Head or Tail ~Akashic Tennis Players~

志々尾美里

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第109話 Rode to ALL-COMERS

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「ったく、マジかよ」
 聖が話し終えると、奏芽かなめは自分の呆れ具合をことさらアピールするかのように、椅子の背もたれに身体を預けてふんぞり返った。大きく吐いた溜め息は、喫煙者でもないのに、まるで白い煙が立ち昇るかのよう。ただ、心底呆れ果てて見えるその態度にはしかし、親友である聖が語った信じ難い話を、どうにか受け入れようする彼なりの心遣いが見て取れた。

「いやぁホント、信じられない話だよねぇ」
 そんな奏芽の様子を見て楽しむように、幾島いくしまが軽薄な笑みを浮かべる。誘拐の件を話さざるを得なくなったのは、この男が口を滑らせたせいだというのに、彼にはどうやらその自覚は無いらしい。イタリアのジオがわざわざ紹介してくれたこの男について、聖はまだ何ひとつ、確かなことを知らないままだ。

「言わずに済むならそうしたかった。無関係な人を巻き込みたくなかったし」
 そう言って聖は、カップを口に運ぶ。自分からは言い辛い話と、幾島に対する若干の皮肉を口にした苦々しい気分を、飲み慣れないブラックコーヒーの苦味が紛らわせてくれる……と思ったが、ただ口の中が余計に苦くなっただけだった。渋面を堪えながら、大人しくミルクと砂糖を放り込んで掻き混ぜる。

「まぁそう言うな。こうでもなきゃ・・・・・・・、話せないことだろ?」
 そんな幾島のセリフを聞いて、聖は思い直す。この男、まさかわざと?
 聖の心中を察してか、幾島が口元に不敵な笑みを浮かべる。

「クク、腹の探り合いは時間の無駄だからな。そもそも、君等が相手じゃあ張り合いがない。オレとしちゃ、今後プロとして活躍してくれるであろう将来有望な選手に、早いとこ恩を売りつけて信頼を得たいんだ。こういう場合、まごまごしてないでぶっちゃけ話をする方が、お互いの距離を詰めやすい。だろ?」
 心からそう思っているのだろう幾島には、悪びれた様子は微塵もない。
 明け透けに振舞う彼に対し、聖はある種の潔さを感じるが、奏芽は違うようだった。

「いや普通に胡散臭いっすよ。まず、イタリアの彼とどういう関係なんすか?」
 相手のペースに巻き込まれるまいと、奏芽が質問を口にして一応の壁を作る。

「ジオか? 特に親しいワケじゃあない。ビジネスライクな付き合いさ」
「イタリアの古いマフィアを肉親に持つ人間と? まさか、アンタも」
 言いかけた奏芽に、幾島が手のひらを向けて言葉を制した。

「そういう話は時間の無駄だ。説明したところで君らに裏は取れない。それに、オレが信頼に値しないというなら、君らはこのまま普通に帰国して、二度とオレに会わなければそれでいい。不安が残るなら、ATCのスタッフに報告がてらオレの名刺を渡せば良いだろう。違うか?」
 幾島は交互に、聖と奏芽へと窺うような視線を向ける。

「聖、どうする?」
 奏芽に話を振られ、聖は少し間をとって考えを整理し、言った。

「ジオは、幾島さんが僕の助けになってくれるかもしれない、と言いました。彼とはマイアミで出会ったばかりだし、正直なところ僕は彼をよく知らない。でも、危ない所を助けてくれたし、根拠は無いけど、彼は信頼できると思っています。そんなジオがわざわざ紹介してくれたんです。良かったら、言い方はちょっとアレですが、幾島さんがどう僕の助けになってくれるのか、教えてくれませんか」

 プロを目指す聖にとって、もっとも必要なのはプロに足り得る実力だ。その点に関して言えば、既にクリアしていると考えて良いだろう。極めて特殊な事情ではあるが、虚空のアカシック・記憶レコードによる加護があれば、遅かれ早かれプロにはなれるのは間違いない。だが、プロになるのは通過点であり、目的ではない。プロになったうえで、春菜に相応しいだけの選手になる。それが聖の目的だ。そのためには、プロになってからの活動の方が重要になってくる。本来、その辺りについては、所属しているATCの全面的なバックアップをアテにしていた。しかし、味方であるはずのATC自体に、何やら怪しい影がチラついているのが見えてしまった。ジオの言ったことが本当か嘘か、聖には分からない。だが、自分も含め、ミヤビをも巻き込んで物騒な事態に陥った以上、安易に頼るのは危険な気がした。

