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忘我の蜜夜

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「ジスラン様、ジスラン様? ……どこかお加減でも……!」
「マ、リー……?」

 扉の向こうから、くぐもったジスランの声がした。

「そうです、私です。あの、ものすごい音がしたので……」
「心配を、かけたようだ……だいじょうぶ……問題ない……部屋に戻って、寝なさい」
「でもジスラン様が」
「大丈夫だと言っている! さあ、早く……っ、ぐ、う、うう!」
「ジスラン様⁉」

 魔人化の影響なのか、やはりどこか加減が悪いのだ。放ってはおけない。あの姿を見られたくないのであろうことは察せるが、せめてベッドに寝かせて落ち着かせるぐらいは許してほしい。
 マリアンナは意を決して、把手を強く引き、隙間から室内へ滑り込んだ。
 部屋の中は、ほとんどが闇に包まれていた。ベッドサイドや壁際にぽつぽつと小さな蝋燭の火が灯るばかりで、邸内全域のように四隅までを詳らかにするには至らない。今朝方の悪夢を思い出したが、今は手元にランプがある、不安がる必要はどこにもない。だというのに、うなじの毛が逆立ち不安を訴えている。

「ジスラン様、どちらに……?」

 一歩、踏み出した靴が何かを踏んだ。足を避けると、へし折れた木片が散乱しているようだった。大きさを見るに額縁か、飾り棚の一部かといったところだ。どうやら室内は荒れ果てているらしい。
 う、と右手で呻き声が上がり、ランプをかざしてみる。大きな家具の傍らに、長い金髪を下ろした男が蹲っていた。角も衣装も昼間のままのジスランだった。ほっと胸を撫でおろして声を掛けようとした拍子、ゆらりとジスランが顔を上げた。

 ひ、と身体が凍り付いた。こちらを見上げた紅玉の双眸は、あまりにも無機質なものだった。普段の慈愛に満ちた、穏やかなひととなりを体現する輝きは失せていた。嵌めこまれた磨きたての鉱石が、灯火を透かしたように爛々と光を放っている――そんなふうに見えた。
 驚いてはいけない、これも魔人化の影響なのだろう。どれだけ変貌しようとも、彼がジスランであることに変わりはない。そう荒ぶる心音を宥めすかし、マリアンナは軽く屈みこんだ。

「そこにいらっしゃったのですね。意識を失ったりしていたらどうしようかと……立てますか? お水でもお持ちして――」

 言葉は続かなかった。つとめて優しく語りかけた彼女の襟元をジスランが掴み上げ、扉へと押し付けたのだ。後頭部に強い衝撃が走った。何が起きたのかわからない。息苦しさに困惑しながら、間近に迫る氷じみた男の麗容を縋るように見上げる。

「ジス……ラ……」

 恐怖にわななく朱唇が、荒々しく塞がれた。何度も何度も、強張り閉ざされたそこを解そうとするように啄まれる。食まれている、という表現の方が正しいかもしれない、そんな口づけだった。

「ん……えっ……」

 思わず薄く開いた唇の合わせ目を、今度は深く覆われた。かさついた表面ではなく、内側の粘膜まで触れ合う。無遠慮に幾度となく貪られたあと、入り込んできた薄い舌が歯列をなぞる。上顎を擦り、委縮した舌を絡めとろうとしてくる。

「ふ……う、んっ……」

 呼吸がうまくできない。頭がふわふわしている。口の端を、どちらのものともわからない唾液が伝い落ちる感触。今、何をされているのだろう。ジスランの閉ざされた瞼を縁取る、睫毛がひどく長いことだけはわかる。
 幸せ過ぎてとろけてしまいそうだ――それが、マリアンナが初めての接吻に抱いた感情だった。
 マリアンナは混乱しつつも目を閉ざした。ひどく手荒なことをされているのに、これがジスランの望みならば構わないと思った。おずおずと舌を差し出すと、待ちわびたように舐めて吸い上げられる。甘やかされているような、虐められているような乱暴さに背筋がぞくぞくする。求められている、それだけは確かな事実で、四肢に電流のように歓喜と快感が迸った。

 ――ああ、私、こんなにもジスラン様のことを……。
 けれど、夢はいつかは醒めてしまうものだ。

「……マリー……?」

 口づけを止めたジスランが、身を離すなり掠れた声でそう呟いた。意外そうな顔に、冷や水を浴びせかけられたような気分だった。きっと彼が求めているのは自分ではない。本当のマリーの方であるのだと。
 彼は、理性を失い、愛する本物のマリーとマリアンナの区別がついていないのだと。

「……はい」

 それでも構わないと、マリアンナは微笑さえ浮かべて応えた。極力、余計なことは口にしないように。マリーがジスランを何と呼び、どのような口調で話すのかを知らなかったから。

「あ、……ああ、マリー……、マリー……」

 喉元を縛める力が途端に緩み、その両手がマリアンナの頬を優しく包みこんだ。
譫言のように愛しい人の名を囁くジスランの表情には、うっとりと恍惚が浮かんでいる。こみ上げる劣情を隠そうともしない切なげな眼差しでマリアンナを見つめ、さらに距離を詰めてくる。
 薄手の夜着に覆われた太腿に、固いものが押し付けられてはっとした。わからないはずがない。ジスランの昂りだ。
 身代わりでも構わない。正気でなくとも構わない。そんな浅ましい覚悟が、マリアンナの中で芽生える。

