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劣等⑤

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「あの……。何ですか、このマンションは?」
「へ? 言ったじゃないですか? 『今から私のへ行く』って」

 彼女は物珍しそうな顔で俺を見ながら、はっきりとそう応えた。

 『鑑定』を終えた後、俺と田沼さんは大学のある駅前方面に向かった。
 彼女に促されるまま、ほとんど思考停止で歩みを進めたが、目的地に着いて早々、俺は度肝を抜かれる。
 正面玄関越しから中のエントランスホールに目を凝らすと、床一面に敷き詰められた大理石、フロントに駐在する複数人のコンシェルジュ、居住者用と思しきレストランやジムなどが薄っすらと見え、自分自身の場違い感が助長される。
 『都心の一等地』と言ってもいい立地を考えれば、賃料は下らないだろう。
 そんな絵に書いたようなこのタワーマンションを、彼女は間違いなく『自宅』だと言った。
 格差社会の何たるかを、今ココでわざわざ見せつけてきた彼女の意図は分からないが、目の前の現実をそのまま間に受けるワケにはいかない。
 成功者の象徴とも言えるタワマンと、彼女の得体の知れなさを結びつければ、嫌でも想像は膨らむ。

「あら。荻原さん、どうされました?」
「いや、別に……」

 言い淀む俺を見て、彼女は意味深に微笑む。

「荻原さんが今考えていること、当ててご覧に入れましょうか?」
「…………」
「『あっ、コイツ悪いことしてやがったな』、ですか?」
「……よくお分かりで」
「失礼ですねー。ちゃんとした、ですよ」
「あの……、率直な疑問なんですけど、この仕事、そんなに稼げるんですか?」

 俺がそう聞くと、彼女はその不気味な笑みに拍車を掛ける。

「ではココで荻原さんに問題です。資本主義社会で成功を収める秘訣とは何でしょうか?」

「そんなんコッチが聞きたいですよ……。まぁ強いて言うなら、スキマ産業を見つける、とかですか? 当たり前ですけど」

「もちろん、それも一つの答えではあります。ですが世の中にはもう一つの道がある。そう! それは国が直々に手掛ける公共事業に、ウマい具合にすること!」

 田沼さんは人差し指を突き出し、意気揚々と宣う。

「弊社は、表向きは民間ビジネスです。しかし秘密裏とは言え、国からの認可のもと、こと細かい指示に従い運営しているワケです。これはもう、立派な公共事業と言っても差し支えないでしょう」

「いや、何なんすか、その言い草は……」

「公共事業。この言葉の裏には、『補助金』という名の甘~い蜜が広がっている。この意味、分かりますよね?」

「……なるほど。漸く腑に落ちました。どうりで引きこもり状態のフリ姉が依頼出来たわけだ」

「その通り! 報酬が安価で済むのは、依頼者数に応じて支給される、多額の補助金があるからなのです! 正直な話、弊社の収益の内訳はほとんどがソレですね」

 彼女はそう言って、何故か得意げに微笑む。
 いや、まぁ……、政府とは利害が一致しているとは聞いていたが、露骨にも程があるだろうが。

「……でもそんなおいしい仕事なら、何であのオフィスに居るんですか?」

「そりゃあ、無用な恨みを買うのは極力避けたいですからね……。実際、警察にご厄介になったワケですし。元々、政府からも『あまり派手に振る舞うな』と釘を刺されていますので……。シャンパングラス片手に下々の暮らしを見下ろすのは、我慢しよう、という結論になったんですよ」

 彼女はシクシクとわざとらしいジェスチャーを交えて言う。
 煽りなのか、何なのかよく分からない彼女の言動には、ただただ体力が削られるばかりだ。

「あっ! 居た居たー! おーい! チサさんに、オギワラァー!」

 突如、響いた声の出処を辿ると、そこには何故か新井が居た。
 俺たち二人を見つけるなり、ブンブンと元気よく手を振り、自身の存在をこれでもかとアピールする。

「何でお前が居んだよ……」
「私が呼んだんですよ。私たちは荻原さんの鑑定が終わり次第向かうので、でお願いしたんです」

 田沼さんは、笑顔でそう応える。

「いや、そういうことじゃなくて……」
「アレ? 言ってなかったっけ? アタシもアシスタントとして、働くことになったんだよね!」
「聞いてねぇよ……」
「そだっけ? まぁいいや! これからヨロシクね!」

 新井はそう言って、満面の笑みを浮かべた。
 そんな彼女に対して、俺は心ばかりの引き釣った苦笑いを送った。

「それでは荻原さんに、新井さん。ココからいよいよ大仕事となりますよ!」

 田沼さんの意向によって、俺の『鑑定』の結果はそのまま採用された。
 フリ姉の点数は、33点。
 次のステップとしては、この点数と同程度の『不幸』を選出する。
 彼女いわく、具体的には『入院6ヶ月以上の後遺症付の怪我』などがこの点数帯に属しているらしいのだが、この時点で色々とツッコミどころが満載だ。
 直接的に手を下す、ということか?
 であれば、警察沙汰待ったなしだ。
 いや……、間接的であったとしても、それはそれで問題がないわけではないのだが。
 それにフリ姉の『不幸』とは、そもそも性質が違う。
 単純に、点数だけを加味した結果、この辺りが妥当ということなのだろうか。
 