 ふと、聖の脳裏にマイアミで目にした様々な事柄がフラッシュバックする。

 摩天楼のようなマイアミの夜景、煌びやかなレセプションパーティ、イタリアのメンバー、贅を尽くした宿泊施設、客席を埋め尽くす大勢の観客、プロさながらの試合会場、映画に出てきそうな白い砂浜にビーチ、鈍色にびいろに光る銃口、殺風景で息苦しい納屋、不安そうなミヤビの表情、敵意を剝き出しにしていた誘拐犯たち、ヒトの形をした白い追跡者……。

 そして、虚ろな目をした弖虎てとら・モノストーンの顔が、最後に浮かんだ。

「クク、君は真面目で誠実だな。そんな深刻な顔をしなくても良いだろうに」
 愉快そうに笑みを浮かべる幾島。カップを口元へ運び、珈琲をひと口啜る。
 するとスイッチが入ったように軽薄さが消え、真剣な眼差しを聖に向けた。

「じゃあまず、背景の認識と、前提のすり合わせをしよう」
「背景と、前提?」
 意味が理解できず、ついオウム返ししてしまう聖。
 幾島は小さく頷き、すぐに口を開いた。

「世界は今、未曽有のスポーツバブルだ。特にテニスは、プロスポーツとしての地位を確立して以降、世界中で年がら年中試合が行われていて、ギャンブルとの相性も良い。サッカーやラグビーも人気はあるが、あっちはチームスポーツだからな。選手への配当がかさんじまって、盛り上がりの割りにおいしくない・・・・・・。その点、テニスは個人種目だからな。いやまや競馬に次ぐ一大スポーツギャンブルに成長しつつある。それこそ、君等みたいなジュニアでさえ、賭けの対象になるほどだ」
 日本にいた頃から、そういう話は聖も耳にしていた。ただそれが実感できたのは、今回の大会でマイアミに来てからだ。日本で聖が初めて優勝した大会も賭けが行われていたはずだが、観客にそんな雰囲気は無いように感じた。それがお国柄なのか、規模の違いから来るものなのかは、聖には分からない。

「ちなみに聖くん。君は帰国後、どういう手順でプロを目指すんだ?」
 問われて、聖は自分がイメージしていた流れを説明する。

「えっと、まずはITF(※国際テニス連盟のこと)のランキング100位以内を目指します。そうすれば、何年か前に日本で導入されたプロテストの応募資格を満たせるので。そこに合格してプロライセンスを取得できれば、日本テニス協会から新人プロへの支援も受けられると聞いています。上手くいけば、ですが」
 後半については、確か何かしら審査を必要としていた気がするものの、先の話なので聖は詳しく調べていなかった。喋りながら、そういう詰めの甘さは良くないかもしれないなと、頭の中で反省する。

「今のランクは?」
「えぇっと、ちょうど200位を抜けたぐらいです。ただ、今回の出場した大会もシングルスの試合はポイントがつきます。まだ反映されてないですけど、決勝では個人で勝ってるのでかなりジャンプアップできると思います。悪くても120位前後、上手くいけば100位前半にはなるかなと」
「正確には102位だ。もし大会で優勝していたら、93位だった。そうなっていれば、年明け二月にあるプロテストの応募締め切りである十一月末に申請が間に合った。だが、残念ながら日本で行われる次のITFランキング対象の試合は十二月。ということは、君はもう年明けのプロテストを受験することはできない。挑戦は早くても再来年だな。ま、半年前にテニスを再開したという人間にしては、異例のスピードではあるがね」

