雨上がりのボーイミーツガール

手塚ブラボー

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雨上がりのボーイミーツガール

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「あの」

 雨の水曜日。僕の声は空しく背景にとけた。

 朝から降り続けた梅雨の雨は午後三時には上がり、不自然なほどの青空が広がっている。
 バス停のベンチは少しだけまだ濡れていた。
 さも今しがた目を覚ましたかのような太陽の光が、濡れたアスファルトを照らし始め、ベンチに残る水滴は光を集めて、やはり光った。

「あのぅ・・・・・・」
 僕がもう一度声を出したのには理由がある。
 それは喉の調子を確かめているのではなく、はたまた「あのぅ」から始まる歌を口ずさんでいるわけでも勿論ない。
 僕の「あのぅ」はある程度の緊急性を持っているのだが、この場合はそれほどの緊急性を持っていないとも言える。
 何を言っているのだろうかと眉をひそめる者もいるのかもしれない。僕の「あのぅ」は独りごとではない。
 そう、これは呼びかけである。

 僕はバス停のベンチに座っている。道路側から見て右端に座っているのが僕だ。ありきたりな学生服にありきたりな学生鞄。ありきたりでない部分は無い。
 強いて言うのならば、ありきたりでない部分を敢えて探すのならば、それはこのヘルメットだといえる。

『ヘルメットを抱えた高校生が雨上がりのバス停のベンチに座っている。』

 この一行が僕を形容するすべてだ。
 アライ製のこのヘルメットの名前は「RX-7」。
 ガンダムの型式番号が「RX-78-2」であるのと同じように「RX-7」はアライヘルメットのフラグシップモデルの型式番号である。
 ということは「RX-7」はごく一般的なモデルであり、言い換えるならばありきたりだ。
 そういう意味では僕の存在よろしく、僕という存在を形作るものすべてがありきたりなのだ。

 話を戻そう。

 先ほど僕は「あのぅ」の発声理由に、緊急性が云々だとかこじつけを行ったが、前述したように「あのぅ」は呼びかけである。
 それはベンチのちょうど反対側、道路側から見て左端に座っている一人の女子生徒に対してであった。
 五人掛けのベンチのちょうど端っこ同志、その間隔は約二メートル。いくら僕の発声が不明瞭であったとしても聞こえないはずのない距離なのであった。

 その女子生徒のことは知っていた。
 知っていたといっても廊下ですれ違ったり、学食で見かけたりするという程度の「知っていた」である。
 認識していたといった方がいいのかもしれない。しかし女子生徒が僕を認識していたのかというと、またそれは別の話であると言わざるを得ないのであるが、それは今は置いておこう。
 その女子生徒のことは出席番号も生年月日も星座も血液型も既往症も好みの男性のタイプもスリーサイズも知らない。そこまで知っていたのならば「知っていた」程度では済まされないことは知っていたが、そんな女子生徒に僕はいま、まさしく「無視」をされているのだ。
 呼びかけに気付かれていないという可能性も捨てきれないのだが、それを願っているのではあるのだが、二度の「あのぅ」は雨上がりの湿りきった空気に跡形もなく消えていた。

 名誉のために言っておこう、この女子生徒と仲良くなりたいだとかお近づきになりたいだとかの、下心があってこその呼びかけでは決して無いことは、声を大にして弁明させてもらう。
 そりゃあ、仲良くなりたくないかと問われれば否定はできないし、お近づきになりたくないのかと問われれば「なりたい!」と更に声を大きくして言いたいところではあるのだが。
 そう思わせるほどに女子生徒は爽やかで、それでいてとても魅力的な外見をしていた。

 そんな女子生徒からの「無視」という行為は僕の心に少なからず傷をつけた。

 三度目の正直だ。
 次の「あのぅ」が最後の「あのぅ」だ。これ以上は傷つきたくはない。
 いくら普段は泰然自若を演じていても、同年代の女生徒からの精神攻撃に対する耐性こそ今のところ備わっていない。これが最後の呼びかけだ。痛みを伴ったとしても伝えなければならないことはある。
 この時すでに痛みを伴うことを予見している僕である。

