僕たちはその歪みに気付くべきだった。

AT限定

文字の大きさ
36 / 54

灯理の痛み⑦

しおりを挟む
「えっと……、どういうことかな? 風霞」

 風霞の問いかけに、灯火は一瞬ぎょっとした顔をする。
 かくいう僕も、思わず身体をびくつかせてしまう。
 唯一、それを俯瞰していたホタカ先生だけが、心底嬉しそうにその目を細めていた。

「灯理さ。まだ私に言ってないこと、あるよね?」

 風霞は淡々と、思いもよらぬことを灯理に聞く。

「え、えっと……。ごめん。あたし、風霞にまだ他に謝らなきゃいけないこと、あったっけ?」 

「じゃなくてさっ! 私が灯理の家に遊びに行ったあの日、さ。悪いと思ったんだけど、見ちゃったんだよね。クローゼット、開けっ放しだったから……」

 灯理は言葉を詰まらせる。
 すると、その表情は茹で蛸のように、みるみるうちに赤くなっていった。

「……私、よく知らないんだけどさ。アレ、ボイストレーニングの本でしょ?灯理、何かやりたいことあるんじゃないの?」

「っ!? ちょっ!? そんなん今関係ないっしょっ!?」

 風霞の質問に、灯理は酷く動揺する。
 それでも風霞は一切引く様子を見せない。

「関係あるよ。だって……」

 風霞はそれだけ言うと、少しの間口籠る。

「私、見ちゃったの。その本に一緒に挟まってた写真……」

「……アンタ、それってまさか」

「レッスン中、だったのかな? 演劇かなんかの。それと一緒に写ってた人、須磨先輩だよね? 役者さん、目指してたんじゃないの? 二人で。……ううん。今でも、か。多分なんだけどさ。須磨先輩が突っかかってくるのってさ……。それも原因なんじゃないの?」

 淡々とそう話す風霞を前に、灯理は絶句する。
 その後、観念するかのように、灯理はすっと息を吐く。

「……別に隠してたわけじゃない。第一、あたしや姉貴の夢なんか、わざわざ話す意味ないしね。それこそ、うちの姉貴の私情なんて、風霞たちには知ったこっちゃないだろうし」

 灯理は必死に言い聞かせるように、まくし立てる。

「でもさ。まだ気持ちは燻ってる。それも事実なんじゃないの? 本当にもう捨てた夢なら、あんなすぐに取り出せる場所に置かないよ……」

「っ!?」

 風霞がそう言うと、灯理は押し黙った。

「私、そういうの全然ないから単純に凄いって思うし、素直に応援したいって思う。お金も沢山かかるんだろうし、私がどうこう言える立場じゃないってことは分かってるけどさ……」

「……別にそんな立派なモンじゃないし。ただ、ナニ? ちっちゃい頃から、やってたから続けてたってだけ……。第一、そんな呑気なこと言ってられる状況じゃないって分かるっしょ!?」

「分かってるよ。だから私がどうこう言える立場じゃないって……」

「大体さ! あんだけ色んな人に迷惑掛けといて、あたしだけ夢追いかけます、とか都合良過ぎっしょ!? 実際、アンタの言う通り、あの人もこうしてちょっかい出してきてるわけだしさ……」

「じゃあ、やっぱり……」

 風霞の問いかけに、灯理は無言で頷く。

「あの人、父親が怪我で休業した時、劇団辞めてるんよ……。あたしはその後もしばらくは続けてたからさ……。そりゃあ面白くないよね! 先に生まれたってだけで、何で色々我慢しなきゃなんないんだしって感じだよね!」

 僕はこの時、灯理が放った言葉が重く胸に響いた。
 須磨先輩の人格云々は知るところではない。
 ただ飽くまで兄として、年長者として、だ。
 彼女の気持ちが分かる、と言えば酷く傲慢で、思い上がりもいいところだ。
 しかし、それでも自分自身と通ずる何かを感じてしまった以上、僕には灯理に掛けるべき言葉がある。

