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第28話 愛好家の、矜持
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第5ゲーム 西野サーブ
ゲームカウント1-3 西野リード
西野はサーブの質を変えた。序盤のような確率を重視した第一狙撃球から、リスクを負ってでもなるべく相手から有利を奪う本来のものに。強力な回転にスピードが加わり、深さと鋭さが増してコースもより厳しくなるよう精度を上げた。
(これぐらいしないと、簡単に前を取られるからな)
しかし叡智の結晶を最大に発揮している今の聖であれば、いくら西野がサーブの精度を上げたところで強引に攻撃することは充分可能だった。研ぎ澄まされた聖の感覚は、潜水艦のソナーのように相手の挙動やボールの軌道を正確に感知し、どこへでも打ち込めるというある種の万能感さえもたらしていた。
だが、聖はそれをしない。
(むやみに攻撃するだけが、テニスじゃない)
聖は可能な限り丁寧にリターンを返す。
能力に任せた戦い方にならないよう意志を強く持ち、能力の手綱をしっかり握る。
(徹磨さんのときは、ほぼ能力に引っ張られる形になった、蓮司君のときは元になった選手の感情が激し過ぎて勢い任せになった。けど今回は、自分の意志でコントロールし切ってみせる)
撹拌事象により、聖は過去に存在したプロの技術を制限なく自在に操ることができる。しかし、それはだからといって、その力で相手を粉砕しなければならない、ということではない。目的はあくまで、未来の可能性の撹拌だ。
(仮に、能力を全開にして相手を完膚なきまでに倒すことが目的なら、僕の意志なんて必要ない。オートマチックに僕の身体を操って勝手にやればいい。それをしないのか、それともできないのかは知らない。でも少なくとも現状、能力は僕の意識下にある。能力を使ってどう戦うかは、僕が決めていいはずだ)
撹拌事象の発生を事前に知ることはできない。能力の発動も拒否できない。だが能力をどう活用して戦うのか、ということについては、聖の意志の入り込む余地がある。この武器を使って戦え、どう戦うかは自由、そんな具合だ。
(撹拌事象が、相手のなにかを引き出すもので、僕が自分の意志で能力を行使できるというこの状況には、恐らくなにか意味があるはず。それがなんであるにせよ、利用しない手はない。それに、この撹拌事象はいつ終わるかも分からない。終了に備えて、なるべく戦い方を学んでおく必要がある)
身体の内側から強い力が湧き上がってくるのを感じ、聖はそれに身を任せたい衝動を必死に堪える。まるで、能力の元である選手が聖に成り代わってプレーしたがっているかのようだ。
コートの前陣に立ちはだかり、相手のボールを素早く打ち落とすコート上の接近戦を得意とするラフター。基本的には自分のサーブから始まるサーブ&ボレーが彼の代名詞だが、リターンゲームの際は様子を見て戦う。前に出るチャンスを窺い、隙あらば突貫の切欠を放ち距離を詰め、最後はボレーで仕留めるというのがリターン時における必勝パターンだ。
西野のボールは基本的にゆったりしているが、その配球は必ず聖を数歩動かし、同じようなコースに連続では打ってこない。順回転、逆回転、横回転、無回転をランダムに、左右前後に加えて高低を組み合わせ、更に球速に変化をつける。テニスコートという空間を存分に使った実に見事なボールコントロールだ。
(叡智の結晶を使ってるせいか良く分かる。この人、とんでもなく上手い。今の僕なら、確かに好き放題打ち込むことは出来るだろうけど、素の僕じゃ到底敵わない。球速に騙されて見誤って……いや、正直ナメていた。繋いでくるだけのオジサンテニスだと決めつけてたんだ。僕がテニスを再開したのは先月だっていうのに)
