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第2章:王国・大陸編
第13話『裏切りの枝と“粛清か許しか”』
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「……見つけた」
ユウの声が、執務室の空気を切り裂いた。
机の上に展開された半透明の家系図。
貴族連合の血統が複雑に絡み合い、白い光の枝となって広がっている。その中で――一本だけ、色を失った枝があった。
濁った灰色。
「……」
言葉が、喉で止まる。
家系図が示しているのは“現在”ではない。
未来だ。
その枝の先には、微かな接続が見える。
王国の外。
守護者の側へと、細く、だが確実に繋がる線。
「裏切り……」
背後で、エリアが息を吸う気配がした。
「ええ」
声は冷静だった。
だが、それは感情を抑え込んだ結果の静けさだ。
「貴族連合の中に、未来を売る者がいる」
ユウは、枝に指を伸ばす。
触れた瞬間、家系図が――揺れた。
未来が、分かれる。
⸻
一つ目の枝。
粛清の未来が見える。
広間に引き出される裏切り者。
名が告げられ、貴族たちの顔色が一斉に失われる。
恐怖。沈黙。従順。
秩序は保たれる。
短期的には。
だが、五年後。
家系図は歪んでいた。
恐怖で縛られた枝は、硬く、脆い。
誰も本音を言わず、誰も責任を取らない。
折れる未来。
⸻
もう一つの枝。
粛清は行われない。
裏切り者は監視下に置かれ、権限を削られ、それでも働く。
短期的には不安定だ。
疑念と緊張が、王国中を流れる。
だが、十年後。
その枝は、王国中枢に深く根を張っていた。
裏切ったからこそ知る、守護者の思考。
その癖。
その弱点。
使われる未来。
⸻
ユウは、息を吐いた。
「……二つに一つ、か」
エリアが一歩、前に出る。
「迷う必要はないわ」
声は、氷のように冷たい。
「裏切りは粛清すべき。
それが、三百年この世界を保たせてきた方法よ」
正論だった。
守護者としての、完成された結論。
ユウは、家系図から目を離さない。
まだ、決めていない。
――いや。
決める覚悟を、試されている。
この選択は、王国の未来だけではなく、
エリアとの関係そのものを変える。
執務室の窓の外では、王都がいつも通りに動いている。
人々は、何も知らない。
その平穏の根元に、
一本の枝が、静かに色を変えていることを。
「裏切り者は、粛清すべきよ」
エリアの声は低く、迷いがなかった。
それは感情ではなく、長い時間を生きて辿り着いた結論だ。
「それが、三百年この世界を保たせてきた方法」
ユウは、家系図を閉じない。
未来の分岐が、まだ視界に残っている。
「……分かってる」
短い返事。
「分かっていて、なぜ迷うの?」
エリアは一歩、近づいた。
その距離は、説得ではなく、圧力だ。
「許せば前例になる」
「前例は、次の裏切りを生む」
正しい。
守護者が何度も証明してきた理屈。
ユウは、ゆっくりと家系図を閉じた。
「だからこそ、俺が最初になる」
エリアの眉が、わずかに動く。
「何を言っているの?」
「裏切りを許す前例じゃない」
ユウは、はっきりと言った。
「責任を取る前例だ」
沈黙が落ちる。
「守護者は、可能性を減らす」
エリアは続ける。
「不確定要素は切り捨てる。
それが、一番安全」
「安全、だな」
ユウは息を吐く。
「家系図を見れば、
