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第72話 黄昏の宣誓
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1stセットを奪われ、続く2ndセットも既に4ゲームを連取された蓮司は、圧し潰されそうなプレッシャーを感じながらも必死に抗っていた。もはや完全にゲームを相手に支配され、何をどうしても打開策が見つからないという焦燥感が、彼の小さな身体に拡がっていく。
(調子が良いとか悪いとかじゃねぇ、コイツの思い通りにコトが進んでる……!)
今になって思い返せば、序盤の心地良い打ち合いからして妙だった。絶妙にコントロールされたボールは、まるで真っ向勝負を挑むかのように素直でクセが無く、球威はあれども脅威は無かった。相手は自ら蓮司の打ち易いボールを打ち、まるでわざと相手に力を与えるかのようなプレーをしてくる。そのお陰で蓮司は自分の最大限に近いプレースメントを発揮し、感触の良さもあいまって相手を捻じ伏せてやろうと蓮司は思ってしまった。
(それが狙いだったんだ。こっちのテンションを意図的に上げさせて、必要以上にプレーを良くして空回りさせる。栄養のやり過ぎで植物を枯らすような、そんな感じ。調子が良かったんじゃねぇ、アイツにプレーを良くさせられたんだ。意図せず調子の上がったオレは、自分のプレーに首を絞められるハメになった)
蓮司は一旦リズムをリセットすべく、自身にブレーキをかけた。無論、守りに徹するなどではなく、攻めるべきところは攻めるが、それ以外の場面ではプレーのギアを下げる。攻勢にも守勢にも寄り過ぎぬよう極力ニュートラルな状態を堅持し、相手の出方を窺う。せめて1stセット終盤に気付けていればと思ったが、嘆いても仕方がない。決着がつく前に相手の意図を看破できたことを善しとし、巻き返しを図る。
(要はこっちの自滅狙いだろ? 生憎だが、根比べなら負けねぇ!)
攻撃的なプレーを好む蓮司だが、しかし客観的な自己分析では自身のプレーの長所はその返球力の高さとスタミナにあると自負していた。背の小さい彼は誰よりもトレーニングを積み、フットワークとスタミナを鍛え、どんなボールも拾ってみせる粘り強さが最大の武器だ。だが、そこをいくら磨いたところで、防御不能な必殺の一撃を持っている大きな選手に現状の蓮司では太刀打ちできない。彼が攻撃的なプレーを求めたのは、そのコンプレックスゆえだ。
「Game,Japan.Italy leads 4games to 1」
「よォっし!」
ようやく自身のサービスゲームのキープに成功した蓮司は、自らを鼓舞すべく大きな声で吠える。いつもより守備的なプレーをしているときだからこそ、精神状態はむしろ攻撃的になるよう闘争心を高めていく。どんなボールだろうと全部受け切ってやる、という好戦的なモチベーションを保つことが、より優れたディフェンスを産み、そして逆転の道へと繋がる唯一の鍵だ。
(次、なんとしてもブレイクしてやる!)
キープはできたが、それは前提条件に過ぎない。勝つ為にはこのセットを奪い返さなければならず、そのためには最低でも2度、ジオのサービスゲームをブレイクしなければならない。それができて初めてタイブレークへの挑戦権を得られる。
(オレが負けても、まだチームは負けない。でもそれじゃダメだ。この大会での個人成績次第じゃ、ATCにいられなくなる。そりゃあ、そこがプロになる為の全てじゃない。選手としてオレが諦めない限り道はあるさ。だが遠回りになり過ぎる。プロになるのはあくまで過程。大事なのはその先なんだ。始まる前から、立ち止まってられっか!)
★
ミラノにあるテニスアカデミーは、その広大な敷地と施設群の割には閑散としていた。既に多くが土地ごと売却され、しかし未だ買い手はつかぬまま。古めかしくも歴史を感じさせる建造物は、ある時からその賑わいを失い、今やゴーストタウンのような雰囲気をかもし出している。
唯一まだ機能している建物の屋上で、ジオは冬の夕焼けに染められたテニスコートを眼下に見渡し、かつてイタリア随一と呼ばれたその施設の歴史に思いを馳せる。鮮やかな黄金色に染まる景色は神々しくもどこか哀愁を帯び、ある種の滅美のようなものを感じさせた。
「知っているぞ。オマエの肉親はマフィアだろう」
隣にいる背の高い少女が、鋭い視線をジオにぶつけながら言い放つ。このテニスアカデミーの創設に寄与した、イタリア有数の大企業の娘、ティッキー・フィン・ブロード。年齢はジオとそう違わないが、既に選手としての才能を開花させている彼女は、常にどこか決然とした雰囲気を漂わせていた。
「えぇ、そうです」
ジオは観念したように肯定する。彼女とは数年前から同じテニスアカデミーで選手として過ごしているが、これまで二人で会話を交わしたことは無い。ジオの素性を知っているのは、テニスアカデミーの理事長のみ。内容だけに、他は誰一人としてジオの肉親について知らないはずである。いつから知っているのか、誰から教わったのか、そういう事も当然気になったが、ことここに至ってそれらは重要ではない。重要なのは、彼女が正しい情報を持ち、そして明らかに自分に対して敵意を向けていることだ。彼女が自分に向ける敵意の強さから、ジオは彼女が自分に関する秘密を概ね承知しているだろうことを察し、言い包めようとするのを諦めた。
「貴女が僕について、何をどこまで知っているのか僕にはわからない。その時点で、僕に出来ることは限られている。それは包み隠さず、正直に、真摯に自分の意図を告げること」
ティッキーの目を真っ直ぐに見つめ、ジオは言葉を続ける。
「僕は貴女から信頼されたい。差し出がましく聞こえるかもしれないが、貴女を手助けするために。僕にはそれができるから。そして、自分の目的を遂げるために」
敬意を払うように目を伏せて両方の手のひらを見せながら、ジオは堂々と言った。目の前の少女には、嘘やもっともらしい言い訳、御為ごかしの類は一切通じないだろう。それは彼女の目を見れば火を見るよりも明らかだ。そう確信できるほど、彼女の瞳には全てを見通すような力強さがある。
「腹芸をするつもりは無いようだな。フン、普段からそういう振る舞いを心掛けていれば、必要以上に警戒もされないだろうに。自分で気付いていないのか? きっとオマエが思っているよりずっと、オマエは集団のなかで浮いているぞ」
常に自分にも他人にも厳しい態度を崩さないティッキーだが、他人を露骨に批判するような言動は滅多にしない。その彼女が、ジオに対してあからさまに敵意を向けながら、彼の欠点をあげつらう。だが批判の内容の是非はともかく、彼女の態度はジオに好ましく思えた。いつもと違うその反応はつまり、ジオの話しに耳を傾ける気があることの証に他ならない。
「ご指摘の通り、僕の父親はマフィアだ。それもかなり古くからある組織のね。信じて貰えるかは分からないが、僕自身は一般人だ。それゆえ組織の実態の全てを把握していない。とはいえ僕が知る限り、彼らは私利私欲の為に犯罪を行うような、いわゆるステレオタイプの反社会的犯罪組織ではない。言い訳じみて聞こえるでしょうが、彼らは麻薬や児童売春などとは関わっていない」
ジオの言葉を鼻で嗤うティッキー。
「語るに落ちてるぞ。実態の全てを把握していないのに、何故そう言い切れる」
「根拠はありません。しかし、僕の身体に流れる血に誓って、断言しましょう」
沈黙と共に、二人の視線がぶつかり合う。沈む夕陽で茜色に染まる空を背にするティッキー。対して、空から夜が降りてくるように、少しずつ黄昏色に沈む空を背にするジオ。両者の間を、冷たい冬の風が吹き抜ける。
「私を助けると言ったな。どうやって?」
いける、とジオは直感する。言葉を促すティッキーの反応に、光明を見るジオ。だが、少しでも言葉を違えれば、彼女はにべもなく自分の助力を拒絶するだろう。それが例え自分に必要なことだと理解しても、彼女は決して打算では動かない。自分に都合よく他人を利用する、などということは、例え天地が引っくり返ろうとしないだろう。
「あくまで、目には目を、歯には歯を。貴女の目に僕がどう映っているかは知る由もありませんが、少なくとも貴女が集めた仲間たちは表の世界の住人だ。しかし、貴女たちが相手にしようとしているのは表だけでなく、裏の世界の住人も含まれる。そして、裏の世界の住人は決して手加減などしない。情けも容赦も慈悲も無く、文字通り貴女がたの息の根を止めようと襲ってくるでしょう。そのためには、どうしたって対抗手段が要るはずです」
そこまでいうと、ジオは片膝をついて跪く。
「母国の誇りを取り戻す為、僕は裏社会の力と共に、貴女がたを守る猟犬となる」
夕陽を背にする彼女に傅くその姿は、夜が太陽に忠誠を誓うように見えた。
ジオの言葉と仕草を、ティッキーは無表情で見つめる。
「自分は選手をやめてマフィアの一員となり、表の住人を守ると?」
答えず、ジオは目を伏せたまま。彼の脳裏に、これまでの様々な出来事が過ぎ去っていく。幼い頃に経験した母親との悲惨な別れ、一人だけ生き残り、平和に暮らしながらもどこか居場所の無さを感じてしまう自分。そして、イタリアテニス界で起こった大規模な八百長事件を契機に、その陰を見せ始めた裏社会の蠢動の気配。それに真っ向から立ち向かおうとしている、気高き少女。
「なぜ、そこまで?」
ティッキーのその問い掛けには、初めてジオを気遣うような声色がにじむ。己の感傷など話すつもりは毛頭なかったジオだが、その声を聞くと自然に口が開いていた。
「両方、守りたいんだ。どちらも必要だと思うから。人の世は醜い。吐き気を催す邪悪がそこかしこに溢れている。だがそれと同時に、守るべき貴く気高いものも確かにある。そしてそれらは、表の社会にも裏の社会にも等しく存在するんだ。僕は、その両方を守りたい」
ジオは知っている。この世界が美しいだけではないことを。そして、醜いだけでないことを。裏社会の血筋を出生に持ちながら表社会へと送られた少年は、追いすがる暗闇の爪に傷を負わされた。その傷の意味を考えると、自分の感情は執着に過ぎないのではと思う事もある。だが、決してそれだけでは無いはずだとジオは信じている。
「顔をあげてくれ」
跪くジオを見下ろしながら、ティッキーが言う。
夕日の逆光で、彼女の表情は窺い知れない。
「オマエの覚悟は認めよう。だがその提案は受け入れ難い」
ダメか、とジオが思うより早く、彼女は言葉を続けた。
「オマエほどの選手が裏社会の住人となり、イタリアのテニス界から消えるなど私が許さん。そもそもオマエは今日、私と話をする権利を得るというためだけに、わざわざ試合を挑んでこの私に勝った。男だから女に勝つのは当然だと思うか? 冗談じゃない。そんな古い常識が覆る時代は、すぐそこまできている。再戦を受けてもらわないとな。それに、私もまだ選手としては未熟。今よりも強くなる必要がある。そして、イタリアのテニスをもう一度世界に知らしめるには、私一人ではどうにもならない。仲間が要る。強い信念を持ち、信頼に値する、オマエのような男が」
夕陽が沈みゆき、昼と夜が重なる。世界が黄昏色に染まるなか、太陽は夜を見下ろし、手を差し伸べる。夜が太陽の手をとり、二つは確かに繋がった。
太陽は、夜を手に入れたのだ。
★
汗を拭うフリをしながら、ジオは観客席に視線を走らせる。
(どうやら、妨害者は最初の男だけか。リアル・ブルームは仕事をしたらしい)
最初の試合でロシューが狙われて以降、イタリアチームへの妨害は今のところ無い。周辺に配置したチームスタッフが犯人を捕らえ、大会運営本部に引き渡したことでセキュリティが強化されたのは間違いなさそうだ。
(あの女、メグ・アーヴィングといったか。確か彼女は今大会の運営監督責任者に命令を下していたから、恐らくリアル・ブルームの大幹部だろう。遠目に見ただけだが、異様な雰囲気の女だった)
ジオはあくまで、イタリアのジュニア選手として活動している。彼は自分の父親の伝手を使い、ティッキーの集めた選手とは別に人を集めた。名目上はコーチやトレーナー、マネージャーといったチームを支えるサポートスタッフとして。イタリアチームの実質的なリーダーはティッキーだが、対外向けには監督役として別の者別の者――名をリッゾという――を立てている。外部との交渉などはその者が行い、ジオはその中継役を果たしていた。
(試合が終わったら、リッゾに進捗を確認しなければ。犯人をリアル・ブルームがどうしたのか。どうせ捨て駒のチンピラか何かだろうが、小さな手掛かりでもあればそれに越した事は無い。この先の日程におけるセキュリティについても、譲歩を引き出……っと!)
ラリーの最中に思考を巡らせていたジオは、相手の日本人選手が放った鋭い一撃を辛うじて凌ぐ。1stセットを予定通り奪い、続く2ndセットも2ブレイク先行できた。実力のある選手だったが、順当に進めばもう勝利は揺るがない。予定外のことが起こるとすればコートの外からだ。イタリアが勝利を得ようとするタイミングで、それを良く思わない連中による妨害がまたぞろ発生しかねない。
(気を付けないとまずい。油断していて勝てるレベルではないのだから)
想定外の出来事に備え思考を巡らせていたジオが、自身の油断を自覚する。どうやら今のところは、妨害が再度行われる気配はない。しかしそれがいつまで続くかの保証は無い。もたもたしていると相手が次の手の準備を整えてしまう可能性もある。それならば、少しでも早く試合を終わらせるべきだ。衆前で、しかも団体戦で0ゲームをつけるのは気の毒に思うが、悠長なことは言っていられない。
(自分の調子が良いはずなのに、思ったようにゲームが獲れない。彼はきっとそれについて更なるテンポアップを求めるだろう。もっと鋭く、もっと速く、もっと強く、と。君がもっと身体の大きさに恵まれていれば、まだ可能性はあったかもしれない。だが――)
ジオは蓮司の攻撃を、同じような威力、同じようなテンポで打ち返す。しかも、絶妙にコントロールされたボールは、蓮司から見て更に連撃を重ねたくなるようなものだ。素早く反応した蓮司は即座に連撃態勢に入る。もう一度来るであろう蓮司の攻撃を予想し、ジオは次の一打で揺さぶりをかけるつもりでいた。
しかし――
虚を突く零れ球
「ッ!」
長い手足を振って追いかけたが、反応の遅れで間に合わず、ボールはジオのコートで2度目のバウンドをする。このタイミングでまさか彼の方からテンポを落とすとは予想外だった。
(ボールがいかにもチャンスらしすぎただろうか? ……いや)
上手く相手の攻撃に同調したつもりだったジオだが、チャンスボールになり過ぎて返って冷静にさせてしまった可能性を考える。しかしすぐ、相手の表情からその考えが間違っていることを見抜く。
続くポイントで、ジオは相手がペースを変えたことに確信を得る。様子見で放ったジオの一手を、相手は攻撃せず堅実に返球してきた。これまでなら積極的に攻めへ転じていたようなコースや球種、球威であっても自分からは動かない。本当の意味で自分のリズムを掴もうとしているのが伝わってくる。そして、見事なゲーム運びで相手は自身のサービスゲームを守り切ってみせた。
(思っていたよりも冷静、というより、事前調査にあったプロファイルよりも精神面に成長が見られるようだ。1stセット中にこの冷静さが出なかったのは惜しいが、土壇場の場面で勢いに任せない芯の強さは賞賛に値する)
ジオは対戦相手のなかに、幽かな光の兆しを見る。その光は、今はまだ小さくか細い輝きだが、気高く強く、確かな信念の煌めきを秘めていた。人知れず、ジオは僅かに口角を上げる。
(いいだろう。君の持つ光が本物かどうか、見定めてやる)
夜の闇が星の光を試すように、その昏さを、ほんの僅かに深めた。
続く
(調子が良いとか悪いとかじゃねぇ、コイツの思い通りにコトが進んでる……!)
今になって思い返せば、序盤の心地良い打ち合いからして妙だった。絶妙にコントロールされたボールは、まるで真っ向勝負を挑むかのように素直でクセが無く、球威はあれども脅威は無かった。相手は自ら蓮司の打ち易いボールを打ち、まるでわざと相手に力を与えるかのようなプレーをしてくる。そのお陰で蓮司は自分の最大限に近いプレースメントを発揮し、感触の良さもあいまって相手を捻じ伏せてやろうと蓮司は思ってしまった。
(それが狙いだったんだ。こっちのテンションを意図的に上げさせて、必要以上にプレーを良くして空回りさせる。栄養のやり過ぎで植物を枯らすような、そんな感じ。調子が良かったんじゃねぇ、アイツにプレーを良くさせられたんだ。意図せず調子の上がったオレは、自分のプレーに首を絞められるハメになった)
蓮司は一旦リズムをリセットすべく、自身にブレーキをかけた。無論、守りに徹するなどではなく、攻めるべきところは攻めるが、それ以外の場面ではプレーのギアを下げる。攻勢にも守勢にも寄り過ぎぬよう極力ニュートラルな状態を堅持し、相手の出方を窺う。せめて1stセット終盤に気付けていればと思ったが、嘆いても仕方がない。決着がつく前に相手の意図を看破できたことを善しとし、巻き返しを図る。
(要はこっちの自滅狙いだろ? 生憎だが、根比べなら負けねぇ!)
攻撃的なプレーを好む蓮司だが、しかし客観的な自己分析では自身のプレーの長所はその返球力の高さとスタミナにあると自負していた。背の小さい彼は誰よりもトレーニングを積み、フットワークとスタミナを鍛え、どんなボールも拾ってみせる粘り強さが最大の武器だ。だが、そこをいくら磨いたところで、防御不能な必殺の一撃を持っている大きな選手に現状の蓮司では太刀打ちできない。彼が攻撃的なプレーを求めたのは、そのコンプレックスゆえだ。
「Game,Japan.Italy leads 4games to 1」
「よォっし!」
ようやく自身のサービスゲームのキープに成功した蓮司は、自らを鼓舞すべく大きな声で吠える。いつもより守備的なプレーをしているときだからこそ、精神状態はむしろ攻撃的になるよう闘争心を高めていく。どんなボールだろうと全部受け切ってやる、という好戦的なモチベーションを保つことが、より優れたディフェンスを産み、そして逆転の道へと繋がる唯一の鍵だ。
(次、なんとしてもブレイクしてやる!)
キープはできたが、それは前提条件に過ぎない。勝つ為にはこのセットを奪い返さなければならず、そのためには最低でも2度、ジオのサービスゲームをブレイクしなければならない。それができて初めてタイブレークへの挑戦権を得られる。
(オレが負けても、まだチームは負けない。でもそれじゃダメだ。この大会での個人成績次第じゃ、ATCにいられなくなる。そりゃあ、そこがプロになる為の全てじゃない。選手としてオレが諦めない限り道はあるさ。だが遠回りになり過ぎる。プロになるのはあくまで過程。大事なのはその先なんだ。始まる前から、立ち止まってられっか!)
★
ミラノにあるテニスアカデミーは、その広大な敷地と施設群の割には閑散としていた。既に多くが土地ごと売却され、しかし未だ買い手はつかぬまま。古めかしくも歴史を感じさせる建造物は、ある時からその賑わいを失い、今やゴーストタウンのような雰囲気をかもし出している。
唯一まだ機能している建物の屋上で、ジオは冬の夕焼けに染められたテニスコートを眼下に見渡し、かつてイタリア随一と呼ばれたその施設の歴史に思いを馳せる。鮮やかな黄金色に染まる景色は神々しくもどこか哀愁を帯び、ある種の滅美のようなものを感じさせた。
「知っているぞ。オマエの肉親はマフィアだろう」
隣にいる背の高い少女が、鋭い視線をジオにぶつけながら言い放つ。このテニスアカデミーの創設に寄与した、イタリア有数の大企業の娘、ティッキー・フィン・ブロード。年齢はジオとそう違わないが、既に選手としての才能を開花させている彼女は、常にどこか決然とした雰囲気を漂わせていた。
「えぇ、そうです」
ジオは観念したように肯定する。彼女とは数年前から同じテニスアカデミーで選手として過ごしているが、これまで二人で会話を交わしたことは無い。ジオの素性を知っているのは、テニスアカデミーの理事長のみ。内容だけに、他は誰一人としてジオの肉親について知らないはずである。いつから知っているのか、誰から教わったのか、そういう事も当然気になったが、ことここに至ってそれらは重要ではない。重要なのは、彼女が正しい情報を持ち、そして明らかに自分に対して敵意を向けていることだ。彼女が自分に向ける敵意の強さから、ジオは彼女が自分に関する秘密を概ね承知しているだろうことを察し、言い包めようとするのを諦めた。
「貴女が僕について、何をどこまで知っているのか僕にはわからない。その時点で、僕に出来ることは限られている。それは包み隠さず、正直に、真摯に自分の意図を告げること」
ティッキーの目を真っ直ぐに見つめ、ジオは言葉を続ける。
「僕は貴女から信頼されたい。差し出がましく聞こえるかもしれないが、貴女を手助けするために。僕にはそれができるから。そして、自分の目的を遂げるために」
敬意を払うように目を伏せて両方の手のひらを見せながら、ジオは堂々と言った。目の前の少女には、嘘やもっともらしい言い訳、御為ごかしの類は一切通じないだろう。それは彼女の目を見れば火を見るよりも明らかだ。そう確信できるほど、彼女の瞳には全てを見通すような力強さがある。
「腹芸をするつもりは無いようだな。フン、普段からそういう振る舞いを心掛けていれば、必要以上に警戒もされないだろうに。自分で気付いていないのか? きっとオマエが思っているよりずっと、オマエは集団のなかで浮いているぞ」
常に自分にも他人にも厳しい態度を崩さないティッキーだが、他人を露骨に批判するような言動は滅多にしない。その彼女が、ジオに対してあからさまに敵意を向けながら、彼の欠点をあげつらう。だが批判の内容の是非はともかく、彼女の態度はジオに好ましく思えた。いつもと違うその反応はつまり、ジオの話しに耳を傾ける気があることの証に他ならない。
「ご指摘の通り、僕の父親はマフィアだ。それもかなり古くからある組織のね。信じて貰えるかは分からないが、僕自身は一般人だ。それゆえ組織の実態の全てを把握していない。とはいえ僕が知る限り、彼らは私利私欲の為に犯罪を行うような、いわゆるステレオタイプの反社会的犯罪組織ではない。言い訳じみて聞こえるでしょうが、彼らは麻薬や児童売春などとは関わっていない」
ジオの言葉を鼻で嗤うティッキー。
「語るに落ちてるぞ。実態の全てを把握していないのに、何故そう言い切れる」
「根拠はありません。しかし、僕の身体に流れる血に誓って、断言しましょう」
沈黙と共に、二人の視線がぶつかり合う。沈む夕陽で茜色に染まる空を背にするティッキー。対して、空から夜が降りてくるように、少しずつ黄昏色に沈む空を背にするジオ。両者の間を、冷たい冬の風が吹き抜ける。
「私を助けると言ったな。どうやって?」
いける、とジオは直感する。言葉を促すティッキーの反応に、光明を見るジオ。だが、少しでも言葉を違えれば、彼女はにべもなく自分の助力を拒絶するだろう。それが例え自分に必要なことだと理解しても、彼女は決して打算では動かない。自分に都合よく他人を利用する、などということは、例え天地が引っくり返ろうとしないだろう。
「あくまで、目には目を、歯には歯を。貴女の目に僕がどう映っているかは知る由もありませんが、少なくとも貴女が集めた仲間たちは表の世界の住人だ。しかし、貴女たちが相手にしようとしているのは表だけでなく、裏の世界の住人も含まれる。そして、裏の世界の住人は決して手加減などしない。情けも容赦も慈悲も無く、文字通り貴女がたの息の根を止めようと襲ってくるでしょう。そのためには、どうしたって対抗手段が要るはずです」
そこまでいうと、ジオは片膝をついて跪く。
「母国の誇りを取り戻す為、僕は裏社会の力と共に、貴女がたを守る猟犬となる」
夕陽を背にする彼女に傅くその姿は、夜が太陽に忠誠を誓うように見えた。
ジオの言葉と仕草を、ティッキーは無表情で見つめる。
「自分は選手をやめてマフィアの一員となり、表の住人を守ると?」
答えず、ジオは目を伏せたまま。彼の脳裏に、これまでの様々な出来事が過ぎ去っていく。幼い頃に経験した母親との悲惨な別れ、一人だけ生き残り、平和に暮らしながらもどこか居場所の無さを感じてしまう自分。そして、イタリアテニス界で起こった大規模な八百長事件を契機に、その陰を見せ始めた裏社会の蠢動の気配。それに真っ向から立ち向かおうとしている、気高き少女。
「なぜ、そこまで?」
ティッキーのその問い掛けには、初めてジオを気遣うような声色がにじむ。己の感傷など話すつもりは毛頭なかったジオだが、その声を聞くと自然に口が開いていた。
「両方、守りたいんだ。どちらも必要だと思うから。人の世は醜い。吐き気を催す邪悪がそこかしこに溢れている。だがそれと同時に、守るべき貴く気高いものも確かにある。そしてそれらは、表の社会にも裏の社会にも等しく存在するんだ。僕は、その両方を守りたい」
ジオは知っている。この世界が美しいだけではないことを。そして、醜いだけでないことを。裏社会の血筋を出生に持ちながら表社会へと送られた少年は、追いすがる暗闇の爪に傷を負わされた。その傷の意味を考えると、自分の感情は執着に過ぎないのではと思う事もある。だが、決してそれだけでは無いはずだとジオは信じている。
「顔をあげてくれ」
跪くジオを見下ろしながら、ティッキーが言う。
夕日の逆光で、彼女の表情は窺い知れない。
「オマエの覚悟は認めよう。だがその提案は受け入れ難い」
ダメか、とジオが思うより早く、彼女は言葉を続けた。
「オマエほどの選手が裏社会の住人となり、イタリアのテニス界から消えるなど私が許さん。そもそもオマエは今日、私と話をする権利を得るというためだけに、わざわざ試合を挑んでこの私に勝った。男だから女に勝つのは当然だと思うか? 冗談じゃない。そんな古い常識が覆る時代は、すぐそこまできている。再戦を受けてもらわないとな。それに、私もまだ選手としては未熟。今よりも強くなる必要がある。そして、イタリアのテニスをもう一度世界に知らしめるには、私一人ではどうにもならない。仲間が要る。強い信念を持ち、信頼に値する、オマエのような男が」
夕陽が沈みゆき、昼と夜が重なる。世界が黄昏色に染まるなか、太陽は夜を見下ろし、手を差し伸べる。夜が太陽の手をとり、二つは確かに繋がった。
太陽は、夜を手に入れたのだ。
★
汗を拭うフリをしながら、ジオは観客席に視線を走らせる。
(どうやら、妨害者は最初の男だけか。リアル・ブルームは仕事をしたらしい)
最初の試合でロシューが狙われて以降、イタリアチームへの妨害は今のところ無い。周辺に配置したチームスタッフが犯人を捕らえ、大会運営本部に引き渡したことでセキュリティが強化されたのは間違いなさそうだ。
(あの女、メグ・アーヴィングといったか。確か彼女は今大会の運営監督責任者に命令を下していたから、恐らくリアル・ブルームの大幹部だろう。遠目に見ただけだが、異様な雰囲気の女だった)
ジオはあくまで、イタリアのジュニア選手として活動している。彼は自分の父親の伝手を使い、ティッキーの集めた選手とは別に人を集めた。名目上はコーチやトレーナー、マネージャーといったチームを支えるサポートスタッフとして。イタリアチームの実質的なリーダーはティッキーだが、対外向けには監督役として別の者別の者――名をリッゾという――を立てている。外部との交渉などはその者が行い、ジオはその中継役を果たしていた。
(試合が終わったら、リッゾに進捗を確認しなければ。犯人をリアル・ブルームがどうしたのか。どうせ捨て駒のチンピラか何かだろうが、小さな手掛かりでもあればそれに越した事は無い。この先の日程におけるセキュリティについても、譲歩を引き出……っと!)
ラリーの最中に思考を巡らせていたジオは、相手の日本人選手が放った鋭い一撃を辛うじて凌ぐ。1stセットを予定通り奪い、続く2ndセットも2ブレイク先行できた。実力のある選手だったが、順当に進めばもう勝利は揺るがない。予定外のことが起こるとすればコートの外からだ。イタリアが勝利を得ようとするタイミングで、それを良く思わない連中による妨害がまたぞろ発生しかねない。
(気を付けないとまずい。油断していて勝てるレベルではないのだから)
想定外の出来事に備え思考を巡らせていたジオが、自身の油断を自覚する。どうやら今のところは、妨害が再度行われる気配はない。しかしそれがいつまで続くかの保証は無い。もたもたしていると相手が次の手の準備を整えてしまう可能性もある。それならば、少しでも早く試合を終わらせるべきだ。衆前で、しかも団体戦で0ゲームをつけるのは気の毒に思うが、悠長なことは言っていられない。
(自分の調子が良いはずなのに、思ったようにゲームが獲れない。彼はきっとそれについて更なるテンポアップを求めるだろう。もっと鋭く、もっと速く、もっと強く、と。君がもっと身体の大きさに恵まれていれば、まだ可能性はあったかもしれない。だが――)
ジオは蓮司の攻撃を、同じような威力、同じようなテンポで打ち返す。しかも、絶妙にコントロールされたボールは、蓮司から見て更に連撃を重ねたくなるようなものだ。素早く反応した蓮司は即座に連撃態勢に入る。もう一度来るであろう蓮司の攻撃を予想し、ジオは次の一打で揺さぶりをかけるつもりでいた。
しかし――
虚を突く零れ球
「ッ!」
長い手足を振って追いかけたが、反応の遅れで間に合わず、ボールはジオのコートで2度目のバウンドをする。このタイミングでまさか彼の方からテンポを落とすとは予想外だった。
(ボールがいかにもチャンスらしすぎただろうか? ……いや)
上手く相手の攻撃に同調したつもりだったジオだが、チャンスボールになり過ぎて返って冷静にさせてしまった可能性を考える。しかしすぐ、相手の表情からその考えが間違っていることを見抜く。
続くポイントで、ジオは相手がペースを変えたことに確信を得る。様子見で放ったジオの一手を、相手は攻撃せず堅実に返球してきた。これまでなら積極的に攻めへ転じていたようなコースや球種、球威であっても自分からは動かない。本当の意味で自分のリズムを掴もうとしているのが伝わってくる。そして、見事なゲーム運びで相手は自身のサービスゲームを守り切ってみせた。
(思っていたよりも冷静、というより、事前調査にあったプロファイルよりも精神面に成長が見られるようだ。1stセット中にこの冷静さが出なかったのは惜しいが、土壇場の場面で勢いに任せない芯の強さは賞賛に値する)
ジオは対戦相手のなかに、幽かな光の兆しを見る。その光は、今はまだ小さくか細い輝きだが、気高く強く、確かな信念の煌めきを秘めていた。人知れず、ジオは僅かに口角を上げる。
(いいだろう。君の持つ光が本物かどうか、見定めてやる)
夜の闇が星の光を試すように、その昏さを、ほんの僅かに深めた。
続く
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幼少期、神隠しにあった過去を待つ青年ユメビシ。
迷い込んだ先で、事件に巻き込まれ両手を失い、生死を彷徨うことに。
ただ「死にたくない」と望んだ願いは、ある故人の手を移植することで実現した。
これを境に不死の体質へと変貌したユメビシは、約70年の時を経て、因縁の土地『瞑之島(みんのとう)』へ帰還する。
しかし、どうして今自分がここにいるのか、その理由となる記憶がすっぽり抜け落ちた状態で……。
奇妙な忘却に焦りを抱えながら、手がかりを求め探索するさなか、島の中枢を担う組織『季楼庵(きろうあん)』の面々と関わりを持ち、次々と巻き起こる騒動に身を投じていくのだった。
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――小説家になろう、カクヨム(別タイトル)にも掲載――
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