相席中@14日

釜借 イサキ

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@10日目

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いつものように、いつもと同じ場所、いつもと同じくらいの時間帯。

照りつける陽射しの熱を、曇り空が和らげてくれている公園のベンチで、少年は、目的も無く国語の教科書を読んでいる。

少年にとって、国語はただの苦手科目でしかない。

何が言いたいのかなどと聞かれても、結局のところ作者にしかその真意は分からない。

少年は、とりわけ小説の読解が嫌いだった。

小説によって語ることができるのは、人間が巡らせる膨大な思考の中の、ほんの一部でしかない。

そんな、ほんの一部、ただ着飾った言葉を纏った赤の他人の心情など、どうして少年に理解出来ようか。

ふと目の前を見ると、昨日喧嘩していた子供たちが仲良く遊んでいる。

何事もなかったかの様に仲良くボールを蹴り合う彼らをみて、少年は安堵からか、はたまた郷愁からか、ため息を漏らす。

「ため息つくと、幸せが逃げちまうよ」

少年の頬を優しく撫でるように吹いた風に乗って、いい加減聞き飽きた老婆の声が聞こえる。

「……こんにちは」

どこか決まりの悪い表情をした少年は、差し障り無く、挨拶を口にする。

「こんにちは」

老婆は少年にそう返し、徐にベンチに腰かけると、これまた見飽きた巾着の中からカギと毛糸を取り出す。

「あの……」

そんな普段と何一つ変わらない様子の老婆に、少年は目配せする。

「何だい?」

そんな少年に見向きもせずに、新しい編みぐるみを編みながら、老婆は少年に聞き返す。

「……」

少年は、無言で俯く。

何を言いたいのか、老婆に何を伝えたいのか、自分でも言葉にできない。

「……」

このベンチだけ、周囲の景色から切り取られてしまったかのように、2人は沈黙に包まれる。

「昔はもっと、言いたいことを何も考えずに言えてたような気がするんです。」

口火を切った少年は、ぽつぽつと呟く。

「嫌なことは嫌、好きなことは好きって。」

老婆は、小さく紡がれる少年の言葉を、遮ることも、茶化すこともなく、ただただ無言で聞いている。

「何でですかねえ……」

少年は、疑問を老婆に投げ掛ける。

けれど老婆は何も答えない。

「じゃあ、あんたは私が一昨日言ったことをどう思ったんだい? きっと、納得はしていないだろう?」

老婆は代わりに聞き返す。

少年は、老婆から目を逸らす。

ちょうど見えた足元には、微動だにしない草が青々と繁っている。

「何て言ったって大丈夫だよ。あたしゃあんたみたいにガキじゃない。自分の意見を否定されたくらいで怒ったりするほど狭い了見は持ってないつもりだよ。」

老婆はまっすぐと少年の方を見る。

思わず、少年も老婆の方に視線を戻す。

深い皺が幾重にも刻まれた老婆の顔は、少年にはとても凛として見えた。

「ただし、嘘吐いたらあんたとは二度と口を聞かない。あたしゃあ嘘吐きが大嫌いなんだ。」

強い語感とは裏腹に、老婆の口調は優しい。

少年は、老婆から再び目を逸らす。

その目は泳いでいる様にも見える。

再び、喧騒の片隅に気まずい沈黙が訪れる。

少年は、震える手を握りしめる。

老婆は、静かに編み物を再開する。

「きれい事だと……そんなの無理だって思いました……」

少年は、肩を震わせながら、老婆に告げる。

茹だるような暑さのせいかかいてしまった汗が、少年の背中を伝う。

「出来るわけ無いじゃないですか。そんなこと……」

少年は、膝の上に乗せた手をぎゅっと握る。

気温の高い外気も相俟って、汗ばんだ掌が熱を帯びている。

ぽつぽつと溢れる少年の感情に、老婆は編み物をする手を止めずに耳を傾ける。

「でも、何で出来ないのかもわからないんです。」

思ったことは口で言ってしまえば良い、ただそれだけの、至極簡単なこと。

しかし、あるときからーー恐らく中学校に上がった頃から、何故か少年にはそれができなくなっていた。

「知らないねえ、そんなこと。」

少年が誰に向けたでもない言葉に、老婆は返事をする。

少年にとってそれは、心無い言葉として胸を抉る凶器にさえ思える。

老婆に対して何かしらの答えを求めた少年にとって、至極残酷な答えだった。

「だって、あたしゃこういう性格だろ? 言いたいことが言えないだなんて、あたしにとっちゃ、あり得ない事なんだ。」

老婆は、編み物をする手をぴたりと止めると、大袈裟に肩を竦めて首を傾げる。

「あたしゃ、あんたみたいに色んな事を考えて無いからねえ。」

老婆は少年の心情にも構わず、豪快に笑う。

「こんな些細なことでさえ、私とあんたの考え方には大きな違いがあるんだ。……あんたの考えを読めって方が無理だろう?」

少年は、そんなあっけらかんとした態度の老婆に、最早何を言う気にもなれない。

自分の意見など、況してや相手の意見を否定するようなことなど、到底言い切ることができない少年にとって、先程紡いだ言葉は全て、勇気の固まりだった。

それを、こんなに軽い、考え方の違いなどという言葉で片付けて欲しくはなかった。

「……も……」

「きっとあんたは賢い子なんだよ」

『もういい』と言い掛けた少年の声に被せる様に、老婆はその言葉の続きを語る。

「だから、賢さと引き換えに自分の言葉を捨てちまったんだろうねえ……」

老婆は、地平線へと落ちて行く太陽を見ながら、目を細める。

少年は、老婆の話を、ただ俯いて聞くだけだ。

「じゃ、いい時間だしあたしゃそろそろ帰るとするよ。……ガキんちょ、早く帰んなよ。」

一呼吸置いてベンチから立ち上がると、老婆はいつもの方向に向かって歩きだす。

少年は、大きなわだかまりを抱えながら、随分と曲がった老婆の背中を恨めしそうに見送った。

すぐそこまで迫ってきた夜闇は、静かに公園を包み込もうとしている。
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