一番安全な道はすぐ分かる」
恐怖で縛る。
反逆の芽を、可能性ごと摘み取る。
エリアは頷いた。
それが現実だ。
「でもな」
ユウは、言葉を区切る。
「それをやった瞬間、この国は――
考えるのをやめる」
「それの、何が悪い」
即答だった。
「人は考えるから、間違える」
「疑うから、裏切る」
「なら、選択肢を与えなければいい」
三百年の結論。
揺るがない論理。
「エリア」
ユウは、静かに呼びかける。
「それは“管理”だ」
エリアの視線が、鋭くなる。
「未来じゃない」
三往復目。
「……後悔するわ」
声が、わずかに揺れた。
「失敗は、取り戻せない」
「死んだ命は、戻らない」
ユウは、即答する。
「後悔できるってことは、
まだ人間だ」
その言葉に、エリアの唇が震えた。
反論が、出てこない。
守護者は、後悔しない。
後悔が起きる前に、切り捨てる。
「俺は、粛清しない」
ユウは、断言した。
「裏切りを見逃すわけじゃない」
「罰を与えないわけでもない」
「……なら、何をするの」
「使う」
ユウの目が、鋭く光る。
「裏切ったからこそ、見えるものがある」
「守護者の考え方。動き方。癖」
エリアは、静かに息を吸った。
理解できない。
だが、否定もしきれない。
「それは、賭けよ」
「そうだ」
ユウは認める。
「でも、賭けなきゃ――
この国は、守られるだけの存在で終わる」
エリアは、目を伏せた。
この選択が正しいかどうか。
それは、まだ誰にも分からない。
ただ一つ確かなのは――
守護者の論理から、明確に外れたということだけだった。
悟った。
理由は告げられなかった。
それだけで、十分だった。
王城中央応接間。
普段は儀礼や調停に使われる部屋だが、今日は空気が違う。
扉の前に立つ護衛の数。
無言で塞がれる退路。
視線の置き方ひとつに、逃がさないという意思が滲んでいる。
――処刑だ。
喉が、ひくりと鳴った。
扉が閉まる音が、やけに大きく響く。
その瞬間、この部屋は「話し合いの場」ではなく、結論を告げられる場所だと理解した。
正面に、ユウ。
その背後に、エリア。
二人を見た瞬間、確信する。
――全て、知られている。
「立ったままでいい」
ユウの声は、氷のように平坦だった。
「長い話にはならない」
それが、何より恐ろしい。
セルグ侯は、ゆっくりと背筋を伸ばした。
言い訳はしない。
どうせ、意味はない。
「……あなたは、守護者と通じている」
直球だった。
胸の奥が、冷え切る。
だが、否定の言葉は浮かばなかった。
「……いつから、ご存じで」
「最初からだ。
正確には、“そうなる未来を見ていた”」
家系図。
理解は、早かった。
セルグ侯は、薄く笑った。
「なら、私の末路も……」
言いかけて、言葉を飲み込む。
エリアの視線が、鋭く突き刺さる。
そこにあるのは、迷いではない。
処断を前提にした視線だ。
――死ぬ。
そう、覚悟した。
家も、名も、積み上げてきたものも。
全てを失う覚悟は、できている。
「セルグ侯」
ユウが、名を呼ぶ。
「お前は、粛清されるべき存在だ」
心臓が、一拍遅れた。
来た。
ここまでだ。
「……覚悟は、できています」
声は、不思議と震えなかった。
裏切りを選んだ時点で、こうなる可能性は織り込んでいた。
だが。
「ただし、それは“今”の話だ」
セルグ侯は、思わず顔を上げた。
「俺は――お前を生かす」
一瞬、意味が理解できなかった。
生かす?
なぜ?
