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@11日目
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いつものように、いつもと同じ場所、いつもと同じくらいの時間帯。
今にも泣き出しそうな空の下、少年はただ、何をするでもなくベンチに座っている。
怪しい雲行きの中でも、子供たちは元気よくボール遊びをしている。
『賢さと引き換えに自分の意見を捨てた』
昨日、老婆が言っていた言葉だ。
けれど、少年は頭の中で首を振る。
ただ、環境に順応しただけだと思う。
こうしないと生きて行けないことを、少年は痛いほど学んだのだ。
「おや、冴えない顔してるねえ」
いつもの、聞き馴染んだ声が少年の耳に入る。
分かりきっている、老婆の声だ。
老婆は例のごとく、徐にベンチに腰かけると、編みぐるを編み始める。
昨日よりも完成形に近づいているそれを見て、少年はふと思い出す。
自分にカギと毛糸を渡した老婆の顔は、とても嬉しそうに見えた。
その表情理由は、自分の趣味を分かち合えるか知れない他人に出会えたことからか、それとも何か別の理由があったことからか、それは老婆のみぞ知ることだ。
未だ鞄の中に仕舞ったままのそれらの事を思い、少年はなぜだか罪悪感に駆られる。
「……あの……」
既に編み物に集中しているらしい老婆は、軽く頷くと、そのまま編みぐるみを編む手を止めない。
「折角教えていただいたのに、途中で投げ出してしまってすみません。」
鞄からカギと毛糸を取り出すと、少年は老婆に頭を下げる。
「ん? 何で謝るんだい?」
老婆は編む手を一旦止めて、不思議そうな顔をして少年を見る。
「折角、材料まで貰ったのに……」
申し訳なさそうに自分の手元にある材料を見た少年の目には、実に無惨な、熊の編みぐるみになりかけた何かが映る。
「気にすんなって。いいんだよ別に。」
老婆は、そう微笑むと、自分の手元に視線を戻す。
いつの間にか、完璧なライオンを象っていたそれに、老婆は最後の仕上げだとでも言わんばかりに、目を付ける。
暫し、老婆は緊張した面持ちで、編みぐるみに黒い小さなボタンを縫い付ける。
毛糸に通す針を一つ一つ大切に、丁寧に、作業を進める。
そんな老婆の事を、少年も固唾を呑みながらひたすら見守る。
「ふう……できた……」
最後の針をとおし終わり、ハサミで糸を切ると、精魂が抜けたように老婆は空を見上げる。
「お疲れ様です。」
少年の言葉に、老婆は小さく相槌を打つ。
「人形ってのは、目が命なんだ。」
老婆はそう言うと、手元に持っている編みぐるみを少年の方に差し出す。
「……え?」
突然のことに少年が固まっていると、老婆は少年に、その編みぐるみを握らせる。
「年寄りってのは若いもんに何かあげるのが好きなんだよ。こういうときは、素直に『ありがとうこざいます』って貰っときな。どうせその後のことなんか、ジジババには分かんないんだからねえ。」
少年は、老婆の言葉に少しだけ違和感を感じたが、素直に編みぐるみを受け取る。
「……ありがとうございます。」
少年は、編みぐるみを見つめながら顔を顰める。
何が腑に落ちないのか、少年にもよく分からないのだ。
ふと視線を落として編みぐるみを見てみると、可愛らしい、しかし、どこか強そうなライオンがこちらを見ている。
「画竜点睛って故事、知っているかい?」
唐突に、老婆は少年に問いかける。
少年は静かに頷く。
ある絵師が、竜の絵を描いており、最後、いよいよ目を描き入れると、竜は実物となり、天に向かって飛んで行ったとか。
転じて、物事の大切な最後の仕上げという意味を持っている言葉だ。
丁度、最近国語の授業で習ったばかりだ。
尤も、今時、そんな出鱈目な話を信じる人間が果たしているのか、少年にとっては些か疑問である。
