龍神様のお食事処。 

月の涙白き花弁。

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三十九 紫陽花の言霊。

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これは、とある街にある小さな神社に祀られている龍神様とお友達のお話。ここには龍之介と太郎という神様が住んでいる。二人は仙人や精霊や人間の子供、もちろん神様たちが気軽に遊びに来られるようにお食事処を始めてみた。そんな小さな神社のたくさんの、おはなし。





ポトポトと傘に落ちる雨の音を聞きながら、珍しくこうきは1人で下校していた。
「たくみくん風邪楽になったかなぁ。明日は元気になってるかなぁ。」
こうきは小さく呟くとマンションの鍵を開け家の中に入った。

5年生になってからあまり龍之介さんに会っていない。明日は2人で行こうって約束したのに。
昨日傘をささずに濡れながらカエル隊員ごっこをしたのが悪かったのかなぁ。でも、僕よりたくみくんが風邪をひくなんて思わなかった。
こうきは机に向かうとさっさと宿題を終わらせ、暇な時間をどうするか考えていた。
やっぱり、1人でも龍之介さんに会いに行こう。たくみくんのお見舞いに何かいいものを一緒に探してもらおう。そう思うとちょっと元気が出てきてこうきはレインコートを着ると自転車にまたがり安田神社に向かった。



「今日はまた一段と雲が厚うございますねぇ。なんともさめざめと降り続いて、わたくしにはちょうどようございますが、人間には辛い季節でございましょうねぇ。」
紫陽花の精霊である露華(ろか)は、みはなだ色に薄紫と薄紅の花模様の着物の袖をはたはたと振りながら外の様子を眺めていた。
龍之介は水出しの緑茶と水無月を笹の葉を敷いた皿に乗せ、入り口に設えた床机にお盆を置いてやった。
「ほんにのぉ。あたりがけむって絵に描いたような景色よのぉ。」
そんなことを言いながら懐から出したタバコを燻らせていると、鳥居の向こうからレインコートに傘をさしたこうきが歩いてくるのが見えた。
「おや、今日は1人か。おーい太郎さん。こうきがきたから手ぬぐいを持ってきてくれんか。わしは温かいお茶でも入れてやろうかの。梅雨とはいえ雨に濡れては寒かろう。」

