僕たちはその歪みに気付くべきだった。

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ホタカ先生の痛み④

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「私、高島先生の元・教え子なの。今から10年前のね」

 そう話すホタカ先生は、恐いと思えるほど淡々としていた。
 これから自身のコンプレックスを語る人間のソレとは思えず、どうにも腑に落ちない。
 しかし、今それを言っても話は進まないだろう。
 何よりも、僕にはそれを指摘する資格すら持ち合わせていない。

「そう、ですか……」

 僕は相槌を打ちつつ、高島先生を見る。
 瞬間、居心地悪そうに視線を逸らされる。
 ホタカ先生は、その様子をどこかやり切れないような目で見ていた。

「……まぁ、それでさ。なんてーの? ちょうど今のトーキくんみたいにがあってさ。高島先生に色々と相談に乗ってもらってたんだよね」

 耳を疑った。
 確かに、親身になって話は聞いてくれるだろう。
 しかし、ソレだけだ。
 彼が解決に向けて、何か具体的な策を講じることはない。
 もっと正確に言うなら、高島先生は無言の圧力を加えてくる。
 まるで、自分の守備範囲を超える面倒ごとを持ってくるなと言わんばかりに。
 これが僕の高島先生に対する率直なイメージだ。
 実際、僕はそれに近い扱いを受けてきた。
 言ってみれば僕たちは、お互いの暗黙の了解とばかりにを封殺し続けてきたわけだ。

「あ! 今、『高島先生に相談するなんて……』って思ったでしょ~?」

 ホタカ先生は、また冗談めいた雰囲気で図星をついてくる。

「トーキくんは信じられないかもしれないね。でも、ホントだよ。私は本当に頼りにしてた。高島先生のこと」

 彼女はそう言いながら、高島先生を真っ直ぐに見る。
 その様子を見ていると、疑う気持ちが徐々に削がれていく。

「分かりました。一旦は納得します。それで……、そのやんごとなき事情とは」

 僕が聞くと、ホタカ先生は少し考えた後、ゆっくりと口を開く。

「まぁキミと似たような感じかな? ネグレクトってヤツ? あんまり親に構ってもらえなかった的な? 進路のこととか、マジで興味なくてさ! ホントお互い困っちゃうよねっ!」

 嘘だ。いくらなんでも馬鹿にするにも程がある。
 彼女と出会ってたかが数日だ。
 だから、分かったような口を利く気は更々ない。
 しかし、この後に及んで茶化すような真似をする人でないことくらいは分かる。
 
 あぁ。確かに、ホタカ先生は僕と一緒だ。
 彼女もまた、未だに正常性バイアスから抜け出せていない。
 彼女自身も、そのことを自覚している。
 だから今、葛藤しているのだろう。

「……はは。分かっちゃった?」

 違和感が顔に出てしまっていたようだ。
 ホタカ先生にしては珍しく取り繕うような笑顔で、僕に聞いてくる。
 彼女のその姿はあまりにも痛々しくて、ため息の一つも吐きたくなる。
 しかし、そんな僕よりも先に、深く息を吐いた人物が居た。

「全然、じゃねぇかよ……」

  太く、低い高島先生の声が、部屋に響く。
 その声に、ホタカ先生は一瞬身体をびくつかせる。

「お前はあの頃と何も変わっちゃいねぇっ! お前の中でまだ何も終わっちゃいねぇんだよっ!」

 高島先生は、らしくもなく声を荒げる。

「あぁそうだな! 確かにお前は根に持ってねぇ! お前のその死んだ目を見れば、すぐ分かるさっ! どうしてお前はそうなんだよっ!」

 感情のまま、まくし立てる彼の姿を、ホタカ先生は悲痛の表情で見つめていた。

「天ヶ瀬っ!」
「へっ!? は、はい」
「そいつの家庭に問題があったことは事実だ。だが、肝心なことを話していない。何か分かるか?」
「い、いえ。分かりません……」

