相席中@14日

釜借 イサキ

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@8日目

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いつものように、いつもと同じ場所、いつもと同じくらいの時間帯。

また、新しい一週間が幕を開ける。

夏が本格的になってきて、蝉時雨が風に乗る頃合いの公園のベンチに座り、少年は落ち着かない様子で教科書と風景を交互に見ていた。

『適当にしてりゃあ、いつか自分が本当に意味があると思えることに出会えるさ。』

少年の脳裏を、昨日聞いた老婆の台詞が過る。

「意味があると思えること……か……」

一流のアスリートは、子供の頃からそれを目指しているらしい。

すごい発明をした科学者は、子供の頃からそういうことに興味があったらしい。

そんな夢を叶えたのも、極一部の人間だけ。

そこまで明確な目標を以てしても、日の目を見ない者の方が、この世界には多い。

そんな目標など何も持っていない自分は将来、一体何をしているのだろう。

ただ、そこに学校があるから、行かなければならないから行く。

ただ、義務だから勉強する。

それ以上の学校には、そこに行くのが普通・・だから進学する。

やがて普通・・に就職して、結婚して、やがて年老いるのだろう……少年はそう思っていた。

今更『意味があると思えること』を見つけたところで、意味があるとは思えない。

しかし、本当にそれで良いのか、問い掛けてくる自分もそこにはいる。

今日読んでいるのは、社会の教科書。

そこには、過去に偉業を成し遂げた人物たちの功績が記されている。

「よお、ガキんちょ。」

そろそろ聞き飽きてきた、しかし、何処かで待ち侘びていた老婆の声が聞こえる。

「こんにちは。」

少年が静かに挨拶すると、老婆はどっしりとベンチに腰掛ける。

「こんにちは。今日も暑いねえ。」

そう返すと、老婆はそっと目を閉じる。

ねっとりと纏わりつく熱気の合間を縫って、心地の良い風が少年の頬を撫でる。

少年は教科書を読み続ける。

「……」

いつもならば、とっくの昔に世間話に突入していそうなタイミングだが、今日はなかなかそこに行き着かない。

まだそこまでの時間は経っていないが、少年にとっては、もう随分長い間の沈黙だ。

「……」

隣の様子が気になり、少年が教科書の隙間から隣を覗くと、そこには手際よく編み物をしている老婆がいた。

編み物や裁縫とは無縁そうに見える老婆がそれを編み物をしている、その光景は少年にとって、驚き以外、何物でもない。

「……何だい? 人のことじろじろ見るもんじゃないよ。」

老婆の手元に気をとられていた少年は、唐突に掛けられた声にはっとして顔を上げる。

するとそこには、顰めっ面をした老婆がいた。

「……すみません……。」

ーーあんたも同じようなもんだったろ……

そんなことを口に出せるわけもなく、少年は謝る。

そんな少年に、老婆は一瞬表情を曇らせるが、

「それよりあんた、編みぐるみが好きなのかい?」

直ぐに話題を移す。

「……?」

そんな老婆の問いかけにはっとして老婆の手元に視線を戻すと、そこには何かになりかけている、黄色い毛糸の塊が握られていた。

「……」

まだ、何になるのかは見て取れないが、少なくとも何かの頭と胴体を象っていることは分かる。

「……まあ……」

少年は小っ恥ずかしそうに頭を掻くと、老婆から目を逸らす。

「ほれ」

そう言うと、老婆はあたかも準備していたかの様に、カギと毛糸玉を少年に手渡す。

「……えっ……?」

流れに任せて受け取ってしまったが、少年は戸惑いを隠せない。

「あたしが作り方を教えたげるよ。」

老婆は得意げににっと笑うが、一方で少年は戸惑っている。

「もしかして、勉強の邪魔かい?」

そんな少年の様子を察したのか、老婆は心なしか落ち込んでいる様に見える。

「……いや、そんなことは無いです。」

実際、編みぐるみというものに興味はない。

可愛いものが嫌いな訳では無いが、そんなものを持っていたら学校で何と言われるか分からないし、第一、少年はかなり不器用で、家庭科の成績は壊滅的だ。

けれど、取り立てて勉強することが必要な訳でもない今、暇つぶしには丁度いい。

「じゃあ、まずはね……」

そんな老婆の言葉から、編みぐるみの作成が始まった。

「これがカギ、これは毛糸ね。まずはこう持って……」

老婆は、意外にも丁寧に、編みぐるみの作り方を教えてくれる。

「そうそう、ここにカギを通して……」

少年は、老婆の言葉に従って、懸命に毛糸を編む。

「……むー……」

少年は顔を顰めながらカギを毛糸に通す。

老婆は飄々とそれをこなしていたが、少年にとっては難しい。

「意外と難しいんですね。」

夏の熱気のせいか、はたまた始めてする編み物に対する緊張感のせいか、少年の頬を大粒の汗が伝う。

「そりゃあ初めてだからねえ。」

老婆は目を細めながら、勝ち誇った様に腕を組む。

「初めは誰だって上手くは行かないもんさ。でも、こりゃあ酷いねえ。」

老婆は、少年の手に握られた惨状を見ながら、意地悪く笑う。

少年も、自分の手元に目を遣る。

思う様に動かなかった手の中には、何者にもなれそうにない毛糸の塊が握られている。

「でも大丈夫だよ。不器用でも、不器用なりに頑張ってりゃあ、それなりに形になってくるもんだよ。」

少年は、老婆からの、微妙な励ましとも、慰めとも取れる言葉に、眉根を寄せる。

自分が、人一倍不器用な自覚はある。

勉強はよくできる方だが、それ以外のことは壊滅的にできない。

少年は体育も、美術も、運動も、壊滅的にできない。

それらを簡単にこなせる人のことを、ある種、羨ましく思う。

「努力してあたわないことなんて、この世にいくらでもあるし、努力せずにそれをこなしちまう奴も大勢いる。」

老婆は、手際よく自分の毛糸とカギを手持ちの巾着に仕舞うと、曲がった腰をベンチから浮かせる。

「でもねえ、あんたが器用だと思ってる人間は、あんたが見てないところでは、あんた以上に努力しているかもしれないねえ。」

その言葉が、少年にはより一層大きく響いた。

自分が当たり前のように勉強するように、或いはそれ以上に、少年ができないことをできる人はその努力をしているのか。

少年は、その問いに答えを見出すことが出来ない。

「じゃあ、遅いから、あたしゃもう帰る。あんたも早く帰るんだよ。」

少年が物思いに耽っていると、老婆は颯爽とベンチから離れて行く。

取り残された少年も、何者にもなっていない毛糸とそれを編むためのカギを鞄の中に押し込んで、ベンチから立ち上がる。

釈然としない気持ちを抱えながら、少年は静かに公園を後にする。

薄闇に包まれ、電灯の光に照らされた空っぽの公園は、少年の後ろ姿を静かに見送った。
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