頭の中が、真っ白になる。
死を覚悟していた。
全てを失う覚悟をしていた。
なのに。
「……なぜ」
掠れた声が、零れた。
理解できない。
恐怖と驚愕が、入り混じる。
「私を、信用するのですか」
ユウは、首を振った。
「信用しない」
即答だった。
その冷酷さに、セルグ侯は――なぜか、安堵した。
これは慈悲ではない。
同情でもない。
利用だ。
「だが、お前は守護者の論理を知っている」
ユウは続ける。
「それは、今の王国に必要だ」
エリアが、口を開きかけ――閉じた。
納得していない。
だが、止めなかった。
セルグ侯の膝が、わずかに震える。
生き延びた実感が、遅れて押し寄せる。
「条件がある」
ユウの声が、再び冷える。
「守護者との接点は、全て俺が管理する」
「権限は制限する。逃げ道はない」
「その上で、働け。功績を積め」
猶予。
それは自由ではなく、鎖だ。
セルグ侯は、深く、深く頭を下げた。
床に額が触れる。
「……この命」
「あなたの賭けに、使ってください」
ユウは、家系図を見る。
更生の枝は、まだ細い。
だが――折れてはいない。
夜の風は、冷たかった。
王城の高所。
灯りの届かない回廊の先で、エリアは一人、手すりに身を預けていた。
眼下には王都の灯。
人々は眠り、酒を飲み、明日が来ることを疑っていない。
――無防備。
その言葉が、自然と浮かぶ。
今日、ユウが下した判断。
裏切りを知りながら、生かすという選択。
守護者として、最も避けるべき道。
「……また、同じ」
誰に向けた言葉でもなかった。
記憶が、否応なく引きずり出される。
かつて、別の王がいた。
エリアは、その顔を今でもはっきり覚えている。
若く、理想を語り、
人を信じることを誇りにしていた男。
その王も、裏切り者を許した。
「恐怖から裏切ったのだ」
「なら、やり直す機会を与えるべきだ」
エリアは止めた。
家系図を開けば、危険は明白だった。
だが、王は笑った。
「君は慎重すぎる」
「人は変われる」
その笑顔を、エリアは忘れられない。
未来を見た上での警告が、
“臆病”として退けられた瞬間だった。
二年後。
戦が始まったその夜。
城門は――内側から開かれた。
合図もなく、警告もなく。
ただ、静かに。
敵軍がなだれ込み、
都市は一夜で落ちた。
数万の命が失われた。
逃げ惑う人々。
燃え上がる家々。
エリアが粛清した時には、
もう、何もかもが遅かった。
「……私は、知っている」
許しが、何を壊すのかを。
許しは、希望を与える。
同時に、裏切る余地を与える。
守護者は、それを何度も見てきた。
だから、選ばない。
後悔が生まれるくらいなら、
最初から、可能性を切り捨てる。
それが、三百年積み上げてきた答え。
「なのに……」
ユウは、その答えを踏み越えた。
未来を見た上で、
あえて危険な枝を選ぶ。
――賭け。
人間らしい判断。
だからこそ、恐ろしい。
足音がした。
「ここにいたか」
ユウだった。
エリアは、振り返らない。
「来ると思ってた」
沈黙が、二人の間に落ちる。
「……後悔するわ」
エリアは低く言った。
「あなたの賭けは、成功しない可能性の方が高い」
「そうかもしれない」
ユウは、否定しなかった。
「それでも?」
「それでもだ」
ユウは、彼女の隣に立つ。
「失敗する可能性を全部潰した未来は、
もう未来じゃない」
エリアの指が、手すりを強く掴む。
「守護者は、失敗を許されない」
「だから苦しいんだ」
ユウは静かに言った。
「お前は、正しかった未来しか生きられない」
エリアは、言葉を失う。
それは責めではない。
慰めでもない。
ただの、事実だった。
「……私は、あなたの選択を支持しない」
しばらくして、エリアは言った。
「この件で起きる結果について、
守護者として責任は負わない」
それは決別ではない。
立場の宣言だ。
ユウは、ゆっくり頷いた。
「それでいい」
「え?」
「全員が同じ答えを見る国は、脆い」
エリアは、視線を落とす。
理解できない。
だが、拒絶しきれない。
風が、二人の間を吹き抜けた。
星は変わらない。
だが、地上は――確実に揺れ始めている。
翌朝、王城の空気は、わずかに――しかし確実に変わっていた。
誰も口にはしない。
だが、貴族たちは感じ取っている。
誰かが処刑されなかった。
それは噂として流れる種類の情報ではない。
確証も、証言もない。
ただ、判断の基準が一つ、変わったという感覚だけが、静かに共有されていた。
