筆だって自分で文字が書きたい~人になりたいのに、異世界で神にされました。~

嶋田愛那

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江戸編

第7話 筆は猫又と出会う③

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猫又に教えてもらった「念」の練習を続けて,どのくらい経ったか。


寺でも,江戸行きのこの道中でも,わたしは飽きずに「念」の練習をしていた。


荷馬車での猫又は,揺れるのをものともせず1日の大半を寝て過ごしていた。


のんびりしたものである。





寺で出会ったこの猫又は,猫らしくとても気まぐれな性格の妖であった。



あるときは,わたしが置かれている部屋で昼寝をし,



またあるときは,ぷいっとどこかへ消え,何日も戻らなかった。



いない間になにをしていたかは聞いていない。



たぶん,よそでねずみを捕まえたり昼寝をしたり,忙しくしていたのだろう。



彼女は坊主たちとも顔見知りであったようで,ねずみを獲ってはよく煮干しをもらっていた。


一度聞いてみたことがある。



『猫又さん,煮干しってそんなにおいしいものですか?』



『当然さ。私ら猫又にとって,干した魚はごちそうだよ。

かつお節なんて手に入った日には,踊りが止まらないねえ。

でも一番いいのはまたたびだね。あれは人が呑む酒よりも気持ちよく酔えるのさ』



『そうなんですねえ。わたしは口がないので,想像しかできませんが。

猫又さんがあんまりおいしそうに食べているものですから』



『ふふん,あげないわよ』



『いらないです』



素直にそう返すと,猫又はつまらなそうに昼寝をしだした。



『強がっちゃって。

あなたも口が欲しければ,化けるでもなんでもやり方があるでしょうに。』



そんな言葉をわたしに投げて。



…そんなに羨ましそうにしていただろうか。



たしかにわたしには口がないが。



なにもそんな言い方をしなくても…



少し毛羽立った気持ちになった。



だが、かつて親方の親戚連中に感じた、祟ってやりたいほどの怒りとは別の感情のように思えた。



実際、彼女を祟ってもやり返されるだけだろうし。





またあるとき,猫又はねずみを何匹も捕まえてきた。


『あんたが猫だったら,ねずみの捕まえ方のひとつも教えられたのにねえ』


としみじみ言う彼女に,わたしはなるべくなら遠慮したいと思った。




そんな色々な思い出のある,わたしが猫又と出会い,過ごした寺はもうない。



いま,新しい持ち主と猫又と共に,江戸に向かっている途中である。



江戸行きが決まったとき。わたしは故郷となるこの奈良を離れることに,軸が震えるほど恐ろしいと感じて,気が塞いだ。


商人の手に渡らず,ずっと寺にいたかった。


坊主たちのお経をもっと聞きたかった。




しかし,猫又に改めて身の上話をしたことで,ある事実を理解することができた。







そう,わたしは筆だ。





紙に書き損じた書き物は,もう消すことはできない。



捨てるか,焚き付けくらいにしかならない。



わたしがずっといた奈良も,寺も同じだ。



失ったものは戻らない。



だから,少しずつでも前に進まなければならないのだ。



無理やりにでも身の上話をさせた猫又に感謝しなければ。



荷馬車のすみで,静かにそう心に決めた。







それを猫又に言ってみたら,『随分と辛気くさいことを考えるわねえ』とひげを鳴らしていた。


彼女は,妖怪は長い時間を生きるのだから,故郷なんてさっさと捨ててしまえばいいと言った。


随分とつめたい言い方をしているが,その声はやさしいものだった。


突き放しているようで,実は彼女なりに優しい猫又なのだろうか,と思った。


彼女だけでなく,もしかすると猫とはそういうものなのかもしれない。




そうして,いろいろと吹っ切れてきたとき,旅は江戸まであと半分の道のりであった。



旅が後半になったとき,唐突に猫又は言った。





『じゃあ筆,そろそろ化けてみなさいよ』





聞こえないふりをしたかった。




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