石長比売の鏡

花野屋いろは

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8.

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 総務部に樹里の後任が配属された。入社2年目の田中敬吾は、樹里のルーティンワークを引き継ぎ、派遣社員の恩田美音は雑務を受け持つことになった。
 引き継ぎのための打ち合わせを重ねるうちに、樹里は田中が出来る男だと言うことに気がついた。よくこの有能な男を営業が手放したと思った。それに、田中もよく異動に同意したものだ。花形営業職から、裏方の総務部だ。同僚から、「落ちた」と思われているだろうに…。
 総務で使用する多数の申請書の書き方、処理の仕方を自分で作成した手引書を元に説明していく。本来は、グループウェアで申請し承認していく電子認証制だが、偶に、書類で上げてくる社員もいる。その場合、そのまま書類で上げてもいいが、重複申請等を防ぐために総務部が代理で電子申請することもある。様々な場合を想定して処理を進めていく必要がある。樹里にも、後任の田中にも「承認」の権限はないが、閲覧は出来るようになっている。上がってくる書類の内容、添付資料を確認し、不備の有無をチェックし課長に伝える。それを元に課長が承認し上に上げることになっている。
「この申請書とこちらの申請書は、一つにできると思うのよね。それをこれから検討していこうかと思っていたんだけど、異動になっちゃったんで、田中さんに検討してもらえたらなって思うんだけど、どうかしら。」
樹里が恐る恐る切り出してみると、申請フォーマットを見ながら、
「なるほど、確かに一つに出来そうですね。どうして別れているんですか?」
「電子申請制を取るために、グループウェアを導入した際、取りあえず、ある申請書全部作ったみたいなの。制度を導入をする事を先行して、精査する閑がなかったみたいなの。」
「なるほど」
「その後も、言われるがまま、申請書を追加していったみたいで、似たようなものがいっぱいあって、申請する側からしたら、不便で仕方が無いみたいなの。」
「確かに、俺も結構苦労しました。」
「でしょ。申し訳ない。」
樹里が、肩をすくめる。田中は笑った。
「長濱さんのせいじゃないじゃないですか」
「そうはいってもねぇ、わかっていて対応が後手後手になったままだから、しかも、中途半端に人に引き継いでいく訳だし…。」
「真面目ですねぇ。」
「うーん、そうかなぁ。でも、心残りでねぇ。」
「大丈夫です。俺も苦労した事を思い出して、改善に取り組みますから、任せてください。」
「ありがとう。期待してる。それで、申し訳ないけど、各申請の説明を恩田さんに田中さんからしてもらいたいの。恩田さんは、いま備品の在庫チェックをしてもらっていて、まったくこの手の業務について説明はしてないんだ。」
それを聞いて田中は、ちょっと目を見張ったが、納得したように頷いた。
「俺が、恩田さんに業務説明をちゃんと出来た時点で引き継ぎ終了ってことですね。」
「そう、申請書については。」
「わかりました。恩田さんには俺から説明します。その時、同席されますか?」
「ううん、しない。余計なことに口を出しそうだから。二人が打ち合わせスペースにいる間、電話番しているから。」
「了解です。」
田中は、樹里が作成した手引き書をめくりながら頷いた。手引き書は、各申請書毎にあり、なおかつ分類されていた。使用頻度の少ないもの、承認ルート変更の検討の必要があるものなど懸案事項の注釈も入っていた。
「ごめんね。なんか、面倒を押しつけるようなことになってしまって。」
樹里がいうと、
「いえ、そんなことはないです。逆に俺が是を成し遂げれば、主任昇進への足掛かりになりそうでありがたいです。」
「そう言ってもらえると助かる。」
流石、出来る男はわかってると樹里は笑って頷いた。
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