 僕は今までで一番大きな声で「あのう!」と呼びかけた。
 想像していたよりも大きな声が発せられたが、そのおかげで僕が無視をされているのではなかったことにようやく気が付く。
 女子生徒は僕の突然の呼びかけに振り向くのだった。いや突然ではない。三度目の正直に対してようやく振り向いたのだった。
 女子生徒が向き直ったその時、肩まである髪が揺れた。その揺れる髪から隠されていたかの様に両耳にはイヤホンが装着されている。
 コードレスタイプのその白いイヤホンが「あのぅ」を遮っていたことになる。ノイズをキャンセリングしていたのだ。哀れ過去二度のノイズ(僕)よ。

 まずは「無視」をされていなかった事実に安心し胸を撫で下ろした。
 そしてそれと同時に、雨上がりに眩しく輝くアスファルトを背景にしたその女子生徒を、僕の純然たる美意識は「美しい」と、そう捉えたのであった。
 その左斜め45度の横顔から揺れる細い黒髪。大きなヘーゼル色の瞳とその周辺を囲む初雪を思わせる白目の部分は、一切の糖化を許さないほどに純白だ。それらに笠を作った長い睫毛。フロリダ州のマグノリア公園に生息する野生の孔雀が大きく羽を広げるように、それは瞬きの度に音を立てはためいた。

「どうかしましたか?」

 停止していた思考を呼び戻す一言はとても冷淡な声色だった。
 見ず知らずの男子生徒からの呼びかけに対しての反応なんてこんなものだ。必要以上に明るく温かく返事をする必要なんて無い。
 そんな反応をしてしまえば逆に命とりだとでも言うかのような塩対応。
 そんな僅かながらの敵意を向けられた僕に渡米の経験は勿論ない。マグノリア?知らない。


 このバス停に僕が到着したとき、すでにその女子生徒はベンチに座っていた。
 FRP製のごく一般的な、丸みを帯びた緑色の古びたベンチだ。
 無意識のうちに警戒されない距離をとって端に座ったときから、僕の注意はそこにのみあった。
 それこそが「あのぅ」の発声理由である。
 振り向いた女子生徒が塩対応でも、そのワードを発するのに若干の抵抗があったとしても、男には気持ちを伝えなければならない局面が少なからずあるのではないだろうか。

 それは、言い慣れないがいつも僕の脳内の片隅にある単語。
 いつも近くにあるのだけども触れられないもの。そんな謎掛けのような存在。
 そう。指摘したかったのは『スカートの捲れ』だった。
 人差し指を恐る恐るそれに向けて言う。

「スカートが・・・・・・」

 人差し指の刺す方に目を転じる女子生徒。

 ベンチに腰かけた拍子に後ろに捲れ、そのまま寄り掛かったために生じた予期せぬ現象。
 幸か不幸か僕の角度からはスカートの中身、要するに下着は見えない。もしも見えていたのならば立場は一層悪くなっていたのだろうが、それはそれとて悪意も無ければ過失もない。
 ただその現場に居合わせただけのありきたりな男子生徒。しかし女子生徒にはそうは映らない。

「きゃっっ!!!」
 彼女は機敏に背中へと手を回し、両足を踏み込む要領で腰を少しだけ浮かせると、素早く手を下げてスカートの捲れを解消した。
 実に整った一連の動作だった。現代美術館に寄贈しよう。
 そんな馬鹿なことを考えていた僕の顔を睨みつけるように一瞥すると、敵意を剥きだしに糾弾するか如く勢いでこう言った。

「見た!!?」

 見ていない。見たかったけれども見ていない。
 当然、見たかっただなんて言えるわけがない。
 何を見たのか?
 それはスカートの中身、つまり下着にあたることに違いない。
 女子生徒の顔が面白いほどにみるみる紅潮する。

「見ていない」
 一片の淀みなき毅然とした態度だった。

「あやしい・・・・・・」
 大きな目を細めて流して彼女は言った。
 どうして怪しまれなければいけない。冤罪だ。ましてや助けてあげたと言っていいくらいだ。
 感謝されて然るべき。当然そんなことは言わない。