「あたしゃね、ありゃあ、強ち間違ってないんじゃないかと思うんだよ。」
自分が存在を疑っていた考えをする人間が目の前にいてもなお、不思議と少年には驚きがなかった。
「あんた、さっき私が素直に人形受け取れって言った時、なんでそんなこと言うのか分かってなかったろ。」
老婆は、少年の手元にある編みぐるみに視線を遣る。
少年は、自分の考えが老婆にほぼほぼ漏れてしまっていることを自覚しているのか、小さく頷く。
「何で、僕の考えが分かるんですか?」
少年は、自覚しているなりに、その答えを老婆に求める。
「さっきの故事、絵師が最後に書いたのは目だ。目はねえ、大切な物なんだよ……絵でも人形でも人間でも。ほら、よく言うだろ?『目は口ほどに物を言う』って。」
老婆は、少年が手に持っているライオンの頭を撫でる。
その言葉に、少年は妙に合点がいった。
今日も、今までも、全て自分の顔に本音が出てしまっていたのだろう。
いくら言葉で隠しても、表情までは隠し通せない。
「じゃあ……」
「そろそろ帰るとするかねえ……」
あともう1つ、少年が老婆に疑問を投げかけようとすると、老婆の言葉が少年のそれを遮る。
確かに、いつの間にか雲が少しだけ減っていた空は、茜色に染まってしまっている。
「あのっ……」
いつも自分のタイミングで話を打ち切る老婆に腹が立ったのか、それとも、ただもっと老婆と話していたいのか、自分にもよく分からないが、気がつくと、少年は老婆の背中に言葉を投げかけていた。
老婆は振り返ると、少年に向かって首を傾げる。
しかし、少年はその次の言葉を考えていなかった。
「また明日、編みぐるみの編み方、教えて貰えますか?」
しかし、それを悟られるのが癪で、少年は老婆に投げかける。
老婆は、一瞬不意をつかれたような顔をしたが、すぐに悪戯な笑みを浮かべた。
「いいよ。また明日。」
そう言って、老婆はひらひらと手を振ると、踵を返す。
少年は、少しだけ安堵したような表情を見せると、そのまま老婆とは反対側に歩き出す。
茜色も大分薄れ、薄暗くなった公園は、そんな2人の姿をただ、見送っている。
今にも泣き出しそうな空の下、少年はただ、何をするでもなくベンチに座っている。
怪しい雲行きの中でも、子供たちは元気よくボール遊びをしている。
『賢さと引き換えに自分の意見を捨てた』
昨日、老婆が言っていた言葉だ。
けれど、少年は頭の中で首を振る。
ただ、環境に順応しただけだと思う。
こうしないと生きて行けないことを、少年は痛いほど学んだのだ。
「おや、冴えない顔してるねえ」
いつもの、聞き馴染んだ声が少年の耳に入る。
分かりきっている、老婆の声だ。
老婆は例のごとく、徐にベンチに腰かけると、編みぐるを編み始める。
昨日よりも完成形に近づいているそれを見て、少年はふと思い出す。
自分にカギと毛糸を渡した老婆の顔は、とても嬉しそうに見えた。
その表情理由は、自分の趣味を分かち合えるか知れない他人に出会えたことからか、それとも何か別の理由があったことからか、それは老婆のみぞ知ることだ。
未だ鞄の中に仕舞ったままのそれらの事を思い、少年はなぜだか罪悪感に駆られる。
「……あの……」
既に編み物に集中しているらしい老婆は、軽く頷くと、そのまま編みぐるみを編む手を止めない。
「折角教えていただいたのに、途中で投げ出してしまってすみません。」
鞄からカギと毛糸を取り出すと、少年は老婆に頭を下げる。
「ん? 何で謝るんだい?」
老婆は編む手を一旦止めて、不思議そうな顔をして少年を見る。
「折角、材料まで貰ったのに……」
申し訳なさそうに自分の手元にある材料を見た少年の目には、実に無惨な、熊の編みぐるみになりかけた何かが映る。
「気にすんなって。いいんだよ別に。」
老婆は、そう微笑むと、自分の手元に視線を戻す。
いつの間にか、完璧なライオンを象っていたそれに、老婆は最後の仕上げだとでも言わんばかりに、目を付ける。