セルグ侯は、いつも通り執務に就いていた。
ただし、以前と同じではない。
決裁には必ず同席者がつき、
文書は複数人の目を通り、
会合での発言順すら管理されている。
猶予。
それは自由ではなく、常に測られる立場だった。
セルグ侯自身も、それを理解している。
背筋は伸び、言葉は削られ、
一つの判断に、過剰なほど慎重になっていた。
――生きている。
だが、許されたわけではない。
ユウは、その様子を執務室から見ていた。
家系図を開く。
更生の枝は、まだ細い。
少しでも判断を誤れば、容易く折れる。
「……短期不安」
呟きは、確認に近かった。
背後で、エリアの気配がする。
「当然よ」
夜とは違い、声は落ち着いている。
感情は、深く沈められていた。
「今は、“裏切っても即粛清されない”前例ができた状態」
「皆が、計算を始めている」
「分かってる」
ユウは、家系図から目を離さない。
「だから、次は許さない」
エリアの視線が、鋭くなる。
「一度許して、次は切る?」
「随分、都合のいい線引きね」
「違う」
ユウは、静かに言った。
「理由があり、覚悟があり、
未来に価値がある場合だけだ」
それ以外は、切る。
「線は、もう引いた」
エリアは、何も言わなかった。
納得はしていない。
だが、無秩序ではないことは理解した。
その時だった。
家系図が――再び揺れた。
セルグ侯の枝ではない。
もっと近い場所。
ユウの指が、止まる。
「……まさか」
エリアが、即座に反応する。
「誰?」
ユウは、しばらく言葉を選んだ。
そして、低く答える。
「一番、信頼していた人物だ」
空気が、凍りつく。
家系図の奥で、新しい枝が色を変えている。
まだ濃くはない。
だが、確実に――裏切りへと傾き始めていた。
「許しは、救いになる」
ユウは、静かに言う。
「同時に、試金石にもなる」
「……だから、私は嫌なの」
エリアの声は、低い。
「分かってる」
ユウは、家系図を閉じた。
窓の外では、王都がいつも通りの朝を迎えている。
人々は、何も知らない。
だが、未来はもう――
別の場所で、静かに歪み始めていた。
「最後まで、見るわ」
エリアが言った。
昨夜と同じ言葉。
だが、意味は違う。
観測者としてではない。
結果を見届ける者として。
ユウは、頷いた。
許したことで、救われる未来。
許したことで、生まれる裏切り。
その両方が、
もう止められない速度で、動き出している。
そして次の裏切りは――
もっと近くから来る。
ユウの声が、執務室の空気を切り裂いた。
机の上に展開された半透明の家系図。
貴族連合の血統が複雑に絡み合い、白い光の枝となって広がっている。その中で――一本だけ、色を失った枝があった。
濁った灰色。
「……」
言葉が、喉で止まる。
家系図が示しているのは“現在”ではない。
未来だ。
その枝の先には、微かな接続が見える。
王国の外。
守護者の側へと、細く、だが確実に繋がる線。
「裏切り……」
背後で、エリアが息を吸う気配がした。
「ええ」
声は冷静だった。
だが、それは感情を抑え込んだ結果の静けさだ。
「貴族連合の中に、未来を売る者がいる」
ユウは、枝に指を伸ばす。
触れた瞬間、家系図が――揺れた。
未来が、分かれる。
⸻
一つ目の枝。
粛清の未来が見える。
広間に引き出される裏切り者。
名が告げられ、貴族たちの顔色が一斉に失われる。
恐怖。沈黙。従順。
秩序は保たれる。
短期的には。
だが、五年後。
家系図は歪んでいた。
恐怖で縛られた枝は、硬く、脆い。
誰も本音を言わず、誰も責任を取らない。
折れる未来。
⸻
もう一つの枝。
粛清は行われない。
裏切り者は監視下に置かれ、権限を削られ、それでも働く。
短期的には不安定だ。
疑念と緊張が、王国中を流れる。
だが、十年後。
その枝は、王国中枢に深く根を張っていた。
裏切ったからこそ知る、守護者の思考。
その癖。
その弱点。
使われる未来。
⸻
ユウは、息を吐いた。
「……二つに一つ、か」
エリアが一歩、前に出る。
「迷う必要はないわ」
声は、氷のように冷たい。
「裏切りは粛清すべき。
それが、三百年この世界を保たせてきた方法よ」
正論だった。
守護者としての、完成された結論。
ユウは、家系図から目を離さない。
まだ、決めていない。
――いや。
決める覚悟を、試されている。
この選択は、王国の未来だけではなく、
エリアとの関係そのものを変える。
執務室の窓の外では、王都がいつも通りに動いている。
人々は、何も知らない。
