21 / 38
第1幕 池のお化け編
21.お化け弐号さんを捕まえます (6)
しおりを挟む
「ところで殿下。なぜこんな場所で立ち話を?」
「ああ、それは」
「……た、田崎さん、ちが、違うんです」
「ちょっとした手違いがあって、まだ軍警察が到着していないんですよ」
「ああ、なるほど」
小首をかしげた田崎氏に、殿下が少しだけ眉をハの字にしながら答える。
「軍警でしたら、もう門のところにいましたから、すぐに此方へも来るでしょう」
「おや、それは朗報ですね」
「で、殿下、田崎さん、話をっ!」
田崎氏の言葉を受け、殿下がニコリと笑う。
その笑顔はあくまでも社交上の笑顔だということなど、長い付き合いである田崎氏が気が付かないわけがなく。
田崎氏が、すっ、と目を細めたあと、藤井氏を見やる。
その視線が動くのと同時に、本当にごくごく自然に、藤井氏が立ち位置を変える。
「お願いです、話を……!!」
「いま、わたしは嘉一殿下と話をしているのです。あなたはそれすらも分からないのですか?」
血の気の引いた顔で懇願する栄一氏を、田崎氏が鋭い目つきを向けながら問いかける。
そんな田崎氏の様子に、栄一氏の血の気は一層ひき、土色にも近くなっているかのように見える。
「ちがっ、違うんです、お願いです。話を」
「話はあちらのかたがたにお聞かせなさい」
「そ、そんなっ」
冷ややかな表情を浮かべたまま淡々と話す田崎氏を、栄一氏が大粒の汗をかきながら必死に声をかける。
「いくら殿下の護衛とはいえ、あなたのご子息は、有澤家のお嬢様に随分と不躾な行動を取っていましたね」
「ち、ちが、あれはっ」
「何が違うのです? 他所のお子様のこめかみに、拳銃をつきつけておいて」
「やっぱりあの気配はあんた達のかぁ。嘉一が反応したのに、何もしねぇから」
「……吉広」
呆れた様子で栄一氏に言う田崎氏の発言に、しばらく黙っていた吉広が、ぽんっ、と手を打ちながら声をこぼす。
その吉広の声に、長太郎が諌めるように彼の名前を呼び、「あ、やべ」と小さく呟いたあと、吉広が慌てて口を手で塞ぐ。
そんな吉広と長太郎のやり取りに、田崎氏は数回の瞬きのあと、クスと静かに笑い、長太郎は、まったく、と大きなため息をはいた。
「あ、わる、じゃないや、すんません」
「いや、気にすることはない。……強いて言うならば、殿下」
「……何でしょう」
「いい護衛を持ったようですね」
栄一氏に向ける視線とはまるきり反対の、穏やかな視線を殿下に向け、田崎氏がほんの少しだけ笑う。
その視線を受け、殿下は一瞬おどろいた顔をしたものの、すぐに吉広と長太郎、それから私を見て、にこやかな笑顔を浮かべ口を開く。
「もちろん。それに、彼らは俺の最高の友です」
にこり、と笑いながら言った殿下の言葉は、
最高に嬉しい言葉のはずなのに。
どうしてか、胸の奥のほうが、キシ、と静かな音を立てた。
それからは、もう目の前で演劇でも繰り広げられているかの如く。
田崎氏が、指先を綺麗にそろえた片手をあげると同時に、複数の足音を鳴らして軍警察官が遠藤さん親子を、するすると縛り上げた。
「やめっ、やめろ!! 離せ!! 違うと言っているだろ!! おれは何もしていない!! 連れて行くならその愚息だけだろう!!」
「なっ、父さん!! それを言うなら父さんだって!!!」
捕縛用の縄で縛られながら、お互いを罵倒しあう親子の様子に思わず、眉間に皺を寄せていれば、ぽす、と頭に重みが降ってくる。
「壱華、聞きたくなきゃ耳塞いでたっていいんだぞ?」
少しだけ心配するときの顔をしながら、人の頭に手を置いた吉広の言葉に、ふるふる、と頭を左右にふる。
「大丈夫ですよ、これくらい、ヘッチャラです」
「そうか? あんまそうは見えねぇけど」
ポスポス、と人の頭を軽く叩きながら言う吉広の、不器用な優しさに、思わずフフ、と小さく笑みが溢れる。
いつの間にか殿下と長太郎よりも、身長の伸びた吉広を見上げ、もう一度「大丈夫です」と告げれば、吉広が声に出さずに笑う。
「ま、元気そうなら」