己の慢心に気付いた聖は、心の中で恥じる。
(西野さんはプロとは無関係のアマチュア選手だ。しかも年齢はかなり上。それなのに、ここまでのテニスを身に付けて、勝つ気で向かってくる。演技やパフォーマンスなんかじゃなく、この人は最初から本気でATCチームを倒すつもりだったんだ。プロを目指してるとかアマチュアだとか、そんなことに線引きせず、戦う相手に対して全力で臨んでる)
年嵩の男が見せる強い意志と苛烈なほどの情熱。試合前の西野の振る舞いは、いい大人が年甲斐も無くテニスに夢中になってはしゃいでいるような、どこか滑稽さを感じた。しかし聖は、西野が身に付けているそのレベルの高さの向こうに、長年積み重ねてきた日々の研鑚を見た。家族を養いながら、社会人がそれほどの努力を継続できる凄さは、プロという頂点を目指す若者たちに引けを取らない。いやむしろ、背負っているものの多さを加味したならば、彼らのようなアマチュアの方がよっぽど大きな覚悟を秘めているのかもしれない。
(普通なら、余裕を見せて戦うなんて相手に失礼だ。でも、僕のこれはそもそも実力じゃない。この能力を何も考えずにただ使うのは、能力に振り回されてるだけだ。そんな有様で相手が積み上げてきたものを粉砕してしまうことの方が、よっぽど不誠実だ。能力はあくまで最小限に。僕は自分の意志で戦いたい。その上で、この人から学ぶんだ)
聖は短く落ちたボールに素早く反応し、突貫の切欠を放って距離を詰める。
(勉強させてもらいます、西野さん)
★
聖のプレーに、西野は敵ながら頼もしさすら感じていた。
(ベースラインからやたらにエースを狙ってきた序盤とはえらい違いだ)
打ってくるボールのスピードだけでいえば、序盤の方が速かった。だが今は、回転、速度、配球、その全てが西野を追い詰めるべく機能し、それは確実に効果を発揮している。聖のミスは格段に減り、隙を見せると一気に前へ詰めてくる。やみくもにネット前へ移動するのではなく、西野が嫌がるタイミングを正確に突いて無駄が無い。
(これまで何度もオレに対してサーブ&ボレーを仕掛けてくるやつはいたが、コイツは別格だ。サーブ&ボレーのなんたるかをこの年齢でカンペキに理解してやがる。まったく、生意気なガキだぜ)
西野のプレースタイルである専守防衛型は、ベースライン後方に陣取り自分からはリスキーなショットを打たずひたすら守り続ける戦い方だ。ミスが自分の失点かつ相手の得点になるテニスの性質上、極めて合理的で安定的にポイントを獲得できるプレイスタイルなのだが、専守防衛型タイプのプレイヤーには往々にして自分からは攻撃できないという欠点がある。
(この歳になるとな、ポイントが得られるまで攻撃し続けるってのは随分と骨が折れる。速い球を打てばそれだけカウンターのリスクが高まるし、前へ出るにはフットワークが足らない。攻撃的なテニスに必要な条件が足りないもんだから、おのずとこの戦い方に辿り着くもんさ。持久力は維持できても、敏捷性は日々衰える一方だ。まったく、寄る年波にゃあ敵わんぜ)
甘いボールを打てば、相手の聖は突貫の切欠を放って距離を詰め、ネットにつく。そして西野が聖に対してどれだけ難しいボールを返しても、若い聖は機敏な反応をみせボールを捉える。反応の素早さだけではなく、ボールを運ぶ掌の才覚も卓越している。
(左右、足下、そして上方向、どれも守備範囲が広い。まるで壁だな)
聖の身長は平均よりやや高いが、身体つきにはまだどこか中学生らしさが残る。童顔な顔つきも相まって威圧感を覚えるようなタイプではなかったはずだが、ネット前に立つ聖の雰囲気は、まるで巨人のような存在感があった。
ゲームは着々と進行し、遂に聖が逆転して4-3となった。
(このままじゃあジリ貧だ。次の相手サーブ、とにかくやつのボレーに食らいつく)
