神の豆を育てる聖女は王子に豆ごと溺愛される

西根羽南

文字の大きさ
60 / 79

60 諦めないわよ

しおりを挟む
 さっきは遥か遠くだったのに、今度はかなり近づいている。
 森に入ったのは失敗だっただろうか。

 サイラスに何かされたとしても、さすがに殺されはしないはず。
 ならば神殿で大人しくしていた方が良かったのかもしれない。
 だが今から戻ろうにも、狼はすぐそこまで来ている。

「ご、護身用の豆を、持とうかな。……あ。豆ケースは置いてきちゃった。――〈開け豆オープン・ビーン〉」
 ころりと転がった豆粒を見て、あずきは眉間に皺を寄せる。

「何で小豆なのよ。今は、あんこを食べている場合じゃないのに」
 豆に文句を言ったと同時に、ガサガサという葉擦れの音がすぐ近くで聞こえる。
 びくりと肩を震わせて音のした茂みを見てみれば、金色に光る目がこちらを見ていた。

「嘘、でしょ」
 一歩後退ったあずきと対照的に、茂みの中から姿を現したのは犬によく似た生き物。
 見たことがないので予想ではあるが、恐らくは狼で間違いないだろう。

 その狼はあずきをじっと見ながら、唸り声をあげている。
 どう見ても友好的じゃないし、通り過ぎてくれそうにない。
 だが走ったところですぐに追いつかれるだろうし、木に登ろうにもこの距離では時間が足りない。

 とにかく、少しでも足止めして時間を稼がなければ。
 あずきは豆をぎゅっと握りしめると、手を差し出した。


「お願い、足止めして。――〈小豆のお供えアズキ・オファリング〉」

 手のひらの小豆が光って消える。
 それと同時に、ベッドと見紛うほどの大きさのあんこの塊が狼の上に落ち、あっという間に狼はあんこに体が埋もれてしまった。
 あんこから頭だけを出している様は、苺が顔を出した苺大福のようだった。

「……嘘。あんこ、強い」
 感心していると、あんこに埋もれた狼が遠吠えをする。

 これは、きっと仲間を呼んでいるのだろう。
 のんびり鑑賞している場合ではないと、慌てて近くの木に登ろうと手をかけた。
 だが、それよりも早く獣の荒い息遣いが聞こえてくる。
 どうにか低い枝に足をかけたところで、たくさんの狼が姿を現した。

「いやいや、無理無理。温厚な狼でも無理。そもそも私、猫派だから。犬、無理」
 震えながら、もっと高い枝に登ろうと足をかけたところに、一匹の狼が飛びついてきた。
 靴に噛みつかれてバランスを崩し、そのまま木の根元に転げ落ちる。

 背中とお尻を打って痛みに呻きながらもどうにか周囲を確認すると、狼十頭ほどが目の前にいる。
 転げ落ちたあずきに巻き込まれないように距離をとったようだが、今すぐ襲い掛かってきてもおかしくない。


「やだ。死んじゃうかも」
 弱音が口からこぼれると、ふと母の遺言が脳裏をよぎる。

『幸せになってね』と、母は言った。
 異世界で狼に襲われて死ぬなんて、全然幸せじゃない。
 だから、大人しく死ぬわけにはいかない。

「……諦めないわよ」
 地面に転がった状態から上体を起こすと、狼を睨みつける。
 狼を苺大福状態にした巨大あんこなら、この狼達もあんこに埋めることができるかもしれない。

「〈開け豆オープン・ビーン〉」
 震える手のひらにころりと転がったのは、小豆……ではなくて、ひよこ豆だった。
「――何でよ? ここは満を持しての小豆でしょう? 空気読んでよ、豆!」

 思わず叫ぶと一瞬狼が怯んだが、すぐに唸り声をあげてあずきにゆっくりと近付き始めた。
 ひよこで狼にどう対抗したらいいのか皆目見当もつかないが、もう新しい豆を召喚する余裕はない。
 あずきは狼に突きつける勢いで手を差し出すと、大きく息を吸った。

「――<ひよこ豆の行進ガルバンゾー・マーチ>!」
 半ばやけくそで叫ぶと、大量のひよこ豆がゲリラ豪雨のごとく狼に降り注いだ。
 豆の量も勢いもおかしいが、豆自体もひよこというよりは鶏と言った方がいい大きさだ。

 狼は想定外の鈍器で倒れるものもいれば、大量の豆に埋もれて身動きが取れないものもいる。
 ボールプールで遊ぶ子供のような絵面だが、豆と狼なので可愛いというよりは滑稽だ。
 だが反撃に遭ったことで、狼にも怒りが芽生えたらしい。
 動ける狼達が、一斉にあずきに飛びかかってきた。