「こんにちはー。こうきです。今日は相談があってきました。」
こうきは傘を閉じて水滴を払うと入り口の壁に立てかけ中に入ってきた。
「おやまぁ。人の子とは、お聞きしていた事とはいえ、ここに入れるなんて不思議でございますねぇ。」
露華は中の座敷の上がり框(あがりがまち)に腰掛けてこうきを物珍しげに眺めていた。
太郎が手ぬぐいと温かい湯を持ってきてくれて、こうきもいつものように体を拭き、靴下を丸めてポケットに入れると足を洗い座敷に上がった。
「レインコートはあちらの衣紋掛けにかけておこうの。熱いお茶がいいかと思うたが、自転車で来たのかな?汗をかいておるの。冷たい方が良いかの、麦茶を出そうか。水無月があるから食べなさい。」
龍之介は熱いお茶を下げ冷たい麦茶を持ってくると露華とこうきの間あたりに腰を下ろし
「相談とはまた珍しいの。しかも1人とは、まさかたくみとけんかでもしたかの。」
と心配そうに顔を覗き込んだ。こうきは水無月を急いで飲みくだしお茶を一口飲むと話し始めた。
「たくみくんは今日は風邪で学校も休んではるねん。それに最近元気ないっていうか、時々ここに来るの迷ってるみたいなこと言うようになって。僕はここでたくさん龍之介さんや太郎さんや精霊さんたちのお話聞くの好きなんやけど、たくみくんは学校の他の友達とも遊びたいねんて。僕ら、これからはなかなか2人でここにこられへんかも知れへん。僕一人で来てもいいですか?」
龍之介は少し悲しそうなこうきの頭を優しく撫でながら
「もちろんじゃよ。いつでもおいで。わしらはいつでも大歓迎じゃよ。」
と微笑んだ。
少し胸が痛む。たくみもこうきもそろそろ思春期に差し掛かる年頃なのだ。
「あ、それともう一つお願いがあって、たくみくん昨日雨の中カエル隊員になりきっててビショビショになってしまって、それで風邪ひいたと思うねん。龍之介さんのお菓子持って行ったら喜ぶかなぁと思って。少し分けてもらえませんか?もみじの葉っぱたくさん持って来たんやけど。」
「カエル隊員?それはまたどんな遊びですの?」
露華の問いに、こうきは笑いながら
「もともとはここの神社の杜に秘密基地を作った時にブルーシートから溢れる陽の光が水の中みたいで、ケロケロ言ってたのが始まりなんです。それから小川に入ったり小雨が降ったりした時に坊と三人でカエル隊員ごっこするようになって。昨日はあんまり土砂降りやったからついテンションが上がってしまってびしょびしょになったんです。いつもは僕が熱出すんやけど、めずらしくたくみくんが熱出してしまったんです。」
こうきはちょっと心配そうに説明した。
「ほほう、お見舞いじゃな。しかし今から持っていったのでは少し時間が遅くはないかの。今日のところはここで少し休んだら帰りなさい。明日坊と見舞うというのはどうじゃろう。そうじゃな、雷蔵さんにでもお供を頼もうかの。」
「え?でも明日やったらたくみくん元気になると思うねんけど。。。」
「ならば水無月三つを笹の葉に包むゆえそれを持って行きなさい。明日も元気がなさそうならそのとき考えようの。」
龍之介はそう言うと水無月を三つ笹の葉に包み紐でくくると手渡してくれた。


たくみは家のベッドの中で鼻をかみながら、昨日のカエル隊員はやりすぎたよなぁ。こうきは風邪ひいてないかなぁ。こうきのほうが風邪ひきやすいから心配やなぁと思っていた。
もう、夕闇が雨音と一緒になってこの辺りをつつみはじめている。
不意に玄関の呼び鈴がなり、お母さんがはーいと扉を開けた音がした。
「こんばんは。遅くにすみません。これ、たくみくんにお見舞いです。たくみくんもう熱下がりはった?昨日の雨はちょっと寒かったから。」
こうきの声が聞こえたので、たくみはふらふらと階段を降り玄関に向かった。たくみの顔をみたこうきが嬉しそうに
「龍之介さんの作った水無月やで。たくみくんのお父さんのとお母さんのと3つ入ってるねん。まだしんどいん?顔真っ赤やで?」
そう言うと笹の葉の包みをたくみのお母さんに預けてたくみの方に向き直った。
「うん。なんか頭割れそうやねん。鼻水無限に出てくるしもう鼻の下痛いねん。ぼーっとしたままやし。梅雨の間はカエル隊員無しにしような。こうきが元気でよかったわ。こうきが喘息とか肺炎とかなってたらどうしようって思って、余計頭痛かったねん。顔見たらちょっと元気になった気がする。」
たくみは真っ赤な顔でニコッと笑うと抱えてきたティッシュで鼻を抑えた。
「さあ、もう暗なるからこうきくん帰りよし。自転車置いていくか?それともお父さんに送ってもらう?」
たくみのお母さんはそう言うとたくみを二階に上がらせお父さんを呼ぼうとした。
「あ、おばちゃん大丈夫。あとちょっとやし、ちゃんとライト点けとくし。ありがとうございます。明日はたくみくんまだ元気そうやないからまた電話します。」
そう言うとさようならといい玄関を後にした。ここからは公園のそばまで一直線。そして公園を曲がるとこうきのマンションだ。

その夜、こうきは不思議な夢を見た。
龍之介さんと太郎さんが
「もうそろそろ別れの時なのじゃろうか?まだ後ニ年はいけると思うのじゃがの。あの二人には人間の世界こそを学んでもらわねばならぬ。それにはわしらは少し邪魔な存在かもしれんからのう。あの子達がわしらを思い出したいと強く願った時には、またわしらと交流すればいいだけのことじゃ。そのくらいの時間はわしらにしてみれば瞬きの間のようなものよの。」
そう言いながらも龍之介さんはなんだか寂しそうで、太郎さんは深いため息をついていた。
こうきはハッとして目が覚めたが、さっきの光景が本当に夢なのか違うのか判断ができなかった。
そして、忘れる?まだ教えて欲しいことがたくさんあるのに、と思い始めると目が冴えてなかなか寝付けなかった。


翌朝、こうきはたくみのことも心配だったが昨夜の夢が気になって、朝ごはんを早々に済ませると自転車にまたがり神社を目指した。
何を聞いたらいいのか、だいたいただの夢かもしれないことでこんな風に気になってしまうのはなぜなのかわからないままではあったけれど、とにかく龍之介さんと太郎さんに話を聞かなければ、そう思えて仕方なかった。

龍之介は、昨日の夜の話に念が籠っていたことを朝になってから気がついた。たくみは熱があるから判断できないとしてもこうきは必ず来るな。そう思うと寒天を冷やして黒蜜を仕込んだ。こんなにもこうきの心が流れ込んでくるとはな。もう少し甘いものを用意するかの。寒天に淡い色をつけて薄い板に固まらせてこしあんを丸めると寒天を箸で崩して上に乗せ紫陽花に見立てた菓子を作った。最近菓子作りも楽しくなってきた。食べてくれるたくみやこうき、坊や精霊たちの笑顔が励みになる。
あの子たちに会えなくなったら、
わしはまだ菓子を作るだろうか。

「おはようございます。こうきです。龍之介さんに聞きたいことがあって来ました。」
こうきは汗を拭うと洞穴を奥へと入ってきた。太郎は冷たい水を桶に張り冷たい手ぬぐいを渡してくれた。汗を拭いて足を洗うとさっぱりとして気持ちが良かった。そういえば初めてきた時にはあの小川にそうめんを流してもらって食べたんやなぁ。おいしかったなぁ。そう思うと胸の奥が苦しくなって、涙が出そうになった。ここにはいつまでも来ていたい。たくさんの話を聞きたい。僕たちはまだ何も知らないのに。そんな想いが溢れてため息となって胸の痛みとともに出てきた気がした。

「こうき。よく来たの。どうしたんじゃ?浮かぬ顔をして。今日は目新しい菓子を作ったんじゃが冷たい緑茶と食べてみてくれんかの?紫陽花の花のようじゃろ?」
龍之介は努めて笑顔でお茶を持ってきた。太郎はいつものように奥の席に座りタバコを燻らせている。こうきはいただきますというとお菓子を一口頬ばった。優しい餡の甘さと寒天の歯ざわりがなんとも涼しげで、冷たいお茶とよくあっている。龍之介さんのお菓子はやっぱり世界で一番美味しい。これからも、ずっとこんな風に。そう思った瞬間にとうとう我慢していた涙がこぼれて落ちてしまった。
「ふむ。やはり昨日の話伝わったようじゃの。すまぬ。迂闊に念を込めてしもうた。まだしばらくは大丈夫じゃよ。しかしの、わしらの世界だけを知りすぎて人の世界が分からぬようでは変人と思われてしまうじゃろ?人の世界の理をよく学んで、我らの世界と交わらねばたくみやこうきが今までわしらの世界で学んだことが無駄になってしまう。わかってくれるかの。」
「それって、前に龍之介さんが言うてた『記憶を預ける時が来た』って言うことですか?もう、忘れなあかんの?もう少し時間をください。僕、まだ覚悟できてない。もしかして、たくみくんの記憶は少しずつ薄くなってるってことなん?僕らはおんなじ道を歩くと思ってた。そして、大人になった時にまたここに、龍之介さんや太郎さんや坊やたくさんの神様や仙人様や精霊さんたちに会いに来れると思ってた。たくみくんは、違うんかな。もう、冒険も一緒にできひんのかな。」
こうきは流れ落ちる涙を止めることもできず、手をきつく握りしめていた。
「こうき、たくみはなきっと大人になることに不安を感じておるのじゃよ。ここに来ることで、時間の流れを否が応でも感じるじゃろ?そうすると、いつか言っていたように記憶を預ける時が、どんなに抗っても来てしまう。それが怖いんじゃな。わしらとてその時が来るのは寂しいし、できれば来て欲しくないと思うておる。じゃがの、お前たちがたとえこれから道を分かつとも、その道は未来にまた重なるのじゃよ。多分の。そして、わしらと再会することもできるのじゃよ。こうきが一人でここに来てたくみの分までわしらの話を聞いたとて何も困りはせんじゃろ?いつかたくみに教えてやればいい。たくみは、こうきのことが大好きなんじゃから心配いらんよ。」
龍之介は優しくこうきの頭を撫でてやった。今はそうすることしかできなかった。