西野はコートチェンジの際に腰に巻いたサポーターを外す。特に怪我をしているというわけではないが、姿勢を楽に保てる利点と、いざという時に外すことで精神的なリミッターを解除するある種の自己催眠として活用している。
昼を過ぎ、徐々に陽が西へ傾き始めていた。穏やかな午後の陽射しはやわらかく、時おり吹くそよ風は心地よさを覚える。しかしそれでも、コートの上を駆け回っている選手には暑すぎるほどだ。両選手はお互いに身体から汗を垂れ流している。
西野は汗だくになったシャツを脱ぎタオルで汗を拭う。陽の下にさらされた西野の上半身は余計なぜい肉が削ぎ落され、年老いてツヤを失った皮ふが内側から盛り上がる鍛え抜かれた筋肉に張り付いている。若々しさや瑞々しさといったものとは無縁の、無骨でどこか鬼気迫る、戦うために鍛え抜かれた古強者のような肉体がそこにはあった。
(ヒューッ、見ろよやつの筋肉を。まるでハガネみてェだ)
アドが茶化したようにいう。だが実際、西野の身体つきは聖も見たことがないぐらい徹底的に鍛え抜かれている。筋肉の大きさを競うような大袈裟なものではなく、必要な箇所に必要な分だけ身に付いた機能美を感じさせ、それは野生に生きる動物のようでもあった。
(あの年齢でも、あそこまで鍛えられるんだな)
思わず感心する聖。若さという圧倒的なアドバンテージがあるにも関わらず、なんとなく日々のトレーニングに対するストイックさで差を見せつけられたような気がしてしまう。
(筋肉は裏切らねェっていうかンな。オッサンに感心してる場合じゃねェぜ?)
その通りだな、と聖は苦笑いする。プロを目指すと口に出して動き始めた以上、1日たりとも、いや1時間たりとも無駄にはできない。父親よりも年上であろう西野に感心ばかりしていられない。聖は先にベンチから立ち上がり、ポジションへ向かった。
★
第8ゲーム 若槻サーブ
ゲームカウント4-3 若槻リード
聖は狙いをよく定め、サーブを打つ。叡智の結晶による補正でより精度の高いサーブが放たれる。エースを狙うのではなく、より確実にネット前へと詰められるよう相手のバランスを崩すことに重点を置く。対する西野は、サポーターを外したお陰か先ほどまでより動きにキレが増している。反応もよく、簡単ではないリターンが返ってくる。聖のボレーのコースを予測し、食らいついてくるようになった。
「あのオッサンすげェな?!」
コートの外で試合を観戦しているメンバーも、西野の驚異的な粘りに驚嘆の声が上がる。ポイントを獲れずとも、ポイントが決まる瞬間まで諦めない。というより、必ず取るという猛烈な執念を感じさせる。ボレーを打つ聖でさえ、もしかしたら拾われるのではという予感がしてヒヤリとする場面が多くなってきた。
(大丈夫かァ~?ナメプしてっと足下すくわれンぜ?)
ポイントは40-0で優勢だが、確かにアドが言う通り真っ向勝負にこだわり過ぎると手痛いしっぺ返しを食らいかねない。かといって、借り物の力をフル活用する気にはなれない。それはあくまで最小限に留め、なるべく多く相手と打ち合って密度の高いプレーを続けるべきだと聖は考えていた。
サーブを打ち、その勢いに乗じて距離を詰める。一見すると単純作業のようにも見えるが、その実、自分のサーブで相手の打ち返すコースを制限し、なおかつ飛んでくるリターンに素早く反応して捉えなければならない。単純に見えて、複雑で高度な読み合いが二人の間で交わされていた。
西野のリターンを捉えた聖は、リターンを打った西野が短いボレーを警戒したのを視界の端で捉える。西野の逆を突くため、打つタイミングを僅かにずらしてボールを送るように押し返す。予想とは違う方向に返球されたボールに反応しようと、西野がステップを踏んで切り返そうとしたその時、足を滑らせた西野が派手に転倒した。転がったラケットが、カランッと乾いた音を立てる。