 僕はそう言いながら、ホタカ先生を見た。
 その、苦痛に歪められた表情に、今の彼女を象る因縁の根深さを感じた。

「なぁ、天ヶ瀬。今のお前の境遇と比較するつもりは更々ない。だけどな。生半可なことで、なると思うか?」

 高島先生にそう言われた時、僕はついさっき喫茶店で、彼女が去り際に見せた姿が脳裏に浮かんだ。
 合点がいった。
 どうやら、僕や灯理の予想は当たっていたようだ。
 しかし、どうにも僕はその先の言葉を躊躇してしまう。
 僕の沈黙を肯定と受け取ったのか、高島先生は再び深い溜息を吐く。

「……まぁ平たく言うと、性暴力ってヤツだな。父親からの」

 心の準備はしていた。
 とは言え、堪えるものがある。

「ウチさ。私が高校生の時に両親が離婚しちゃってね。アカリちゃんと同じように父親に付いていったんだよね。そこから、って感じかな? 夜になると、私のベッドに入ってくるようになったんだよね!」

 高島先生の言葉に補足するように、ホタカ先生は淡々と笑いながら話す。
 まさに、ホタカ先生は今の灯理の延長線上にいると言っていい。

「別に普通のことだって思ってた。思うようにしてた。だって何か悔しいじゃん? 一応、自分で選んで付いていったのにさ……。ホント、間抜けだよね! まぁトーキくんのお父さんたちにしてみれば、ちょうど良いかもしれないけど!」

 ホタカ先生は狂気に近い笑みで、皮肉めいたことを言い放つ。
 息苦しい……。
 露骨に心臓の鼓動が早くなってきた。
 油断していると、すぐに過呼吸になってしまいそうだ。

「それでさ! 高島先生と話すようになってから、それも出来なくなった。指摘されたの。私は普通じゃないって」

 違和感を覚えた僕は、思わず高島先生の方へ顔を向けてしまう。

「随分と踏み込みましたね」
「……何が言いたい?」
「いえ。別に……」

 僕の皮肉とも取れる言葉に、高島先生はバツが悪そうに顔を背ける。

「まぁ、そんな感じでさ。高島先生に諭されてからは、色々相談に乗ってもらってたんだよ。ある時までは……」
「ある時、まで?」

 僕がそう聞くと、彼女はゆっくりと頷く。

「大人にはさ。色々あるんだよ」

 そう言って、彼女はフフっと意味深に笑う。

「ねぇトーキくん。知ってる? トーキくんや、アカリちゃんの話聞いた時、私がなんて思ったか?」

 そんなこと、聞きたくない。
 いや、そうじゃない。
 そんなこと……、ホタカ先生の口から言わせたくない。
 でも、きっと。彼女は止まらない。

「ざまぁみろって!」

 言わせてしまった。
 を言うことの辛さを教えてくれたのは、他でもないホタカ先生自身だ。
 僕は彼女から、自分の心情を吐露できないと、後にが広がっていくと教わった。
 でも、実際は少し違った。
 気付かないふり、見ない振りをする方が数倍楽だった。
 偶然、気付けたところで、それは今までとは違うカタチで、じわじわと広がっていく。
 だからホタカ先生は、僕が過去を打ち明けた時、謝ってきたのだろう。
 彼女は身を持って知っているのだ。
 どうしようもないこと、手遅れなほどに拗れてしまったものと向き合うことの苦しみを。

「ねぇ聞いてよトーキくん。私がカウンセラーになった理由。なんだと思う? 分かるでしょ?」

 ホタカ先生は焦点の定まり切らない視線を向け、僕に聞いてくる。
 逃げられない。許してくれそうにない。

「……何ですか?」

「他人の不幸が見たかったから!」

 もう止めて欲しい。
 嬉々とした表情でそう言い切る彼女は、もはや崩壊寸前に見える。

「トーキくん、覚えてる? 私、前に『幸せ』は感じたことない、そんな曖昧なもの感じる必要もないって話、したよね?」

「はい……」

「『幸せ』なんかじゃ、自分の存在を確認できないの。トーキくん、知ってる? 自分自身を一番実感する方法」

「分かりません……」

「それはね。自分と他人の事実を徹底的に比較することだよ。逆に言えば、私みたいな人間はこうするしかないんだよ。私にとっては、不幸って言葉すら意味がないから」

 分かるような、分からないような話だ。
 いや……。むしろ分かりたくないとすら思える。
 僕は、彼女のその絶望を深く共有してしまうことを酷く恐れているのだろう。

「うーん、そうだなー。すごーく雑に言っちゃうと、不幸な人間が幸福になるためには、別の不幸を探すしかないんだよ。絶対的なものがないからね」

 ホタカ先生は僕の顔をジロリと見回した後、補足とばかりに付け加えてくる。
 何となく腑に落ちてしまった。
 自分に絶対的なものがない以上、他人が不幸と認識するものこそが基準になる。
 そうでもしなければ、自我を保てない。認識できない。
 僕自身、まだそこまで深く考えたことはないが、もし僕とホタカ先生が同じ穴の狢だとしたら、僕もいつか彼女と同じ境地に辿り着いてしまうのかもしれない。

「なるほど。何と言うか……、ホタカ先生が僕を理由がなんとなく分かりました」

 僕がそう言うと、ホタカ先生は更にその表情を歪ませる。
 運命の巡り合わせ、と言ったら乱暴かもしれない。
 ただ、人の人格や価値観は置かれた境遇でしか形成されない。
 それが痛いほど理解出来てしまった。

 納得がいった。
 ココ数日間。僕はある意味で、彼女に人柱として使われたのだ。
 僕自身が不幸を実感すれば、彼女自身が自分を認識出来るわけだから。
 
「……天ヶ瀬。分かったか? これが安堂寺 帆空の本質だ」

 高島先生は何の悪びれもなく宣う。
 僕は初めて、この人に対して心の底からの怒りを覚えた。

「……よくもまぁ、そんな他人事みたいに言えますね。ホタカ先生がこうなった原因の一端はアンタなんだろうが」

「確かにな……」

 僕は、どうにもらしくないことを口走ってしまった。
 しかし、高島先生はそんな僕の正論を肯定してきた。
 意外だった。
 少しは不快な顔をされると思っていたが……。

「天ヶ瀬。世間一般的に言われている倫理観は、何が決めていると思う?」

「……急になんですか」

「良いから答えてくれ」

 そう言いながら、高島先生はじっと僕を見つめてくる。

 倫理観、か……。
 ココ数日はそんなことを考える機会も多かった。
 小岩や能登、灯理、麻浦先輩やその父親たち、父さんたちの会社が起こしたことは世間的に見れば犯罪行為だ。
 とは言え、僕が考えるほど簡単なものではないはずだ。
 こう言ってしまったら、身も蓋もないが、生きていればある。
 人を疎ましく思ったりもするし、逆に思われたりもする。
 お互い様だ。
 だから、動機なんて一緒くたに出来るものじゃない。
 ただ、それでも単純に一連の事件を現象として分析するなら、やはり『空気』だと思う。
 集団の中で醸成された抗い難い『空気』こそが、倫理観を歪めていくのだろう。

「空気、ですかね」

「概ね正解、だな」

「概ね、ですか……」

「そうだ。正確にはな。のための空気だ」

 耳が痛い。
 集団の利益と思っていたものを優先し、それが最適解とばかりに勝手に割を食っていたのは僕自身だ。
 それに……、今思えばその空気すら読み違えていた。
 守ったつもりでいた風霞が、あれだけ傷付いていたのだから。

「……ということは高島先生も、ですか?」

 僕がそう聞くと、高島先生は無言で首を縦に振る。

「あの頃は俺も若かったんだよ。だから、よく分かっていなかった。別に言い逃れしたいわけじゃないけどな」

 高島先生は遠い目でそう言うと、一連の出来事のを始めた。
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