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江戸編
第6話 筆は猫又と出会う②
しおりを挟む作られてからこのかた、自分でも気づくことのなかった筆の中にいる自分に、声をかけてもらえた。
どうともいえないうれしさに襲われ、筆であるのに息もできなくなりそうであった。
同時に、殻を破ったばかりで、これまで遠くにあったものがいきなり近くに来たような感じがして、どうしていいかがわからなかった。
そしてどうやら、筆である自分が感じていることは、そのまま「念」となって周囲に流れているらしい。
いきなり声をかけられて狼狽する自分の感情もまた、筒抜けであったのだろう。
大きな「筆」はのんびりとして、まあ落ち着きなさいよとわたしに声をかけた。
そして、私は筆ではないわよ、と言った。
そんなことまで伝わっているのかと、首がないながら仰天したものだ。
そうしてひとり、いやいっぽんで考え込んでいると、彼はこちらのことは気にせずに名乗った。
にゃあん、とひと鳴きすると、
私は寺の周辺、ここいらを縄張りにしている猫又よ、と言った。まだ齢50年ほどで、妖としてはまだまだひよっこといったところなのだと。
ちなみに私はめすだから、彼ではなくて彼女よ、ともちくりと言われた。
そこは譲れないところのようだ。
意識が浮上して間もない時分であったが、考えていることが相手に知られるというのは不便なものだ、と思い知るには十分であった。
筆でないなら、彼女の体についている2本の筆のようなものはなんなのだろう。
そうちらりと思ったら、これはしっぽよと教えてくれた。普通の猫は1本だが、彼女は20年ほど生きていたら、いつの間にか増えていたらしい。
ちょっとした疑問にすぐ答えてもらえる。
思考がたれ流しだというのは便利なときもあるのだとわかった。
彼女曰く、猫と言えば耳としっぽ。そしてこの毛並み。これが猫、そして猫又にとっては命より大事なものなのだと。
人間の女性は髪を後生大事にしているでしょう。それと同じことよ。
あなただって毛先はそろっている方がいいでしょう、と。
すごく納得することができた。
それから今に至るまで、彼女はわたしに考えの伝え方というものを教えた。
『さすがにたれ流しはまずいでしょ、いろいろとね。あんたがちゃんと使えるようになれば、わたしもうるさくなくていいわ。』
そんなに全部筒抜けだったのか。自分は羞恥心というものは感じたことがないのでなんとも思わないが、どうせなら静かにありたいものだ。そう思った。
動けないおのれがかじられずにすむように。
おのれの今の状態は、「念」が周囲に漏れているものであるという。
人ならざる者との会話には、この「念」というものが必要なのだ。
「念」は只人には感じ取れないが、たまに感じることができるらしい。
このお寺にも何人かいるのよ、と教えてくれた。
商人に譲られてから、荷馬車に揺られながらこの猫又との出会いを思い返していた。そこでふと気付いた。
修行に出るからとわたしを商人へ譲った坊主は、どうやら「気付いていない」方だったようだ。
いやもしかすると、気付いていたからこそ手放したのかもしれない。
彼女はもともと猫であるからして、声でも念でも会話ができるらしい。
丸い背中をこれでもかとぴんと伸ばして自慢していた。
口があるとはうらやましい限りである。
自分はこれまで人に作られ、人に使われ、人に近いところで生きてきたので、どこかで自分も人のように、声を使うものだと信じていた。
そして、わたしには口がないのだから、他の誰かと話すことなどできようもないと、諦めのような感情も抱いていた。
それがどうだ。猫又と意思疎通できるようになり、こうして言葉を交わしている。
それがどんなにうれしいことであるのか、わたしは今まで知る由もなかった。
喜びの感情をこれでもかと表しながら話す練習に夢中なわたしを一瞥すると、猫又は熱心に毛づくろいをしていた。
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