その平穏の根元に、
一本の枝が、静かに色を変えていることを。
「裏切り者は、粛清すべきよ」
エリアの声は低く、迷いがなかった。
それは感情ではなく、長い時間を生きて辿り着いた結論だ。
「それが、三百年この世界を保たせてきた方法」
ユウは、家系図を閉じない。
未来の分岐が、まだ視界に残っている。
「……分かってる」
短い返事。
「分かっていて、なぜ迷うの?」
エリアは一歩、近づいた。
その距離は、説得ではなく、圧力だ。
「許せば前例になる」
「前例は、次の裏切りを生む」
正しい。
守護者が何度も証明してきた理屈。
ユウは、ゆっくりと家系図を閉じた。
「だからこそ、俺が最初になる」
エリアの眉が、わずかに動く。
「何を言っているの?」
「裏切りを許す前例じゃない」
ユウは、はっきりと言った。
「責任を取る前例だ」
沈黙が落ちる。
「守護者は、可能性を減らす」
エリアは続ける。
「不確定要素は切り捨てる。
それが、一番安全」
「安全、だな」
ユウは息を吐く。
「家系図を見れば、
一番安全な道はすぐ分かる」
恐怖で縛る。
反逆の芽を、可能性ごと摘み取る。
エリアは頷いた。
それが現実だ。
「でもな」
ユウは、言葉を区切る。
「それをやった瞬間、この国は――
考えるのをやめる」
「それの、何が悪い」
即答だった。
「人は考えるから、間違える」
「疑うから、裏切る」
「なら、選択肢を与えなければいい」
三百年の結論。
揺るがない論理。
「エリア」
ユウは、静かに呼びかける。
「それは“管理”だ」
エリアの視線が、鋭くなる。
「未来じゃない」
三往復目。
「……後悔するわ」
声が、わずかに揺れた。
「失敗は、取り戻せない」
「死んだ命は、戻らない」
ユウは、即答する。
「後悔できるってことは、
まだ人間だ」
その言葉に、エリアの唇が震えた。
反論が、出てこない。
守護者は、後悔しない。
後悔が起きる前に、切り捨てる。
「俺は、粛清しない」
ユウは、断言した。
「裏切りを見逃すわけじゃない」
「罰を与えないわけでもない」
「……なら、何をするの」
「使う」
ユウの目が、鋭く光る。
「裏切ったからこそ、見えるものがある」
「守護者の考え方。動き方。癖」
エリアは、静かに息を吸った。
理解できない。
だが、否定もしきれない。
「それは、賭けよ」
「そうだ」
ユウは認める。
「でも、賭けなきゃ――
この国は、守られるだけの存在で終わる」
エリアは、目を伏せた。
この選択が正しいかどうか。
それは、まだ誰にも分からない。
ただ一つ確かなのは――
守護者の論理から、明確に外れたということだけだった。
悟った。
理由は告げられなかった。
それだけで、十分だった。
王城中央応接間。
普段は儀礼や調停に使われる部屋だが、今日は空気が違う。
扉の前に立つ護衛の数。
無言で塞がれる退路。
視線の置き方ひとつに、逃がさないという意思が滲んでいる。
――処刑だ。
喉が、ひくりと鳴った。
扉が閉まる音が、やけに大きく響く。
その瞬間、この部屋は「話し合いの場」ではなく、結論を告げられる場所だと理解した。
正面に、ユウ。
その背後に、エリア。
二人を見た瞬間、確信する。
――全て、知られている。
「立ったままでいい」
ユウの声は、氷のように平坦だった。
「長い話にはならない」
それが、何より恐ろしい。
セルグ侯は、ゆっくりと背筋を伸ばした。
言い訳はしない。
どうせ、意味はない。
「……あなたは、守護者と通じている」
直球だった。
胸の奥が、冷え切る。
だが、否定の言葉は浮かばなかった。
「……いつから、ご存じで」
「最初からだ。
正確には、“そうなる未来を見ていた”」
家系図。
理解は、早かった。
セルグ侯は、薄く笑った。
「なら、私の末路も……」
言いかけて、言葉を飲み込む。
エリアの視線が、鋭く突き刺さる。
そこにあるのは、迷いではない。
処断を前提にした視線だ。
――死ぬ。
そう、覚悟した。
家も、名も、積み上げてきたものも。
全てを失う覚悟は、できている。
「セルグ侯」
ユウが、名を呼ぶ。
「お前は、粛清されるべき存在だ」
心臓が、一拍遅れた。
来た。
ここまでだ。
「……覚悟は、できています」
声は、不思議と震えなかった。
裏切りを選んだ時点で、こうなる可能性は織り込んでいた。
だが。
「ただし、それは“今”の話だ」
セルグ侯は、思わず顔を上げた。
「俺は――お前を生かす」
一瞬、意味が理解できなかった。
生かす?
なぜ?
頭の中が、真っ白になる。
死を覚悟していた。
全てを失う覚悟をしていた。
なのに。
「……なぜ」
掠れた声が、零れた。
理解できない。
恐怖と驚愕が、入り混じる。
「私を、信用するのですか」
ユウは、首を振った。
「信用しない」
即答だった。
その冷酷さに、セルグ侯は――なぜか、安堵した。
これは慈悲ではない。
同情でもない。
利用だ。
「だが、お前は守護者の論理を知っている」
ユウは続ける。
「それは、今の王国に必要だ」
エリアが、口を開きかけ――閉じた。
納得していない。
だが、止めなかった。
セルグ侯の膝が、わずかに震える。
生き延びた実感が、遅れて押し寄せる。
「条件がある」
ユウの声が、再び冷える。
「守護者との接点は、全て俺が管理する」
「権限は制限する。逃げ道はない」
「その上で、働け。功績を積め」
猶予。
それは自由ではなく、鎖だ。
セルグ侯は、深く、深く頭を下げた。
床に額が触れる。
「……この命」
「あなたの賭けに、使ってください」
ユウは、家系図を見る。
更生の枝は、まだ細い。
だが――折れてはいない。
夜の風は、冷たかった。
王城の高所。
灯りの届かない回廊の先で、エリアは一人、手すりに身を預けていた。
眼下には王都の灯。
人々は眠り、酒を飲み、明日が来ることを疑っていない。
――無防備。
その言葉が、自然と浮かぶ。
今日、ユウが下した判断。
裏切りを知りながら、生かすという選択。
守護者として、最も避けるべき道。
「……また、同じ」
誰に向けた言葉でもなかった。
記憶が、否応なく引きずり出される。
かつて、別の王がいた。
エリアは、その顔を今でもはっきり覚えている。
若く、理想を語り、
人を信じることを誇りにしていた男。
その王も、裏切り者を許した。
「恐怖から裏切ったのだ」
「なら、やり直す機会を与えるべきだ」
エリアは止めた。
家系図を開けば、危険は明白だった。
だが、王は笑った。
「君は慎重すぎる」
「人は変われる」
その笑顔を、エリアは忘れられない。
未来を見た上での警告が、
“臆病”として退けられた瞬間だった。
二年後。
戦が始まったその夜。
城門は――内側から開かれた。
合図もなく、警告もなく。
ただ、静かに。
敵軍がなだれ込み、
都市は一夜で落ちた。
数万の命が失われた。
逃げ惑う人々。
燃え上がる家々。
エリアが粛清した時には、
もう、何もかもが遅かった。
「……私は、知っている」
許しが、何を壊すのかを。
許しは、希望を与える。
同時に、裏切る余地を与える。
守護者は、それを何度も見てきた。
だから、選ばない。
後悔が生まれるくらいなら、
最初から、可能性を切り捨てる。
それが、三百年積み上げてきた答え。
「なのに……」
ユウは、その答えを踏み越えた。
未来を見た上で、
あえて危険な枝を選ぶ。
――賭け。
人間らしい判断。
だからこそ、恐ろしい。
足音がした。
「ここにいたか」
ユウだった。
エリアは、振り返らない。
「来ると思ってた」
沈黙が、二人の間に落ちる。
「……後悔するわ」
エリアは低く言った。
「あなたの賭けは、成功しない可能性の方が高い」
「そうかもしれない」
ユウは、否定しなかった。
「それでも?」
「それでもだ」
ユウは、彼女の隣に立つ。
「失敗する可能性を全部潰した未来は、
もう未来じゃない」
エリアの指が、手すりを強く掴む。
「守護者は、失敗を許されない」
「だから苦しいんだ」
ユウは静かに言った。
「お前は、正しかった未来しか生きられない」
エリアは、言葉を失う。
それは責めではない。
慰めでもない。
ただの、事実だった。
「……私は、あなたの選択を支持しない」
しばらくして、エリアは言った。
「この件で起きる結果について、
守護者として責任は負わない」
それは決別ではない。
立場の宣言だ。
ユウは、ゆっくり頷いた。
「それでいい」
「え?」
「全員が同じ答えを見る国は、脆い」
エリアは、視線を落とす。
理解できない。
だが、拒絶しきれない。
風が、二人の間を吹き抜けた。
星は変わらない。
だが、地上は――確実に揺れ始めている。
翌朝、王城の空気は、わずかに――しかし確実に変わっていた。
誰も口にはしない。
だが、貴族たちは感じ取っている。
誰かが処刑されなかった。
それは噂として流れる種類の情報ではない。
確証も、証言もない。
ただ、判断の基準が一つ、変わったという感覚だけが、静かに共有されていた。
セルグ侯は、いつも通り執務に就いていた。
ただし、以前と同じではない。
決裁には必ず同席者がつき、
文書は複数人の目を通り、
会合での発言順すら管理されている。
猶予。
それは自由ではなく、常に測られる立場だった。
セルグ侯自身も、それを理解している。
背筋は伸び、言葉は削られ、
一つの判断に、過剰なほど慎重になっていた。
――生きている。
だが、許されたわけではない。
ユウは、その様子を執務室から見ていた。
家系図を開く。
更生の枝は、まだ細い。
少しでも判断を誤れば、容易く折れる。
「……短期不安」
呟きは、確認に近かった。
背後で、エリアの気配がする。
「当然よ」
夜とは違い、声は落ち着いている。
感情は、深く沈められていた。
「今は、“裏切っても即粛清されない”前例ができた状態」
「皆が、計算を始めている」
「分かってる」
ユウは、家系図から目を離さない。
「だから、次は許さない」
エリアの視線が、鋭くなる。
「一度許して、次は切る?」
「随分、都合のいい線引きね」
「違う」
ユウは、静かに言った。
「理由があり、覚悟があり、
未来に価値がある場合だけだ」
それ以外は、切る。
「線は、もう引いた」
エリアは、何も言わなかった。
納得はしていない。
だが、無秩序ではないことは理解した。
その時だった。
家系図が――再び揺れた。
セルグ侯の枝ではない。
もっと近い場所。
ユウの指が、止まる。
「……まさか」
エリアが、即座に反応する。
「誰?」
ユウは、しばらく言葉を選んだ。
そして、低く答える。
「一番、信頼していた人物だ」
空気が、凍りつく。
家系図の奥で、新しい枝が色を変えている。
まだ濃くはない。
だが、確実に――裏切りへと傾き始めていた。
「許しは、救いになる」
ユウは、静かに言う。
「同時に、試金石にもなる」
「……だから、私は嫌なの」
エリアの声は、低い。
「分かってる」
ユウは、家系図を閉じた。
窓の外では、王都がいつも通りの朝を迎えている。
人々は、何も知らない。
だが、未来はもう――
別の場所で、静かに歪み始めていた。
「最後まで、見るわ」
エリアが言った。
昨夜と同じ言葉。
だが、意味は違う。
観測者としてではない。
結果を見届ける者として。
ユウは、頷いた。
許したことで、救われる未来。
許したことで、生まれる裏切り。
その両方が、
もう止められない速度で、動き出している。
そして次の裏切りは――
もっと近くから来る。
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