「は、ぁ……はあ、マリー……なんと清らかな……! マリー……!」
「ひゃ……ぁ……」

 肩口に鼻先を埋め、ジスランは囁き続ける。吐息が荒い。欲情しきった男の獣じみた呼吸に、全身の体温が上昇していくのがわかった。たまに軽く歯を立てては、慰撫するようにそこを執拗に舐めた。押し寄せる快感と羞恥、そしてジスランの匂いに頭がどうにかなってしまいそうだった。

 訳も分からぬまま目の前の逞しい男の背中に手を回すと、突然身体が宙に浮きあがった。ジスランに抱きかかえられたのだ。今度は、下ろして、なんて懇願する間もなかった。気づいた時には寝台へと放り投げられていた。ぼふん、と体が沈み込む衝撃から間もなく、ジスランがゆっくりとのしかかってくる。獲物に狙いを定めた獣のような、しなやかさの中に獰猛さを秘めた所作に、もう逃げられないことを悟る。
 冷ややかな指先が夜着をめくりあげ、割り開いた太腿を撫でさする。そのまま再び唇を塞がれながら、内股を宥めるようになぞる快感が腰へと這い上がった。

「ま、待って、ジスランさ、ま……」

 胸元の真珠のボタンは、もう片方の手で乱暴に引きちぎられてしまう。肩に引っかかっていた薄布をずり下げられると、痛々しい傷跡の走る柔肌が露わになる。

「やっ……ぁ、あ!」

 ジスランは、鎖骨の下に走るその紅いなだらかな曲線を舌先でなぞり始めた。柔らかに弧を描く乳房の上部から、脇にかけて、あるいは肩から二の腕に走るそれを、ひとつひとつ、まるで生々しい傷口の血を舐めとるように愛撫していく。既に塞がり引き攣れたところはほとんど感覚がないにも関わらず、触れられたところからかあっと熱を帯びた。

 その舌先が、やっとその存在に気が付いたとでもいうように、右の、赤く膨らんだ胸の飾りをねぶった。熱くぬめる口内に含まれ、押しつぶされながらきつく吸われると腰が浮いてしまう。腰の奥がどうしようもないほどもどかしかった。
もう片方を指の先で捏ねまわして、根元から持ち上げるようにぐにぐにと揉みしだかれた。普段は衣装に隠されたその丸みは、男の手にも余るほどに大ぶりで弾力があることを、これまで誰にも知られてこなかった。一見するとその柔らかさを楽しむような動きが執拗なまでに官能的で、いつの間にかマリアンナ自身も息を乱していた。

「っ、ぁ、ひ、いた……!」

 乳暈にゅううんをぐっと奥へ押し込まれる痛みがこんなにも興奮を煽るだなんて、知りたくはなかった。
 惑乱しつつも、ジスランを止めることはできない。脇腹に入る植物の根のような傷跡をなめながら、もどかしげに太腿を撫でまわしていた手がその付け根の方へ潜り込んでくる。下着越しに秘裂をなぞられただけで、その疼くような快感に引き攣れた声が漏れた。それが拒絶ではなく、むしろ狂喜じみたものだと気取ったのだろう、骨ばった指が直に敏感な粘膜を擦り上げた。びくん、と浮いた右足が跳ねる。そこの濡れ具合を確かめるように動いた指が、茂みをかき分けた奥へ突き入れられる。

「あ、あっ……や、いやっ……」

 異物感に惑乱しながら、なだめるように口づけてくるジスランの肩へ腕を回した。嫌だという台詞が本心ではないことを伝えたくて、必死に唇を重ね合わせる。マリアンナが溢れさせた蜜をかき混ぜる水音とともに、覚えさせられたばかりの快感が全身を駆け抜けていく。自分がどうしようもなく淫らな女に思えた。恥ずかしくてたまらないのに、想いに反して自然と腰が揺れてしまう。

 今、自分は初めて心の底から愛した男と肌を重ねている。こんな悦びがあるだろうか、完全無欠の竜騎士様は、古代の英雄は――いや、ジスランは、今この瞬間だけであろうとマリアンナただ一人のもの。

「んんっ……そんな、っ、ぁあぁっ……!」

 中をかき乱されながら、その秘壺の上部でぷくりと膨らんだ肉芽を苛め抜かれると、想像を絶するような快感の波が弾ける。目の前が白んだ。訳も分からぬまま肢体が痙攣してしまう。その余韻に呼吸を喘がせるマリアンナを、うっとりとジスランが見下ろしている。

「嫌? こんなにここを濡らして喜んでおきながら? 今、私に触れられて達してしまったな? ああ、よがる姿までそそられる……なんて美しいんだ、マリー……」
「っ、ぁ……」

 独り言ちたジスランの手がマリアンナの下着にかかる。それをずらす動きに合わせて足を折り、取り去りやすいよう自ら腰を浮かせた。まだ朦朧としているジスランがその痴態に気づかないことが唯一、幸いと言えた。

 ふと、ちらりと視線を下ろして、引き攣れた声が出そうになった。自身の下衣をずらしたジスランの手元で濡れそぼり、仄光をてらてらと跳ね返す雄茎の生々しさに言葉を忘れた。ごくりと生唾を呑む。清廉を絵にかいたような繊細な美貌の持ち主が、こんなに勇ましく淫らなものを隠していただなんて想像も出来なかった。

 あれが本当に自分の中におさまるのか。指とは比べ物にならないほど太くて固いものが。
 未知の高揚感に慄くマリアンナにそういう獣のようにのしかかると、ジスランは反り立つそれを気だるい余韻の残る秘部へあてがう。
「ひっ、ぁ、ジスランさまっ……」
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