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@7日目
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いつものように、いつもと同じ場所、いつもより少しだけ早い時間帯。
違うのは、今日は学校が無かったことくらい。
夏が本格的になってきた頃、暑さのピークを迎えた頃合いの公園のベンチで、少年は何をするでもなく、ただ目の前に広がる風景を見ている。
その風景を見ながら、少年は自分家路とは反対の方向にチラチラと目を遣る。
ドラゴン討伐のイベントは丁度今日まで開催されているが、少年にとっては最早、どうでも良いこととなっていた。
ゲームのことを気にせず、ゲームに追われず、ただ純粋にこの風景をだけ眺めるのは、いつぶりだろうか。
初めは暇つぶしで始めたはずのものが、いつしか少年が生活する中での最優先事項となってしまっていた。
それに気づいたとき、躍起になって得ようしていたものは、至極どうでもいい事に変わってしまった。
そこで、今日は何か違うことをしてみようと、学校の教材を開いてみる。
結局のところ家に帰れば嫌という程詰め込む内容ではあるのだが、何故か、ここで学習することに意味を感じているのだ。
手始めに理科の教科書を開いてみると、丁度植物についての説明が載っている。
目の前を見ると、正に光合成を行なっていそうな植物たちが生い茂っている。
それらの植物たちを取り囲むように、教科書に掲載されている様々な虫たちが飛び交っている。
少年は、教科書と目の前の風景を見比べる。
目を凝らして見ても、植物の呼吸は見えないし、虫の複眼は観測できない。
けれど、それは自明の事実として教科書に載っている。
少年は、それを可笑しく思った。
そして、目の前の植物を観察する。
少年とは全く違う見た目で、彼らはそもそも動けない。
けれど、少年と同じように呼吸をしている。
植物にも感情は在るのだろうか、在るとすれば、今何を思っているのか。
そんなしょうもない事に思考を巡らせながら、少年は周りに目を向ける。
彼処にいるカップルは今何を思っているのか、前でボール遊びをしている子供達は一体何を考えながらボールを触っているのか……そんな事に思いを馳せながら風景を見ていると、想像が膨らみ、少年の顔が自然と綻ぶ。
「なあにニヤニヤしてんだい?」
ふと声のした方を振り向くと、お馴染みの老婆が悪戯な笑みを浮かべてそこに立っている。
少年自身、そんなに笑っている自覚は無かったが、顔に手を遣ると確かに口角が少しだけ上がっている様に感じた。
老婆はそんな少年を他所に、少年の隣にどっかりと座る。
「おや、勉強かい?」
老婆は、少年の手元を視線で捉える。
「はい。理科を。」
少年が老婆の前に教科書を両手で広げながら掲げると、彼女は目を細めながら教科書に顔を近づける。
「ほーん……小難しいことしてるんだねえ……最近のガキんちょは……」
老婆は顰めっ面をしながら、しかしながら感心した様な口調で呟くと、教科書から目を逸らす。
「正直、楽しくは無いです。」
楽しいのか楽しく無いのか、そんな問いが老婆から飛んでくる前に、つまらなさそうな様子でそう返す。
「義務って感じで……何でしなきゃいけないのか、分からないです。」
少年は不貞腐れると、眉間に皺を寄せる。
ーー制度で決められているから……ほら、義務教育という言葉が有るじゃないか。
ーー将来役に立つから……勉強して、良い大学に行って、良い会社に入るためだよ。
大人たちの言う言葉はどれも定型文で、少年は到底、それらに納得することが出来ないのだ。
勉強できる奴がそんなに偉いのか、勉強すれば薔薇色の人生が待っているのか……とても疑問に思ってしまうのだ。
だからこそ、老婆からどんな答えが帰ってくるのか、少年には興味があった。
この老婆が、勉強という義務付けられたものの存在意義をどう説くのか、少年にとっては非常に興味深いことなのだ。
「適当にやっとけばいいんじゃないかい?」
少年の予想に反して、あっけらかんと老婆は答える。
「勉強ができるやつが偉いとは限らないだろう?」
想定外の回答で呆気にとられる少年を前に、老婆は言葉を続ける。
「楽しくないってだけなら、それはやるべきだよ。人間、したくない、楽しくないことをしなきゃいけないことなんて山程有るんだからね。」
老婆はうんざりとしたように肩を竦める。
そんな老婆の言葉を、少年はただ呆然と聞いている。
「でも、することに意味を見いだせないんなら、そりゃあ根詰めてやったってあんたのためにもならんだろうよ。」
老婆は何処か遠くを見詰めながらそう言うと、ため息を吐く。
老婆が何気なく放った言葉はどれも、少年が一番求めていたものなのかも知れない。
「どうしてもしなきゃならない事なんなら、程よく付き合って、程よく手を抜きながらやってりゃあいい。そうしてる内に、いつか自分が本当に意味があると思えることに出会えるさ。」
老婆は、そう言って空を見上げる。
少年もそれに倣うと、空は眩しすぎるほど晴れ渡っている。
「でもね、意味があると思って始めたことは絶対に投げ出しちゃいけない。辛くても、挫けそうでも、絶対にだよ。」
その言葉を聞いて、少年は老婆の横顔を見る。
その表情は、確かな自信に満ちていた。
「途中で投げ出しゃあ根腐れを起こしちまうが、色んな事を乗り越えてその何かをやってれば、大なり小なり花は咲くもんだ。」
凛として言い放つ老婆の曲がった腰は、少年にはピンと、背筋を張って見えた。
「そんなの、今まで見つかって無いのに、今更見つかるのかなあ……」
少年は、背中を丸めながら頭を掻き、ため息混じりに呟く。
「何小生意気なこといってんだガキんちょ……そう言うことは、私の半分も生きてから言いな。」
そう言い放つと、老婆はベンチから立ち上がる。
「じゃ、あたしゃそろそろ帰るとするよ。」
老婆はそう言うと、いつもどおりの方向に歩みを進める。
少年は返す言葉も挟めないまま、背中越しに手を振りながら遠くなって行く、曲がった背中を見送る。
太陽が顔を隠そうとしている公園の片隅で、少年は互いに別れを告げ合う子供たちの声を聞いていた。
違うのは、今日は学校が無かったことくらい。
夏が本格的になってきた頃、暑さのピークを迎えた頃合いの公園のベンチで、少年は何をするでもなく、ただ目の前に広がる風景を見ている。
その風景を見ながら、少年は自分家路とは反対の方向にチラチラと目を遣る。
ドラゴン討伐のイベントは丁度今日まで開催されているが、少年にとっては最早、どうでも良いこととなっていた。
ゲームのことを気にせず、ゲームに追われず、ただ純粋にこの風景をだけ眺めるのは、いつぶりだろうか。
初めは暇つぶしで始めたはずのものが、いつしか少年が生活する中での最優先事項となってしまっていた。
それに気づいたとき、躍起になって得ようしていたものは、至極どうでもいい事に変わってしまった。
そこで、今日は何か違うことをしてみようと、学校の教材を開いてみる。
結局のところ家に帰れば嫌という程詰め込む内容ではあるのだが、何故か、ここで学習することに意味を感じているのだ。
手始めに理科の教科書を開いてみると、丁度植物についての説明が載っている。
目の前を見ると、正に光合成を行なっていそうな植物たちが生い茂っている。
それらの植物たちを取り囲むように、教科書に掲載されている様々な虫たちが飛び交っている。
少年は、教科書と目の前の風景を見比べる。
目を凝らして見ても、植物の呼吸は見えないし、虫の複眼は観測できない。
けれど、それは自明の事実として教科書に載っている。
少年は、それを可笑しく思った。
そして、目の前の植物を観察する。
少年とは全く違う見た目で、彼らはそもそも動けない。
けれど、少年と同じように呼吸をしている。
植物にも感情は在るのだろうか、在るとすれば、今何を思っているのか。
そんなしょうもない事に思考を巡らせながら、少年は周りに目を向ける。
彼処にいるカップルは今何を思っているのか、前でボール遊びをしている子供達は一体何を考えながらボールを触っているのか……そんな事に思いを馳せながら風景を見ていると、想像が膨らみ、少年の顔が自然と綻ぶ。
「なあにニヤニヤしてんだい?」
ふと声のした方を振り向くと、お馴染みの老婆が悪戯な笑みを浮かべてそこに立っている。
少年自身、そんなに笑っている自覚は無かったが、顔に手を遣ると確かに口角が少しだけ上がっている様に感じた。
老婆はそんな少年を他所に、少年の隣にどっかりと座る。
「おや、勉強かい?」
老婆は、少年の手元を視線で捉える。
「はい。理科を。」
少年が老婆の前に教科書を両手で広げながら掲げると、彼女は目を細めながら教科書に顔を近づける。
「ほーん……小難しいことしてるんだねえ……最近のガキんちょは……」
老婆は顰めっ面をしながら、しかしながら感心した様な口調で呟くと、教科書から目を逸らす。
「正直、楽しくは無いです。」
楽しいのか楽しく無いのか、そんな問いが老婆から飛んでくる前に、つまらなさそうな様子でそう返す。
「義務って感じで……何でしなきゃいけないのか、分からないです。」
少年は不貞腐れると、眉間に皺を寄せる。
ーー制度で決められているから……ほら、義務教育という言葉が有るじゃないか。
ーー将来役に立つから……勉強して、良い大学に行って、良い会社に入るためだよ。
大人たちの言う言葉はどれも定型文で、少年は到底、それらに納得することが出来ないのだ。
勉強できる奴がそんなに偉いのか、勉強すれば薔薇色の人生が待っているのか……とても疑問に思ってしまうのだ。
だからこそ、老婆からどんな答えが帰ってくるのか、少年には興味があった。
この老婆が、勉強という義務付けられたものの存在意義をどう説くのか、少年にとっては非常に興味深いことなのだ。
「適当にやっとけばいいんじゃないかい?」
少年の予想に反して、あっけらかんと老婆は答える。
「勉強ができるやつが偉いとは限らないだろう?」
想定外の回答で呆気にとられる少年を前に、老婆は言葉を続ける。
「楽しくないってだけなら、それはやるべきだよ。人間、したくない、楽しくないことをしなきゃいけないことなんて山程有るんだからね。」
老婆はうんざりとしたように肩を竦める。
そんな老婆の言葉を、少年はただ呆然と聞いている。
「でも、することに意味を見いだせないんなら、そりゃあ根詰めてやったってあんたのためにもならんだろうよ。」
老婆は何処か遠くを見詰めながらそう言うと、ため息を吐く。
老婆が何気なく放った言葉はどれも、少年が一番求めていたものなのかも知れない。
「どうしてもしなきゃならない事なんなら、程よく付き合って、程よく手を抜きながらやってりゃあいい。そうしてる内に、いつか自分が本当に意味があると思えることに出会えるさ。」
老婆は、そう言って空を見上げる。
少年もそれに倣うと、空は眩しすぎるほど晴れ渡っている。
「でもね、意味があると思って始めたことは絶対に投げ出しちゃいけない。辛くても、挫けそうでも、絶対にだよ。」
その言葉を聞いて、少年は老婆の横顔を見る。
その表情は、確かな自信に満ちていた。
「途中で投げ出しゃあ根腐れを起こしちまうが、色んな事を乗り越えてその何かをやってれば、大なり小なり花は咲くもんだ。」
凛として言い放つ老婆の曲がった腰は、少年にはピンと、背筋を張って見えた。
「そんなの、今まで見つかって無いのに、今更見つかるのかなあ……」
少年は、背中を丸めながら頭を掻き、ため息混じりに呟く。
「何小生意気なこといってんだガキんちょ……そう言うことは、私の半分も生きてから言いな。」
そう言い放つと、老婆はベンチから立ち上がる。
「じゃ、あたしゃそろそろ帰るとするよ。」
老婆はそう言うと、いつもどおりの方向に歩みを進める。
少年は返す言葉も挟めないまま、背中越しに手を振りながら遠くなって行く、曲がった背中を見送る。
太陽が顔を隠そうとしている公園の片隅で、少年は互いに別れを告げ合う子供たちの声を聞いていた。
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