「そういうこと……、じゃないと思うぞ」

「へ? じゃあ、どういうことなん?」

 灯理は呆けた顔で聞いてくる。

「確かに、先に生まれたのは須磨先輩だ。灯理が言ったように、上の人間ってのは『お兄ちゃんなんだから……』とか、何かって言うと無言の圧力みたいなものを感じるんだよ」

「で、でしょ!? なら……」

「灯理と須磨先輩が、どんな関係だったのかは知らない。でも、一つだけ分かることがある。先に生まれた以上、張らなきゃいけない意地っていうか、プライドがあるんだ。これはプレッシャーとかじゃなくて、一生解けない呪いみたいなモンだよ」

「そんなん……、勝手に背負ってるだけじゃん!」

「そう。その通りだ。でも、それは灯理にも言えることだろ?」

「そ、それは……」

 僕の質問に、灯理は口籠る。

「劇団を辞めたのは、両親の離婚が原因か?」

「……話、聞いてた? 当たり前じゃん!」

「本当に、そうか?」

「っ!? そ、そうだし」

 語るに落ちる、といったところか。
 僕自身の意志が揺らぐ前に、このまま畳み掛けるべきだ。
 
「灯理。須磨先輩が劇団を辞めた時、内心こう思ったんじゃないか? 『ふざけるな。これじゃまるであたしが悪者じゃないか』って」

「っ!?」

「お兄ちゃん……」

 僕の言葉に、灯理も風霞も顔を強張らせる。

 言ったそばから、自分自身に幻滅しそうになる。
 こんなこと……。一体どの口が言って退けるのだろうか。
 そもそも、風霞の前で話すようなことじゃない。
 でも、きっと……。このままなら僕は変わらない。変わりきれない。
 今こうして、変わりつつある風霞を前に、惨めな醜態を晒し続けることになる。
 ならば、いっそ開き直って丸裸になり、ヒール役にでも徹した方がいくらか気が楽だ。

「二人の気持ちは、僕には分からない。でもな。須磨先輩は須磨先輩で別のフラストレーションを抱えてたんだとは思う。人間って勝手だからな。たまに他人が背負っている責任が、自分の責任以上に重荷に感じることがあるんだよ」

「何かそれ、分かるかも……」

 風霞は僕の話に同調してみせる。
 口にせずとも、伝わる。 
 僕が風霞に押し付けてきた感傷は、この場でインスタントに言語化出来るものではない。
 
「だから多分……。須磨先輩は気付いて欲しかったんじゃないか? 灯理まで辞めたら、自分が辞めた意味がなくなることに。露骨な嫌がらせまでして、な。それが分かれば、これから色々とやりようがあるだろ? まぁ最大限好意的に見て、だけど」

 灯理はフゥと静かに嘆息を漏らす。

「……自分をハメた相手の弁護を良くそこまで出来るね」

 そう溢す灯理は、心底呆れたような様子だ。
 本当に……、彼女の言う通りだ。
 ストックホルムなんちゃらと言えるほど、須磨先輩と面識があるわけでもなければ、ましてやただの勝手な憶測である。
 ただ、それでもを持つ人間として、気付いてしまった以上、須磨先輩を他人として扱うことはどうしても出来なかった。

「……風霞の兄貴はそれでいいん?」

 一瞬、揺らぎそうになる。
 しかし嘘偽らざることを言うならば、今僕に残された感情は、少なくとも『怒り』ではない。
 
「別に良いとか、悪いとかじゃない……。僕は飽くまで統計と言うか、傾向を言っただけだよ。上の人間なんて、こんなもんだってくらいに思ってくれればいい」

 この際、須磨先輩の動機なんてどうでもいい。
 第一、これだけ事態は拗れているワケだ。
 僕たちは僕たちで、須磨先輩にだけ構っている余裕はない。
 それならば、姉妹喧嘩の決着くらいは、自分たちで付けてもらった方がいい。
 それに……。
 自分で判断するのも何だが、ホタカ先生の目的は既に達成されたような気がする。
 であれば、後の始末は然るべき人たちに任せるべきなのだろう。

