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第1章:村編
第7話『歴史の守護者、初襲来』
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呪いが、ほどけた。
音はなかった。
だが、世界が一瞬だけ、確かに呼吸を止めたのが分かった。
胸の奥に沈んでいた重たい塊が、ゆっくりと消えていく。
家系図に絡みついていた黒い靄は、糸が解けるようにほどけ、跡形もなく霧散していた。
(……終わったのか?)
そう思った瞬間だった。
王都の上空で、空が歪んだ。
最初は、陽炎のように見えた。
夏の昼、遠景が揺れる――そんな、取るに足らない現象にしか見えない。
だが次の瞬間、青空に細い線が走った。
硝子に入る、ひび割れ。
それと、まったく同じ形。
一本。
二本。
三本。
線は増え、放射状に広がっていく。
まるで、この世界そのものが、内側から砕けようとしているかのようだった。
「……なに、あれ……」
誰かの声が、かすれていた。
次の瞬間。
――バキン。
はっきりと、割れる音がした。
空が、裂けた。
裂け目の向こうに見えたのは、闇でも異界でもない。
色と形が意味を失い、重なり合った、理解を拒む光景。
それを見た瞬間、頭の奥が警鐘を鳴らす。
――見てはいけない。
だが、目を逸らすより早く、それは現れた。
裂け目から、ゆっくりと降りてくる存在。
人の形をしている。
だが、人間ではない。
白と金で構成された装甲。
表情のない仮面。
背後には、無数の時計の針を束ねたような翼が浮かんでいた。
それが地面に降り立った瞬間、周囲の空気が凍りつく。
本能が、はっきりと告げていた。
――世界の外側にいるものだ。
存在は無言のまま、王都を見渡した。
まるで、作業対象を確認する管理者のように。
次の瞬間、腕が上がる。
光が、放たれた。
爆発はない。
轟音も、衝撃もない。
ただ――王都の一角が、消えた。
城壁と家屋と人影が、まとめて消失する。
瓦礫すら残らない。
そこには最初から、何も存在していなかったかのように。
数瞬遅れて、悲鳴が上がった。
「敵襲だ!!」
「王都に結界を張れ!!」
怒号が飛び交う中、
僕の視界の端で、家系図スキルが勝手に展開される。
血の枝葉が広がり、その最下部――
名を持たない“???”の枝が、微かに震えていた。
そして、冷たい声が、直接頭に響く。
『修正は、未完了だ』
その言葉が意味するものを理解する前に、
王都は、さらに削り取られていった。
『修正は、未完了だ』
その宣告と同時に、王都の空気が一変した。
守護者は、感情のない動作で腕を振る。
すると、光が一本の線となって走った。
大通りをなぞるように、正確に。
石畳、建物、人影――触れたものすべてが、音もなく消えていく。
破壊ではない。
焼き払われたわけでも、崩れたわけでもない。
最初から、存在しなかったことにされた。
「前列、後退しろ! 結界を重ねろ!」
騎士団長の怒号が響く。
魔術師たちが必死に詠唱を重ね、幾重もの防壁が展開された。
半透明の結界が、王都を包み込む。
だが、守護者はそれを見てもいなかった。
指を、軽く弾く。
結界が、ほどける。
一枚、また一枚と、巻き戻されるように消失していく。
「……嘘だろ……」
王都防衛級。
国家の威信を賭けた最後の盾が、抵抗すらできずに消えた。
それでも、騎士は前に出た。
「うおおおおっ!」
剣を構え、守護者へと突進する。
刃は確かに、その胴を捉えた。
――次の瞬間。
その騎士は、いなかった。
血も、断末魔もない。
斬りかかったという事実ごと、時間から削除されている。
戦場が、凍りついた。
(……勝てない)
誰もが、同じ結論に辿り着いた。
これは戦いではない。
敵対行為ですらない。
処理だ。
守護者の視線が、ゆっくりと王都全体をなぞる。
まるで、作業の進捗を確認する管理者のように。
『想定外を確認』
淡々とした声。
『修正手順を、更新する』
その直後、王都南区画がごっそり消えた。
商業区、倉庫街、住宅地。
人々の生活が集中していた場所が、まとめて空白になる。
朝まで営業していた酒場。
子どもたちが走り回っていた広場。
帰りを待つ誰かがいた家。
――今は、何もない。
後に判明した死者数は、暫定で二万人を超えていた。
それでも、守護者は止まらない。
光の線が、再び走る。
だがその軌道は、不自然に歪み――
僕のすぐ横で、ぴたりと止まった。
背中を、冷たいものが走る。
守護者が、初めてこちらを見た。
そして、その声が、再び頭に響く。
『ユウ家は、未来に“アレ”を生む』
『ユウ家は、未来に“アレ”を生む』
淡々とした声だった。
怒りも、敵意もない。
ただ、記録された事実を読み上げるだけの音。
守護者の視線が、完全にこちらへ固定される。
逃げ場はなかった。
家系図スキルが、意思とは無関係に展開される。
血の枝葉が視界を覆い、代々の名が連なっていく。
父。
祖父。
そのまた先。
そして、最下部。
名を持たない“???”の枝だけが、異様な存在感を放っていた。
『現在の当主は、不要』
その言葉は、冷酷な宣告だった。
僕自身を否定しているわけではない。
“役割”として、切り捨てている。
『だが、枝は残る』
“???”の根元が、ゆっくりと浮かび上がる。
そこに現れたのは、黒い王冠の輪郭。
(……魔王)
思考が、その単語に触れた瞬間、頭の奥を鋭い痛みが貫いた。
考えること自体が禁忌だと、世界に叱責されたような感覚。
守護者は、未来を知っている。
だから、迷わない。
――本当に、そうだろうか。
呪いを解いた直後から、家系図の“奥行き”が変わっていた。
枝の向こうに、霧のような層が増えている。
見えなかった可能性。
見えないはずの余白。
(……全部は、見えていない)
もし未来が完全に確定しているなら、
僕の存在はとっくに削除されているはずだ。
枝の剪定。
可能性を消す行為。
未来を守る力であり、未来を殺す力。
触れれば、戻れない。
これは選択じゃない。
逃げ場のない確認だ。
それでも、逡巡が胸を締めつける。
この行為が、本当に正しいのか。
世界を救うのか、それとも――終わらせるのか。
答えは、分からない。
だが、選ばないという選択肢だけは、存在しない。
震える指を、ゆっくりと伸ばす。
“???”の枝に、触れる寸前で――
世界が、静止したように感じられた。
次の瞬間、
僕は、ほんの一瞬だけ未来を曇らせた。
守護者の動きが、止まった。
守護者の動きが、完全に止まった。
時間が凍ったわけではない。
瓦礫は崩れ、悲鳴は続き、風も吹いている。
だが、その中心に立つ存在だけが、現実から切り離されたように静止していた。
仮面の奥で、光が乱れる。
『……未来が、揺ら――』
声が、途中で途切れた。
『……再演算』
一拍、間が空く。
『……再演算不能』
腕が上がり、止まる。
同じ角度で、また上がり、止まる。
感情ではない。
怒りでも、困惑でもない。
処理が、破綻している。
老魔術師が、息を呑む音が聞こえた。
「……あれは、迷っているんじゃない」
「計算できなくなっている……」
だが、次の瞬間――
守護者は、初めて“判断”を下した。
その刹那を、僕は見逃さなかった。
守護者が、初めて迷った。
その異常が、すべてを変えた。
『修正処理を――』
言葉が続かない。
『……保留』
王都上空の裂け目が、ゆっくりと閉じ始める。
硝子のひびをなぞるように、時間が縫い合わされていく。
守護者の視線が、再びこちらを捉えた。
『記録更新。ユウ家――要監視』
その宣告を最後に、
存在は裂け目の向こうへと引き戻されていった。
空は、元に戻る。
だが、王都は戻らない。
静寂が、重く降り積もった。
守護者が消えた直後も、誰一人として動けなかった。
空は青い。
裂け目など、最初から存在しなかったかのように、雲がゆっくりと流れている。
だが、地上は違った。
王都の南側が、丸ごと欠け落ちていた。
瓦礫すら残らない、不自然な空白が街に穿たれている。
そこには、確かに生活があった。
朝まで営業していた酒場。
子どもたちが追いかけっこをしていた広場。
帰りの遅い夫を待つ妻が、灯りを消さずにいた家。
――今は、何もない。
「……撤退命令を出す」
騎士団長の声は、掠れていた。
「これ以上、ここに留まる意味はない。
生存者を集めろ。負傷者を優先しろ」
命令は冷静だったが、その裏にある無力感は隠しきれていない。
生き残った人々が、半ば呆然としながら動き出す。
泣き崩れる者。名前を呼び続ける者。
ただ、その場に座り込む者。
魔術師たちが即席の転移陣を組み、
郊外の安全な場所へと人々を送っていく。
その過程で、被害の全貌が少しずつ明らかになっていった。
死者は、暫定で二万人を超える。
行方不明者は、その数すら把握できていない。
王城南区画、商業区、倉庫街。
王都の経済と流通を支えていた中枢が、まとめて消失していた。
「……首都は、機能しないな」
老魔術師が、地面に座り込んだまま呟く。
「再建以前の問題だ。
国そのものが、揺らいでいる」
誰も、否定できなかった。
僕は、崩れた街を見つめながら、無意識に拳を握っていた。
(僕が、呪いを解いたからだ)
石を一つ動かしただけのつもりだった。
だが、その一手が、積み上げられた歴史を崩した。
後悔が、喉元まで込み上げる。
それでも――
視界の奥で、家系図スキルが静かに存在を主張する。
最下部の“???”の枝が、わずかに揺れていた。
守護者は、完全な未来を見ていない。
だからこそ、処理を保留した。
(……まだ、終わっていない)
転移陣の光が、最後の生存者を包み込む。
王都は、完全に放棄された。
残ったのは、失われた現実と、
これから向き合わなければならない責任だけだった。
郊外の丘に設けられた野営地は、奇妙な静けさに包まれていた。
人は大勢いる。
負傷者のうめき声も、泣き声も、確かに聞こえる。
それでも誰もが、王都が消えたという現実を、まだ正しく受け止めきれていなかった。
僕は野営地の端で、一人立ち尽くしていた。
視線の先に、王都はもうない。
あるのは、地形が不自然に途切れた空白と、戻らない日常の痕跡だけだ。
(……歴史は、守られるものじゃない)
ふと、そんな考えが浮かぶ。
家系図スキルを、意識して展開した。
今度は、強制ではない。
血の枝葉が、静かに視界へと広がる。
父、祖父、さらにその先へと続く人生の連なり。
そして、最下部。
“???”の枝。
以前のような不安定な黒ではない。
闇に近い、深い色で、そこに“存在している”。
触れたのは、ほんの一瞬だ。
だが、その一瞬で――繋がってしまった。
『……まだ、生まれていない』
声は、耳ではなく、思考の奥に直接響いた。
穏やかで、だが確かな意思を帯びている。
『だから、消されたくない』
恐怖はなかった。
敵意もない。
そこにあったのは、ただ「在ろう」とする衝動だけだった。
歴史の守護者は、これを「悪」とは断じていない。
ただ、「想定外」だから消そうとした。
完成した設計図に、勝手に増えた一行。
意味が分からないから、削除する。
それだけだ。
(……なら)
僕は、ゆっくりと息を吐く。
(意味を、与えればいい)
利点はある。
守護者の想定外を、さらに増やせる。
欠点も、分かっている。
一歩間違えれば、本当に世界を終わらせる。
それでも、もう安全な道は残っていない。
家系図の奥で、“???”の枝が、静かに揺れた。
それは、肯定でも否定でもなく――可能性そのものだった。
野営地の中心で、鐘が鳴る。
生存者を集める合図。
そして、再建に向けた最初の呼び声。
僕は、家系図を閉じる。
(次に来る時)
(守護者が見る未来は、今とは違う)
そうでなければ、意味がない。
王都は失われた。
多くの命も、戻らない。
それでも。
未来は、まだ一つじゃない。
歴史は、守られるものじゃない。
――書き換えられるものだ。
第7話は、ここで終わる。
だが、歴史を書き換える戦いは、今、確かに始まった。
音はなかった。
だが、世界が一瞬だけ、確かに呼吸を止めたのが分かった。
胸の奥に沈んでいた重たい塊が、ゆっくりと消えていく。
家系図に絡みついていた黒い靄は、糸が解けるようにほどけ、跡形もなく霧散していた。
(……終わったのか?)
そう思った瞬間だった。
王都の上空で、空が歪んだ。
最初は、陽炎のように見えた。
夏の昼、遠景が揺れる――そんな、取るに足らない現象にしか見えない。
だが次の瞬間、青空に細い線が走った。
硝子に入る、ひび割れ。
それと、まったく同じ形。
一本。
二本。
三本。
線は増え、放射状に広がっていく。
まるで、この世界そのものが、内側から砕けようとしているかのようだった。
「……なに、あれ……」
誰かの声が、かすれていた。
次の瞬間。
――バキン。
はっきりと、割れる音がした。
空が、裂けた。
裂け目の向こうに見えたのは、闇でも異界でもない。
色と形が意味を失い、重なり合った、理解を拒む光景。
それを見た瞬間、頭の奥が警鐘を鳴らす。
――見てはいけない。
だが、目を逸らすより早く、それは現れた。
裂け目から、ゆっくりと降りてくる存在。
人の形をしている。
だが、人間ではない。
白と金で構成された装甲。
表情のない仮面。
背後には、無数の時計の針を束ねたような翼が浮かんでいた。
それが地面に降り立った瞬間、周囲の空気が凍りつく。
本能が、はっきりと告げていた。
――世界の外側にいるものだ。
存在は無言のまま、王都を見渡した。
まるで、作業対象を確認する管理者のように。
次の瞬間、腕が上がる。
光が、放たれた。
爆発はない。
轟音も、衝撃もない。
ただ――王都の一角が、消えた。
城壁と家屋と人影が、まとめて消失する。
瓦礫すら残らない。
そこには最初から、何も存在していなかったかのように。
数瞬遅れて、悲鳴が上がった。
「敵襲だ!!」
「王都に結界を張れ!!」
怒号が飛び交う中、
僕の視界の端で、家系図スキルが勝手に展開される。
血の枝葉が広がり、その最下部――
名を持たない“???”の枝が、微かに震えていた。
そして、冷たい声が、直接頭に響く。
『修正は、未完了だ』
その言葉が意味するものを理解する前に、
王都は、さらに削り取られていった。
『修正は、未完了だ』
その宣告と同時に、王都の空気が一変した。
守護者は、感情のない動作で腕を振る。
すると、光が一本の線となって走った。
大通りをなぞるように、正確に。
石畳、建物、人影――触れたものすべてが、音もなく消えていく。
破壊ではない。
焼き払われたわけでも、崩れたわけでもない。
最初から、存在しなかったことにされた。
「前列、後退しろ! 結界を重ねろ!」
騎士団長の怒号が響く。
魔術師たちが必死に詠唱を重ね、幾重もの防壁が展開された。
半透明の結界が、王都を包み込む。
だが、守護者はそれを見てもいなかった。
指を、軽く弾く。
結界が、ほどける。
一枚、また一枚と、巻き戻されるように消失していく。
「……嘘だろ……」
王都防衛級。
国家の威信を賭けた最後の盾が、抵抗すらできずに消えた。
それでも、騎士は前に出た。
「うおおおおっ!」
剣を構え、守護者へと突進する。
刃は確かに、その胴を捉えた。
――次の瞬間。
その騎士は、いなかった。
血も、断末魔もない。
斬りかかったという事実ごと、時間から削除されている。
戦場が、凍りついた。
(……勝てない)
誰もが、同じ結論に辿り着いた。
これは戦いではない。
敵対行為ですらない。
処理だ。
守護者の視線が、ゆっくりと王都全体をなぞる。
まるで、作業の進捗を確認する管理者のように。
『想定外を確認』
淡々とした声。
『修正手順を、更新する』
その直後、王都南区画がごっそり消えた。
商業区、倉庫街、住宅地。
人々の生活が集中していた場所が、まとめて空白になる。
朝まで営業していた酒場。
子どもたちが走り回っていた広場。
帰りを待つ誰かがいた家。
――今は、何もない。
後に判明した死者数は、暫定で二万人を超えていた。
それでも、守護者は止まらない。
光の線が、再び走る。
だがその軌道は、不自然に歪み――
僕のすぐ横で、ぴたりと止まった。
背中を、冷たいものが走る。
守護者が、初めてこちらを見た。
そして、その声が、再び頭に響く。
『ユウ家は、未来に“アレ”を生む』
『ユウ家は、未来に“アレ”を生む』
淡々とした声だった。
怒りも、敵意もない。
ただ、記録された事実を読み上げるだけの音。
守護者の視線が、完全にこちらへ固定される。
逃げ場はなかった。
家系図スキルが、意思とは無関係に展開される。
血の枝葉が視界を覆い、代々の名が連なっていく。
父。
祖父。
そのまた先。
そして、最下部。
名を持たない“???”の枝だけが、異様な存在感を放っていた。
『現在の当主は、不要』
その言葉は、冷酷な宣告だった。
僕自身を否定しているわけではない。
“役割”として、切り捨てている。
『だが、枝は残る』
“???”の根元が、ゆっくりと浮かび上がる。
そこに現れたのは、黒い王冠の輪郭。
(……魔王)
思考が、その単語に触れた瞬間、頭の奥を鋭い痛みが貫いた。
考えること自体が禁忌だと、世界に叱責されたような感覚。
守護者は、未来を知っている。
だから、迷わない。
――本当に、そうだろうか。
呪いを解いた直後から、家系図の“奥行き”が変わっていた。
枝の向こうに、霧のような層が増えている。
見えなかった可能性。
見えないはずの余白。
(……全部は、見えていない)
もし未来が完全に確定しているなら、
僕の存在はとっくに削除されているはずだ。
枝の剪定。
可能性を消す行為。
未来を守る力であり、未来を殺す力。
触れれば、戻れない。
これは選択じゃない。
逃げ場のない確認だ。
それでも、逡巡が胸を締めつける。
この行為が、本当に正しいのか。
世界を救うのか、それとも――終わらせるのか。
答えは、分からない。
だが、選ばないという選択肢だけは、存在しない。
震える指を、ゆっくりと伸ばす。
“???”の枝に、触れる寸前で――
世界が、静止したように感じられた。
次の瞬間、
僕は、ほんの一瞬だけ未来を曇らせた。
守護者の動きが、止まった。
守護者の動きが、完全に止まった。
時間が凍ったわけではない。
瓦礫は崩れ、悲鳴は続き、風も吹いている。
だが、その中心に立つ存在だけが、現実から切り離されたように静止していた。
仮面の奥で、光が乱れる。
『……未来が、揺ら――』
声が、途中で途切れた。
『……再演算』
一拍、間が空く。
『……再演算不能』
腕が上がり、止まる。
同じ角度で、また上がり、止まる。
感情ではない。
怒りでも、困惑でもない。
処理が、破綻している。
老魔術師が、息を呑む音が聞こえた。
「……あれは、迷っているんじゃない」
「計算できなくなっている……」
だが、次の瞬間――
守護者は、初めて“判断”を下した。
その刹那を、僕は見逃さなかった。
守護者が、初めて迷った。
その異常が、すべてを変えた。
『修正処理を――』
言葉が続かない。
『……保留』
王都上空の裂け目が、ゆっくりと閉じ始める。
硝子のひびをなぞるように、時間が縫い合わされていく。
守護者の視線が、再びこちらを捉えた。
『記録更新。ユウ家――要監視』
その宣告を最後に、
存在は裂け目の向こうへと引き戻されていった。
空は、元に戻る。
だが、王都は戻らない。
静寂が、重く降り積もった。
守護者が消えた直後も、誰一人として動けなかった。
空は青い。
裂け目など、最初から存在しなかったかのように、雲がゆっくりと流れている。
だが、地上は違った。
王都の南側が、丸ごと欠け落ちていた。
瓦礫すら残らない、不自然な空白が街に穿たれている。
そこには、確かに生活があった。
朝まで営業していた酒場。
子どもたちが追いかけっこをしていた広場。
帰りの遅い夫を待つ妻が、灯りを消さずにいた家。
――今は、何もない。
「……撤退命令を出す」
騎士団長の声は、掠れていた。
「これ以上、ここに留まる意味はない。
生存者を集めろ。負傷者を優先しろ」
命令は冷静だったが、その裏にある無力感は隠しきれていない。
生き残った人々が、半ば呆然としながら動き出す。
泣き崩れる者。名前を呼び続ける者。
ただ、その場に座り込む者。
魔術師たちが即席の転移陣を組み、
郊外の安全な場所へと人々を送っていく。
その過程で、被害の全貌が少しずつ明らかになっていった。
死者は、暫定で二万人を超える。
行方不明者は、その数すら把握できていない。
王城南区画、商業区、倉庫街。
王都の経済と流通を支えていた中枢が、まとめて消失していた。
「……首都は、機能しないな」
老魔術師が、地面に座り込んだまま呟く。
「再建以前の問題だ。
国そのものが、揺らいでいる」
誰も、否定できなかった。
僕は、崩れた街を見つめながら、無意識に拳を握っていた。
(僕が、呪いを解いたからだ)
石を一つ動かしただけのつもりだった。
だが、その一手が、積み上げられた歴史を崩した。
後悔が、喉元まで込み上げる。
それでも――
視界の奥で、家系図スキルが静かに存在を主張する。
最下部の“???”の枝が、わずかに揺れていた。
守護者は、完全な未来を見ていない。
だからこそ、処理を保留した。
(……まだ、終わっていない)
転移陣の光が、最後の生存者を包み込む。
王都は、完全に放棄された。
残ったのは、失われた現実と、
これから向き合わなければならない責任だけだった。
郊外の丘に設けられた野営地は、奇妙な静けさに包まれていた。
人は大勢いる。
負傷者のうめき声も、泣き声も、確かに聞こえる。
それでも誰もが、王都が消えたという現実を、まだ正しく受け止めきれていなかった。
僕は野営地の端で、一人立ち尽くしていた。
視線の先に、王都はもうない。
あるのは、地形が不自然に途切れた空白と、戻らない日常の痕跡だけだ。
(……歴史は、守られるものじゃない)
ふと、そんな考えが浮かぶ。
家系図スキルを、意識して展開した。
今度は、強制ではない。
血の枝葉が、静かに視界へと広がる。
父、祖父、さらにその先へと続く人生の連なり。
そして、最下部。
“???”の枝。
以前のような不安定な黒ではない。
闇に近い、深い色で、そこに“存在している”。
触れたのは、ほんの一瞬だ。
だが、その一瞬で――繋がってしまった。
『……まだ、生まれていない』
声は、耳ではなく、思考の奥に直接響いた。
穏やかで、だが確かな意思を帯びている。
『だから、消されたくない』
恐怖はなかった。
敵意もない。
そこにあったのは、ただ「在ろう」とする衝動だけだった。
歴史の守護者は、これを「悪」とは断じていない。
ただ、「想定外」だから消そうとした。
完成した設計図に、勝手に増えた一行。
意味が分からないから、削除する。
それだけだ。
(……なら)
僕は、ゆっくりと息を吐く。
(意味を、与えればいい)
利点はある。
守護者の想定外を、さらに増やせる。
欠点も、分かっている。
一歩間違えれば、本当に世界を終わらせる。
それでも、もう安全な道は残っていない。
家系図の奥で、“???”の枝が、静かに揺れた。
それは、肯定でも否定でもなく――可能性そのものだった。
野営地の中心で、鐘が鳴る。
生存者を集める合図。
そして、再建に向けた最初の呼び声。
僕は、家系図を閉じる。
(次に来る時)
(守護者が見る未来は、今とは違う)
そうでなければ、意味がない。
王都は失われた。
多くの命も、戻らない。
それでも。
未来は、まだ一つじゃない。
歴史は、守られるものじゃない。
――書き換えられるものだ。
第7話は、ここで終わる。
だが、歴史を書き換える戦いは、今、確かに始まった。
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女の子たちと出会い仲良くなって一緒に住む、のんびり緩い異世界生活。
第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。
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前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。
異世界に転生したので幸せに暮らします、多分
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物心ついたら、異世界に転生していた事を思い出した。
前世の分も幸せに暮らします!
平成30年3月26日完結しました。
番外編、書くかもです。
5月9日、番外編追加しました。
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