「ちょっと待ってくれよ。僕は君が恥ずかしくないように指摘してあげた側なんだぞ? こうして今から責め立てられようとされている状況はどうかと思う」

「そ、そうね悪かったわ。でもなんだか今の言い方少しだけ癪に障るわ。指摘してあげただなんて随分偉そうで恩着せがましい。指摘してほしかっただなんて言った覚えは無いんだけどな。まさかあなた、見返りを要求してくるつもりじゃないわよね?」

 なんだこの女は。

 随分と偉そうなのはお前の方じゃないか。先述した一目惚れじみた形容の数々を今すぐにでも撤回しよう。
 撤回分を除けばファーストインプレッションは最悪だったと言っていい。
「だった」というと、これから良くなっていくような期待感を生んでしまうのかもしれないのだから敢えて心を鬼にしてこう宣言
 する。

 僕はこいつが嫌いだ。

 少し見た目が整っているからといって、少しかわいいからといって、元来こいつは甘やかされて育って来たに違いない。言い切ってしまおう。美人に性格の良い奴はいないと。
 危なかった。
 持っていかれるところだった。
 だが、これ以上会話をすることなどない。

「ああ。悪かったよ」
 最も無感情に聞こえるように言った。それが精いっぱいの抵抗だとは情けの無い話なのだが。
 その一言をもって会話は終了した。
 たった4投のキャッチボールが終わった。
 そういえば最後にキャッチボールをしたのはいつだったか・・・・・・そうだ。あれはまだ僕が小学生のころ______

「ねえちょっと。」

 近所の公園はちょうどこんな雨上がりで______

「ねえってば!」
 青くみずみずしい回想をこいつの声が遮る。
 あろうことかベンチの間隔を二つ分詰めて座り直し、二人の距離は概ね50㎝にまで縮まった。
 あくまでも物理的な距離感である。心象的に見ればそれは渋谷駅から原宿駅まで徒歩で向かうくらいには遠い。

「なんだよ。」
 そう言ったあと彼女の匂いが僕のパーソナルスペースにまで侵入してきたことを感じる。
 石鹸の匂いだ。僕は自分の匂いが気になった。

「本当に見てないのよね?」
 気になって夜も眠れないわ。あなたのようなモブ男に見せてあげる下着なんて無いんだから。
 ___そうは言われてはいないのだけれど、言いかねないではないか。

「何をだよ」
 何をだよ。
 いたずら心がそう言った。何を?そんなの分かってはいたのだが、何を見たのか見ていないのか言われないと分からないではないか。
 ナイス!僕のいたずら心。
 さてさて、こいつはなんと答える? 
 女子生徒の口からの「パンツ」というワード。勝ったも同然。ガッツポーズが脳内で形成された。

「み、見てないのならいいわ・・・・・・」
 言わねえのかよ!!
 言えよ「パンツ」と!脳内のガッツポーズは大きく背伸びをし、自然さを取り繕って解けた。ちょうど知り合いに手を振ったつもりが見知らぬ人だったと判明した時の調子だ。

「それよりも。僕が指摘しなかったとしたら、この後ここに来る乗客の人達から変な目で見られていたんだ。感謝こそされてもいいとは思うんだけどな」
 今や一人分のスペースを隔てた隣の女子生徒に対して辛辣な言葉を投げた。

「そ、そうよね・・・・・・ごめんなさい。ちょっと動揺しちゃったんだと思う。それに教えてくれてありがとう」
 急にしおらしく振舞う女子生徒に面食らった。
 だけれどこれで僕の優位性は一層高まったと言える。
 優位性?僕はこいつより優位に立つことで何を得ようとしているんだ?

「こっちこそ。本当に何も見えなかったから安心して」
 せっかくの優位性を地に捨て、紳士的にそう告げる。いや、紳士ならば言い合ったりはしないはずだ。

「何も・・・・・・」
 彼女は小さくそう呟くのが聞こえたのだが、それは独り言のように聞こえたので、僕は何も聞こえなかったふりをした。

「それ、あなたの?」
 さっきスカートを指摘したように、彼女は僕の荷物を指差した。
 そこにはアライのヘルメットがある。太腿の上に居心地悪そうに置かれたRX-7。
「バイク乗るの?」
 おおよそバイクに乗らない奴がヘルメットを持ち歩くことなどない。先ほどからの敵意の目つきが興味の色に変わったように思えた。

「そうだよ。今は学校に置いてるけどね。バイクに興味があるのか?」
 バイクは学校の駐輪場に止めたままなのであった。なぜヘルメットのみを持っているのか?その答えは単純で少し悲しい理由があった。
 駐輪場に残置していたヘルメットにいたずらをされたことが過去に一度あったからだ。
 その話はまたどこかでするとして、彼女がそれに興味を示したことが素直に喜ばしく感じる。

「いいな!お父さんが昔乗ってて、よく後ろに乗せてもらってたんだ。だから私もいつか免許が欲しいなって。エスエスって言うんだよね?」
 さっきまでの敵意がまるで感じられない、愛くるしく人懐こい小型犬のような印象で言った。確かにこんな娘ならバイクに乗せて走りたいものだろう。

「エスエスはSとSでスーパースポーツの略だよ。お父さんのバイクってレースとかに出そうな外見じゃなかったかい?」
 プロダクションレースやマン島TTなど、SSの歴史を作った前例たちの説明を省いた簡素な説明を付随した。
 ごちゃごちゃと講釈を垂れるのはオジサンライダーに任せるとする。あれはある種の専売特許だ。

「そう!仮面ライダーが乗ってるようなバイクだったわ。お父さん、最近、腰が悪くて乗れないんだって」
 仮面ライダーはオフロードバイクに乗ってる気がしたがイメージ的にはSSなのかもしれない。
 さっきから、質問を返すパターンで会話は進行していた。進行していたというよりは進行されていたというべきか。
 話の舵が彼女の方にあることになぜだか僕は焦りのような感情を抱いて止まない。
 ここで質問を投げかけてみた。それはやけくそに投げたものでなく少なからず気になっていたことだ。

「そのイヤホン。何を聞いていたんだ?」
 実はこの質問、諸刃の剣である。
 何を聞いていたか。
 単純な問いかけであるが、それがもし全く僕の知らないアーティストだったら?
 会話はそこで終わる。終了する。御仕舞。
 だがしかし、彼女が聞いていたアーティストは僕が大好きなロックバンドだった。
 これは奇跡的な瞬間だったと言っていいだろう。
 そのロックバンドは必ずしも大衆的ではなかったが、カルト的な人気を博する知る人ぞ知るバンドだ。
 彼女がそれを「胸がぎゅっと締め付けられる」。そう表現したとき「だよねだよね」と手を取って踊りだしそうになってしまった。
 ふう。危ない危ない。
 何に対しての危機感なのかは自分でも分からない。17歳の男子学生はミステリアスなのだ。

 それ以上に17歳の女子生徒はミステリアスで不思議な生き物だった。
 バイクの免許取得を目指し、さらには音楽の趣味も同じときている。これはまさか話を合わせるためのでっち上げ?所謂、捏造なのではないだろうか。
 彼女は悪の組織の工作員。僕に取り入ることでうちの膨大な資産を組織に流すため______そんなわけあるか。
 そもそもうちに資産といえるものがあるのだろうか。郊外の集合住宅。温かみは有っても煌びやかさは無い。
 だが富は隠すものだ。今度父さんに聞いてみることにしよう。

 僕たちはバスが来るまでの間、趣味の話をした。
 さっき初めて会話を交わしたという事実が信じられないほどに自然と会話は流れてゆく。
 きっと別の世界ではずっと昔からの友達だったみたいに。
 もしかしたら、運命という言葉を作った旧時代の日本人も、こんな風に思ったのかもしれない。
 勿論そんなことは口には出さない。


 そんな会話をしていると、70代くらいのおばあちゃんが杖をついてやってきた。
 おばあちゃんは停留所の時刻表をしばらく見つめた。まるで一文字づつ暗記していくように時間を掛けてゆっくりと。そして暗記が終えると僕に聞いた。

「お兄さん。次のバスは何分ですかね?」

 僕は立ち上がって時刻表に歩み寄ったが、次のバスが停留する時間は予め知っている。
 16:05。
 行き先が大まかに一方向しかないこの路線は、不便なことに一時間に二本しか走っていない。
 その時刻を再確認する為に時刻表に目を転じた。平日の行の16時は______
 ___空欄だった。
 16時台の運行予定は無かった。というより16時台以降の運行は無かったのだ。
 時刻表の枠外には米印の注記がこう謳っていた。


 《運休のお知らせ》
 平素は当バスをご愛顧いただき、ありがとうございます。
 上記ダイヤを一部休止いたします。
 お客には大変ご不便をおかけいたしますが、何卒ご了承いただきますようお願い申し上げます。


 驚愕した。大袈裟だが驚愕した。
 どうりで誰も来ないわけだ。僕たち二人は来ることの無いバスを待ち続けていたのだ。
 かれこれ30分。殆ど意味の成さない時間を二人で過ごしてきたことになる。
 おばあちゃんは残念がっていたが、僕たちは顔を見合わせると笑い転げた。
 地球の自転にたった二人だけが取り残されて、世界は動き続けていたのに、僕らは何にも気が付かずにお喋りを続けていたのだ。
 こんなに面白いことはないとでもいうように、笑いとも発作とも呼べるそれは炸裂した。。
 箸が転んでもおかしいとはよく言ったものだ。いや、箸が転ぶよりも、来ることの無いバスを待つ方が面白いに決まっているだろうよ。


「バイクで送って行こうか?」
「え?いいの!?やった!」
 勿論校則では禁止されていた二人乗りだったが、今は緊急事態だろう。そんな言い訳は通用しないことくらいは分かっていたのだが。
 幸い置き傘ならぬ置きヘルをしていたので、学校まで戻れば道路交通法的には一切の問題性は無いのだ。

 じゃあ、学校まで戻ろうかとしていた矢先、彼女の顔が曇ってゆく。

「やっぱり今日は歩いて帰るわ。そんなに遠い距離でもないし」

 何か悪いことでも言ってしまっただろうか。失礼なことでも言ってしまっただろうか。自分の胸に問いただす。
 失礼なことは言っていない。うん。言ってはいないはずだ。思っていただけで。
 ならば、なぜ?
 お父さん以外の人との二人乗りはしたくなかったとか?彼氏に気を遣ってとか?
 考えれば考えるほど、悲しいかな理由は山ほど湧いて出た。
 こんなに魅力的なのだ。
 彼氏の一人くらい居たって可笑しいことは何もない。寧ろ居ない方が不自然だというものだ。
 そもそもよく知らない男子生徒のバイクに乗るだなんて、密着して乗るだなんて、年頃の女子が嫌がるに決まっているじゃないか。
 でも。
 この残念な気持ちは何故なんだろうか。
 この気持ちに名前を付けるのならば______

「実は・・・・・・」
 彼女は言いにくそうに口を開く。その表情は不満そうとも、もの哀しそうともとれる。
 そのあとの言葉を黙って待った。実は。それに続く言葉に皮相なことなどはありえない。
 実は男性アレルギーで。実はあなたのことが大嫌いで。実は______
 少なくとも二人乗りを拒む理由があるのだろう。

「実は、私。」


「下着、穿いてないの・・・・・・」




「え」



 ______衝撃的だった。
 生まれて一番の衝撃だった。
 一度心臓が活動を停止し、長期の休養を経て再度何食わぬ顔で動き出すほど。
 お父さんだと思っていた人が本当はお母さんだったことを妹から知らされるほど。
 その妹が実はお姉ちゃんだったと知らされるほどに衝撃だった。

 ジツハ、ワタシ。シタギ、ハイテナイノ・・・・・・

 目の前の、かつてはベンチの背もたれにスカートの裾を取られていた女子生徒は、なんと下着を身に着けていなかったのだ!
 やっほー!
 スカートが捲れていたのに、パンツが見えなかったトリックの正体が今暴かれた。
 そこに有るべき物は初めから無かったのだ!
 いやいや喜んでいてはだめだ!彼女の危機的状況にそんなことではだめだ!
 泰然自若たいぜんじじゃくを自称していた僕だ。こんな日常で興奮してどうする!落ち着け!


「別にわざとじゃないのよ! 今日、プールの授業があって・・・」
 まさか下着泥棒か!?
 許せない!許せない!許せない!許せない!許せない!羨ましい!許せない!
 いまどき下着泥棒とはとんでもない!うちの学校のセキュリティは一体どうなってるんだ!


「着てきちゃったから・・・」

「え?水着を着て来たってこと・・・?」
 ___コクリ。徐々に赤く染まってゆく頬を観察しながら僕の妄想は暴走を始める。
 紺色のスクール水着。下着を忘れたことに気が付いた瞬間の表情。無防備な下半身を庇いながらの授業。スカートが捲れ上がっていることを男子生徒から指摘されることの恥ずかしさ。
 そうか。そういうことだったのか。
 僕は少なくとも嫌われてはいなかったのだ。
 二人乗りに慣れている彼女でさえ、さすがに下着の無い状態での二人乗りの経験は無いだろう。
 もはやその状態を知ってしまった僕の方が無理だ。

 というか、男子にはよく居たのだけれど、水着を着てきちゃう女子も居るんだな。
 少し勉強になった気がしたが、きっと何の役にも立ちはしない。

「お願だから想像しないでよ!!」
 ______無理だ。
 すでに妄想は取り返しのつかないほどに膨らんでいた。
 だが、せっかくの友情を壊してしまうようで何だか嫌になった。

「し、しないよ!」
 君の嫌がることはしたくない。



 僕たちはそれから歩き始めた。

 来ないと分かっているものを待ち続けられるほどに高校生活は長くない。

 彼女のうちはそれほど遠くはなかった。ちょうど渋谷駅から原宿駅まで徒歩で向かうくらいの近さだった。
 僕はというと別の停留所からバスに乗ることにした。その停留所までは経路が同じだったからだ。

 二人は取り留めのないことで笑いあった。
 それこそ文章にするのも憚られるくらいに、とにかく取り留めもない話題だ。
 僕らの友情は始まったばかりだった。
 けれども大丈夫。
 卒業まであと一年。時間はまだまだある。



「そういえば、どうして今日はバイクで帰らなかったの?」

 思い出したかのように質問する彼女。
 そう、どうして今日は学校にバイクを置き去りにして、わざわざバスで帰ろうと思いたったのか。
 雨も上がり、バイク通学の障害は限りなく0に近い。ヘルメットだって被っている分には大した荷物にはなりえないが、いざ手持ちとなると話は変わってくるじゃないか。
 バイクで下校することに問題なんて無かった筈である。

 その回答は、その理由は、ある単純な動機からだったのだ。
 けれどもその理由を彼女に明かすことはない。

 僕は、数学の逆関数で入れ替わるXとYの意味が分からないだとか、マークシートの答えが何度も同じ数字だと不安になるだとか言って、苦し紛れにも話題を逸らした。




 ___理由

 ______その女子生徒のことは知っていた。

 白状しよう。

 僕は彼女のことを知っていたのだ。
 その女子生徒のことは出席番号も生年月日も星座も血液型も知っていた。
 知らないことと言えば、趣味や好きな音楽や既往症や好みの男性のタイプやスリーサイズぐらいなものだったのだ。
 廊下ですれ違ったり、学食で見かけたりするたびに、周囲の音は実体を持って転がって散らばり、無音の世界の中心に彼女と僕とを置き去りにした。

 そう。
 僕はどうしようもなく恋をしていたのだ。

『どうして今日はバイクで帰らなかったの?』

 校門で君を偶然見つけたからだなんて、到底言えるはずも無かった。
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