 そして、田沼さんも言っていたように、この中から何を選ぶかは、依頼者であるフリ姉の意思は反映されない。
 唯一、フリ姉が選択出来るのは、鑑定結果をもとに選定した『不幸』を第三者へ『提供』するか否かの判断だけだ。
 そこから先は、全て鑑定者の裁量に委ねられるらしい。

 色々と疑問は残るが、百歩譲ってそこまではいい。
 問題は、それを提供するか、だ。
 恐らく、今ココへやってきたのも、主にそれを決めるためなのだろう。
 では、その対象になってしまう人間とは……。


「田沼さん」


「これはこれは宇沢うざわさん。ご無沙汰しております。お待ちしておりました」

 不意に響いた男性の呼びかけに、田沼さんは振り返って挨拶をする。
 彼女の声を聞くなり、声の主は眉をひそめ、不快感を顕にした。

「……本日はよろしくお願いします。それで、そちらの方々は?」

 彼はそう言うと、俺と新井にじろりと威圧的な目を向けてくる。
 20代後半くらい、だろうか。
 清潔感があり、長身で色白。
 タイトなグレースーツに身を包んだその風貌は、俗に言ってだ。
 二人の様子を見る限り、仕事上関わりがあるのは確かのようだが、スクエア型の眼鏡の奥から向けてくるその冷淡な視線を見るに、少なくとも俺たちのことをとは認識していないように思える。

「弊社の従業員です」

 彼の問いかけに、田沼さんは一切動じることなく応える。

「……そうですか。申し遅れました。厚生労働省、雇用環境・均等局、総務課長の宇沢貢也うざわみつなりと申します」

 彼は予定調和的にそう言うと、申し訳程度に小さく会釈する。

「あっ。えっと……、荻原 訓です」
「あ、新井 奏依です!」

 宇沢さんの自己紹介に絆され、俺と新井も取って付けたように挨拶する。
 すると彼は俺の顔を怪訝そうに見回した後、小声で『どうも』とだけ言った。
 その後、俺達には目もくれず、田沼さんの方へ顔を向ける。

「それで……、今日は何ですか? 廃業の報告ですか?」
「まさか! わざわざおっしゃる通り、鑑定士の数を増やしたというのに」

 いつもの調子でしれっと言う田沼さんに対し、宇沢さんは深く息を吐いた。
 
「……まだやるつもりなんですね。頼むから、余計な仕事だけは増やさないで下さいよ。こっちも忙しいんですから」

 過去の因縁を仄めかしつつ、宇沢さんは恨み節を溢す。

「あ、あの!」
「おっと! そう言えばお二人への説明がまだでしたね」

 二人の内輪話に痺れを切らした新井を見て、田沼さんは察する。

「コチラは私の往年のビジネスパートナーと言いますか、政府との窓口と言いますか……。先日、トラブルがあって警察沙汰になったと言いましたが、その時も彼に仲裁役になっていただいたんですよ」

「こちらとしては、どちらかというとという認識なんですが……。まぁ、そうですね。普段は厚労本省にて、労働環境の改善、リモートワークやフリーランスの推進などの事業に携わっています。時折、こうして彼女と会うのは政府からのと言いますか……。ですからまぁ……、彼女のパートナーになった覚えはありません」

 彼は極めて遺憾とでも言いたげに、小声で彼女の言葉を訂正する。

「またまたそんなこと言って! 本省でのポジションに加え、内閣府から直接特命を授かるなど、将来を嘱望されている何よりの証! そんな若手キャリアのホープ中のホープが、細かい言葉の定義など気にしてどうするんですか! キーマンなんですから、今日はお願いしますよ!」

「ここぞとばかりに白々しいことを……。官僚は、言葉の定義には敏感なんですよ。『霞が関文学』って言うでしょ? 我々は言質を取られないよう、いつも必死なんですよ。ていうか……、勝手にみたいに言うのは止めてくれませんか!? こちらとしては今すぐ担当替えを申し出ても構わないんですがね!」

「それは困ります。あなたには今後もスケープゴート……、いえ。橋渡し役になって頂かなければなりません」

「やっぱりアンタそれが目的じゃねぇか!」

 宇沢さんは今日一番の声を上げた。
 何となく、少しだけシンパシーを感じた。

「……それで、宇沢さんはどうしてココに?」

「そこなんです! 実はこうしてお忙しい中、彼に来ていただいたのも、『対象者』を絞り込むためなんですよ!」

 彼女は俺の質問に前のめりになって応え、再び宇沢さんの方へ向き直る。

「宇沢さん。こちらへ来ていただいたということは、もご用意していただけた、という認識でよろしいでしょうか?」

 田沼さんがそう言うと、彼はハァと深く息を吐く。
 そして、手持ちのクラッチバッグをおもむろに漁り出し、を俺たちに見せつけてくる。
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