入り口から衣擦れの音がしたかと思ったら露華が大きな紫陽花の花束を抱えてやってきた。
そういえば、今度花束を持ってくると言っていたなぁ。と、太郎は奥の方から大きな壺を出してきた。
「おやおや、こうきさん。どうなさいました?まるで外の雨粒のように溢れておりますよ。ささ、お拭きになって。」

「そうですの。人の時間は早いものですものね。わたくしたち紫陽花はね、時とともに色が移ろいます。そしてやがて枯れ花となり、次の春を待つのです。人はその枯れ花さえも愛でてくださるのですよ。そして、時が満ちるとまた、芽吹き新しい葉を広げ花をつける。わたくしたちの生きている証であるこの営みは人の毎日と何も変わりません。たくみさんと言うお方にはまだお目にかかったことはありませんが、これだけ強い絆を持っておられるのならば、色を変え、一度は枯れたように見えたとしても必ず春が訪れ芽吹き、葉を広げましょう。そしてお二人の美しい花を咲かせることもできましょう。ご心配には及びませんよ。」
「学びは人を、精霊を強く結びます。わたくしたちの絆はそんなに簡単に切れてしまうものではありませんでしょう。わたくしはほんの最近お目にかかったばかりなのに、こうきさんの純粋なお心が伝わってきて温かい想いでおりますの。きっと、お二人と出会った神様や仙人様や精霊たちは一様にこの温かな想いを持っていると思いますよ。ならば、お二人は必ずここへ戻ってまいりますとも。それにね、記憶を預けた後にさえわたくしたちの声がお耳に届くと思います。春のはじめの芽吹きの時、春一番の風の音。花々の咲き誇る河原。雨粒。いたるところにわたくしたちはおりますの。そして、お二人を見守っておりますのよ。ですから安心して人の世界の理を学んでくださいな。もしも、もしも迷いが出たならば紫陽花の花をご覧になって。わたくしたちの移ろう色に込められた想いを感じるはずですから。」

こうきは露華の言葉を噛みしめるように聞き入っていた。
僕の周りには沢山の木々や草花があって、そこには精霊さんたちが見守っていてくれるのか。そう思うと少し迷いが晴れてくるような気がした。

「さて、ところてんでも食べんかの?こうきは天突きはしたことがあるかい?ここに寒天を入れての、突くんじゃよ。ニョロリンと出てくるじゃろ?」
龍之介さんは重い空気を変えようと天つきをさせてくれた。
こうきはこの優しさが嬉しかった。ところてんは本当に、ニョロリンと器に落ちてきた。人数分を突き終わると黒蜜をかけ、きな粉を少しまぶすとみんなで食べた。

雨粒が薄くさすお日様で虹色に輝く中こうきはほんの少し晴れた心と、これから考えなくてはならないことに不安を抱きながら帰路に着いた。

紫陽花が、美しい青紫の花を揺らしていた。移ろう時と色を重ねて。
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