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第1幕 池のお化け編
26.光に出会いました。
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「壱華」
「はい、兄様」
「今日は、面白いことが起こるかもしれないよ?」
「面白いこと?」
「そう。面白いこと」
そう言って笑った兄が、何やらやけに小さく見える。
「おいで、壱華」
いつものように手をさしだした兄の手をとる。
その自分の手も、やけに小さい。
(ああ、そうか)
これは懐かしいあの頃の記憶。
この、騒がしくも楽しい、彩りある人生を歩むきっかけになった、大切な、大事な大事な、あの日の記憶。
◇◇◇◇◇◇◇
「あいつが相手? まだ小さい子じゃないか」
「歳は坊っちゃんと同じですよ」
「いくら同じだって言ったってあんな小さな子と勝負なんてできるわけないだろ!」
兄様ともに、剣道場で練習に来ていたとき、やけに大きな声が道場内に響く。
「?」
素振りの手を止め、音のした方向を見れば、兄様がきれいな顔をした少年と話をしているのが見えた。
目がくりくりしていて可愛い。
そんなことを思いながら、兄様と少年を見ていれば、ふいに、兄様がこちらを向き、にっこりと笑う。
ちょいちょい。
笑顔を浮かべた兄様が手まねきをしている。
きょろ、と周囲を振り向くものの、周りには誰もいない。
自分を指差しながら兄様を見やれば、兄様は笑顔を浮かべたまま、頷いた。
「こんな……無茶だろ」
少年が目の前に来た私を見て、瞬きを繰り返したあと、兄様を見ながら言う。
「大丈夫ですよ。壱華は強いですから」
「強いと言ったって、こんな小さな子」
「むっ」
「ですから、壱華は坊っちゃんと同じ歳ですよ」
「いや、でも、こんなに身長差もあるんだぞ?」
少年の手が、私の頭の一番上と、自分の一番上を行ったり来たりする。
その手の動きに、ムッ、とくちびるに力が入る。
「私とそんなに変わらないです」
「いや変わる」
「変わりません! それにもどる時にちょっと上にあがってました!」
「あがってない」
「あがってました!」
「あがってないし! だよな! 龍太郎!」
「あがってましたよね! 兄様!」
なぜだか、一緒になって兄様に問いかければ、兄様が、ふふ、と笑ったあとに私と少年の頭に手を置いた。
「ぼくから見れば、ふたりとも一緒かな」
「むっ」
「さすが兄様!」
なでこなでこ、といつものように頭を撫でてくれる兄様の手に嬉しくなって、ふふ、と笑っていれば、隣に立っていた少年と目があう。
「なんですか?」
「っ、別に」
問いかけた私に、そっけなく答えた少年が、ぷい、と顔をそむける。
そんな彼の行動に首を傾げていれば、「じゃあ、ふたりとも」と兄様の声がすぐ近くから聞こえる。
「ひとまずは、防具を持っておいで」
そう言って、私たちの頭から手を離した兄様に、「龍太郎、そうは言っても」と少年が兄様の名前を呼ぶ。
「かいち坊っちゃん」
「……僕の意見は変わらないぞ!」
「では聞きますが」
「なんだ」
少年の目線にあわせて、兄様がしゃがみこむ。
「なぜ、勝負をしないのです?」
「どう見たって出来ないだろ!」
「なぜ?」
「なぜ、ってお前も、兄ならば分かるだろうが、妹や弟は守るものだ!」
「ええ。ですが、壱華はぼくの妹であって、かいち坊っちゃんの妹ではありませんよ?」
「それは……そうだが」
「それとも」
そこまで言いかけた兄様が、私をひょい、と引き寄せる。
兄様のお顔がすぐそばにくる。
髪の毛が頬にあたって、ちょっとくすぐったい。
「ぼくの可愛い可愛い可愛いすぎる妹に勝てる自信がないんですか? かいち坊っちゃん」
「なっ?!」
「まあ可愛いさでは、かいち坊っちゃんは一生かかっても壱華に勝てないですが。そこは置いておいて。どうなんです? 坊っちゃん」
私をぎゅうぎゅうとしながら、兄様が少年に問いかける。
なんとなくその声に聞き覚えがあって、兄様の顔をのぞきこむ。
「兄様、そのお顔は」
いじわるをする時のお顔ですが。
そう言いかけた私に、兄様はにっこりと笑う。
