みつけたりしてごめんなさい。痛かったんちゃう?もしか触っていいなら痛いとこ撫でてあげる。僕らはそんなことしかできひん。ごめんなさい。」
こうきが涙をポロリとこぼした。
すると甘雨が慌てて
「ぼうやが悪い訳ないじゃない、お願い泣かないで。私たちは人が踏んだりしても大丈夫なのよ。そんなに弱くないの、普段はね。それに流木を退けてくれるのだから本当にとても助かるのよ。ただ今回はたまたまたくさん水が押し寄せて、流木が乗っかって、その後踏まれたからちょっとくたびれたのよ。それだけよ。だから泣かないで。私は人の子供は大好き。お花を褒めてくれるでしょ?」
甘雨はそう言いフラフラしながらも席まで来てこうきの頭を撫でてくれた。
「ここに混ざってお話ししてもいいかしら。あなた方といるととても元気がもらえる気がするわ。」
龍之介は椅子を二つ持ってくると太郎も話に加わるかのように腰を下ろした。
「精霊さんでも、色んな考えがあるねんね。この間は、とても怒られたのに、甘雨さんはとても優しい。龍之介さん、甘雨さんは代替わりっていうのをしたらどうなりはるん?まさか、コロゾウや虹亮(こうすけ)さんみたいにみたいなったりしいひんやんね?僕、あんなふうにキラキラ空に解けてしまうのは嫌や。」
たくみは力なくそう言うと項垂れてしまった。
「おいらはまだそんな体験はしたことないけど、杉のじいさまはもう中々出て来てくれないし、まだあと何年もそばにいるって言ってくれるけど、やっぱり誰にも消えてほしくない。龍之介さん、なんとかならないの?」
坊までが二人の感情に心を乱されている。
これは、多分人の子供と心を通わせてしまったからだろう。それでも、坊のように半精霊半神になる存在には色んなことを学んでほしい。
すると太郎が横から三人に声をかけた。
「たくみもこうきも坊も、甘雨を守りたいのか?ならば今度の土曜にわしと甘雨の咲いている河原に行こう。水のあるところなら坊も来れるじゃろ。龍之介さんに力をここで注いでもらおうの。それから話を決めてはどうじゃ?泣かずともなんとかなるやもしれまい?」
珍しく太郎が声をかけた。太郎は、普段は格上でもある龍之介にあまり自分の考えを口に出しては話さない。何しろ心で思うだけで通じてしまうのだし口に出すなどあまり考えたりもしないのかもしれない。それに、主役はあくまで龍之介であるという思いも少なからずあった。
龍之介は、そのだだ漏れの思いに少し照れて髭をしばらくしごいていたが意を決したように
「そうじゃな。いつもいつも太郎さんには留守番ばかり頼んでおるからの。あのあたりの草花たちもついでに見舞ってもらおうかの。疲れておるじゃろうからたんとわらび餅をこさえて持って行ってもらおうか。沙蘭姫(さらひめ)もきっとこの雨には疲れたじゃろうしの。それまで甘雨はここで休んでおいき。」
そういうと笑顔で皆を見回した。

次の土曜日はピカピカの青空だった。
入り口にはたくみとこうきと坊が、太郎と甘雨を今か今かと足踏みで待っている。太郎はことの他に大きな重箱を抱えて外に出てきた。
「たくみ、こうき、坊、おはよう。ゆうべから龍之介さんが張り切りまくっての。弁当じゃ、わらび餅じゃ、くず餅じゃ、水無月もよかろうとどんどん作るものじゃからほれこのような有様よ。歩いて行くには荷物が多すぎるからの、今回は神通力で一飛びしよう。さて皆わしにつかまっていておくれ。おいて行ってはことじゃからの。」
そういうなり皆がつかまったのを確認すると、丹田に力を込めて「ふん!」と息を吐き出した。
たくみとこうきと坊は耳鳴りがするようなお腹の奥がくすぐったいような、それでいて空間がふにゃりと揺れたような感覚に驚いていると見慣れた河原に着地していた。
「え?なになに???太郎さんめっちゃすごいなぁ!僕ら一歩も歩いてないのに!」
たくみが興奮していると
「うわぁ~、耳がキーンってなった。神様ってこんなことができるからいろんなところに行けるねんね~。すごいなぁ。でも、人には要らん力やね。こんな力持ってたら運動やめてしまうもん。」
とこうきも笑って言った。
「坊はわしと手を繋いでおこう。お前さんにはまだ外は辛いからの。結界の中とはいえ疲れるじゃろう。」
太郎も龍之介もこの三人にはどこまでも過保護になれるのだろう。この川の精霊の高津川沙蘭姫の出迎えに笑顔で挨拶をしながらも坊の手を離す気はさらさらない様子だった。
沙蘭姫はそんな様子の太郎を微笑ましく思いながら
「太郎さんようこそお越しくださいました。あの雨で河原が少し荒れましたが草花も木々も洗われたように元気でおります。甘雨がお世話になりましてありがとうございます。」
そう言い川の上に設えた床に皆を案内した。
甘雨が戻った途端に水面に花浅葱の煌めきが集まってきた。
「姉様おかえりなさいませ。わたくしたち淋しゅうございましてよ。まだまだ姉様にはいなくなってもらっては困ります。こんなふうに急にいなくなったりなさらないでくださいませ。」
煌めきたちが口々にさえずるように話している。
「もしかして露草さんたちなん?綺麗やなぁ。精霊じゃなくてもこんなにキラキラしてて。ほんまに朝露みたいに光るんやね。」
こうきが感動していると、たくみが
「このキラキラがそうなん?川の上の光かと思った。ドキドキするなぁ。綺麗やなぁ。」
と後を継いだ。
「さて、皆前の雨(さきのあめ)をよう凌いでくれた。龍之介さんが皆にと弁当と菓子を拵えての。食べなされ。そうじゃ、まだ紹介をしておらなんだ。この子はあの山の杉林に住む小沢滝の坊じゃよ。わしらはみんな坊と呼んでおる。まだ力は弱いがこれから段々といい精霊になるじゃろう。よろしく頼む。さてさて、腹も減っておるじゃろう。上がりなされ。」
太郎はそう言うと胡座をかいた膝にぽとりと坊を乗せ、重箱を開いた。
重箱の中にはおにぎりや小鮎の佃煮、野蒜の花と葉の天ぷら、沢蟹の唐揚げ、だし巻き卵、鶏肉とじゃがいもの炒め煮、つまみ菜と油揚げの煮浸し、茄子ときゅうりの糠漬けが二段にいっぱい入っていて、三段目にわらび餅と水無月くず餅がたっぷり詰めてあった。
草花や木々の精霊たちは車座に座り、龍之介と太郎に感謝を込めて冷たい熊笹茶を酌み交わしお弁当に舌鼓を打って互いを労い楽しんでだ。
菓子を食べながら尚も話に花を咲かせているとたくみが
「こんなに元気なんやし、誰も消えたりしいひんやんね?甘雨さん、代替わりはまだ先にしよう?僕、今はまだ甘雨さんたちと一緒にいたいよう。」
そう涙声で言い甘雨を見つめた。
こうきと坊も思わず食べていたくず餅を飲み込むのも忘れて甘雨を見つめた。
「そうですね。少し弱気になってしまいました。この子たちもまだ精霊になるには早いようですし、私もたくみさんやこうきさん坊さんとお会いしたいです。沙蘭姫様、まだもう少しここにいてもよろしいでしょうか?」
甘雨が沙蘭姫に目を向けると
「あら、それはわたくしが決めることじゃなくてよ。あなた方露草でお決めなさい。でも、甘雨が代替わりをするのはまだずっと先でもいいと思うわよ。こんなにも慕われているんですもの。私もそばにいてほしくてよ。」
沙蘭姫はそう言い微笑んだ。

お日様がてっぺんから少しだけ西に移った頃坊が目を瞬かせ始めたのを見ると、太郎は
「ふむ、楽しい時間は過ぎるのも早いのぉ。坊が疲れすぎては事じゃからの。暇をする時間じゃ。」
そう言うと坊を片手で抱き上げもう片方の手でたくみとこうきを囲い込み挨拶をするいとまさえ与えず、「ふん!」と言う声とともにふっと消えて行ってしまった。
「太郎さんったら、お重をお忘れじゃないですか。あわてんぼうだこと。さ、みんな今日はとても楽しかったわね。」
沙蘭姫はそう言うと重箱を光に包みポンと川の渦に投げ入れてしまった。精霊たちは散々午後と散っていき川面はいつもの静けさが残るばかりだった。

「おや、太郎さんおかえり。」
龍之介は入口の人将棋でタバコを燻らせていた。
「たくみ、こうき、どうじゃった?甘雨は消えなんだじゃろ?あのように元気な精霊が代替わりなど早計で驚いたが、きっと疲れておったんじゃろうの。お前たちも遠足の日の夜は疲れてすぐ寝てしまうじゃろ?人も精霊も仙人や神さえも疲れが溜まると悲しい考えで頭がパンクしそうになる。そういうもんなんじゃよ。きっと甘雨もまた若い露草たちを甘やかせる優しい姉さんに戻るじゃろう。よく頑張ったの。今日はもうお帰り。空間を渡るのはとても疲れるからの。また遊びにおいで。」
二人にそう声をかけると頭を撫でて後ろ姿を見送った。
奥でコトリと音がして、龍之介と太郎が座敷を見に行くと重箱が綺麗に洗われて戻ってきていた。
「太郎さん、忘れたな。」
龍之介ははははと笑い座敷の隅に小さな布団を敷いて坊を寝かせてやった。


空が桔梗納戸から冥色に変わる頃、吹きガラスのぐい呑みに冷酒を注ぎ昼の残りの野蒜の花の天ぷらに塩をぱらりとかけ、どしょうの山椒煮と摘み菜でチロチロと味わう。
空には二日月が薄く白く煙るように光っている。明日は、また雨かも知れぬ。
次はしとしとと、穏やかに降ってほしいものだ。
野蒜の花の天ぷらは甘く、酒の旨さを引き立たせていた。

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