皇太子の護衛役ービッグカップルは偽装婚約?!

渚乃雫

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第1幕 池のお化け編

27.殿下目線 昔話をしようじゃないか(できればしたくない)

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「は?」
「ですから、きっと、あの子は坊っちゃんに新しい何か、を教えてくれると思うのですよ」
「なんであの子から? 僕なら、いくらでも何でも手に入れられるじゃないか」
「ねえ嘉一かいち坊ちゃん?」
「なんだ?」
「お金と権力では手に入れられないものって、なんだと思います?」
「そんなものがあるのか?」
「ありますよぉ。しかもそれは、厄介なことに、お金も権力も通じない。自分の努力が必ず必要になるものなんですよ」
「ふうん……」

 いちばん若い家庭教師、兼お目付け役のあいつが言った言葉は、意味がわからなかった。
 だって、この国で偉いって言われている大人たちは、地位と権力ってやつを手に入れて、そうやって偉くなってきたんだろ?
 僕は、はじめから、それが約束されてるんだろ?
 それなら何も、努力なんてする必要なんてないんだろう?
 周りの大人たちはずっと、僕にそう言い続けてきた。
 それなのに、あいつは、「必ず努力が必要になる」なんて言う。
 僕が次期国王になるって、もうすでに決まっている道なのに。
 僕がする努力なんて、誰にも、何にも変わらないのに。


「一本! 先制 いちか!」

 あの一瞬。
 気がつけば、少女が目の前に来ていて。
 気がつけば、一本とられていた。

 ぽかん、と口を開けたままの僕に、少女はすたすたと立ち位置へと戻っていく。

 何が起こったのか、さっぱり分からない。
 分かったのは、少女がふいに目の前に現れたことと、左小手への衝撃。

「も、もう一回だ!!」
「分かりました」

 僕の声に、表情をさして変えないまま、少女はうなずく。

 負けるわけがない。
 この僕が、僕よりも背の小さな子に負けるわけがない。
 だって、長太郎ちょうたろう吉広よしひろはまだしも、他の子たちにも、僕は剣道で負けたことなんて、一回もないのだ。

「たまたまだ、たまたま」

 口の中だけでモゴモゴと呟いて、次こそは、と竹刀を握れば、僕を見ていた少女が、竹刀を手に持ったまま、手を身体の横につける。

「おねがいします」

 ぺこり、と頭をさげた彼女に、あわてて自分も、と頭をさげたあとに見えたのは、真っ直ぐに自分を見る彼女の目。
 その目は、いままでの対戦してきた相手とは何かが違う。
 そんな風に思った。


「……なんで勝てない」
「ですから、なんで、と言われても」

 もう何度くりかえしたか分からない僕の質問に、彼女は本当に困った顔をしている。
 その顔は、目は、竹刀を構えている時のものとは違う。

「立てますか?」

 座り込んだままの僕に、いちかは手を伸ばして聞いてくる。

「……立てるに決まってるだろ」

 むす、と唇を尖らせながら言ったけれど、本当はもう疲れすぎて、立てる気がしない。

「そうですか……では、私は座りますね」
「は?」

 そんな僕を見て、ぱちぱち、と瞬きを繰り返したあと、いちかが僕のすぐとなりに座る。

「勝負中だろ」
「いちじきゅうせんというやつです」

 ふぃー、と不思議な声をだしながら、竹刀を置く彼女を見やれば、いちかの手が見える。

「そういえば、いちか、なんで右手に包帯を巻いてるんだ?」
「なんで……って、皮がむけてしまって」
「皮が?」
「はい」

 こくり、と頷きながら、いちかが自分の右手を触る。

「痛くないのか?」
「今はほとんど治ってきているので、痛みはないですよ。ただ、念のためと兄様が」
「……ふうん」

 分かったような、分からなかったような。
 とりあえず、痛くはないらしい、といちかの言葉に相槌を打てば、いちかのほっぺたが赤くなる。

「私、かいち君のようにまだ正しく竹刀をにぎれていないのです」
「は?」

 自分の右手をきゅ、と掴みながら言ういちかに、口がぽかん、と開く。

「だから、本当は左手にできなくちゃいけないマメが右手にできてしまって……」

 しゅん、としながら言ういちかに、「でも!」と思わず大きな声が出る。

「いちかは僕に勝ったじゃないか。いままで、同年代と勝負しても一度も負けたことのなかった僕に、勝ってるじゃないか!」

 いちかを見ながら言えば、いちかはまた、瞬きを繰り返して、僕を見る。

「一度も、ですか?」
「う、うん」

 思わず大げさに言ってしまった。
 一度も負けたことがないなんて、そんなわけがないのに。
 けれど、そんな僕のついた嘘に、いちかの表情が、ぱああ、と突然、明るくなる。

「なに、どうし」
「すごいです! かいち君は、兄様みたいですね!」

 本当に嬉しそうに笑いながら僕の手を握ったいちかに、「龍太郎りゅうたろう?」と呟けば、「はいっ!」といちかが笑顔のままにうなずく。

「兄様はとっても強くて、私は一度も勝てたことがないのです! ですから、一度も負けたことがないかいち君は、兄様と同じですね!」

 そう言ったいちかの目は、まるで、光の粒があちこちに散らばる宝石みたいにキラキラと輝いている。
 その目に、喉に息が詰まったような、何かが引っかかったような、そんな気がする。

「すごいです! 私も早く強くなりた」
「っ、ごめん!!」

 何かを言いかけたいちかの声と、僕の声が重なる。

 バッ、と頭をさげた僕の名前を、「かいち君?」といちかが不思議そうな声で呼ぶ。

「ごめん、僕、嘘をついた」
「……うそ、とは?」

 きょとんとしながら、僕を見るいちかに、その、と言葉が詰まるものの、そんなものはほんの一瞬で。

「一度も、っていうのは、嘘なんだ。ほんとは、えと……その……負けたこともあるんだ。い、一応、勝ってることのほうが多いは多いけど」
「……なるほど」

 布巾を振り絞るかのように、つぶやいた僕に、いちかはもう一度、瞬きを繰り返したあと、さっきと変わらない笑顔を浮かべて口を開く。

「どちらにしても、かいち君の勝ちが多いのですよね! それってやっぱりすごいことです!」
「でもそれで言ったら、いちかに負けた僕はいちかと同じで、僕に勝ったいちかが龍太郎と一緒なんじゃない?」

 そう言った僕に、いちかは目を見開いたあと、「わぁぁ、それはすごいです!」と僕の手をぎゅう、と握りしめながら喜びの声をあげる。

 そんないちかの様子に、何だか背中がくすぐったくなる反面。

 この子の、いちかのキラキラしたあの目を、裏切らない自分でいたいと、思った。

「次に会う時には、僕が絶対に勝つ」

 握られてばかりだった手を、握りかえしながら言えば、僕をきょとん、とした顔で見たあと、「次も負けません!」といちかは笑う。


 そんなやり取りを、何度も何度も繰り返してきた中で、いくつかのことを僕は知った。

 ひとつは、僕と手合わせをしてきた子のうち、半分以上は、大人に言われて、わざと負けていたこと。
 ひとつは、この手合わせで、僕と、というよりは僕を通して、両親との繋がりをどうにかして手に入れたい大人たちがいたこと。

 それから、壱華いちかが、初めて僕との手合わせで負けた日。
 皆が帰ったあとに、龍太郎の前でだけ、泣いていたこと。

 その時のことは、あとから聞いたことだったけれど、壱華はいつも手を抜かずに、真剣に僕と向き合ってくれていたことを知った。
 その事実が、壱華に初めて勝てたことよりも嬉しかったし、それと同時に、初めて壱華に会った時の自分の態度を後悔した時でもあった。
 まあ、そのことを謝った僕に、壱華は「そんなことですか」とけらけらと笑っていたけれど。


 壱華は知らない。

 あの頃は手合わせの時くらいしか壱華に会えなかったから、いつからか僕は手合わせの日が楽しみになっていたこと。

 壱華は知らない。

 いつも誰よりも先に稽古場にいて、誰よりも先に練習をしていた壱華を、ずっと見てきたこと。
 集中して、背筋をピシッと伸ばしている姿に、ぐっ、と額の汗を拭う姿に、目が離せなくなっていたこと。

 僕が声をかける前に、壱華が僕に気づいた日は、笑顔で名前を呼んでくれることがなによりも嬉しかったこと。
 僕が声をかけるまで気がつかない日は、もどかしくもなりつつ、名前を呼ぶその瞬間だけは、壱華を独り占めできること。

 君は、知らないだろう?

 この頃から、どこにいたって、壱華に似た人を探してしまうようになっていたこと。

 君は知らない。

 壱華の名前を呼ぶ度に、壱華に名前を呼ばれる度に、甘くてほろ苦い、焦りにも似た感情が広がっていくことも。

 そのどれもを、壱華は知らないだろうけれど。



「僕の気も知らないで、なんて言えた言葉じゃないけどね」

 本を読んでいた壱華の隣に、僕も、と本を持って座ってから少し経ったあと。
 肩に感じた重みに隣を見れば、壱華の瞼がおりている。
 起こしてしまわないように、と持っていた本を壱華の指先から離す。

 壱華って、静かに寝るんだよなぁ。
 肩にかかる重さに幸せをかみしめながら、読書を再開した自分もまた、気がつけば眠りに落ちていたことは、飲み物を持ってきた葉山と僕だけの、秘密だ。


 ◇◇◇◇◇


「それはそれは、大事そうに、抱えて眠ってらっしゃいましたよ」
「まあ。そうなのですか! 真壁さんからお借りした本だったので、落としてしまわなくて本当に良かったです。あっ、殿下でんかに御礼を言わねば!」
「……行ってらっしゃいませ」

まあ、嘘ではないですし。
葉山は1人呟く。


執事の葉山の見たもの。
それは、しっかりと自身の腕の中に壱華を収めながら眠る嘉一の姿。
もう何年も、皆がいる前で、壱華をこんな風に抱きしめて眠る嘉一の姿を見ていない。

「頭までくっつけて……本当に、このお二人は」

可愛いらしい。愛おしい。
そんなありきたりな言葉では足りないほど、二人を葉山は見守ってきた。

けれど、嘉一が壱華に気持ちを伝えていない以上、自分が口を出すべきではない、と同時にも思う。

さて、どうしようか。
ふふと小さく笑い声を零した葉山に、嘉一が目覚めるまでのわずかな時間。

この二人がどうか、幸せになれるよう。
そんなことを思いながら、葉山は静かに口を開いた。









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