笑ってはいるけれど、なんだか少しだけ、怒っているような。
なぜだろう。
そう考えたとき。
「良いだろう! 僕が直々に勝負してやる!!」
そう言ってビシッ、と伸びてきた指先が、すぐ近くにきて、思わず瞬きを繰り返す。
そんな少年を見て、兄様は、小さく微笑んだあと、私に向かって指をさす少年の手を、兄様がペしんっ、と叩いたあと、こう言った。
「人に向かって指をさしてはいけません」
「いたぁっ?!」
「この注意、いったい何回目ですか? まったく」
「っ! もう一回だ!」
「……まだやるのですか?」
「当たり前だ! 僕が勝つまでやる!」
「ええぇ……」
さっきからそればかりでは。
まだだ、というその言葉を、さっきから何回も聞いている。
何回も聞いていて、何回も手合わせをやり直しているけれど、いまのところ、私が勝ってばかりで、少年あらため、かいち君は負けるたびに、「もう一回!」と言っている。
手合わせをするのはいいのだけれど、もうずっとしているし、そろそろつかれてきた。
ついさっきもそう言ったのに、かいち君は、終わり、もういい、とぜんぜん言ってくれない。
「では、少し、お水を飲みませんか? 私はのどがカラカラです」
頭は狙わない。
そういう約束ではじめた手合わせだから、話すことも、お水を飲みに行くのもいつもよりもすぐに出来る。
それなのに、かいち君はまた首を横にふっている。
お水飲みたい。私ひとりで飲みに行ってしまおうか。
でも、兄様は、手合わせ前に「かいち坊っちゃんを宜しくね、壱華」と言っていた。
だから、きっと私ひとりだけで行ってはいけないのだと思う。
そう考えて、もう一度、かいち君をちらりと見る。
かいち君のお顔、真っ赤では。
暑そう。お水を飲まないと、たおれてしまいそう。
けれど、どうしたら、うんって言ってくれるのか。
ほんの少しの間だけ考えるけれど、考えている間にも、のどがチリチリとしてくる。
「おい、早く」
「イヤです。行きますよ」
「お、おい?!」
うん、もう、いいや。お水、飲みに行こう。
返事など待たずに、片手に竹刀、もう片方の手にかいち君の手をつかみ、兄様たちのいるところに向かって歩き出す。
「おい、手!」
「手がなんですか」
「手を離せ!」
「離しませんよ。きみもお水を飲まなきゃダメです」
「おまえに言われなくたってっ」
「おまえじゃないです!」
「っ?!」
ピタッ、と止まって勢いよく後ろをふりかえれば、かいち君が驚き、目をまん丸にしている。
「私の名前は壱華です。おまえ、でも、おい、でもありません! 次に、おい、とか、おまえ、って言ったら、もう手合わせしませんからね!」
ズイッ、とかいち君に近づきながら言えば、かいち君が、「え、うん?」と言ってうなづく。
「では、お水のみに行きましょう。かいち君、お顔が真っ赤です」
うなづいてくれたかいち君に満足し、立ち止まってしまった足を進めれば、かいち君が「っくはっ」となぜだか笑いながらもついてくる。
「なんで笑っているのです?」
「教えてやんない」
「どうしてですか!」
「さぁな!」
「知りたい!」
「僕と勝負するならな!」
「またそれですか!」
「減るもんじゃないだろ?」
「減りますよ、お腹が!」
「そっちかよ」
そう言ったあと、声をあげて笑ったかいち君は、笑っている理由をぜんぜん教えてくれないままに、私を追い越す。
「ほら、はやく行くぞ。壱華!」
楽しそうに、嬉しそうに。
いつの間にか、引っぱられていたことすら、わすれてしまうくらい、笑っているかいち君は、キラキラしている。
◇◇◇◇◇◇◇
キラキラは、昔も今も、変わらないなぁ……
ぼんやりとした頭のままで、そんなことを考える。
「まだおやすみになっていても大丈夫ですよ、壱華お嬢様」
覚えのある、安心できる声にどうにか目を開ければ、葉山の顔が見える。
「葉……山」
「わたくしが居ますので、問題ありませんよ」
そっ、と握ってくれている手は、葉山だろうか。
「あのね、懐かしい、夢を……見ていたの」
「懐かしい、ですか?」
「うん。嘉一と、初めて会った日の、ゆ」
夢だった、と、どうにか伝わったと思う。
だって、葉山が、そうでしたか、と微笑んでいた気がするから。
握られた手が、優しかった気が、したから。
懐かしい、あの日の、夢。
まだ、殿下を嘉一と呼んでいたころの、懐かしい、夢。
「はい、兄様」
「今日は、面白いことが起こるかもしれないよ?」
「面白いこと?」
「そう。面白いこと」
そう言って笑った兄が、何やらやけに小さく見える。
「おいで、壱華」
いつものように手をさしだした兄の手をとる。
その自分の手も、やけに小さい。
(ああ、そうか)
これは懐かしいあの頃の記憶。
この、騒がしくも楽しい、彩りある人生を歩むきっかけになった、大切な、大事な大事な、あの日の記憶。
◇◇◇◇◇◇◇
「あいつが相手? まだ小さい子じゃないか」
「歳は坊っちゃんと同じですよ」
「いくら同じだって言ったってあんな小さな子と勝負なんてできるわけないだろ!」
兄様ともに、剣道場で練習に来ていたとき、やけに大きな声が道場内に響く。
「?」
素振りの手を止め、音のした方向を見れば、兄様がきれいな顔をした少年と話をしているのが見えた。
目がくりくりしていて可愛い。
そんなことを思いながら、兄様と少年を見ていれば、ふいに、兄様がこちらを向き、にっこりと笑う。
ちょいちょい。
笑顔を浮かべた兄様が手まねきをしている。
きょろ、と周囲を振り向くものの、周りには誰もいない。
自分を指差しながら兄様を見やれば、兄様は笑顔を浮かべたまま、頷いた。
「こんな……無茶だろ」
少年が目の前に来た私を見て、瞬きを繰り返したあと、兄様を見ながら言う。
「大丈夫ですよ。壱華は強いですから」
「強いと言ったって、こんな小さな子」
「むっ」
「ですから、壱華は坊っちゃんと同じ歳ですよ」
「いや、でも、こんなに身長差もあるんだぞ?」
少年の手が、私の頭の一番上と、自分の一番上を行ったり来たりする。
その手の動きに、ムッ、とくちびるに力が入る。
「私とそんなに変わらないです」
「いや変わる」
「変わりません! それにもどる時にちょっと上にあがってました!」
「あがってない」
「あがってました!」
「あがってないし! だよな! 龍太郎!」
「あがってましたよね! 兄様!」
なぜだか、一緒になって兄様に問いかければ、兄様が、ふふ、と笑ったあとに私と少年の頭に手を置いた。
「ぼくから見れば、ふたりとも一緒かな」
「むっ」
「さすが兄様!」
なでこなでこ、といつものように頭を撫でてくれる兄様の手に嬉しくなって、ふふ、と笑っていれば、隣に立っていた少年と目があう。
「なんですか?」
「っ、別に」
問いかけた私に、そっけなく答えた少年が、ぷい、と顔をそむける。
そんな彼の行動に首を傾げていれば、「じゃあ、ふたりとも」と兄様の声がすぐ近くから聞こえる。
「ひとまずは、防具を持っておいで」
そう言って、私たちの頭から手を離した兄様に、「龍太郎、そうは言っても」と少年が兄様の名前を呼ぶ。
「かいち坊っちゃん」
「……僕の意見は変わらないぞ!」
「では聞きますが」
「なんだ」
少年の目線にあわせて、兄様がしゃがみこむ。
「なぜ、勝負をしないのです?」
「どう見たって出来ないだろ!」
「なぜ?」
「なぜ、ってお前も、兄ならば分かるだろうが、妹や弟は守るものだ!」
「ええ。ですが、壱華はぼくの妹であって、かいち坊っちゃんの妹ではありませんよ?」
「それは……そうだが」
「それとも」
そこまで言いかけた兄様が、私をひょい、と引き寄せる。
兄様のお顔がすぐそばにくる。
髪の毛が頬にあたって、ちょっとくすぐったい。
「ぼくの可愛い可愛い可愛いすぎる妹に勝てる自信がないんですか? かいち坊っちゃん」
「なっ?!」
「まあ可愛いさでは、かいち坊っちゃんは一生かかっても壱華に勝てないですが。そこは置いておいて。どうなんです? 坊っちゃん」
私をぎゅうぎゅうとしながら、兄様が少年に問いかける。
なんとなくその声に聞き覚えがあって、兄様の顔をのぞきこむ。
「兄様、そのお顔は」
いじわるをする時のお顔ですが。
そう言いかけた私に、兄様はにっこりと笑う。
笑ってはいるけれど、なんだか少しだけ、怒っているような。
なぜだろう。
そう考えたとき。
「良いだろう! 僕が直々に勝負してやる!!」
そう言ってビシッ、と伸びてきた指先が、すぐ近くにきて、思わず瞬きを繰り返す。
そんな少年を見て、兄様は、小さく微笑んだあと、私に向かって指をさす少年の手を、兄様がペしんっ、と叩いたあと、こう言った。
「人に向かって指をさしてはいけません」
「いたぁっ?!」
「この注意、いったい何回目ですか? まったく」
「っ! もう一回だ!」
「……まだやるのですか?」
「当たり前だ! 僕が勝つまでやる!」
「ええぇ……」
さっきからそればかりでは。
まだだ、というその言葉を、さっきから何回も聞いている。
何回も聞いていて、何回も手合わせをやり直しているけれど、いまのところ、私が勝ってばかりで、少年あらため、かいち君は負けるたびに、「もう一回!」と言っている。
手合わせをするのはいいのだけれど、もうずっとしているし、そろそろつかれてきた。
ついさっきもそう言ったのに、かいち君は、終わり、もういい、とぜんぜん言ってくれない。
「では、少し、お水を飲みませんか? 私はのどがカラカラです」
頭は狙わない。
そういう約束ではじめた手合わせだから、話すことも、お水を飲みに行くのもいつもよりもすぐに出来る。
それなのに、かいち君はまた首を横にふっている。
お水飲みたい。私ひとりで飲みに行ってしまおうか。
でも、兄様は、手合わせ前に「かいち坊っちゃんを宜しくね、壱華」と言っていた。
だから、きっと私ひとりだけで行ってはいけないのだと思う。
そう考えて、もう一度、かいち君をちらりと見る。
かいち君のお顔、真っ赤では。
暑そう。お水を飲まないと、たおれてしまいそう。
けれど、どうしたら、うんって言ってくれるのか。
ほんの少しの間だけ考えるけれど、考えている間にも、のどがチリチリとしてくる。
「おい、早く」
「イヤです。行きますよ」
「お、おい?!」
うん、もう、いいや。お水、飲みに行こう。
返事など待たずに、片手に竹刀、もう片方の手にかいち君の手をつかみ、兄様たちのいるところに向かって歩き出す。
「おい、手!」
「手がなんですか」
「手を離せ!」
「離しませんよ。きみもお水を飲まなきゃダメです」
「おまえに言われなくたってっ」
「おまえじゃないです!」
「っ?!」
ピタッ、と止まって勢いよく後ろをふりかえれば、かいち君が驚き、目をまん丸にしている。
「私の名前は壱華です。おまえ、でも、おい、でもありません! 次に、おい、とか、おまえ、って言ったら、もう手合わせしませんからね!」
ズイッ、とかいち君に近づきながら言えば、かいち君が、「え、うん?」と言ってうなづく。
「では、お水のみに行きましょう。かいち君、お顔が真っ赤です」
うなづいてくれたかいち君に満足し、立ち止まってしまった足を進めれば、かいち君が「っくはっ」となぜだか笑いながらもついてくる。
「なんで笑っているのです?」
「教えてやんない」
「どうしてですか!」
「さぁな!」
「知りたい!」
「僕と勝負するならな!」
「またそれですか!」
「減るもんじゃないだろ?」
「減りますよ、お腹が!」
「そっちかよ」
そう言ったあと、声をあげて笑ったかいち君は、笑っている理由をぜんぜん教えてくれないままに、私を追い越す。
「ほら、はやく行くぞ。壱華!」
楽しそうに、嬉しそうに。
いつの間にか、引っぱられていたことすら、わすれてしまうくらい、笑っているかいち君は、キラキラしている。
◇◇◇◇◇◇◇
キラキラは、昔も今も、変わらないなぁ……
ぼんやりとした頭のままで、そんなことを考える。
「まだおやすみになっていても大丈夫ですよ、壱華お嬢様」
覚えのある、安心できる声にどうにか目を開ければ、葉山の顔が見える。
「葉……山」
「わたくしが居ますので、問題ありませんよ」
そっ、と握ってくれている手は、葉山だろうか。
「あのね、懐かしい、夢を……見ていたの」
「懐かしい、ですか?」
「うん。嘉一と、初めて会った日の、ゆ」
夢だった、と、どうにか伝わったと思う。
だって、葉山が、そうでしたか、と微笑んでいた気がするから。
握られた手が、優しかった気が、したから。
懐かしい、あの日の、夢。
まだ、殿下を嘉一と呼んでいたころの、懐かしい、夢。
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