暫し、老婆は緊張した面持ちで、編みぐるみに黒い小さなボタンを縫い付ける。
毛糸に通す針を一つ一つ大切に、丁寧に、作業を進める。
そんな老婆の事を、少年も固唾を呑みながらひたすら見守る。
「ふう……できた……」
最後の針をとおし終わり、ハサミで糸を切ると、精魂が抜けたように老婆は空を見上げる。
「お疲れ様です。」
少年の言葉に、老婆は小さく相槌を打つ。
「人形ってのは、目が命なんだ。」
老婆はそう言うと、手元に持っている編みぐるみを少年の方に差し出す。
「……え?」
突然のことに少年が固まっていると、老婆は少年に、その編みぐるみを握らせる。
「年寄りってのは若いもんに何かあげるのが好きなんだよ。こういうときは、素直に『ありがとうこざいます』って貰っときな。どうせその後のことなんか、ジジババには分かんないんだからねえ。」
少年は、老婆の言葉に少しだけ違和感を感じたが、素直に編みぐるみを受け取る。
「……ありがとうございます。」
少年は、編みぐるみを見つめながら顔を顰める。
何が腑に落ちないのか、少年にもよく分からないのだ。
ふと視線を落として編みぐるみを見てみると、可愛らしい、しかし、どこか強そうなライオンがこちらを見ている。
「画竜点睛って故事、知っているかい?」
唐突に、老婆は少年に問いかける。
少年は静かに頷く。
ある絵師が、竜の絵を描いており、最後、いよいよ目を描き入れると、竜は実物となり、天に向かって飛んで行ったとか。
転じて、物事の大切な最後の仕上げという意味を持っている言葉だ。
丁度、最近国語の授業で習ったばかりだ。
尤も、今時、そんな出鱈目な話を信じる人間が果たしているのか、少年にとっては些か疑問である。
「あたしゃね、ありゃあ、強ち間違ってないんじゃないかと思うんだよ。」
自分が存在を疑っていた考えをする人間が目の前にいてもなお、不思議と少年には驚きがなかった。
「あんた、さっき私が素直に人形受け取れって言った時、なんでそんなこと言うのか分かってなかったろ。」
老婆は、少年の手元にある編みぐるみに視線を遣る。
少年は、自分の考えが老婆にほぼほぼ漏れてしまっていることを自覚しているのか、小さく頷く。
「何で、僕の考えが分かるんですか?」
少年は、自覚しているなりに、その答えを老婆に求める。
「さっきの故事、絵師が最後に書いたのは目だ。目はねえ、大切な物なんだよ……絵でも人形でも人間でも。ほら、よく言うだろ?『目は口ほどに物を言う』って。」
老婆は、少年が手に持っているライオンの頭を撫でる。
その言葉に、少年は妙に合点がいった。
今日も、今までも、全て自分の顔に本音が出てしまっていたのだろう。
いくら言葉で隠しても、表情までは隠し通せない。
「じゃあ……」
「そろそろ帰るとするかねえ……」
あともう1つ、少年が老婆に疑問を投げかけようとすると、老婆の言葉が少年のそれを遮る。
確かに、いつの間にか雲が少しだけ減っていた空は、茜色に染まってしまっている。
「あのっ……」
いつも自分のタイミングで話を打ち切る老婆に腹が立ったのか、それとも、ただもっと老婆と話していたいのか、自分にもよく分からないが、気がつくと、少年は老婆の背中に言葉を投げかけていた。
老婆は振り返ると、少年に向かって首を傾げる。
しかし、少年はその次の言葉を考えていなかった。
「また明日、編みぐるみの編み方、教えて貰えますか?」
しかし、それを悟られるのが癪で、少年は老婆に投げかける。
老婆は、一瞬不意をつかれたような顔をしたが、すぐに悪戯な笑みを浮かべた。
「いいよ。また明日。」
そう言って、老婆はひらひらと手を振ると、踵を返す。
少年は、少しだけ安堵したような表情を見せると、そのまま老婆とは反対側に歩き出す。
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