「そっか。ごめん……。あと、ありがとう、ございますっ!」

 灯理は、僕に深々と頭を下げてきた。
 何とも見当違いな謝意だ。
 僕はただ、下に弟妹を持つ人間の苦悶を主張しただけだ。
 それこそ、子どもが駄々を捏ねるように。

「あのさ……。灯理」

 風霞が静かに、灯理に語り掛ける。

「もし灯理が、私に何か罪悪感みたいなもの感じてくれてるんならさ。その夢、諦めないでくれると嬉しいかな。ホラ! 元々、お願いしたのは私なんだしさ! 私が原因で灯理がやりたいことが出来なくなるなんて、やっぱり嫌じゃん?」

「風霞……」

「確かに灯理が言ったように、今はそんな場合じゃないかもしれない。でもさ。いつになってもいいと思うんだ。人生、長いんだしね!」

 風霞はそう言って、ニコリと灯理に笑いかける。
 その瞬間、灯理は風霞に勢いよく抱きついた。
  
「……拒絶しろって言ったのに。風霞の馬鹿っ」

 灯理は風霞の襟元で口をもごもごとさせ、呟く。
 涙で声はこもっていて、はっきりとは聞こえてこない。

「灯理こそ忘れたの? 私は何があっても、灯理を拒絶しないって」
「……風霞のそういうトコ、ホント嫌い。でも、ありがと」

 胸元に顔を埋めながらそう話す灯理に、風霞は静かに微笑みかける。
 そして、彼女の頭を優しく撫でた。

 僕はそんな二人を前に、今すぐにでもこの場を逃げ出したい衝動に駆られていた。
 別にココ数日で僕自身が成長した、だなんて思ってはいない。
 とは言え、紛いなりにも自分と向き合ってきた自負はある。
 だからかは分からないが、何の打算もなく随分あっさりとした様子でそのセリフを吐く風霞の姿を見て、先程の疑念がより一層強いものとなった。
 やはり僕と風霞とは、根本的に何かが違う。

 ふとホタカ先生を見ると、妙にかしこまった顔をしている。
 というより、どこか呆けた様子だった。

「……まぁなんやかんやでこんな感じになりましたが、どうですか? ホタカ先生」
「へ? う、うん。いいんじゃない?」

 ホタカ先生は僕の呼びかけに対して、どうにも気の抜けた返事をする。
 この人のマイペース振りは、もはや平常運転だ。
 
「……一応、僕なりに好き勝手言わせてもらったつもりなんですがね。お気に召しませんか? ていうか……、これ以上僕たちに何が出来るってんですかね?」

 僕が皮肉を込めて言い放つと、ホタカ先生は人を食ったような笑みを浮かべる。

「ううん! 悪くないどころか、だいぶ良いよ! トーキくん。キミは頑張ったね!」

 何を、とは敢えて聞くまでもない。
 少なくとも、もう答えに辿り着きつつあることに、ホタカ先生は気付いている。
 
「あ、あの……」

 意を決して彼女に聞こうとした、その時だった。
 僕たちの座るテーブルがガタガタ鈍い音を立てつつ、震える。

「……何だよ。こんな時に」

 である僕のスマホは早く出ろと催促するかのように、無造作に置かれたテーブルの上で震えている。
 目を落とし、表示された名前を見て、不覚にも心がざわついてしまう。
 
「誰から、かな?」

「父さんからです」

「そう」

 それだけ呟くと、彼女はまた神妙な顔つきになる。 
 きっと、良い意味でも、悪い意味でも。
 この電話に出ることで、今まで停滞していたものが一気に動き出してしてまうのだろう。
 そんな予感を胸に、僕は静かに画面の『応答』に触れた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