「連れて行く前に、一つ、いいかな」
「殿下」
「仕事を増やしてすまない」
吉広が何かをいいかけた時、手首に手錠をかけ、遠藤さん親子の両脇を抱える軍警察官に、殿下が声をかける。
「拘束はとくことは出来ませんがよろしいですか?」
「ああ。それは構わない。手短に済ますよ」
そう言って、遠藤さん親子と少し距離を取りながら、殿下が彼らの前へ立つ。
「遠藤」
短く、そう名前を呼び、栄一氏ではなく、同級の遠藤さんの前へと殿下が動く。
「な、なんっ」
「歯を食いしばれ」
ぐっ、と殿下が拳を握る。
と同時にスッ、と引かれた腕が、次の瞬間には、遠藤さんの頬へと真っ直ぐに伸びた。
バチッ、という音とともに、遠藤さんの身体がグラつく。
倒れ込まなかったのは、両脇を軍警察官に抱えられていたからだ。
「かはっ」
頬を殴られた衝撃が強かったのだろう。
遠藤さんは、殿下に殴られたままの格好で動きが止まっている。
とはいえ。
人は、予測のつかない生き物で、一秒先ですら、何が起こるか分からない世の中なのだと、口癖のように言う、私の兄の言葉が頭をよぎる。
遠藤さんにそんな力が残っているとは思えないけれど、万が一の可能性を考えた瞬間に視線を動かせば、私と同じことを考えた人間が、あともう一人。
「長太郎」
ぼそり、と呟いた声が聞こえたのか、一瞬だけ、反応をしめしたあと、長太郎の動きが止まった。
「藤井氏に、一つ聞いておきたいのだが」
「なんでしょう、殿下」
そんな長太郎に気がつくことなく、田崎氏とこの場に現れて以降、ひたすらに、補助役に徹していた当事者の一人、藤井さんの名を、殿下が呼ぶ。
「この親子は、貴方に殴られても文句が言えないことをしてきたのだが、貴方は一発、お見舞いしておかなくていいのかな?」
藤井さんの目を真っ直ぐに見ながら問いかけた殿下に、藤井さんは、少し驚いた顔をしたあとに、「殿下」と目元をさげながら口を開く。
「殿下のことです。その一発には、有澤のお嬢様の分と、ワタシたち親子の分も、含めてくださったのでしょう?」
殿下を見やる藤井さんの眼差しは、まるで、私のお父様のようにも見える。
「……かも、しれない」
少しだけ困ったように眉尻をさげた殿下に、藤井さんが「光栄の極みです」と深く頭をさげて言う。
「ですが殿下」
そう言って、頭をあげた藤井さんの言葉に、殿下の頬がぴくりと動く。
あの顔は、いわゆる「やってしまった」という時の表情で。
殿下とともに、藤井さんの表情を見た長太郎も、殿下ほどに表情には出していないものの、口元が若干ひきつっている。
「ええと、藤井さ」
「殿下。年長者として、一つ進言いたします。今後は、自ら、手を出すことはお控え願えますか?」
にこり、と端正な笑顔を浮かべて言う藤井さんに、殿下の頬に一筋の汗が流れる。
「………肝に命じておく」
「是非そうしてください。でないと、殿下の周りの人間が、いまにも倒れてしまうかもしれませんよ?」
ちら、と視線の動いた藤井さんに続き、殿下が長太郎を見やる。
我が子を叱るような表情の藤井さんとは違い、殿下は長太郎を見て、満足そうな表情を浮かべる。
「心臓何年分だ?」
「そんなに肝を冷やすわけがないでしょう? ですが、いつも龍太郎さんも言っているじゃないですか。火事場の馬鹿力は、本当に侮れないって」
「……ああ、そうだな」
「それに、おれだけじゃないですからね。心配していたのは」
「……?」
照れを隠すように言った長太郎の視線が、こちらへと動く。
それを受けて、私を見た殿下が、一瞬、目元を緩める。
「……何故だ」
柔らかな空気が、ボソリ、と溢れ聞こえた声でピシャリ、と硬いものに変わる。
それと同時に、殿下の目つきが鋭いものに変わる。
「どこまでわたしの邪魔をすれば気が済むのだ、父上……」
殴られた息子を、目に映る全てをぼんやりと眺めながら、栄一氏が呟く。
「あなたのお父上は、本当に優秀な人でしたね」
そう話し始めたのは、殿下ではなく、栄一氏に振り回され続けたであろう藤井さんだった。
「ああ、それは」
「……た、田崎さん、ちが、違うんです」