咄嗟に受け身を取ることに成功していた西野は、転んだことに驚きつつもすぐ上半身を起こし、なんでもないと告げるように聖に向かって片手を上げる。その様子を見て聖も胸をなでおろす。ポジションに戻ろうとしたとき、背後で西野のうめき声が聞こえた。
「うッ、ぐぉ……ッ!」
ただ事ではないその声に振り返ると、左脚を押さえて西野が苦悶の表情を浮かべている。
下肢有痛性筋痙攣。
水分やカリウム不足、疲労物質の蓄積によって引き起こる一時的な筋肉の痙攣である。激痛を伴い、場合によっては筋挫傷――肉離れのこと――を起こしていることもある。
「大丈夫ですか!?」
「来るなッ!」
慌てて西野に駆け寄ろうとする聖。しかし、それを察した西野が痛みに耐えながらも鋭く言って止める。その気迫に、思わず身体が止まる。
「大丈夫だ、すぐ……おさまる」
絞り出すような声色で告げる西野。短く浅い呼吸で何度も深呼吸しながら、痙攣を起こした箇所を少しずつ伸ばす。やがて痙攣が落ち着くとゆっくり立ち上がり、ベンチに向かう。
「すまんが、緊急性治療休憩だ。3分測れ」
西野はそういって、ラケットバッグから水筒やらポーチを取り出す。ゆっくりと時間をかけて水分を摂り、ポーチから出した小袋をいくつか順番に飲み干している。遠目に、その一つには芍薬甘草湯と書いてあるのが見えた。
(専守防衛型ってのは、一見、相手のボールをただ打ち返すだけのように見えるがな。それがそんな簡単なことなら苦労はしねェし、それで勝てるなら皆そうする。相手の攻撃をひたすら守るにゃあ、強靭なフットワークとチャンスに打ち込みたくなる気持ちを抑える自制心が要る)
茶化した様子のない、やけに落ち着いた声色で語るアド。
(年食ったアマチュアに専守防衛型が多いのは事実だが、それでもシングルスで戦い続けられるのはせいぜい五十代がいいとこだ。普通は四十代でダブルスに転向するンだよ。でないと身体が保ちゃしねェ。無論、五十代以上でシングルスを続ける連中もいるが、どいつもこいつも故障を抱えながら騙しだましやってンのさ。まったく、呆れたテニスバカ共だぜ)
口は悪いものの、アドの口ぶりにはどこか、尊敬の念が込められているように感じた。例え身体が年老いて、あちこちと言うことが利かなくなろうとも、コートの上で一人戦い続ける楽しさに魅せられた孤独な庭球士たち。栄光とは無縁の、あくまで己の為に戦い続ける彼ら。そんな彼等に対して、何かしら思うところがあるのかもしれない。
「待たせたな」
応急処置を終えた西野が立ち上がった。痙攣は一時的なもののようだったらしく、足取りはしっかりしている。転倒した際に生じたのか、左肘に擦り傷がある。だが西野は意に介していないようだ。聖は再開したい気持ちと、本当に大丈夫なのかという気持ち半々で上手く言葉が出ない。するとそれを察した西野が、強気な笑みを浮かべて告げた。
「フン、なんてツラしてやがる。余計な心配なんぞするな。これは試合だ。お互いに全力で最後まで戦うのが礼儀ってもんだろう。例え相手が手負いだろうが、容赦なく勝ちに来い。この程度でビビっていたら、とてもじゃないがプロにはなれんぞ」
そう言うと西野はさっさとコートへ歩いていく。転倒し痙攣を起こしたのは西野の方だったが、聖の方が西野から檄を飛ばされてしまった。試合はまだ終わっていないし、撹拌事象も続いている。
(ラフターは、アガシとの試合で痙攣を起こして尚、最後まで戦ったぜ)
アドがそんなことを口にした。そのラフターの力を身に付けている今の自分が、痙攣を起こした相手に気後れしてどうするとでも言いたいのだろう。
聖も遅れてポジションにつく。ゲームカウントは5-3。次は西野のサーブだ。反対側のコートで構えをとる西野からは、まるでその闘気が目に見えそうなほどの気迫を感じる。思わず、唾をのみ込む聖。
「行くぞ」
