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第101話 兆しを辿る者
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サーブを打つと同時に距離を詰める相手を見て、弖虎は鼻を鳴らした。飛来するボールは、敢えて速度を落とし、コースと回転数に重きをおいているようだ。クオリティは及第点だが、発想は平凡そのもので意外性の欠片もない。アーキアを起動させずとも、自分なら余裕を持って横側を打ち抜けると、弖虎は確信する。
(なんなら、その顔にブチこんでやろうか)
弖虎のなかで、暗い感情が仄かに揺れる。茶番に付き合わされることへの苛立ちが、どうしようもなく彼を苛立たせた。所詮、自分はモルモット。飼い主が重視しているのは、ヒトをその根底から進化させるという、得体の知れない技術だけ。それを自ら身に宿すことで、自分は一体なにを得たかったのだろう。そのことを考えるとき、決まって断片的な記憶が、弖虎のまぶたの裏で明滅する。
どこぞの誰とも分からない、女の顔。
懐かしさを覚える、その優しい微笑み
(この顔を、オレは知っている? いや、知らない。知りたくもない)
――繝槭?縲∝シ冶剋縺ョ縺溘a縺ォ鬆大シオ繧九°繧峨?
女の唇が動く。恐らくは自分に向けられたのであろう言葉も、意味不明な雑音となって判然としない。ただ敵意が無いことだけは、ぼんやりと分かった。まるで我が子に向けるような、優しい眼差し。しかしそのことが却って、弖虎の気に障った。
(引っ込ンでろ、クソ)
イメージを掻き消し、現実に意識の焦点を合わせる。相手が距離を詰め、迎撃の構えを見せた。弖虎には、守備の急所が見えている。狙おうと思えば、好きな時に、好きなように急所を突けるだろう。しかしどこか投げやりな気分で、特に狙いを定めるでもなく、弖虎は適当にラケットを振り抜こうとする。ボールを打つ間際、弖虎の瞳に相手の表情が映る。
「――っ」
弖虎は咄嗟に、相手のサーブをラケットに当てるだけの、簡単なロブでリターンした。横を打ち抜かれまいと構えていた相手は虚を突かれ、あっさりとボールは頭上を越える。こちらに背を向けて必死に追いかけるが、相手の努力もむなしく、ボールは転がっていった。
(なにしてンだ、オレは?)
自分の意に反して、勝手に身体が反応してしまった。弖虎が感じていたのはそんな感覚だ。ピンチを凌ごうとして身体の反応に任せた時と似ているが、今のは充分に余裕があった。それにも関わらず、弖虎が実行しようとしていたのとは違う動作を、身体が自動的に行った。
(意味わかンねェ……のに、なんだこりゃ)
意図せず動いた身体。理性ではその原因について、あれこれと不愉快な可能性が浮かぶ。しかし、弖虎がより強い違和感を覚えたのは、もっと別のことだった。
(悪くねェ?)
自分のその直感を、彼は受け止めきれずにいた。
★
第三試合のミックスダブルスを終えたあと、ミヤビは手早くシャワーを済ませ、すぐに選手向けのメディカル・ルームへと足を向けた。まだ試合自体が終わったわけではないと承知していたが、どうしてもロックフォート兄妹の容態が気になり、悩んだ末に二人の様子を確認しようと決めた。
「病院へ搬送? 二人とも、そんなに容態が悪いんですか?」
「申し訳ないが、部外者のあなたに詳細は伝えられない」
取り付く島もない医療スタッフの対応に不満を覚えたが、事実ミヤビは部外者だ。けんもほろろに追い返されながらも、諦めきれないミヤビは携帯端末で試合会場付近の病院を検索してみる。しかし場所の特定には至らず、早々に手掛かりは途絶えてしまった。
(しょうがない、聖くんの試合を観に戻ろう)
そう思ってチームベンチへ向かおうとしたミヤビに、声をかける者がいた。
「ミヤビ、さっきは良い試合だったわね」
「あなた、カタ……ウーイッグ選手」
振り返ると、ミヤビの見知った顔がそこにあった。アメリカのチームに所属するカタリナ・ルージュ・ウーイッグ。輝くような金髪をピンクのカチューシャで留め、悪戯っぽい微笑みを浮かべる彼女。あどけなさの残る相貌に反し、身長はミヤビよりも幾分か高い。ITF女子ジュニア世界ランキングトップの彼女は、溢れる自信と高慢さを隠そうともしていなかった。
「なぁに、水臭い。カタリナでいいのに。知らない中じゃあるまいし」
目を細め、親愛を示すとびきりの笑顔を向けるウーイッグ。
ミヤビは反射的に彼女から目を逸らし、口元あたりに視線を合わせた。
「ねぇカタリナ、ロックフォートさんたちは」
「つまらない幕切れになって、申し訳なかったわね」
質問を遮られたことで「あぁダメだ」と、ミヤビは心の中で悟る。
「貴女もそうだけど、ペアの彼も随分頑張ってたわね。ただ正直、私個人としては不満だわ。どうして貴女がシングルスじゃないの? 男ウケ満点の爆乳ちゃんが弱いとは思わないけど、貴女ほどじゃないでしょうに。そういえばあの子、そちらの監督と二人でいるのを見たっけ。やぁね、もしかしてそういうことなの?」
「うちのチームメイトを侮辱するのはやめて。スズさんには充分な実力がある」
ミヤビが声を尖らせると、カタリナは嬉しそうに口元を歪ませる。
「優勝を目指すための戦略的人選のつもりなのかしら。でもね、ミヤビ。こんな大会で結果に拘っているようじゃ、話にならない。テニスは個人競技。それにジュニアでの戦績なんて、キャリアのうちにも入らない。今でこそほどほどに注目されているようだけど、本当の舞台はプロになってからでしょう? プロになれるかどうか分からない、スタートラインですらない場所で必死になってる者に花を持たせて、何の意味が?」
平然と、プロを目指す全ての選手を侮辱するカタリナ。
あまりの言い様に、ミヤビは言葉を失ってしまう。
「まぁ、爆乳ちゃんはまだ覚悟がある方ね。それは認めてあげてもいい。だからもしこれから始まる、もう始まってるのかしら? 男子シングルスで日本が勝って、私と彼女が試合をするなら、手を抜かずにちゃんと相手をしてあげる。貴女と対戦できないのは寂しいけど、近いうちにその機会にも恵まれるだろうから、そのときまでお楽しみはとっておくことにするわね」
それだけ言って、踵を返すカタリナ。
「待ちなさい、ウーイッグ!」
「また会いましょうね、ミヤビ」
怒りで声を震わせるミヤビを無視し、彼女は立ち去る。その気になれば肩を掴んで呼び止め、さきほどの暴言を撤回させることもできたかもしれない。だが、ミヤビは動けない。自分と彼女の視座の違いに、気付いてしまっていた。それに、価値観の大きく異なる相手に届く言葉など、何もないと知っている。そして何より、過去にウーイッグと対戦し、自分が一度も勝てていないという事実が、ミヤビの心に楔を打ち込んでしまっていた。
★
弖虎の打つショットの球威、精度、確率。そのどれもが、以前戦った時よりも磨かれていると聖は感じていた。一方で、特殊な力の加護を受けているとはいえ、自身もまた少なからず成長していると実感する。聖はどうにか食らいつき、1ブレイク以上のリードを許さずに済んでいた。一進一退の攻防が続き、1stセットも終盤に差し迫ろうとしていた。
(カウント3-5、ここでブレイクしないと!)
弖虎のサービスで迎えた第9ゲーム。聖はリスクを負うと同時に工夫を凝らし、弖虎の猛攻を凌いでポイントを先行する。かなりの綱渡りを要求されるが、そうでもしなければブレイクは望めない。
(叡智の結晶を使うにしても、後のことを考えると自力で1セットは獲らないと。理想はこのセットを先取、2ndセット開始のタイミング。もし撹拌事象が起これば話は別だけど、そこには期待しない)
自分が負ければチームの敗北が確定する以上、聖に叡智の結晶を使わないという選択肢は無かった。少しでも早くプロへの階段を昇るためには、出せるときに結果を出す必要がある。欲をいうならば、聖としてはこのまま自力でどうにかしたい。しかし成長しているとはいえ、まだ自分では弖虎に敵わないと、聖は冷静に相手との実力差を推し測っていた。
(それに、しても)
弖虎のプレースメントは、極めて高い。油断など到底できるわけもなく、聖は一瞬一瞬に高い集中と難しい判断を求められ、まだ1stセットにも関わらず、かなり体力を消耗していた。しかし、以前と比べると何かが違う。聖は弖虎のプレーに、言葉にできない違和感を覚えていた。
(何が違うんだ? とんでもなく強いことに変わりないのに)
ラケットとボールを介し、二人はラリーという形で相手のことを探る。どこを狙って来るのか、どこを守っているのか。ショットのみならず、ポジショニング、身体のバランス、テンポの強弱、気配と実際の動きの差異、一つのショットに持たせた意味。一打ごとに1ポイントを獲るための意図を探り、1ポイントごとに1ゲームを獲るための狙いを読み取ろうとする。そうしているうちに、聖は以前の弖虎との違いが少しずつ見えてきた気がした。
(まずいッ!)
長いラリーのなかで、聖の打ったショットが意図を外れてやや甘くなる。チャンスボールとまではいかなくとも、イメージと現実のギャップによって産まれた些細な隙を、弖虎は見逃さない。聖は今の立ち位置から最も離れた場所へ打ち込まれると予測し、先んじて動き出す。だが、それを読まれていたのか、弖虎は聖の意表を突いて、ネット際にドロップショットを放り込んだ。
「30-30」
主審がカウントをコールする。
ポイントの貯金はなくなり、カウントが並んだ。
(わかっ、た)
しかしその事実よりも、聖は自分の中で形になったことに気を取られる。
(弖虎は今、普通にテニスをしてる)
言葉にしてみれば、どうということもない事実。むしろ、そんなことが違和感の正体であると考えること自体が、逆におかしいとさえ思うだろう。しかし以前の弖虎、尋常ならざる実力を見せた彼と、今の彼を比較したとき、そう思うより他に言いようが無い。圧倒的な実力差は感じつつも、今の弖虎にはどこか人間味がある。
(なんていうか、ホッとしたような気もする。けど、逆に不気味だ)
相反する感情が、聖のなかで舞い上がる。
歓迎すべきことなのか、それとも警戒を強めるべきなのか。
(なんなんだ、彼は)
勝負の趨勢とは無関係の不安が、聖の心のなかで雨雲のように広がった。
★
ディスプレイに表示された選手たちの名前とプロフィールに、沙粧は確かめるような視線をなるべくゆっくりと走らせる。そのどれもが確認するまでもなく、彼女の既知のものばかりだった。ただ一名を除いて。
「能条蓮司、雪咲雅、偕鈴奈、黒鉄徹磨、その他もろもろ。ほぼ全員がATCの登録選手ね。教授、貴方のお話はいつも興味深いけど、できるだけ端的に内容を伝えてくれると、こちらとしてはありがたいわ」
またぞろ長話にならないよう、新星に釘を刺す沙粧。疲労は既に取り除かれ頭はクリアになっているとはいえ、無駄な時間浪費を許容する理由にはならない。加えて、彼女は性格的に打てる手は先に打つ方だ。
「まず、アーキアの移植候補者のPLE値を過去半年分まで遡り、解析しました。結果、ここに表示されている者たちには、個人差はあれどプラスに変動がみられたのです。もちろん、常識的な範囲を大きく超えている、という意味で」
説明しながら新星が手元を操作すると、表示されていた選手たちのプロフィールから、複雑なデータ解析情報へと切り替わる。PLEの他にも、身体情報や遺伝情報に関する変動値が並び、複雑極まりない。だが見る者が見れば、それらが選手の順調な成長を表していることが分かるだろう。
「この最後の選手は誰? というか、この選手だけデータの取得方法が違うのかしら。あら、予測値? 実測値ではなく?」
表示されたデータを目にした沙粧が、唯一名前を知らない人物に関する疑問を口にする。
「順を追って説明しますよ。まず、彼らATC関係者の選手たち。彼らのPLEの成長は、ある時期を境に始まっていました。今年の四月末。始めに成長が見られたのが黒鉄選手です。そして次に、能条選手。その後、他の選手のPLE値に、程度の差はあれど成長が見られ始めました。まるで連鎖していくように」
四月末。何か変わったことがあっただろうかと、沙粧は記憶を辿る。
「私はてっきり、この時期に何か選手全体に影響を及ぼす出来事があったのかと思ったのですが、どうもそれらしい事象は見当たらない。何を起因として彼らのPLEが急成長を始めたのか。正直見当もつきませんでした。ですが、この男性に関するニュースをつい先日、目にしましてね。なんとなしに調べてみたのです。幸い、GAKSOと繋がりのあるスポーツメーカーが彼を一時的にスポンサードしていたのでね。簡易ではありますが遺伝子情報を失敬して解析しました。すると、面白いデータが取れたのです。彼は年齢の割に、非常に高いPLE値を持っていたのです」
「年齢の割に? 待って、この選手の年齢は?」
画面を戻し、選手のプロフィールを再度表示させる。
該当者の年齢を見た沙粧は、思わず目を疑う。
「年齢53歳?!」
「おや、ご存じありませんでしたか。もうすぐ行われる、全日本テニス選手権。その一般部門の参加者で歴代最高齢で出場を決めた一般人。市内に住む会社経営者、西野陣という男。興味本位でしたが、調べて良かった。実は彼、ATCとちょっとした縁があるようでしてな。対戦しているのです。ATCの選手と。あぁほら、ちょうど今からアメリカで試合に出る選手ですよ。えぇっと名前が」
――きっと、沙粧さんを楽しませてくれると思いますよ
ふいに、沙粧の頭のなかで少女の声が甦る。
「若槻、聖」
日本テニス界において、至宝と呼ばれた少女が導いてきた、少年の名だった。
続く
(なんなら、その顔にブチこんでやろうか)
弖虎のなかで、暗い感情が仄かに揺れる。茶番に付き合わされることへの苛立ちが、どうしようもなく彼を苛立たせた。所詮、自分はモルモット。飼い主が重視しているのは、ヒトをその根底から進化させるという、得体の知れない技術だけ。それを自ら身に宿すことで、自分は一体なにを得たかったのだろう。そのことを考えるとき、決まって断片的な記憶が、弖虎のまぶたの裏で明滅する。
どこぞの誰とも分からない、女の顔。
懐かしさを覚える、その優しい微笑み
(この顔を、オレは知っている? いや、知らない。知りたくもない)
――繝槭?縲∝シ冶剋縺ョ縺溘a縺ォ鬆大シオ繧九°繧峨?
女の唇が動く。恐らくは自分に向けられたのであろう言葉も、意味不明な雑音となって判然としない。ただ敵意が無いことだけは、ぼんやりと分かった。まるで我が子に向けるような、優しい眼差し。しかしそのことが却って、弖虎の気に障った。
(引っ込ンでろ、クソ)
イメージを掻き消し、現実に意識の焦点を合わせる。相手が距離を詰め、迎撃の構えを見せた。弖虎には、守備の急所が見えている。狙おうと思えば、好きな時に、好きなように急所を突けるだろう。しかしどこか投げやりな気分で、特に狙いを定めるでもなく、弖虎は適当にラケットを振り抜こうとする。ボールを打つ間際、弖虎の瞳に相手の表情が映る。
「――っ」
弖虎は咄嗟に、相手のサーブをラケットに当てるだけの、簡単なロブでリターンした。横を打ち抜かれまいと構えていた相手は虚を突かれ、あっさりとボールは頭上を越える。こちらに背を向けて必死に追いかけるが、相手の努力もむなしく、ボールは転がっていった。
(なにしてンだ、オレは?)
自分の意に反して、勝手に身体が反応してしまった。弖虎が感じていたのはそんな感覚だ。ピンチを凌ごうとして身体の反応に任せた時と似ているが、今のは充分に余裕があった。それにも関わらず、弖虎が実行しようとしていたのとは違う動作を、身体が自動的に行った。
(意味わかンねェ……のに、なんだこりゃ)
意図せず動いた身体。理性ではその原因について、あれこれと不愉快な可能性が浮かぶ。しかし、弖虎がより強い違和感を覚えたのは、もっと別のことだった。
(悪くねェ?)
自分のその直感を、彼は受け止めきれずにいた。
★
第三試合のミックスダブルスを終えたあと、ミヤビは手早くシャワーを済ませ、すぐに選手向けのメディカル・ルームへと足を向けた。まだ試合自体が終わったわけではないと承知していたが、どうしてもロックフォート兄妹の容態が気になり、悩んだ末に二人の様子を確認しようと決めた。
「病院へ搬送? 二人とも、そんなに容態が悪いんですか?」
「申し訳ないが、部外者のあなたに詳細は伝えられない」
取り付く島もない医療スタッフの対応に不満を覚えたが、事実ミヤビは部外者だ。けんもほろろに追い返されながらも、諦めきれないミヤビは携帯端末で試合会場付近の病院を検索してみる。しかし場所の特定には至らず、早々に手掛かりは途絶えてしまった。
(しょうがない、聖くんの試合を観に戻ろう)
そう思ってチームベンチへ向かおうとしたミヤビに、声をかける者がいた。
「ミヤビ、さっきは良い試合だったわね」
「あなた、カタ……ウーイッグ選手」
振り返ると、ミヤビの見知った顔がそこにあった。アメリカのチームに所属するカタリナ・ルージュ・ウーイッグ。輝くような金髪をピンクのカチューシャで留め、悪戯っぽい微笑みを浮かべる彼女。あどけなさの残る相貌に反し、身長はミヤビよりも幾分か高い。ITF女子ジュニア世界ランキングトップの彼女は、溢れる自信と高慢さを隠そうともしていなかった。
「なぁに、水臭い。カタリナでいいのに。知らない中じゃあるまいし」
目を細め、親愛を示すとびきりの笑顔を向けるウーイッグ。
ミヤビは反射的に彼女から目を逸らし、口元あたりに視線を合わせた。
「ねぇカタリナ、ロックフォートさんたちは」
「つまらない幕切れになって、申し訳なかったわね」
質問を遮られたことで「あぁダメだ」と、ミヤビは心の中で悟る。
「貴女もそうだけど、ペアの彼も随分頑張ってたわね。ただ正直、私個人としては不満だわ。どうして貴女がシングルスじゃないの? 男ウケ満点の爆乳ちゃんが弱いとは思わないけど、貴女ほどじゃないでしょうに。そういえばあの子、そちらの監督と二人でいるのを見たっけ。やぁね、もしかしてそういうことなの?」
「うちのチームメイトを侮辱するのはやめて。スズさんには充分な実力がある」
ミヤビが声を尖らせると、カタリナは嬉しそうに口元を歪ませる。
「優勝を目指すための戦略的人選のつもりなのかしら。でもね、ミヤビ。こんな大会で結果に拘っているようじゃ、話にならない。テニスは個人競技。それにジュニアでの戦績なんて、キャリアのうちにも入らない。今でこそほどほどに注目されているようだけど、本当の舞台はプロになってからでしょう? プロになれるかどうか分からない、スタートラインですらない場所で必死になってる者に花を持たせて、何の意味が?」
平然と、プロを目指す全ての選手を侮辱するカタリナ。
あまりの言い様に、ミヤビは言葉を失ってしまう。
「まぁ、爆乳ちゃんはまだ覚悟がある方ね。それは認めてあげてもいい。だからもしこれから始まる、もう始まってるのかしら? 男子シングルスで日本が勝って、私と彼女が試合をするなら、手を抜かずにちゃんと相手をしてあげる。貴女と対戦できないのは寂しいけど、近いうちにその機会にも恵まれるだろうから、そのときまでお楽しみはとっておくことにするわね」
それだけ言って、踵を返すカタリナ。
「待ちなさい、ウーイッグ!」
「また会いましょうね、ミヤビ」
怒りで声を震わせるミヤビを無視し、彼女は立ち去る。その気になれば肩を掴んで呼び止め、さきほどの暴言を撤回させることもできたかもしれない。だが、ミヤビは動けない。自分と彼女の視座の違いに、気付いてしまっていた。それに、価値観の大きく異なる相手に届く言葉など、何もないと知っている。そして何より、過去にウーイッグと対戦し、自分が一度も勝てていないという事実が、ミヤビの心に楔を打ち込んでしまっていた。
★
弖虎の打つショットの球威、精度、確率。そのどれもが、以前戦った時よりも磨かれていると聖は感じていた。一方で、特殊な力の加護を受けているとはいえ、自身もまた少なからず成長していると実感する。聖はどうにか食らいつき、1ブレイク以上のリードを許さずに済んでいた。一進一退の攻防が続き、1stセットも終盤に差し迫ろうとしていた。
(カウント3-5、ここでブレイクしないと!)
弖虎のサービスで迎えた第9ゲーム。聖はリスクを負うと同時に工夫を凝らし、弖虎の猛攻を凌いでポイントを先行する。かなりの綱渡りを要求されるが、そうでもしなければブレイクは望めない。
(叡智の結晶を使うにしても、後のことを考えると自力で1セットは獲らないと。理想はこのセットを先取、2ndセット開始のタイミング。もし撹拌事象が起これば話は別だけど、そこには期待しない)
自分が負ければチームの敗北が確定する以上、聖に叡智の結晶を使わないという選択肢は無かった。少しでも早くプロへの階段を昇るためには、出せるときに結果を出す必要がある。欲をいうならば、聖としてはこのまま自力でどうにかしたい。しかし成長しているとはいえ、まだ自分では弖虎に敵わないと、聖は冷静に相手との実力差を推し測っていた。
(それに、しても)
弖虎のプレースメントは、極めて高い。油断など到底できるわけもなく、聖は一瞬一瞬に高い集中と難しい判断を求められ、まだ1stセットにも関わらず、かなり体力を消耗していた。しかし、以前と比べると何かが違う。聖は弖虎のプレーに、言葉にできない違和感を覚えていた。
(何が違うんだ? とんでもなく強いことに変わりないのに)
ラケットとボールを介し、二人はラリーという形で相手のことを探る。どこを狙って来るのか、どこを守っているのか。ショットのみならず、ポジショニング、身体のバランス、テンポの強弱、気配と実際の動きの差異、一つのショットに持たせた意味。一打ごとに1ポイントを獲るための意図を探り、1ポイントごとに1ゲームを獲るための狙いを読み取ろうとする。そうしているうちに、聖は以前の弖虎との違いが少しずつ見えてきた気がした。
(まずいッ!)
長いラリーのなかで、聖の打ったショットが意図を外れてやや甘くなる。チャンスボールとまではいかなくとも、イメージと現実のギャップによって産まれた些細な隙を、弖虎は見逃さない。聖は今の立ち位置から最も離れた場所へ打ち込まれると予測し、先んじて動き出す。だが、それを読まれていたのか、弖虎は聖の意表を突いて、ネット際にドロップショットを放り込んだ。
「30-30」
主審がカウントをコールする。
ポイントの貯金はなくなり、カウントが並んだ。
(わかっ、た)
しかしその事実よりも、聖は自分の中で形になったことに気を取られる。
(弖虎は今、普通にテニスをしてる)
言葉にしてみれば、どうということもない事実。むしろ、そんなことが違和感の正体であると考えること自体が、逆におかしいとさえ思うだろう。しかし以前の弖虎、尋常ならざる実力を見せた彼と、今の彼を比較したとき、そう思うより他に言いようが無い。圧倒的な実力差は感じつつも、今の弖虎にはどこか人間味がある。
(なんていうか、ホッとしたような気もする。けど、逆に不気味だ)
相反する感情が、聖のなかで舞い上がる。
歓迎すべきことなのか、それとも警戒を強めるべきなのか。
(なんなんだ、彼は)
勝負の趨勢とは無関係の不安が、聖の心のなかで雨雲のように広がった。
★
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「この最後の選手は誰? というか、この選手だけデータの取得方法が違うのかしら。あら、予測値? 実測値ではなく?」
表示されたデータを目にした沙粧が、唯一名前を知らない人物に関する疑問を口にする。
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四月末。何か変わったことがあっただろうかと、沙粧は記憶を辿る。
「私はてっきり、この時期に何か選手全体に影響を及ぼす出来事があったのかと思ったのですが、どうもそれらしい事象は見当たらない。何を起因として彼らのPLEが急成長を始めたのか。正直見当もつきませんでした。ですが、この男性に関するニュースをつい先日、目にしましてね。なんとなしに調べてみたのです。幸い、GAKSOと繋がりのあるスポーツメーカーが彼を一時的にスポンサードしていたのでね。簡易ではありますが遺伝子情報を失敬して解析しました。すると、面白いデータが取れたのです。彼は年齢の割に、非常に高いPLE値を持っていたのです」
「年齢の割に? 待って、この選手の年齢は?」
画面を戻し、選手のプロフィールを再度表示させる。
該当者の年齢を見た沙粧は、思わず目を疑う。
「年齢53歳?!」
「おや、ご存じありませんでしたか。もうすぐ行われる、全日本テニス選手権。その一般部門の参加者で歴代最高齢で出場を決めた一般人。市内に住む会社経営者、西野陣という男。興味本位でしたが、調べて良かった。実は彼、ATCとちょっとした縁があるようでしてな。対戦しているのです。ATCの選手と。あぁほら、ちょうど今からアメリカで試合に出る選手ですよ。えぇっと名前が」
――きっと、沙粧さんを楽しませてくれると思いますよ
ふいに、沙粧の頭のなかで少女の声が甦る。
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日本テニス界において、至宝と呼ばれた少女が導いてきた、少年の名だった。
続く
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