 再来年。つまり、聖が高校三年生に上がる年だ。仮に合格するとして、高二の後半でプロデビューしてすぐ進級。受験という選択肢を残すのであれば、高三の前半までに結果を出さなければならない。いくら聖が個人的にテニスのプロ選手になる、と決めたところで、両親の賛同を得ないままではそれは難しい。虚空のアカシック・記憶レコードの力があるからといって、さすがに何もかもが全て上手くいくだろうなどと楽観的にはなれない。春菜でさえ、親の理解はもちろん、彼女をサポートする多くのスタッフに支えられている。コートの上で戦うのは選手一人だが、その為には様々な準備と人の支えが不可欠だ。プロになったあと、すぐにそれらを準備できるだけの結果を出せると考えるのは、楽観を通り越して無策に等しい。

「その顔だと、状況は察したようだね」
 幾島が僅かに目を細める。

「まぁ別に、18歳になってから本格的にプロとして活動するのは決して遅くない。プロ選手になるかどうかってのは、いうなれば進路の決定だから、普通はもっと慎重に決めるもんだ。ただ君は、そんなつもりは毛頭ないんだろう?」
 軽く挑発するように、幾島が聖の瞳を窺う。
 それに対し、聖が力強く頷く。

「そんな君に、近道を提案する。それがオレの、役立ち方さ」
 親指で自分を指し、ニヤリと口角を上げる幾島。

「オールカマーズって、知ってるかい?」

 その笑みは、獲物カモが罠にかかったことを確信した、詐欺ペテン師のようだった。

           ★

 オールカマーズとは、元来競馬で用いられていた言葉だ。「なんでもこい競争」などと翻訳され、馬の品種や所属を問わず、どんな馬でも参加できるレースとして開かれている。テニスでも、過去にはこの方式が採用されていた。いわゆるオープン大会(国、人種、年齢を問わず誰でも参加できる)を意味しているのだが、テニスにおける歴史は少し趣が異なる。

 テニスで採用されていたオールカマーズ方式は、古くは1877年にイギリスで始まったウィンブルドン大会から始まった。その方式は、チャレンジラウンドと呼ばれる挑戦者決定戦を経たのち、その優勝者と前年度の優勝者が対決する方式で、これを「オールカマーズ・ファイナル」と呼んだ。つまり、前年度の優勝者が、挑戦者決定戦を勝ち抜いた一人と対決する方式だ。「なんでもこい」とは、王者が挑戦者全員に向けた言葉であることを意味している。

 時代が進むにつれてこの方式は廃止され、現在では選手が出場する大半がトーナメント方式に変更されている。一部国際的な団体戦や、年末のツアーファイナルでは総当たり戦が取り入れられているが、オールカマーズ旧来の形を残した大会は、つい最近まで完全に姿を消していた。

 しかしオールカマーズ方式は、再びこの世界に復活した。
 世界で起こり始めたスポーツバブルを契機に、賭け事という要素・・・・・・・・を伴って。

           ★

 十月下旬。マイアミから無事帰国し、日常へと戻った聖が最初にしたことは、まず両親への説明だった。自分が本気でテニスのプロ選手を目指していること、春からテニスを再開して順調に実績を残し、団体戦とはいえ世界的な大会で準優勝を納めたことで、自分の活動のサポートしてくれる人物も見つかったことを話した。両親もまさか自分の息子が、半年ちょっとでここまで大きな成果をあげてくるとは思っていなかったらしい。加えて、年明け以降、遅くとも春以降からは海外で行われる大会を中心に選手活動をしたいという聖に、どう判断を下したら良いのか分からない様子だった。これについては、マイアミにいる幾島をオンラインで喚び出し、今後の聖の選手活動プランを分かり易く説明してもらった。幾島は空港のカフェで聖に語った「オールカマーズ大会出場」について、メリットを最大限に、リスクは最小限に、そして何よりも嘘は言っていないという絶妙な営業トークの塩梅で聖の両親を説き伏せた。聖は横で黙って聞いていたワケだが、まるで自分の両親を詐欺に引っ掛けるような気がして実になんとも言えない気分になった。

<おめェ~もワリィやっちゃなァ! アメリカ行って不良になっちまったなァ!>
 罪悪感に苛まれながら自室に戻ると、アドが待っていましたと言わんばかりにその件について聖をいじり倒してきた。予想していたことだが、分かっていたところでどうしようもない。聖はベッドに倒れ込み、枕に顔をうずめて聞こえないフリをする。

<大丈夫です、オタクの息子さんには才能がある! オールカマーズは確かに近年新設された大会で、その大きな目的はギャンブル、つまりは試合を賭けの対象とすることで得られる興行収入です。フューチャーズやチャレンジャーズといった正規の大会とは少し・・違い、大会を主催する企業が運営スポンサー、つまりはギャンブルの胴元となっていて、勝つことで通常の下部大会よりも遥かに高い賞金をえることができる。つまり大会遠征にかかる費用や、保護者役として帯同する私の報酬・・・・も、充分に賄えます! テニス選手は昔から遠征費用で莫大な費用がかかり、結果の出せない新人は大会に出れば出るほど赤字となる負の時代がありました。しかしスポーツバブルの追い風やオールカマーズ大会によってギャンブルが解禁されたことで、今やスポーツ選手は大会に出てそこそこの結果・・・・・・・・を出すだけで大儲けできる時代です。さらに、オールカマーズは優勝すればグレードの高いATP250やATP500へのワイルドカードが与えられることもあります。聖くんの実力なら、近い将来すぐにATP500やグランドスラム本戦出場も夢じゃあありません! グランドスラムなら本戦出場するだけで・・・・・・・・・賞金は約500万円は下らない。順当に勝ち進めば倍々になっていきます。それに、世間で噂されるような小さなトラブル・・・・・・・も、私が側についていますからご安心下サ~イ! だとよ! ギャハハハ! あいつやっぱ、見た目通りの詐欺ペテン師じゃねェか!>

 幾島の営業トークをことさらオーバーに真似ながら、アドが大はしゃぎする。

「うるっさいなぁ、もう」
<なァにが正規の大会とは少し違う、だ。今までテニスの大会なんざ一切開催されてなかった、聞いたこともねェド辺境国にある、得体の知れねェ地元企業が金目的で大会開いてるんだぜ? 場所によっちゃあ、モロに裏社会のフロント企業が何食わぬ顔してスポンサーやってんだぞ? 小さなトラブル? 何いってやがンだ、こっちは既にスラムのガキどもに拳銃つきつけられて拉致られてンだっつーのに! よそ様の息子をンなあっぶね~トコに連れて行くだけのクセして、自分は特になんもせず帯同費だの諸経費だのぜェンぶこっち持ちときた! それにアイツ、大会期間中のボディガード料は別料金とか抜かしてたの覚えてるか? それについちゃしれっと喋らねェとか、とんだクソ野郎だなァオイ! いや最高だわ、すげェ気に入ったぜ!>
「幾島さんを褒めてるの? 貶してるの?」
<両方!>

 露骨に嫌そうな溜め息を吐く聖。自分で決めたこととはいえ、段々となんだか騙されたんじゃないかという気がしてくる。もちろん、そんなことはない。幾島が提案したのは、あくまで最短距離でプロとしての活動を始められる手段だ。メリットは当然のこと、それに伴うデメリットやコストについても最初から説明してくれている。

――君の幼馴染である素襖春菜も、プロとして立派にやっているじゃないか

 春菜の名前を出されたことが、聖の決断を後押しした。世間的にはお祭り騒ぎのように盛り上がっているスポーツバブルも、選手の目線で見ると良いことばかりではない。それどころか、場合によっては非常に危険な目に遭う可能性が日に日に高まっている。事実、聖はマイアミでそれを実感した。

(ハル姉は、大丈夫なのかな)
 既にプロの世界で活躍し始めている春菜。以前は、日本のトップアスリートの一人として世界へ羽ばたいていく彼女が輝かしく、同時に手の届かない高い所へ行ってしまうような気がしていた。しかし、現状の世界で起こっている様々な事情を知ったことで、春菜が身を置いている世界が華々しいだけの世界でないことを知ってしまった。一般人からすれば、今やアスリートはヒーローやアイドルのような扱いだ。しかし現実は、言うなれば競走馬などと同じ経済動物としての側面を持っている。スポーツにビジネスが絡んだ時点で、それは始まっていたことなのだろう。

 何をどう考えたものかと聖が頭を悩ませていると、不意に携帯端末が鳴る。
 画面に表示された名前を見て、聖は思わず声が出てしまう。

「ハル姉ぇ!?」
Allôもしもし~? Commentご機嫌 çavaいかが?」

 下手なフランス語の発音が、やけに柔らかく聖の鼓膜に届いた。

                                 続く
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