石長比売の鏡

花野屋いろは

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19.

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 土曜日、8時30分、樹里はオフィスに到着した。今日は、
休日出勤のため、カットソー、カーディガン、黒のストレッチ
ジーンズというカジュアルなスタイルだ。更衣室ではなく、
直接自席に向かう。今日は、休日出勤なので、制服には
着替えない。
 樹里の会社は、一般職女性社員には、制服が貸与される。
着用は自由だ。着用率は、80%ぐらい。意外だが、制服を嫌がる
社員は少ない。着用自由、私服が汚れるのを防ぐことができる、
公私の区別を付けられる、というのが主な理由であるようだ。
 席に着くと荷物をおろし、化粧室へ向かう。もともと、メイクは
薄めなので、直す必要はないが、今日は、肩までの髪をまとめ
髪留めでアップにし、その上から埃よけで大ぶりのバンダナを
被った。
化粧室を出ると丁度、柴崎がこちらに向かってくるところだった。

「おはよう。樹里ちゃん。」
「おはようございます。」

挨拶を交わし、自席に戻ると田中も出勤したところで、
朝の挨拶を交わす。化粧室から戻ってきた柴崎と今日の段取り表を
見直していたところに、課長の須崎も出勤してきた。
9時少し前になると、今日作業する業者が到着したと受付から
連絡が入ったので各自受け持ちのフロアに向かった。
 樹里は、まず、企画開発本部のフロアに向かい、移動された
荷物の個数を確認し、その後、営業部のフロア移動した。残された
什器で、倉庫にいくもの、廃棄されるもの、別フロアに移動する
ものの最終確認をし、引き取りに来た業者に渡していく。

 エレベーターホールで、引き渡し作業の立ち会いをしていると
搬送用に指定していないエレベーターが到着し、誰かが降りてきた。

「一条次長?」

降りてきた思いがけない人の姿に樹里は思わず声を掛けた。

「おはよう。」

スーツ姿ではない、私服姿の一条が、柔らかく微笑みながらいった。

「あ、おはようございます。どうされたんですか? 今日は、
立ち会いは、必要ありませんが??」

「進捗表によると、今日、この空いたスペースに荷物が入って、
後、打ち合わせルームが少しできるってきいたんだけど?」

「はい、その予定ですが??」

「それを見たいし、オフィスが開いているなら、残った仕事を
片づけようかと思ってきたんだけど、拙いかな?」

「いえ、拙くはないですが、かなりうるさいですよ。それと、
大丈夫だと思うんですが、床を剥がすので、場合によっては、
ネットワークケーブルを引き直します。その時、装置の電源を
落とす可能性もありますので…。」

「そうか…。」

「あの…。総務部で作業されます?」

「邪魔じゃないかな?」

「いえ、どうせ、みんな各担当のところに出張っていて、フロアは
殆ど誰も居ません。須崎課長の脇にテーブルがありますから、
そこでしたらノートPCと資料が広げられます。」

樹里は、言いながら社内SNSで、課長の須崎にこのやり取りを連絡した。

「それは、助かる。じゃあ、場所借りることにするよ。」

一条は、そういうと自席の引き出しからノートPCを取り出し、
キャビネから資料ファイルを何冊か取り出すと総務部に向かった。
樹里は、了解のメッセージが返るのを確認したところで、作業を再開した。

 10時を少し過ぎた頃、スマホが着信を知らせたので見てみると
須崎から、メッセージが入っていた。

『休憩を取って欲しい、席に戻って』

フロアに戻ると、近くのカフェから届けられた珈琲のポットと
ドーナッツがあった。柴崎が、早く来いと言わんばかりに樹里に
向かって手招きをしている。

「これは、課長が?」

と、樹里が柴崎に聞くと、いいえと首を振って

「あちらの方からです。」

と須崎の席の隣にあるテーブルで作業をしている一条を示した。
一条は、ノートPCの画面と手にしている資料を見比べながら
仕事をしていた。樹里は、お礼を言おうかと思ったが、作業に
集中しているようなので、遠慮することにした。ありがたく、
差し入れをいただくことにする。自分のマグに珈琲をそそぎ、
ドーナツを一つとると自席に向かう。向かいの席では既に田中が
ドーナツにかぶりついていた。

「お疲れ様。」

声を掛けて、樹里も着席する。

「お疲れ様です。」

ドーナツを飲み込むと田中もいった。

「甘いもの大丈夫なんだ?」

と樹里が聞くと、

「スイーツ男子ってほどではないですが、そこそこ好きです。特に
疲れた時は、食いたくなる方ですね。でも、ケーキより、
あんパンやどら焼きがいいな。」

なるほどと樹里が頷く。ふたりは、休憩をとりながら、作業の
進捗を確認した。この後、樹里は、担当の企画開発のフロアに
移動し、田中が営業部フロアに入ることになる。
 その後20分ほど休憩をとった総務部員は、それぞれの
担当域に散っていった。
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