低い声で呟いた西野の声が、聖の耳に届く。その声の響きに含まれる勝利への執念は、以前戦った現役日本トップの黒鉄徹磨と遜色なかった。
続く
ゲームカウント1-3 西野リード
西野はサーブの質を変えた。序盤のような確率を重視した第一狙撃球から、リスクを負ってでもなるべく相手から有利を奪う本来のものに。強力な回転にスピードが加わり、深さと鋭さが増してコースもより厳しくなるよう精度を上げた。
(これぐらいしないと、簡単に前を取られるからな)
しかし叡智の結晶を最大に発揮している今の聖であれば、いくら西野がサーブの精度を上げたところで強引に攻撃することは充分可能だった。研ぎ澄まされた聖の感覚は、潜水艦のソナーのように相手の挙動やボールの軌道を正確に感知し、どこへでも打ち込めるというある種の万能感さえもたらしていた。
だが、聖はそれをしない。
(むやみに攻撃するだけが、テニスじゃない)
聖は可能な限り丁寧にリターンを返す。
能力に任せた戦い方にならないよう意志を強く持ち、能力の手綱をしっかり握る。
(徹磨さんのときは、ほぼ能力に引っ張られる形になった、蓮司君のときは元になった選手の感情が激し過ぎて勢い任せになった。けど今回は、自分の意志でコントロールし切ってみせる)
撹拌事象により、聖は過去に存在したプロの技術を制限なく自在に操ることができる。しかし、それはだからといって、その力で相手を粉砕しなければならない、ということではない。目的はあくまで、未来の可能性の撹拌だ。
(仮に、能力を全開にして相手を完膚なきまでに倒すことが目的なら、僕の意志なんて必要ない。オートマチックに僕の身体を操って勝手にやればいい。それをしないのか、それともできないのかは知らない。でも少なくとも現状、能力は僕の意識下にある。能力を使ってどう戦うかは、僕が決めていいはずだ)
撹拌事象の発生を事前に知ることはできない。能力の発動も拒否できない。だが能力をどう活用して戦うのか、ということについては、聖の意志の入り込む余地がある。この武器を使って戦え、どう戦うかは自由、そんな具合だ。
(撹拌事象が、相手のなにかを引き出すもので、僕が自分の意志で能力を行使できるというこの状況には、恐らくなにか意味があるはず。それがなんであるにせよ、利用しない手はない。それに、この撹拌事象はいつ終わるかも分からない。終了に備えて、なるべく戦い方を学んでおく必要がある)
身体の内側から強い力が湧き上がってくるのを感じ、聖はそれに身を任せたい衝動を必死に堪える。まるで、能力の元である選手が聖に成り代わってプレーしたがっているかのようだ。
コートの前陣に立ちはだかり、相手のボールを素早く打ち落とすコート上の接近戦を得意とするラフター。基本的には自分のサーブから始まるサーブ&ボレーが彼の代名詞だが、リターンゲームの際は様子を見て戦う。前に出るチャンスを窺い、隙あらば突貫の切欠を放ち距離を詰め、最後はボレーで仕留めるというのがリターン時における必勝パターンだ。
西野のボールは基本的にゆったりしているが、その配球は必ず聖を数歩動かし、同じようなコースに連続では打ってこない。順回転、逆回転、横回転、無回転をランダムに、左右前後に加えて高低を組み合わせ、更に球速に変化をつける。テニスコートという空間を存分に使った実に見事なボールコントロールだ。
(叡智の結晶を使ってるせいか良く分かる。この人、とんでもなく上手い。今の僕なら、確かに好き放題打ち込むことは出来るだろうけど、素の僕じゃ到底敵わない。球速に騙されて見誤って……いや、正直ナメていた。繋いでくるだけのオジサンテニスだと決めつけてたんだ。僕がテニスを再開したのは先月だっていうのに)
己の慢心に気付いた聖は、心の中で恥じる。
(西野さんはプロとは無関係のアマチュア選手だ。しかも年齢はかなり上。それなのに、ここまでのテニスを身に付けて、勝つ気で向かってくる。演技やパフォーマンスなんかじゃなく、この人は最初から本気でATCチームを倒すつもりだったんだ。プロを目指してるとかアマチュアだとか、そんなことに線引きせず、戦う相手に対して全力で臨んでる)
年嵩の男が見せる強い意志と苛烈なほどの情熱。試合前の西野の振る舞いは、いい大人が年甲斐も無くテニスに夢中になってはしゃいでいるような、どこか滑稽さを感じた。しかし聖は、西野が身に付けているそのレベルの高さの向こうに、長年積み重ねてきた日々の研鑚を見た。家族を養いながら、社会人がそれほどの努力を継続できる凄さは、プロという頂点を目指す若者たちに引けを取らない。いやむしろ、背負っているものの多さを加味したならば、彼らのようなアマチュアの方がよっぽど大きな覚悟を秘めているのかもしれない。
(普通なら、余裕を見せて戦うなんて相手に失礼だ。でも、僕のこれはそもそも実力じゃない。この能力を何も考えずにただ使うのは、能力に振り回されてるだけだ。そんな有様で相手が積み上げてきたものを粉砕してしまうことの方が、よっぽど不誠実だ。能力はあくまで最小限に。僕は自分の意志で戦いたい。その上で、この人から学ぶんだ)
聖は短く落ちたボールに素早く反応し、突貫の切欠を放って距離を詰める。
(勉強させてもらいます、西野さん)
★
聖のプレーに、西野は敵ながら頼もしさすら感じていた。
(ベースラインからやたらにエースを狙ってきた序盤とはえらい違いだ)
打ってくるボールのスピードだけでいえば、序盤の方が速かった。だが今は、回転、速度、配球、その全てが西野を追い詰めるべく機能し、それは確実に効果を発揮している。聖のミスは格段に減り、隙を見せると一気に前へ詰めてくる。やみくもにネット前へ移動するのではなく、西野が嫌がるタイミングを正確に突いて無駄が無い。
(これまで何度もオレに対してサーブ&ボレーを仕掛けてくるやつはいたが、コイツは別格だ。サーブ&ボレーのなんたるかをこの年齢でカンペキに理解してやがる。まったく、生意気なガキだぜ)
西野のプレースタイルである専守防衛型は、ベースライン後方に陣取り自分からはリスキーなショットを打たずひたすら守り続ける戦い方だ。ミスが自分の失点かつ相手の得点になるテニスの性質上、極めて合理的で安定的にポイントを獲得できるプレイスタイルなのだが、専守防衛型タイプのプレイヤーには往々にして自分からは攻撃できないという欠点がある。
(この歳になるとな、ポイントが得られるまで攻撃し続けるってのは随分と骨が折れる。速い球を打てばそれだけカウンターのリスクが高まるし、前へ出るにはフットワークが足らない。攻撃的なテニスに必要な条件が足りないもんだから、おのずとこの戦い方に辿り着くもんさ。持久力は維持できても、敏捷性は日々衰える一方だ。まったく、寄る年波にゃあ敵わんぜ)
甘いボールを打てば、相手の聖は突貫の切欠を放って距離を詰め、ネットにつく。そして西野が聖に対してどれだけ難しいボールを返しても、若い聖は機敏な反応をみせボールを捉える。反応の素早さだけではなく、ボールを運ぶ掌の才覚も卓越している。
(左右、足下、そして上方向、どれも守備範囲が広い。まるで壁だな)
聖の身長は平均よりやや高いが、身体つきにはまだどこか中学生らしさが残る。童顔な顔つきも相まって威圧感を覚えるようなタイプではなかったはずだが、ネット前に立つ聖の雰囲気は、まるで巨人のような存在感があった。
ゲームは着々と進行し、遂に聖が逆転して4-3となった。
(このままじゃあジリ貧だ。次の相手サーブ、とにかくやつのボレーに食らいつく)
西野はコートチェンジの際に腰に巻いたサポーターを外す。特に怪我をしているというわけではないが、姿勢を楽に保てる利点と、いざという時に外すことで精神的なリミッターを解除するある種の自己催眠として活用している。
昼を過ぎ、徐々に陽が西へ傾き始めていた。穏やかな午後の陽射しはやわらかく、時おり吹くそよ風は心地よさを覚える。しかしそれでも、コートの上を駆け回っている選手には暑すぎるほどだ。両選手はお互いに身体から汗を垂れ流している。
西野は汗だくになったシャツを脱ぎタオルで汗を拭う。陽の下にさらされた西野の上半身は余計なぜい肉が削ぎ落され、年老いてツヤを失った皮ふが内側から盛り上がる鍛え抜かれた筋肉に張り付いている。若々しさや瑞々しさといったものとは無縁の、無骨でどこか鬼気迫る、戦うために鍛え抜かれた古強者のような肉体がそこにはあった。
(ヒューッ、見ろよやつの筋肉を。まるでハガネみてェだ)
アドが茶化したようにいう。だが実際、西野の身体つきは聖も見たことがないぐらい徹底的に鍛え抜かれている。筋肉の大きさを競うような大袈裟なものではなく、必要な箇所に必要な分だけ身に付いた機能美を感じさせ、それは野生に生きる動物のようでもあった。
(あの年齢でも、あそこまで鍛えられるんだな)
思わず感心する聖。若さという圧倒的なアドバンテージがあるにも関わらず、なんとなく日々のトレーニングに対するストイックさで差を見せつけられたような気がしてしまう。
(筋肉は裏切らねェっていうかンな。オッサンに感心してる場合じゃねェぜ?)
その通りだな、と聖は苦笑いする。プロを目指すと口に出して動き始めた以上、1日たりとも、いや1時間たりとも無駄にはできない。父親よりも年上であろう西野に感心ばかりしていられない。聖は先にベンチから立ち上がり、ポジションへ向かった。
★
第8ゲーム 若槻サーブ
ゲームカウント4-3 若槻リード
聖は狙いをよく定め、サーブを打つ。叡智の結晶による補正でより精度の高いサーブが放たれる。エースを狙うのではなく、より確実にネット前へと詰められるよう相手のバランスを崩すことに重点を置く。対する西野は、サポーターを外したお陰か先ほどまでより動きにキレが増している。反応もよく、簡単ではないリターンが返ってくる。聖のボレーのコースを予測し、食らいついてくるようになった。
「あのオッサンすげェな?!」
コートの外で試合を観戦しているメンバーも、西野の驚異的な粘りに驚嘆の声が上がる。ポイントを獲れずとも、ポイントが決まる瞬間まで諦めない。というより、必ず取るという猛烈な執念を感じさせる。ボレーを打つ聖でさえ、もしかしたら拾われるのではという予感がしてヒヤリとする場面が多くなってきた。
(大丈夫かァ~?ナメプしてっと足下すくわれンぜ?)
ポイントは40-0で優勢だが、確かにアドが言う通り真っ向勝負にこだわり過ぎると手痛いしっぺ返しを食らいかねない。かといって、借り物の力をフル活用する気にはなれない。それはあくまで最小限に留め、なるべく多く相手と打ち合って密度の高いプレーを続けるべきだと聖は考えていた。
サーブを打ち、その勢いに乗じて距離を詰める。一見すると単純作業のようにも見えるが、その実、自分のサーブで相手の打ち返すコースを制限し、なおかつ飛んでくるリターンに素早く反応して捉えなければならない。単純に見えて、複雑で高度な読み合いが二人の間で交わされていた。
西野のリターンを捉えた聖は、リターンを打った西野が短いボレーを警戒したのを視界の端で捉える。西野の逆を突くため、打つタイミングを僅かにずらしてボールを送るように押し返す。予想とは違う方向に返球されたボールに反応しようと、西野がステップを踏んで切り返そうとしたその時、足を滑らせた西野が派手に転倒した。転がったラケットが、カランッと乾いた音を立てる。
咄嗟に受け身を取ることに成功していた西野は、転んだことに驚きつつもすぐ上半身を起こし、なんでもないと告げるように聖に向かって片手を上げる。その様子を見て聖も胸をなでおろす。ポジションに戻ろうとしたとき、背後で西野のうめき声が聞こえた。
「うッ、ぐぉ……ッ!」
ただ事ではないその声に振り返ると、左脚を押さえて西野が苦悶の表情を浮かべている。
下肢有痛性筋痙攣。
水分やカリウム不足、疲労物質の蓄積によって引き起こる一時的な筋肉の痙攣である。激痛を伴い、場合によっては筋挫傷――肉離れのこと――を起こしていることもある。
「大丈夫ですか!?」
「来るなッ!」
慌てて西野に駆け寄ろうとする聖。しかし、それを察した西野が痛みに耐えながらも鋭く言って止める。その気迫に、思わず身体が止まる。
「大丈夫だ、すぐ……おさまる」
絞り出すような声色で告げる西野。短く浅い呼吸で何度も深呼吸しながら、痙攣を起こした箇所を少しずつ伸ばす。やがて痙攣が落ち着くとゆっくり立ち上がり、ベンチに向かう。
「すまんが、緊急性治療休憩だ。3分測れ」
西野はそういって、ラケットバッグから水筒やらポーチを取り出す。ゆっくりと時間をかけて水分を摂り、ポーチから出した小袋をいくつか順番に飲み干している。遠目に、その一つには芍薬甘草湯と書いてあるのが見えた。
(専守防衛型ってのは、一見、相手のボールをただ打ち返すだけのように見えるがな。それがそんな簡単なことなら苦労はしねェし、それで勝てるなら皆そうする。相手の攻撃をひたすら守るにゃあ、強靭なフットワークとチャンスに打ち込みたくなる気持ちを抑える自制心が要る)
茶化した様子のない、やけに落ち着いた声色で語るアド。
(年食ったアマチュアに専守防衛型が多いのは事実だが、それでもシングルスで戦い続けられるのはせいぜい五十代がいいとこだ。普通は四十代でダブルスに転向するンだよ。でないと身体が保ちゃしねェ。無論、五十代以上でシングルスを続ける連中もいるが、どいつもこいつも故障を抱えながら騙しだましやってンのさ。まったく、呆れたテニスバカ共だぜ)
口は悪いものの、アドの口ぶりにはどこか、尊敬の念が込められているように感じた。例え身体が年老いて、あちこちと言うことが利かなくなろうとも、コートの上で一人戦い続ける楽しさに魅せられた孤独な庭球士たち。栄光とは無縁の、あくまで己の為に戦い続ける彼ら。そんな彼等に対して、何かしら思うところがあるのかもしれない。
「待たせたな」
応急処置を終えた西野が立ち上がった。痙攣は一時的なもののようだったらしく、足取りはしっかりしている。転倒した際に生じたのか、左肘に擦り傷がある。だが西野は意に介していないようだ。聖は再開したい気持ちと、本当に大丈夫なのかという気持ち半々で上手く言葉が出ない。するとそれを察した西野が、強気な笑みを浮かべて告げた。
「フン、なんてツラしてやがる。余計な心配なんぞするな。これは試合だ。お互いに全力で最後まで戦うのが礼儀ってもんだろう。例え相手が手負いだろうが、容赦なく勝ちに来い。この程度でビビっていたら、とてもじゃないがプロにはなれんぞ」
そう言うと西野はさっさとコートへ歩いていく。転倒し痙攣を起こしたのは西野の方だったが、聖の方が西野から檄を飛ばされてしまった。試合はまだ終わっていないし、撹拌事象も続いている。
(ラフターは、アガシとの試合で痙攣を起こして尚、最後まで戦ったぜ)
アドがそんなことを口にした。そのラフターの力を身に付けている今の自分が、痙攣を起こした相手に気後れしてどうするとでも言いたいのだろう。
聖も遅れてポジションにつく。ゲームカウントは5-3。次は西野のサーブだ。反対側のコートで構えをとる西野からは、まるでその闘気が目に見えそうなほどの気迫を感じる。思わず、唾をのみ込む聖。
「行くぞ」
低い声で呟いた西野の声が、聖の耳に届く。その声の響きに含まれる勝利への執念は、以前戦った現役日本トップの黒鉄徹磨と遜色なかった。
続く
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