「――アズキ!」

 鋭い声と共に、突風が吹き抜ける。
 皮膚が切れそうな程のその勢いで、狼達はその場から吹き飛ばされた。

 狼達は木の幹に体を打ち付けられたり、地面に投げだされたりしており、悲しげな鳴き声があたりに響く。
 突然の暴風に驚いていると、神殿側の小道から輝く金色の髪の少年が駆け寄ってきた。

「……クライヴ?」

 呼びかけというよりも確認のためにその名を口にすると同時に、周囲の空気が動き、何本もの木が倒れた。
 あずきと狼の間を隔てるように転がる木は、すべて鋭利な刃物で切ったかのような滑らかな切断面だ。
 倒木の音と衝撃に驚いたらしい狼達が、蜘蛛の子を散らすように走り去っていく。
 豆のボールプールに埋もれていた狼と、苺大福状態の狼も慌てた様子でそれに続く。

 ぼんやりと狼の姿を眺めていると、金色の髪の少年があずきの前にひざまずいた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

理想の男性(ヒト)は、お祖父さま

たつみ
恋愛
月代結奈は、ある日突然、見知らぬ場所に立っていた。 そこで行われていたのは「正妃選びの儀」正妃に側室? 王太子はまったく好みじゃない。 彼女は「これは夢だ」と思い、とっとと「正妃」を辞退してその場から去る。 彼女が思いこんだ「夢設定」の流れの中、帰った屋敷は超アウェイ。 そんな中、現れたまさしく「理想の男性」なんと、それは彼女のお祖父さまだった! 彼女を正妃にするのを諦めない王太子と側近魔術師サイラスの企み。 そんな2人から彼女守ろうとする理想の男性、お祖父さま。 恋愛よりも家族愛を優先する彼女の日常に否応なく訪れる試練。 この世界で彼女がくだす決断と、肝心な恋愛の結末は?  ◇◇◇◇◇設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 R-Kingdom_1 他サイトでも掲載しています。

転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。

ラム猫
恋愛
 異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。  『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。  しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。  彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。 ※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

【完結】後宮の片隅にいた王女を拾いましたが、才女すぎて妃にしたくなりました

藤原遊
恋愛
【溺愛・成長・政略・糖度高め】 ※ヒーロー目線で進んでいきます。 王位継承権を放棄し、外交を司る第六王子ユーリ・サファイア・アレスト。 ある日、後宮の片隅でひっそりと暮らす少女――カティア・アゲート・アレストに出会う。 不遇の生まれながらも聡明で健気な少女を、ユーリは自らの正妃候補として引き取る決断を下す。 才能を開花させ成長していくカティア。 そして、次第に彼女を「妹」としてではなく「たった一人の妃」として深く愛していくユーリ。 立場も政略も超えた二人の絆が、やがて王宮の静かな波紋を生んでいく──。 「私はもう一人ではありませんわ、ユーリ」 「これからも、私の隣には君がいる」 甘く静かな後宮成長溺愛物語、ここに開幕。

「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」

透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。 そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。 最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。 仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕! ---

目覚めたら魔法の国で、令嬢の中の人でした

エス
恋愛
転生JK×イケメン公爵様の異世界スローラブ 女子高生・高野みつきは、ある日突然、異世界のお嬢様シャルロットになっていた。 過保護すぎる伯爵パパに泣かれ、無愛想なイケメン公爵レオンといきなりお見合いさせられ……あれよあれよとレオンの婚約者に。 公爵家のクセ強ファミリーに囲まれて、能天気王太子リオに振り回されながらも、みつきは少しずつ異世界での居場所を見つけていく。 けれど心の奥では、「本当にシャルロットとして生きていいのか」と悩む日々。そんな彼女の夢に現れた“本物のシャルロット”が、みつきに大切なメッセージを託す──。 これは、異世界でシャルロットとして生きることを託された1人の少女の、葛藤と成長の物語。 イケメン公爵様とのラブも……気づけばちゃんと育ってます(たぶん) ※他サイトに投稿していたものを、改稿しています。 ※他サイトにも投稿しています。

指さし婚約者はいつの間にか、皇子に溺愛されていました。

湯川仁美
恋愛
目立たず、目立たなすぎず。 容姿端麗、国事も完璧にこなす皇子様に女性が群がるのならば志麻子も前に習えっというように従う。 郷に入っては郷に従え。 出る杭は打たれる。 そんな彼女は周囲の女の子と同化して皇子にきゃーきゃー言っていた時。 「てめぇでいい」 取り巻きがめんどくさい皇子は志麻子を見ずに指さし婚約者に指名。 まぁ、使えるものは皇子でも使うかと志麻子は領地繁栄に婚約者という立場を利用することを決めるといつのまにか皇子が溺愛していた。 けれども、婚約者は数週間から数か月で解任さた数は数十人。 鈍感な彼女が溺愛されていることに気が付くまでの物語。

処理中です...