「ちょっとした手違いがあって、まだ軍警察が到着していないんですよ」
「ああ、なるほど」
小首をかしげた田崎氏に、殿下が少しだけ眉をハの字にしながら答える。
「軍警でしたら、もう門のところにいましたから、すぐに此方へも来るでしょう」
「おや、それは朗報ですね」
「で、殿下、田崎さん、話をっ!」
田崎氏の言葉を受け、殿下がニコリと笑う。
その笑顔はあくまでも社交上の笑顔だということなど、長い付き合いである田崎氏が気が付かないわけがなく。
田崎氏が、すっ、と目を細めたあと、藤井氏を見やる。
その視線が動くのと同時に、本当にごくごく自然に、藤井氏が立ち位置を変える。
「お願いです、話を……!!」
「いま、わたしは嘉一殿下と話をしているのです。あなたはそれすらも分からないのですか?」
血の気の引いた顔で懇願する栄一氏を、田崎氏が鋭い目つきを向けながら問いかける。
そんな田崎氏の様子に、栄一氏の血の気は一層ひき、土色にも近くなっているかのように見える。
「ちがっ、違うんです、お願いです。話を」
「話はあちらのかたがたにお聞かせなさい」
「そ、そんなっ」
冷ややかな表情を浮かべたまま淡々と話す田崎氏を、栄一氏が大粒の汗をかきながら必死に声をかける。
「いくら殿下の護衛とはいえ、あなたのご子息は、有澤家のお嬢様に随分と不躾な行動を取っていましたね」
「ち、ちが、あれはっ」
「何が違うのです? 他所のお子様のこめかみに、拳銃をつきつけておいて」
「やっぱりあの気配はあんた達のかぁ。嘉一が反応したのに、何もしねぇから」
「……吉広」
呆れた様子で栄一氏に言う田崎氏の発言に、しばらく黙っていた吉広が、ぽんっ、と手を打ちながら声をこぼす。
その吉広の声に、長太郎が諌めるように彼の名前を呼び、「あ、やべ」と小さく呟いたあと、吉広が慌てて口を手で塞ぐ。
そんな吉広と長太郎のやり取りに、田崎氏は数回の瞬きのあと、クスと静かに笑い、長太郎は、まったく、と大きなため息をはいた。
「あ、わる、じゃないや、すんません」
「いや、気にすることはない。……強いて言うならば、殿下」
「……何でしょう」
「いい護衛を持ったようですね」
栄一氏に向ける視線とはまるきり反対の、穏やかな視線を殿下に向け、田崎氏がほんの少しだけ笑う。
その視線を受け、殿下は一瞬おどろいた顔をしたものの、すぐに吉広と長太郎、それから私を見て、にこやかな笑顔を浮かべ口を開く。
「もちろん。それに、彼らは俺の最高の友です」
にこり、と笑いながら言った殿下の言葉は、
最高に嬉しい言葉のはずなのに。
どうしてか、胸の奥のほうが、キシ、と静かな音を立てた。
それからは、もう目の前で演劇でも繰り広げられているかの如く。
田崎氏が、指先を綺麗にそろえた片手をあげると同時に、複数の足音を鳴らして軍警察官が遠藤さん親子を、するすると縛り上げた。
「やめっ、やめろ!! 離せ!! 違うと言っているだろ!! おれは何もしていない!! 連れて行くならその愚息だけだろう!!」
「なっ、父さん!! それを言うなら父さんだって!!!」
捕縛用の縄で縛られながら、お互いを罵倒しあう親子の様子に思わず、眉間に皺を寄せていれば、ぽす、と頭に重みが降ってくる。
「壱華、聞きたくなきゃ耳塞いでたっていいんだぞ?」
少しだけ心配するときの顔をしながら、人の頭に手を置いた吉広の言葉に、ふるふる、と頭を左右にふる。
「大丈夫ですよ、これくらい、ヘッチャラです」
「そうか? あんまそうは見えねぇけど」
ポスポス、と人の頭を軽く叩きながら言う吉広の、不器用な優しさに、思わずフフ、と小さく笑みが溢れる。
いつの間にか殿下と長太郎よりも、身長の伸びた吉広を見上げ、もう一度「大丈夫です」と告げれば、吉広が声に出さずに笑う。
「ま、元気そうなら」
「連れて行く前に、一つ、いいかな」
「殿下」
「仕事を増やしてすまない」
吉広が何かをいいかけた時、手首に手錠をかけ、遠藤さん親子の両脇を抱える軍警察官に、殿下が声をかける。
「拘束はとくことは出来ませんがよろしいですか?」
「ああ。それは構わない。手短に済ますよ」
そう言って、遠藤さん親子と少し距離を取りながら、殿下が彼らの前へ立つ。
「遠藤」
短く、そう名前を呼び、栄一氏ではなく、同級の遠藤さんの前へと殿下が動く。
「な、なんっ」
「歯を食いしばれ」
ぐっ、と殿下が拳を握る。
と同時にスッ、と引かれた腕が、次の瞬間には、遠藤さんの頬へと真っ直ぐに伸びた。
バチッ、という音とともに、遠藤さんの身体がグラつく。
倒れ込まなかったのは、両脇を軍警察官に抱えられていたからだ。
「かはっ」
頬を殴られた衝撃が強かったのだろう。
遠藤さんは、殿下に殴られたままの格好で動きが止まっている。
とはいえ。
人は、予測のつかない生き物で、一秒先ですら、何が起こるか分からない世の中なのだと、口癖のように言う、私の兄の言葉が頭をよぎる。
遠藤さんにそんな力が残っているとは思えないけれど、万が一の可能性を考えた瞬間に視線を動かせば、私と同じことを考えた人間が、あともう一人。
「長太郎」
ぼそり、と呟いた声が聞こえたのか、一瞬だけ、反応をしめしたあと、長太郎の動きが止まった。
「藤井氏に、一つ聞いておきたいのだが」
「なんでしょう、殿下」
そんな長太郎に気がつくことなく、田崎氏とこの場に現れて以降、ひたすらに、補助役に徹していた当事者の一人、藤井さんの名を、殿下が呼ぶ。
「この親子は、貴方に殴られても文句が言えないことをしてきたのだが、貴方は一発、お見舞いしておかなくていいのかな?」
藤井さんの目を真っ直ぐに見ながら問いかけた殿下に、藤井さんは、少し驚いた顔をしたあとに、「殿下」と目元をさげながら口を開く。
「殿下のことです。その一発には、有澤のお嬢様の分と、ワタシたち親子の分も、含めてくださったのでしょう?」
殿下を見やる藤井さんの眼差しは、まるで、私のお父様のようにも見える。
「……かも、しれない」
少しだけ困ったように眉尻をさげた殿下に、藤井さんが「光栄の極みです」と深く頭をさげて言う。
「ですが殿下」
そう言って、頭をあげた藤井さんの言葉に、殿下の頬がぴくりと動く。
あの顔は、いわゆる「やってしまった」という時の表情で。
殿下とともに、藤井さんの表情を見た長太郎も、殿下ほどに表情には出していないものの、口元が若干ひきつっている。
「ええと、藤井さ」
「殿下。年長者として、一つ進言いたします。今後は、自ら、手を出すことはお控え願えますか?」
にこり、と端正な笑顔を浮かべて言う藤井さんに、殿下の頬に一筋の汗が流れる。
「………肝に命じておく」
「是非そうしてください。でないと、殿下の周りの人間が、いまにも倒れてしまうかもしれませんよ?」
ちら、と視線の動いた藤井さんに続き、殿下が長太郎を見やる。
我が子を叱るような表情の藤井さんとは違い、殿下は長太郎を見て、満足そうな表情を浮かべる。
「心臓何年分だ?」
「そんなに肝を冷やすわけがないでしょう? ですが、いつも龍太郎さんも言っているじゃないですか。火事場の馬鹿力は、本当に侮れないって」
「……ああ、そうだな」
「それに、おれだけじゃないですからね。心配していたのは」
「……?」
照れを隠すように言った長太郎の視線が、こちらへと動く。
それを受けて、私を見た殿下が、一瞬、目元を緩める。
「……何故だ」
柔らかな空気が、ボソリ、と溢れ聞こえた声でピシャリ、と硬いものに変わる。
それと同時に、殿下の目つきが鋭いものに変わる。
「どこまでわたしの邪魔をすれば気が済むのだ、父上……」
殴られた息子を、目に映る全てをぼんやりと眺めながら、栄一氏が呟く。
「あなたのお父上は、本当に優秀な人でしたね」
そう話し始めたのは、殿下ではなく、栄一氏に振り回され続けたであろう藤井さんだった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
29
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる