29 / 36
3
#28 元暗殺者の休日が、推し活に侵食され始めた件
しおりを挟む
休日の朝。
目が覚めると、いつもより遅い時間だった。
時計を見ると午前9時を回っている。
組織にいた頃には考えられない時間だ。あの頃は夜明け前に叩き起こされることも多かった。
任務の準備、体力訓練、武器の手入れ――24時間が常に緊張と共にあった。
だが今は、ただの高校生。寝坊したところで命の危険はない。
俺は起き上がって、リビングに向かった。
休みの日はいつも昼まで寝ている天音が、珍しく先に起きてソファでスマホを見ていた。
画面には見覚えのある緑色の衣装を着たアイドルが映っている。
「あ、お兄ちゃん、お寝坊さんだ」
天音がにやにやと笑いながら顔を上げる。
「珍しいー。お兄ちゃんがこんな時間まで寝てるなんて」
「そうね。お兄ちゃん、疲れてるの?」
母が心配そうに声をかけてきた。
キッチンからコーヒーの香りが漂ってくる。いつもの朝の光景だ。
「別に」
「文化祭の準備?」
「……そう」
体力的には問題ない。暗殺者時代に培った体力は、高校生活程度の活動では消耗しない。
夜通し走り続けることも、何日も眠らずに標的を追い続けることもできた。
だが――ニコニコしながらクラスメイトと話すこと、相手の機嫌を損ねないように言葉を選ぶこと、適度に笑顔を作って場を和ませること。
それが、想像以上に大変だった。
人を殺すための技術は学んだが、人と仲良くするための技術は学んでいない。
「お兄ちゃんのクラスも大変なんだねー間に合いそう?」
「多分」
「ふーん、まぁ無理しないでね」
天音はそう言って、またスマホに目を戻した。
画面を覗き込むと、Re⭐︎LuMiNaの公式サイトが表示されている。
俺が見ていることに気づいて、天音はスマホを俺に見せた。
「Re⭐︎LuMiNa、今日、ミニライブとお話会があるんだよ!」
「そうか」
「お兄ちゃんも来る?」
「……行く」
少し悩んで答えた。
アイドルのライブが見たいという気分ではない。
しかし、ひまりは文化祭で接客班になって、いつもと違う系統の生徒と朝も昼休みも放課後も準備をして、うまく付き合えている。
それなのに、休日にはライブに出演してファンサービスまでしている。
俺とは桁違いの体力に尊敬してしまい、見学に行くつもりだった。
天音は俺の答えを聞いて目を丸くした。
「本当?!絶対行かないって言うと思ったのに!」
「そしたらどうするつもりだったんだ?」
「無理やり引っ張って連れてくつもりだったよ!」
既に外出する準備ができている天音は、ソファから立ち上がる。
「うちの家族はみんなRe⭐︎LuMiNaに協力的だねー」
天音がそう言って嬉しそうに続けた。
「お母さん経由で、お父さんにもお願いしたんだよ」
「……何を」
「Re⭐︎LuMiNaのひまりちゃんに毎日投票してください!って」
「……は?」
「お父さん、ちゃんと毎日投票してくれてるって。お母さんが言ってた」
鴉が、ひまりに投票している。
暗殺者だった男が、地下アイドルに投票している。
その光景を想像して、俺は頭が痛くなった。
あの男が、スマホを片手に10代のアイドルのアイコンをタップしている姿。
考えるだけで現実感がない。
「お父さん、優しいよね」
「……優しいんじゃない。天音に頼まれて断れないだけだ」
「でも、ちゃんとやってくれてる。だから、お兄ちゃんも応援しようよ」
天音がまた俺の腕を引っ張る。
「……わかってる」
俺は仕方なく頷いた。
ーーー
Re⭐︎LuMiNaのミニライブ会場に到着すると、既に多くのファンが集まっていた。
会場はビルの一角にある屋内のイベントスペースで、天井が高く、吹き抜けになっている。
周囲はすでに人でいっぱいで、天音と俺は吹き抜けの2階から会場を見下ろした。
「ライブはちょっと遠いけど、あとでお話会あるから安心してね!」
「……ああ」
特に不安にもなっていなかった俺は、天音の横に並んだ。
2階、3階もファンで埋まっていて、周囲のファンたちが開演を待ちわびている。
皆、ペンライトを持ち、既に推しメンバーのカラーに合わせて色を変えていた。
『それでは、Re⭐︎LuMiNaのミニライブを始めます!』
司会者がそう言うと、周囲から歓声が上がる。
ペンライトが一斉に振られ、一瞬薄暗くなった会場が光に包まれた。
そして、ステージにメンバーが次々と現れる。
まずはセンターのきらり。赤い衣装が照明に映えて、圧倒的な存在感を放っている。
次に麗奈、ゆめ、RIN、そして最後にひまり――。
5人が揃うと、音楽が流れ始めた。
ひまりのパフォーマンスは、以前と明らかに違っていた。
動きに無駄がない。視線の使い方、体の角度、手の動き、すべてが計算されている。
以前のひまりは、どこか自信なさげで、動きも小さかった。
だが今は違う。ステージ上で堂々と踊り、観客の視線を集めている。
「ひまりちゃん、すっごい上手になってる!ひまりー!」
天音が名前を呼ぶと、ひまりがステージから2階を見上げた。
一瞬、俺と目が合う。
かなり距離があったのに、視線の動きで俺に気づいたことがわかった。
ひまりは表情を変えずに、俺から視線を外して何事もなかったかのようにダンスを続けている。
さすが、プロだ。
だが、振り付けで客席に背を向けた瞬間、ひまりの表情が崩れた。
アイドル用の完璧な笑顔ではなく、本心の笑顔が堪え切れずににじみ出ている。
(表情管理が甘い……)
そう思ったが、同級生が来たらやりづらい気持ちはわかる。むしろ、よく我慢している方だ。
3曲のライブが終わると、きらりがマイクを持って前に出た。
『ありがとうございました!みんな、楽しんでくれた?』
ひまりがマイクを客席に向けると、それに応えるように歓声が上がる。
『ありがとう!それでは最後に、お知らせです!』
以前のインスタライブと同じように、きらりがスタッフから差し出されたスケッチブックを受け取る。
メンバーも内容を知らないようで、きらりがページをめくるのを少し緊張した顔で待っている。
『なんとぉ……来週、人気投票の中間発表があります!』
会場がざわめく。
『みんなの応援が、私たちの力になります!ぜひ、最後まで応援よろしくお願いします!』
(中間発表、か……)
俺は、少し不安になった。
ひまりは前にメンバーとうまくいっていないということをひまりが言っていた。
今まで最下位のメンバーが上がれば、他のメンバーからの嫉妬が始まるだろう。
最下位のままだと、ひまりが傷つく。
どちらにしても、良い結果にはならない気がした。
『それではぁーRe⭐︎LuMiNaでしたー!!みんな、ありがとうー!』
きらりの挨拶でメンバーがお辞儀をして、ミニライブは無事に終了した。
ーー
ライブ後、しばらく物販の時間を挟んでお話会というイベントが始まる。
会場内に5つのブースが設置され、それぞれのブースにメンバーの名前とカラーが書かれた看板が立っている。
CDを購入すると、メンバーの一人と一対一で話すことができる。
そして、CDの枚数によって会話だけでなく、チェキを撮ったりサインをもらったりすることもできるらしい。
「お兄ちゃん、今売ってるCD、人気投票で5投票分になる券が付いてるんだよ!絶対買わないと!」
消費意欲を煽るのが上手いと思いつつ、俺はひまりに引きずられて物販の列に並び、CDを1枚買ってしまった。
既に天音の部屋に同じCDが何枚かあるのを見た気がする。
俺はCDを聴かないから、これは母親に頼んで鴉に送ってもらおう。
「お兄ちゃん!これでメンバーと話せるんだよ!時間が限られてるから、言うことは事前に考えておいた方がいいよ」
「これは、誰と話しても投票には関係ないんだよな」
「え……うん。人気投票の票にはならないけど。当然、推しのところに行くよね」
俺は、各メンバーのブースを見た。
きらりのブースには、長い行列ができている。どんどん伸びていって、このままだと100人を超えるだろう。
麗奈とゆめのブースもきらりほどではないが、それなりに並んでいる。
ひまりのブースは中くらい。20人ほどが列を作っている。
そして、RINのブースはかなり空いている。5、6人しか並んでいない。
「RINにする」
「え!?RINちゃん?」
天音が驚いた声を出す。そして、周囲に聞こえないようにこっそりと俺の耳にささやいた。
「RINちゃん、かなり塩対応だよ!お兄ちゃんのような初心者にはレベル高いと思うけど」
「構わない」
「まあ、そこがハマるかもね!私はひまりちゃんに並ぶ!お兄ちゃんの感想、後で教えてね!」
天音はそう言って、ひまりのブースに向かって行った。
残された俺は、RINのブースに向かう。
別に誰でもよかったが、俺と目が合っただけであんなににやけて素を出していたひまりだ。
俺と話をした後にも他のファンの対応があるのに、気持ちの切り替えができないかもしれない。
そして、RINはひまりが人気投票で競うメンバーの一人。
敵のことを知っておけば、俺もそれなりの作戦が立てられるだろう。
列はすぐに進み、数分で俺の番が来た。
衝立で周囲と気持ちだけ仕切られたブースの中に入ると、RINが立っていた。
黄色のリボンをつけた小柄な少女。
おそらく可愛い部類に入る顔だが、無表情でこちらを見ている。
「……」
RINは何も言わず、ただじっと俺を見つめている。
「はじめまして」
根負けして俺が挨拶すると、RINは小さく頷いた。
「……はじめまして」
その声は、感情が感じられない。機械的で淡々としている。
これが塩対応というやつか。
「……」
「……」
会話が一切ない。
俺の前に並んでいたファンは、切腹でもするのかという気合いを入れてブースの中に入っていって何事かと思っていた。
しかし、この緊張感では無理もない。
俺は、RINの目を見た。
何かを隠している目だ。
表面上は無表情だが、目の奥に何かがある。
(この子は……普通じゃない)
一般人とは明らかに違う。
まるで、常に周囲のすべてを警戒しているような、特殊な訓練を受けた人間の雰囲気を纏っている。
RINも、俺の目を見ている。そして、その瞳がわずかに揺れた。
「……あなた」
RINが、小さく呟いた。
俺は黙って答えを待つ。
「調子に乗らないで」
明らかに敵意が込められた言い方だ。
だが、俺は何も思い当たる節がない。怒りよりも先に困惑してしまった。
「はい、時間です!」
横にいたスタッフが大きな声を出す。
それは、俺を追い出そうとするよりも、RINの奇行を止めるためのようだった。
「……」
スタッフに押されるようにしてブースを出る。
調子に乗るな、と言われた。
初対面のアイドルに。CD購入特典のお話会で。
意味がわからなくて、頭に疑問符しか浮かばない。
「お兄ちゃん、どうだった?!」
しばらくして、ひまりとのお話し会を終えた天音が、立ち竦んでいる俺に駆け寄ってきた。
「ちゃんと話せた?RINちゃん、塩対応だったでしょ」
「塩というか、デスソースって感じだった」
「何それ?」
「RINは、ファンが嫌いなのか」
「えー?そんなことないよ!ちょっと無表情で不愛想なだけ!お兄ちゃんがRINちゃんを怒らせるようなこと言ったんじゃないの?」
俺は少し考えた。
「初めまして」という挨拶が気に食わなかったのかもしれない。
しかし、一応アイドルが、ファンにあんなことを言うとは予想もしていなかった。
俺は自分がコミュニケーション能力が低いと認識していた。
しかし、RINがあれでアイドルをやれていることを考えると、俺のコミュニケーション能力は世間一般で見ると上位の方なのかもしれない。
「あたしは、ひまりちゃんと話せたけどなー。家族全員で毎日投票して応援してます!って言えた」
「そうか」
「ひまりちゃん、すごく頑張ってるって!毎日練習してるんだって!」
「ああ」
「あとね、お兄ちゃんが来てくれて嬉しかったって!でも、なんで一緒に並ばなかったの?って聞かれちゃった」
「……」
見られていたか。
ひまりに何と説明しようか考えて、少し気が重くなる。
「ねえ、お兄ちゃん!ひまりちゃん、きっと中間発表で順位上がるよ!頑張るって言ってたもん!」
「そうだな」
「やっぱり現場は最高だね!推しと直接話せるもん!」
「俺も、RINと話して、俺は自分が思っているよりもダメな奴じゃないって気づけた」
「えぇ?!何?!RINちゃんと、そんな感動的な話してたの!?」
「ある意味、感動した」
「もー!兎山家は一家でひまり推しなんだから!!人気投票が終わるまでは推し変ガマンしてよー!」
天音が俺の腕を引っ張って言った。
「さ!お兄ちゃんが自分から来てくれたし、ひまりとも話せたし!このままケーキでも食べに行こう!」
天音が元気に言って駆け出して行く。
俺はRINと話したせいで生まれた根拠のない自信と疑問を一旦全て忘れて、天音を追い駆けた。
目が覚めると、いつもより遅い時間だった。
時計を見ると午前9時を回っている。
組織にいた頃には考えられない時間だ。あの頃は夜明け前に叩き起こされることも多かった。
任務の準備、体力訓練、武器の手入れ――24時間が常に緊張と共にあった。
だが今は、ただの高校生。寝坊したところで命の危険はない。
俺は起き上がって、リビングに向かった。
休みの日はいつも昼まで寝ている天音が、珍しく先に起きてソファでスマホを見ていた。
画面には見覚えのある緑色の衣装を着たアイドルが映っている。
「あ、お兄ちゃん、お寝坊さんだ」
天音がにやにやと笑いながら顔を上げる。
「珍しいー。お兄ちゃんがこんな時間まで寝てるなんて」
「そうね。お兄ちゃん、疲れてるの?」
母が心配そうに声をかけてきた。
キッチンからコーヒーの香りが漂ってくる。いつもの朝の光景だ。
「別に」
「文化祭の準備?」
「……そう」
体力的には問題ない。暗殺者時代に培った体力は、高校生活程度の活動では消耗しない。
夜通し走り続けることも、何日も眠らずに標的を追い続けることもできた。
だが――ニコニコしながらクラスメイトと話すこと、相手の機嫌を損ねないように言葉を選ぶこと、適度に笑顔を作って場を和ませること。
それが、想像以上に大変だった。
人を殺すための技術は学んだが、人と仲良くするための技術は学んでいない。
「お兄ちゃんのクラスも大変なんだねー間に合いそう?」
「多分」
「ふーん、まぁ無理しないでね」
天音はそう言って、またスマホに目を戻した。
画面を覗き込むと、Re⭐︎LuMiNaの公式サイトが表示されている。
俺が見ていることに気づいて、天音はスマホを俺に見せた。
「Re⭐︎LuMiNa、今日、ミニライブとお話会があるんだよ!」
「そうか」
「お兄ちゃんも来る?」
「……行く」
少し悩んで答えた。
アイドルのライブが見たいという気分ではない。
しかし、ひまりは文化祭で接客班になって、いつもと違う系統の生徒と朝も昼休みも放課後も準備をして、うまく付き合えている。
それなのに、休日にはライブに出演してファンサービスまでしている。
俺とは桁違いの体力に尊敬してしまい、見学に行くつもりだった。
天音は俺の答えを聞いて目を丸くした。
「本当?!絶対行かないって言うと思ったのに!」
「そしたらどうするつもりだったんだ?」
「無理やり引っ張って連れてくつもりだったよ!」
既に外出する準備ができている天音は、ソファから立ち上がる。
「うちの家族はみんなRe⭐︎LuMiNaに協力的だねー」
天音がそう言って嬉しそうに続けた。
「お母さん経由で、お父さんにもお願いしたんだよ」
「……何を」
「Re⭐︎LuMiNaのひまりちゃんに毎日投票してください!って」
「……は?」
「お父さん、ちゃんと毎日投票してくれてるって。お母さんが言ってた」
鴉が、ひまりに投票している。
暗殺者だった男が、地下アイドルに投票している。
その光景を想像して、俺は頭が痛くなった。
あの男が、スマホを片手に10代のアイドルのアイコンをタップしている姿。
考えるだけで現実感がない。
「お父さん、優しいよね」
「……優しいんじゃない。天音に頼まれて断れないだけだ」
「でも、ちゃんとやってくれてる。だから、お兄ちゃんも応援しようよ」
天音がまた俺の腕を引っ張る。
「……わかってる」
俺は仕方なく頷いた。
ーーー
Re⭐︎LuMiNaのミニライブ会場に到着すると、既に多くのファンが集まっていた。
会場はビルの一角にある屋内のイベントスペースで、天井が高く、吹き抜けになっている。
周囲はすでに人でいっぱいで、天音と俺は吹き抜けの2階から会場を見下ろした。
「ライブはちょっと遠いけど、あとでお話会あるから安心してね!」
「……ああ」
特に不安にもなっていなかった俺は、天音の横に並んだ。
2階、3階もファンで埋まっていて、周囲のファンたちが開演を待ちわびている。
皆、ペンライトを持ち、既に推しメンバーのカラーに合わせて色を変えていた。
『それでは、Re⭐︎LuMiNaのミニライブを始めます!』
司会者がそう言うと、周囲から歓声が上がる。
ペンライトが一斉に振られ、一瞬薄暗くなった会場が光に包まれた。
そして、ステージにメンバーが次々と現れる。
まずはセンターのきらり。赤い衣装が照明に映えて、圧倒的な存在感を放っている。
次に麗奈、ゆめ、RIN、そして最後にひまり――。
5人が揃うと、音楽が流れ始めた。
ひまりのパフォーマンスは、以前と明らかに違っていた。
動きに無駄がない。視線の使い方、体の角度、手の動き、すべてが計算されている。
以前のひまりは、どこか自信なさげで、動きも小さかった。
だが今は違う。ステージ上で堂々と踊り、観客の視線を集めている。
「ひまりちゃん、すっごい上手になってる!ひまりー!」
天音が名前を呼ぶと、ひまりがステージから2階を見上げた。
一瞬、俺と目が合う。
かなり距離があったのに、視線の動きで俺に気づいたことがわかった。
ひまりは表情を変えずに、俺から視線を外して何事もなかったかのようにダンスを続けている。
さすが、プロだ。
だが、振り付けで客席に背を向けた瞬間、ひまりの表情が崩れた。
アイドル用の完璧な笑顔ではなく、本心の笑顔が堪え切れずににじみ出ている。
(表情管理が甘い……)
そう思ったが、同級生が来たらやりづらい気持ちはわかる。むしろ、よく我慢している方だ。
3曲のライブが終わると、きらりがマイクを持って前に出た。
『ありがとうございました!みんな、楽しんでくれた?』
ひまりがマイクを客席に向けると、それに応えるように歓声が上がる。
『ありがとう!それでは最後に、お知らせです!』
以前のインスタライブと同じように、きらりがスタッフから差し出されたスケッチブックを受け取る。
メンバーも内容を知らないようで、きらりがページをめくるのを少し緊張した顔で待っている。
『なんとぉ……来週、人気投票の中間発表があります!』
会場がざわめく。
『みんなの応援が、私たちの力になります!ぜひ、最後まで応援よろしくお願いします!』
(中間発表、か……)
俺は、少し不安になった。
ひまりは前にメンバーとうまくいっていないということをひまりが言っていた。
今まで最下位のメンバーが上がれば、他のメンバーからの嫉妬が始まるだろう。
最下位のままだと、ひまりが傷つく。
どちらにしても、良い結果にはならない気がした。
『それではぁーRe⭐︎LuMiNaでしたー!!みんな、ありがとうー!』
きらりの挨拶でメンバーがお辞儀をして、ミニライブは無事に終了した。
ーー
ライブ後、しばらく物販の時間を挟んでお話会というイベントが始まる。
会場内に5つのブースが設置され、それぞれのブースにメンバーの名前とカラーが書かれた看板が立っている。
CDを購入すると、メンバーの一人と一対一で話すことができる。
そして、CDの枚数によって会話だけでなく、チェキを撮ったりサインをもらったりすることもできるらしい。
「お兄ちゃん、今売ってるCD、人気投票で5投票分になる券が付いてるんだよ!絶対買わないと!」
消費意欲を煽るのが上手いと思いつつ、俺はひまりに引きずられて物販の列に並び、CDを1枚買ってしまった。
既に天音の部屋に同じCDが何枚かあるのを見た気がする。
俺はCDを聴かないから、これは母親に頼んで鴉に送ってもらおう。
「お兄ちゃん!これでメンバーと話せるんだよ!時間が限られてるから、言うことは事前に考えておいた方がいいよ」
「これは、誰と話しても投票には関係ないんだよな」
「え……うん。人気投票の票にはならないけど。当然、推しのところに行くよね」
俺は、各メンバーのブースを見た。
きらりのブースには、長い行列ができている。どんどん伸びていって、このままだと100人を超えるだろう。
麗奈とゆめのブースもきらりほどではないが、それなりに並んでいる。
ひまりのブースは中くらい。20人ほどが列を作っている。
そして、RINのブースはかなり空いている。5、6人しか並んでいない。
「RINにする」
「え!?RINちゃん?」
天音が驚いた声を出す。そして、周囲に聞こえないようにこっそりと俺の耳にささやいた。
「RINちゃん、かなり塩対応だよ!お兄ちゃんのような初心者にはレベル高いと思うけど」
「構わない」
「まあ、そこがハマるかもね!私はひまりちゃんに並ぶ!お兄ちゃんの感想、後で教えてね!」
天音はそう言って、ひまりのブースに向かって行った。
残された俺は、RINのブースに向かう。
別に誰でもよかったが、俺と目が合っただけであんなににやけて素を出していたひまりだ。
俺と話をした後にも他のファンの対応があるのに、気持ちの切り替えができないかもしれない。
そして、RINはひまりが人気投票で競うメンバーの一人。
敵のことを知っておけば、俺もそれなりの作戦が立てられるだろう。
列はすぐに進み、数分で俺の番が来た。
衝立で周囲と気持ちだけ仕切られたブースの中に入ると、RINが立っていた。
黄色のリボンをつけた小柄な少女。
おそらく可愛い部類に入る顔だが、無表情でこちらを見ている。
「……」
RINは何も言わず、ただじっと俺を見つめている。
「はじめまして」
根負けして俺が挨拶すると、RINは小さく頷いた。
「……はじめまして」
その声は、感情が感じられない。機械的で淡々としている。
これが塩対応というやつか。
「……」
「……」
会話が一切ない。
俺の前に並んでいたファンは、切腹でもするのかという気合いを入れてブースの中に入っていって何事かと思っていた。
しかし、この緊張感では無理もない。
俺は、RINの目を見た。
何かを隠している目だ。
表面上は無表情だが、目の奥に何かがある。
(この子は……普通じゃない)
一般人とは明らかに違う。
まるで、常に周囲のすべてを警戒しているような、特殊な訓練を受けた人間の雰囲気を纏っている。
RINも、俺の目を見ている。そして、その瞳がわずかに揺れた。
「……あなた」
RINが、小さく呟いた。
俺は黙って答えを待つ。
「調子に乗らないで」
明らかに敵意が込められた言い方だ。
だが、俺は何も思い当たる節がない。怒りよりも先に困惑してしまった。
「はい、時間です!」
横にいたスタッフが大きな声を出す。
それは、俺を追い出そうとするよりも、RINの奇行を止めるためのようだった。
「……」
スタッフに押されるようにしてブースを出る。
調子に乗るな、と言われた。
初対面のアイドルに。CD購入特典のお話会で。
意味がわからなくて、頭に疑問符しか浮かばない。
「お兄ちゃん、どうだった?!」
しばらくして、ひまりとのお話し会を終えた天音が、立ち竦んでいる俺に駆け寄ってきた。
「ちゃんと話せた?RINちゃん、塩対応だったでしょ」
「塩というか、デスソースって感じだった」
「何それ?」
「RINは、ファンが嫌いなのか」
「えー?そんなことないよ!ちょっと無表情で不愛想なだけ!お兄ちゃんがRINちゃんを怒らせるようなこと言ったんじゃないの?」
俺は少し考えた。
「初めまして」という挨拶が気に食わなかったのかもしれない。
しかし、一応アイドルが、ファンにあんなことを言うとは予想もしていなかった。
俺は自分がコミュニケーション能力が低いと認識していた。
しかし、RINがあれでアイドルをやれていることを考えると、俺のコミュニケーション能力は世間一般で見ると上位の方なのかもしれない。
「あたしは、ひまりちゃんと話せたけどなー。家族全員で毎日投票して応援してます!って言えた」
「そうか」
「ひまりちゃん、すごく頑張ってるって!毎日練習してるんだって!」
「ああ」
「あとね、お兄ちゃんが来てくれて嬉しかったって!でも、なんで一緒に並ばなかったの?って聞かれちゃった」
「……」
見られていたか。
ひまりに何と説明しようか考えて、少し気が重くなる。
「ねえ、お兄ちゃん!ひまりちゃん、きっと中間発表で順位上がるよ!頑張るって言ってたもん!」
「そうだな」
「やっぱり現場は最高だね!推しと直接話せるもん!」
「俺も、RINと話して、俺は自分が思っているよりもダメな奴じゃないって気づけた」
「えぇ?!何?!RINちゃんと、そんな感動的な話してたの!?」
「ある意味、感動した」
「もー!兎山家は一家でひまり推しなんだから!!人気投票が終わるまでは推し変ガマンしてよー!」
天音が俺の腕を引っ張って言った。
「さ!お兄ちゃんが自分から来てくれたし、ひまりとも話せたし!このままケーキでも食べに行こう!」
天音が元気に言って駆け出して行く。
俺はRINと話したせいで生まれた根拠のない自信と疑問を一旦全て忘れて、天音を追い駆けた。
0
あなたにおすすめの小説
クラスで3番目に可愛い無口なあの子が実は手話で話しているのを俺だけが知っている
夏見ナイ
恋愛
俺のクラスにいる月宮雫は、誰も寄せ付けないクールな美少女。そのミステリアスな雰囲気から『クラスで3番目に可愛い子』と呼ばれているが、いつも一人で、誰とも話さない。
ある放課後、俺は彼女が指先で言葉を紡ぐ――手話で話している姿を目撃してしまう。好奇心から手話を覚えた俺が、勇気を出して話しかけた瞬間、二人だけの秘密の世界が始まった。
無口でクール? とんでもない。本当の彼女は、よく笑い、よく拗ねる、最高に可愛いおしゃべりな女の子だったのだ。
クールな君の本当の姿と甘える仕草は、俺だけが知っている。これは、世界一甘くて尊い、静かな恋の物語。
距離を置きたい女子たちを助けてしまった結果、正体バレして迫られる
歩く魚
恋愛
かつて、命を懸けて誰かを助けた日があった。
だがその記憶は、頭を打った衝撃とともに、綺麗さっぱり失われていた。
それは気にしてない。俺は深入りする気はない。
人間は好きだ。けれど、近づきすぎると嫌いになる。
だがそんな俺に、思いもよらぬ刺客が現れる。
――あの日、俺が助けたのは、できれば関わりたくなかった――距離を置きたい女子たちだったらしい。
10年ぶりに再会した幼馴染と、10年間一緒にいる幼馴染との青春ラブコメ
桜庭かなめ
恋愛
高校生の麻丘涼我には同い年の幼馴染の女の子が2人いる。1人は小学1年の5月末から涼我の隣の家に住み始め、約10年間ずっと一緒にいる穏やかで可愛らしい香川愛実。もう1人は幼稚園の年長組の1年間一緒にいて、卒園直後に引っ越してしまった明るく活発な桐山あおい。涼我は愛実ともあおいとも楽しい思い出をたくさん作ってきた。
あおいとの別れから10年。高校1年の春休みに、あおいが涼我の家の隣に引っ越してくる。涼我はあおいと10年ぶりの再会を果たす。あおいは昔の中性的な雰囲気から、清楚な美少女へと変わっていた。
3人で一緒に遊んだり、学校生活を送ったり、愛実とあおいが涼我のバイト先に来たり。春休みや新年度の日々を通じて、一度離れてしまったあおいとはもちろんのこと、ずっと一緒にいる愛実との距離も縮まっていく。
出会った早さか。それとも、一緒にいる長さか。両隣の家に住む幼馴染2人との温かくて甘いダブルヒロイン学園青春ラブコメディ!
※特別編6が完結しました!(2026.1.21)
※小説家になろう(N9714HQ)とカクヨムでも公開しています。
※お気に入り登録や感想をお待ちしております。
バイト先の先輩ギャルが実はクラスメイトで、しかも推しが一緒だった件
沢田美
恋愛
「きょ、今日からお世話になります。有馬蓮です……!」
高校二年の有馬蓮は、人生初のアルバイトで緊張しっぱなし。
そんな彼の前に現れたのは、銀髪ピアスのギャル系先輩――白瀬紗良だった。
見た目は派手だけど、話してみるとアニメもゲームも好きな“同類”。
意外な共通点から意気投合する二人。
だけどその日の帰り際、店長から知らされたのは――
> 「白瀬さん、今日で最後のシフトなんだよね」
一期一会の出会い。もう会えないと思っていた。
……翌日、学校で再会するまでは。
実は同じクラスの“白瀬さん”だった――!?
オタクな少年とギャルな少女の、距離ゼロから始まる青春ラブコメ。
俺をフッた女子に拉致されて、逃げ場のない同棲生活が始まりました
ちくわ食べます
恋愛
大学のサークル飲み会。
意を決して想いを告げた相手は、学内でも有名な人気女子・一ノ瀬さくら。
しかし返ってきたのは――
「今はちょっと……」という、曖昧な言葉だった。
完全にフラれたと思い込んで落ち込む俺。
その3日後――なぜか自分のアパートに入れなくなっていた。
S級ハッカーの俺がSNSで炎上する完璧ヒロインを助けたら、俺にだけめちゃくちゃ甘えてくる秘密の関係になったんだが…
senko
恋愛
「一緒に、しよ?」完璧ヒロインが俺にだけベタ甘えしてくる。
地味高校生の俺は裏ではS級ハッカー。炎上するクラスの完璧ヒロインを救ったら、秘密のイチャラブ共闘関係が始まってしまった!リアルではただのモブなのに…。
クラスの隅でPCを触るだけが生きがいの陰キャプログラマー、黒瀬和人。
彼にとってクラスの中心で太陽のように笑う完璧ヒロイン・天野光は決して交わることのない別世界の住人だった。
しかしある日、和人は光を襲う匿名の「裏アカウント」を発見してしまう。
悪意に満ちた誹謗中傷で完璧な彼女がひとり涙を流していることを知り彼は決意する。
――正体を隠したまま彼女を救い出す、と。
謎の天才ハッカー『null』として光に接触した和人。
ネットでは唯一頼れる相棒として彼女に甘えられる一方、現実では目も合わせられないただのクラスメイト。
この秘密の二重生活はもどかしくて、だけど最高に甘い。
陰キャ男子と完璧ヒロインの秘密の二重生活ラブコメ、ここに開幕!
クラスで一番人気者の女子が構ってくるのだが、そろそろ僕がコミュ障だとわかってもらいたい
みずがめ
恋愛
学生にとって、席替えはいつだって大イベントである。
それはカースト最下位のぼっちである鈴本克巳も同じことであった。せめて穏やかな学生生活をを求める克巳は陽キャグループに囲まれないようにと願っていた。
願いが届いたのか、克巳は窓際の後ろから二番目の席を獲得する。しかし喜んでいたのも束の間、彼の後ろの席にはクラスで一番の人気者の女子、篠原渚が座っていた。
スクールカーストでの格差がありすぎる二人。席が近いとはいえ、関わることはあまりないのだろうと思われていたのだが、渚の方から克巳にしょっちゅう話しかけてくるのであった。
ぼっち男子×のほほん女子のほのぼのラブコメです。
※あっきコタロウさんのフリーイラストを使用しています。
迷子を助けたら生徒会長の婚約者兼女の子のパパになったけど別れたはずの彼女もなぜか近づいてくる
九戸政景
恋愛
新年に初詣に来た父川冬矢は、迷子になっていた頼母木茉莉を助け、従姉妹の田母神真夏と知り合う。その後、真夏と再会した冬矢は真夏の婚約者兼茉莉の父親になってほしいと頼まれる。
※こちらは、カクヨムやエブリスタでも公開している作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる