Head or Tail ~Akashic Tennis Players~

志々尾美里

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第97話 約束

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 ミヤビと蓮司が試合に臨んでいる、同日同時刻の日本。マイアミとの時差はおよそ13時間。日本は深夜3時を迎えていたが、動画サイトでネット配信されている試合には、リアルタイムの書き込みが絶えなかった。

202【投稿者:テニスファン ×/×/× 3:08】
こりゃ終わったわ。最後はストレート負けだな~
203【投稿者:テニスファン ×/×/× 3:09】
準優勝なら大したもんだろ
204【投稿者:テニスファン ×/×/× 3:09】
能条ふざけんなオレのミヤミヤに土つけやがって
205【投稿者:テニスファン ×/×/× 3:09】
>>203
オマエのじゃねぇよ引っ込んでろ
ミヤミヤはオレのだ
206【投稿者:テニスファン ×/×/× 3:10】
じゃあスズパイもらっていくね
207【投稿者:テニスファン ×/×/× 3:10】
能条って肘壊してたよね。さっき当てられたの大丈夫か
208【投稿者:テニスファン ×/×/× 3:10】
あの程度は平気だろ
それよりイラついてる方が問題
209【投稿者:テニスファン ×/×/× 3:10】
相手の双子、不気味でなんか怖いの自分だけ?
210【投稿者:テニスファン ×/×/× 3:11】
なんでだよ二人とも綺麗じゃん
兄貴女装してほしい
211【投稿者:テニスファン ×/×/× 3:11】
プレーがなんか弱いものいじめ感ある
両方ドSに違いない
212【投稿者:テニスファン ×/×/× 3:12】
せっかく遅くまで起きて応援してたのに
金返せよクソ

 家族が寝静まった自宅で、榎歌考狼えのうたこうろうはそれらを読み流す。特に注目すべきものはないと感じると、コメント欄を非表示にし、画面サイズを最大にした。カメラがちょうどアメリカペアを捉え、マネキンと見間違えそうなほど整った顔立ちの双子が画面に広がる。

(よくもまぁ、ここまでむごい真似ができる)
 榎歌は画面をつけたまま椅子から立ち上がり、珈琲を淹れ直した。そのまま窓をあけてベランダに出る。10月初旬、まるで季節が切り替わるように残暑が影を潜め、秋の気配が色濃く夜を満たしていた。小さく遠く、鈴虫の音が静かな住宅街に響いている。

(さて、どうする)
 現在の状況と、自分に選択可能な手段を頭に思い浮かべ、榎歌は思案する。これまでに何度、同じ事を考えただろう。何かしら手を打たなければと強く思う一方、現状では手の出しようがないことは分かっている。それでも諦めずに思案するのは、自分の見落としや小さな潮目の変化、あるいは発想の転換となる手掛かりが見つかる可能性を信じているから。

 秋の夜空に、星が煌めいて流れる。願い事を唱えようと思えば、できただろう。だが星に願うよりも、榎歌は考えることを優先した。深く、広い視点で考えを巡らせる。世界は絶えず変化し続け、その度に新しい可能性が産まれては消えていく。現状を変える手がかりは、必ずどこかにある。それまで身を伏せ、気配と感情を殺す。敵は簡単に狩れる獲物ではない。自分よりも遥かに凶暴で獰猛な怪物だ。世界という縄張りを、人の尊厳を冒し汚す、欲という魔物。浅はかな手段を取れば、逆に自分が抵抗する間もなく狩られるだろう。焦ってはならない。例え、自分の見知った子供達がむごい目に遭わされていようとも。

 狼は考える。今はただ、策を練り牙を研ぐ。
 やがて訪れるであろう、その時まで。

           ★

 相手ペアに感じた、得体の知れない不吉な気配。蓮司が古傷に受けた直接的なダメージ。どうしても獲りたかった1stセットを先に奪われ、尚且つ2ndセット序盤のサービスゲームを落としたことで、日本ペアは完全に後が無くなった。この試合に負ければ、チームの敗北が確定する。客観的に見れば準優勝というまずまずの結果だが、ことこの試合に関してだけいえば、別の意味合いを含んでいるのを、ミヤビは知っている。

(考えろ、考えろ)
 チェンジコートでベンチに座ると、ミヤビは胸中で繰り返す。コートの上を走り回りながら、一打ごとに、一瞬ごとに、ボールを打たないときでさえ、ひたすらに頭を動かし続けた。しかしそれでも、相手の鉄壁とすら思える守りを崩せない。それどころか、全てを見透かされて嘲笑うかのように出し抜かれてしまう。ミヤビが思考を凝らして頑張った分だけ、苦しくなっていく。

(一気に来ないのは隙、絶対にそこを突ける)
 相手のロックフォード兄妹が、自分たちをいたぶるようなプレーを愉しんでいるのは明白だった。それでも、それこそが相手の隙と信じてミヤビは諦めない。敗北が頭を過ぎり焦っていた蓮司も、ミヤビの集中力に引っ張られどうにか崩れず堪えてくれている。劣勢は劣勢だが、二人とも全身全霊で試合に臨んでいた。足りないのは、ほんの僅かな取っ掛かりだけだった。

(勝たなきゃ、蓮司はATCにいられなくなる。なんとかしなくちゃ)
 蓮司から直接聞いたわけではないが、この大会のオーダーを最初に聞いた時点でミヤビは彼の状況を察していた。ただ、半端に口を挟むことではないと思ったし、蓮司なら自分でなんとかできると信じたかった。結果と実力が常に試され続けるのが、プロのアスリートの世界だ。自分の望む環境を手に入れたければ、己で勝ち取るより他ない。

(分かってるよ、これは蓮司が自分で解決しなきゃいけない問題だって。それは分かってる。でも……)
 ミヤビは自分の感情が、ひどく自己中心的なものだと理解している。理解しているが、だからといって考えを改めることも、考えを改めようとも思わない。結果が全て、勝つことがもっとも重要な世界だからこそ、少しでも自分が力になれるならどうにかしてやりたい。それが例えミヤビのエゴであっても、そう思うのだから仕方がない。蓮司と一緒に、プロの世界へ共にいきたい。ミヤビはそう思っている。しかし、それが本当に蓮司のためになるのか、ミヤビには分からない。

(いけない、ここで迷ったらダメ。余計な事は考えるな)
 俯きかけた顔を無理やりあげて、ミヤビは空を見る。分厚い雲が覆い、日差しが遮られて幾分か気温が落ち着いている。それに反して、鉛色の空が今のミヤビの心根を表しているようでスッキリしない。目を逸らすように視線を落とすと、見知った顔が並んでいるのが目に入った。

(あ……イタリアの)
 イタリアのメンバーは皆一様に、真剣な眼差しでコートでの出来事を見守っている。距離は離れているが、恐らく彼らもミヤビが自分たちに気付いたと察しただろう。だが口を開いたり、手を振る者はいない。その代わり、力強い眼差しで全員が同じような表情を浮かべている。そんな彼らが今なにを想っているのか、不思議とミヤビには分かった気がした。

――どうした、お前等の覚悟はそんなもんか

 不意に、イタリアとの試合を思い出すミヤビ。イタリアの窮状について、誘拐のときに具体的なことを知った。彼らはこの大会に参加したときから、ミヤビには想像もつかない事情を抱えていたのだ。強く大きな覚悟を持って、戦いに臨んでいた。

(私は、ティッキーたちほどの覚悟を持てているかな?)
 ミヤビは自問する。試合に対して、大会に対して、あるいは、プロの世界を目指す者として。自分はどれほどの覚悟をもっているだろうか。自分なりに努力している自負はある。しかしそれでも、どこか環境に甘えている部分は無いだろうか。

「よし」
 つぶやいて、ミヤビは立ち上がる。そしてイタリアのメンバーに向かって、ピースサインを見せたあと、立てた指を自分の目に向ける。ついでに蓮司へ向けて親指を指した。

――見ててね

 覚悟を示すように、ミヤビは不敵な笑みを浮かべた。

           ★

 自分たちを見ていろ、そんな意味合いのハンドサインを向けたミヤビの仕草に、ジオは表情を変えず笑った。相手がマフィアであろうと、思ったことを遠慮なくぶつける彼女の真っ直ぐな気高さが、少し羨ましくもあった。日本は未だ劣勢を強いられ、芳しくない状況ではある。しかし彼女の振る舞いを見ていると、なぜか希望を抱ける、そんな気がした。

 ジオは次に、アメリカペアへ視線を向ける。無機質で無感情な、作業に従事するAIを思わせるその雰囲気。アメリカチームのメンバー全員に言えることだが、プレーは確かにハイレベルなものの、どこか画一的な印象を受ける。それでいて、相手に対して敬意が欠け落ちた無慈悲さ。腹の底が読めない不気味さがあった。

(会話? あの二人が?)
 ダブルスだというのにも関わらず、これまで一度も言葉を交わしていなかったロックフォード兄妹が、ほんの少しだけ顔を見合わせて口を動かしている様子がジオの目に映る。いつものクセで唇の動きを読み、内容を頭のなかで再現する。

――頃合いだろう
――みたいだな、終わらせよう

 ゲームカウントは日本から0-3だ。ブレイクしたことで優勢になったから、トドメを刺しにいこうという意志疎通をした。特に違和感のない、ごく普通の会話に思える。それが彼らでなかった・・・・・・・・・・なら・・

(何をする気だ?)
 不気味な胸騒ぎが、ジオのなかで起こる。具体的な事は何も分からない。
 しかしなにか、嫌な予感が拭えない。言語化できないもどかしさがジオを苛む。

「すいません、少し外します」
「どうした?」
 ティッキーの問いには答えず、ジオは観客席を少し下る。もう少し近くで見れば、何か分かるかもしれないと考えた。あるいはこの時すでに、ジオはこの先に起こる出来事を無意識に予感していたのかもしれない。

「失礼、小銭が転がって。すぐ戻りますから」
 最前列に移動し、身を屈めるジオ。突然隣にきた長身の青年を訝しがる観客に、すまなそうな笑顔を向ける。テニスでは選手がプレーを行っている最中に、観客は移動できない。ガードマンはジオに気付いていたが、ちょうど第4ゲームが始まるところで注意するタイミングを逃したらしい。ジオは目配せでガードマンに愛想を振りまくと、コートに視線を向ける。

(分からない。何が狙いだ?)

 ジオの不安を余所に、試合の続きが始まった。

           ★

 ミヤビの重心が後ろに下がった直後、ネット際にドロップが放り込まれた。完全に虚を突かれる形だったが、辛うじて体勢を立て直し、懸命に走る。全神経をボールに集中させ、追いつくことを最優先し、思い切りコートを蹴りつけた。

(大丈夫、間に――うそ!?)
 ボールとの間合いから、ミヤビが追いつけると判断した瞬間と、最初のバウンドをしたボールが、バックスピンで逆に跳ねるのは同時だった。追いついて打ち返すためには、減速する必要がある。しかし今もし減速すれば、届かない位置へとボールが跳ねた。バウンドの最頂点に達したボールを視界に捉えると同時に、ミヤビは二つのことに気付く。一つは、ネットの向こう側で、薄っすらと嗜虐的な笑みを浮かべる相手の顔。二つ目は、自分がボールを追うその先に、主審が座る審判台が立っている・・・・・・・・・こと・・

「よせ、ミ――!」
 咄嗟に叫んだ蓮司の声は、届いていたが、あえて無視する。

(なめんなよ、私を誰だと――!)
 あろうことか、ミヤビはさらに加速することを選択。代わりに、僅かながら走る方向を変えた。伸ばしたラケットの先端がボールにギリギリ触れるかどうかという距離を保ち、一気に駆け抜ける。コツン、という振動が手に伝わると、感覚だけでボールをコントロールした。狙った場所に運べたかどうかは、確認できない。すぐさまミヤビはラケットから手を離し、審判台へ手をつき跳び箱の要領で身をかわす。衝突は避けたが、その先にはもう一つ、コートと観客席を隔てる低いコンクリートの壁がある。今のミヤビと同じように、ボールを取ろうとして突っ込んだティッキーの姿が脳裏を過ぎる。

(あ、ヤバイ)
 減速しようにも、全力で走った挙句に審判台を避けようとしたことで、身体のバランスが崩れている。背中からぶつかれば被害は最小限に抑えられるだろうか、そう考えたが、身体の向きを変える余裕が無い。下手に減速すればつんのめって、頭から衝突する恐れがあった。こうなったら、とミヤビが腹を括ろうとした瞬間、

「止まるな! 飛べッ!」
 誰かの叫び声が耳に入ると同時に、ミヤビは地面を蹴った。身体の感覚に任せ、低いコンクリートの壁を走高跳のバーに見立てるイメージで飛び越す。直後、宙に浮いたミヤビを、観客席から降りてきたジオがどうにか受け止めることに成功した。

 一拍の静寂の後、大歓声がスタジアムを包んだ。

「あらら、試合より盛り上がっちゃってる」
 歓声のなか、ジオに抱き止められているミヤビが目を丸くする。

「無茶が過ぎます。ティッキーと同じ目に遭うところだった」
「えっへっへ、助かったよ」
 ジオの苦言に、ミヤビが誤魔化すように笑う。

「今のポイント、連中は狙っていた。それに――」
 真剣な眼差しで警告するジオ。ミヤビも同じ感想だ。根拠と呼べるものは無いが、あの二人はドロップを成功させてポイントを奪おうとしたのではない。ミヤビが追いかけると予想したうえで、ミヤビの負傷を狙った。試合のなかでミヤビか蓮司、どちらかが罠にかかるようゲームメイクしていたのだろう。感情を逆撫でし、アクシデントが起こりやすい状況を作った。普通に考えれば狙ってできることではないが、相手をしているミヤビには分かる。アメリカのペアには、不思議とそれができる。

「分かってる。でもアドバイスはダメだよ」
 人差し指を立て、ミヤビはジオのそれ以上の発言を止める。

「気をつけて」
「ありがとう」
 ミヤビは礼をいって、コートへ戻る。
 ミヤビのプレーは有効だったらしく、ポイントは成立していた。

「ミヤ、平気か!」
 ミヤビのラケットを拾った蓮司が、遅れて駆けつける。

「うん、どこも痛くない。ねぇ、蓮司」
 大立ち回りをしたというのに、ミヤビは随分落ち着いた様子だ。むしろ成す術も無く事の成り行きを見守るしかなかった蓮司の方が、不安と安堵で疲弊した顔をしている。確かにもし立場が逆だったら、ミヤビは蓮司に怒鳴り散らしていたかもしれない。複雑そうな表情を浮かべている蓮司の顔にそっと手を伸ばすと、ミヤビは優しく頬を撫でる。

「もし、さ」
 ミヤビは蓮司の目を真っ直ぐ見つめて、言葉を続ける。

「もし、蓮司がATCにいられなくなったら」
 その言葉に、蓮司が顔を強張らせる。気付かれているだろうとは思ったが、はっきり口にされると動揺してしまう。自分だけでなく、そのことがミヤビに余計なプレッシャーを与えてしまっているかもしれないのだ。一度ならず二度までも、蓮司は自分が負うべき責任をミヤビに負わせてしまっている。

「私も、ATCをやめるよ。蓮司を一人にしない。約束する」
「は? いや、なにいって」

 蓮司の言葉を待たず、ミヤビは顔を近づけ頬にキスした。汗のにおいがする。

「だから、一緒に克とう・・・

 二人を待ち受ける過酷で悲惨な試練は、このとき始まったのかもしれない。

                                   続く
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