『お兄ちゃんのオタクを卒業させてみせるんだからね❤ ~ブラコン妹と幼馴染オタク姫の果てしなき戦い~』

本能寺から始める常陸之介寛浩
青春
「大好きなはずなのに……! 兄の『推し活』が止まらない!?」 かつて、私は信じていた。 優しくて、頼もしくて、ちょっと恥ずかしがり屋な── そんな普通のお兄ちゃんを。 でも── 中学卒業の春、 帰ってきた幼馴染みの“オタク姫”に染められて、 私のお兄ちゃんは**「推し活命」**な存在になってしまった! 家では「戦利品だー!」と絶叫し、 年末には「聖戦(コミケ)」に旅立ち、 さらには幼馴染みと「同人誌合宿」まで!? ……ちがう。 こんなの、私の知ってるお兄ちゃんじゃない! たとえ、世界中がオタクを称えたって、 私は、絶対に── お兄ちゃんを“元に戻して”みせる! これは、 ブラコン妹と 中二病オタク姫が、 一人の「兄」をめぐって 全力でぶつかり合う、果てしなき戦いの物語──! そしていつしか、 誰も予想できなかった 本当の「大好き」のカタチを探す、 壮大な青春ストーリーへと変わっていく──。

幼馴染が家出したので、僕と同居生活することになったのだが。

四乃森ゆいな
青春
とある事情で一人暮らしをしている僕──和泉湊はある日、幼馴染でクラスメイト、更には『女神様』と崇められている美少女、真城美桜を拾うことに……? どうやら何か事情があるらしく、頑なに喋ろうとしない美桜。普段は無愛想で、人との距離感が異常に遠い彼女だが、何故か僕にだけは世話焼きになり……挙句には、 「私と同棲してください!」 「要求が増えてますよ!」 意味のわからない同棲宣言をされてしまう。 とりあえず同居するという形で、居候することになった美桜は、家事から僕の宿題を見たりと、高校生らしい生活をしていくこととなる。 中学生の頃から疎遠気味だったために、空いていた互いの時間が徐々に埋まっていき、お互いに知らない自分を曝け出していく中──女神様は何でもない『日常』を、僕の隣で歩んでいく。 無愛想だけど僕にだけ本性をみせる女神様 × ワケあり陰キャぼっちの幼馴染が送る、半同棲な同居生活ラブコメ。

至れり尽くせり!僕専用メイドの全員が溺愛してくる件

こうたろ
青春
普通の大学生・佐藤健太は目覚めると、自宅が豪華な洋館に変わり10人の美人メイドたちに「お目覚めですか、ご主人様?」と一斉に迎えられる。いつの間にか彼らの“専属主人”になっていた健太は戸惑う間もなく、朝から晩までメイドたちの超至れり尽くせりな奉仕を受け始める。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

学園のアイドルに、俺の部屋のギャル地縛霊がちょっかいを出すから話がややこしくなる。

たかなしポン太
青春
【第1回ノベルピアWEB小説コンテスト中間選考通過作品】 『み、見えるの?』 「見えるかと言われると……ギリ見えない……」 『ふぇっ? ちょっ、ちょっと! どこ見てんのよ!』  ◆◆◆  仏教系学園の高校に通う霊能者、尚也。  劣悪な環境での寮生活を1年間終えたあと、2年生から念願のアパート暮らしを始めることになった。  ところが入居予定のアパートの部屋に行ってみると……そこにはセーラー服を着たギャル地縛霊、りんが住み着いていた。  後悔の念が強すぎて、この世に魂が残ってしまったりん。  尚也はそんなりんを無事に成仏させるため、りんと共同生活をすることを決意する。    また新学期の学校では、尚也は学園のアイドルこと花宮琴葉と同じクラスで席も近くなった。  尚也は1年生の時、たまたま琴葉が困っていた時に助けてあげたことがあるのだが……    霊能者の尚也、ギャル地縛霊のりん、学園のアイドル琴葉。  3人とその仲間たちが繰り広げる、ちょっと不思議な日常。  愉快で甘くて、ちょっと切ない、ライトファンタジーなラブコメディー! ※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。

処理中です...