相席中@14日

釜借 イサキ

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@9日目

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いつものように、いつもと同じ場所、いつもと同じくらいの時間帯。

夏が本格的になってきて、木漏れ日が眩しい頃合いの公園のベンチで、少年は、熱心に数学の教科書を読んでいる。

数学は、少年にとっての一番の得意科目だ。

形式に当てはめて、習った通りの公式を組み合わせることさえ出来れば、正答に辿り着く。

体育も、音楽も、美術も、習った通りにすることが、少年には出来ない。

頭では分かっていても、体がそれに付いていかない。

そうするうちに、惨めになった。

頑張って言われた通りにしようとするほど、それは指示からかけ離れていく。

そのうち、頑張ることが無駄に思えてきた。

頑張らずに済むのなら、そちらの方が良いと思うようになった。

この世界に、努力しても出来ないことが溢れているのなら、最初から、そんなことに目を向けなければ良いのだ。

そこそこで良い。

そこそこに生きて、そこそこの学校に行って、そこそこの企業に就職して……大それたことなど望まない。

ただ、普通・・に生きられればそれで良い。

少年は、いつしかそう思うようになっていた。

「よう、ガキんちょ。元気かい?」

伏し目がちに物思いふけっている少年のことを心配したのか、いつもの馴染みとなった声は、少しだけトーンが低い。

「元気です。」

少年は、老婆の方を見て短くそう返すと、直ぐに教科書に目を戻す。

「そうかい。」

老婆はベンチに腰かけると、巾着から、例の鍵と毛糸を取り出す。

勉強している少年に気を遣っているのか、老婆は無言で編みぐるみを編み続ける。

少年は、顔を教科書の方に向けながら、流し目で老婆の手元を見る。

あともう少しで完成しそうな編みぐるみは、手作りとは思えないほど、綺麗に整形されている。

少年は、昨日、自分が作った編みぐるみになりかけてさえいなかったものを思い浮かべる。

「どうしたんだい? 昨日の続きでもやるかい?」

老婆は、少年の視線に気づいたのか、鍵を持った手を止める。

「……別に……」

少年は、老婆から目を逸らすと、教科書に目線を戻そうとした。

その時、少年の目を、老婆の目が捉えた。

「……」

老婆から目を外らせなくなった少年は、静かに老婆を見据える。

「何か言いたいことがあるんじゃないのかい?」

老婆は、いつものふざけた表情を一切見せずに、少年に問い掛ける。

「別に、言いたいことなんて……」

少年は、口ごもる。

自分の意見なんて、きっと自分には無い。

何処かでそう、自分に言い聞かせて生きてきた少年に、その問いは深く突き刺さった。

「昨日から、あんたは私が言ったことに納得がいってないんだろう? ……そんな顔してるよ。」

そう言葉を投げ掛ける老婆の瞳は、少年には澄んで見えた。

それと同時に、その瞳は少年を責めている様にも思った。

「別にあたしゃいいんだ。あんたの言いたいことなんて聞かなきゃ聞かなくていい。ただあんたに説教垂れ流しゃ良いんだからね。」

老婆は一旦少年から視線を外す。

その瞳が、目の前で遊んでいる子供たちを捉えているのか、はたまた何か別のものを見ているのか、少年には測ることが出来ない。

「でも、あんたはそうじゃないんだろう?」

少年は、老婆の目が向いている方に目を向ける。

その先では、子供同士が喧嘩している様子が窺える。

「言葉が出てくる前に一旦自分で飲み込むのは大切な事だよ。言葉ってのは一度出ちまうと引っ込みがつかないからねえ。」

そう言うと、老婆は杖をついてベンチから腰を浮かすと、覚束ない足取りで、杖をつきながら子供たちの方に向かう。

どうやら、子供たちの喧嘩の仲裁に入っているらしい。

子供たちの表情良く良く見てみると、お互いの不平不満を言い合って睨み付け合っていたかと思えば、今度は肩を震わせて笑いだす。

少年は、その光景を眺めながら、もっと幼かった頃のことを思い出す。

あの頃は、自分の言葉を、一度計算してから発するということを知らなかった。

だから、友達とぶつかることも多かった。

けれど、次の日には何だかんだ言って仲直りしていたような気がする。

それが、いつの間にかそうしなく、出来なくなっていった。

そうすれば、人とぶつかることもない。

けれど……

「言いたくても言えなかった言葉ってのは、あんたにとっての毒になっちまう。」

いつの間にか戻ってきていた老婆は、渋い顔をして少年の方を向く。

「毒ってのは飲み過ぎたら死んじまうだろう? 少しなら、それは薬にもなるのかも知れない。でも、それが溜まっちまうと、取り返しのつかない大事になっちまうんだよ」

少年にも、それが正しい事だというのは嫌と言うほど分かる。

しかし、少年にとっても正論であるそれは、しかしながらただの甘い理想論でしかない。

言いたいことがそのまま言えるのならば、誰も苦労なんてしないだろう。

「今日はもう遅いので帰ります。」

ぐるぐると回る思考を一旦遮ると、少年は初めて自分から別れを告げる。

「そうだねえ。そうしようか。」

無理矢理にも思える少年の言葉に、何も言わずに頷くと、老婆は元来た道を辿り出す。

少年は、そのまま老婆の方を見向きもせずに、公園の出口へ走り出す。

いつの間にか振り向いていた老婆は、少年の背中が薄闇の中に溶け込んで行くのを、ただただ見送っていた。
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