Head or Tail ~Akashic Tennis Players~

志々尾美里

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第139話 現実は容赦なく

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「Game Set Kanemata 6-0」

 金俣が第1セットをあっさりと奪う。所要時間はおよそ20分程度。体調が完全ではないとはいえ、もう少し抵抗のしようがあったのではないか。頭のなかであれこれと反省しながら、聖はベンチに座って頭からタオルをかぶる。本当は気付きつつある自身の本音については、なるべく考えないように意識を逸らす。

<ボケが。この期に及んで手段選びやがって>
 そんな聖の考えを遮るように、アドが辛辣な言葉で冷や水を浴びせる。
 毎回口は悪いが、不快感を覚えないから不思議なものだ。

<勝つ為じゃなく、ラクに勝たせないで嫌がらせすンだろ? ならさっさと能力リザスを使うべきだ。体調がおかしいからまずは様子見、なァンてのは見当違いも甚だしいぜ。要するに、そいつは言い訳だろうが>

 勝つ為ではなく、簡単に金俣を勝ち上がらせない為に戦う。聖はそう決めて金俣との準決勝に臨んだ。しかし結果はラブゲーム。球足の遅いレッドクレーなら、今の体調でも多少の抵抗はできると考えていた。しかし想像以上に金俣の攻撃は容赦なく、次々と聖からポイントを奪い、一度のチャンスも巡ってこなかった。正直なところをいえば、素の状態では金俣のプレーに手も足も出ないというのは、比較的早い段階で聖も理解していた。本気で嫌がらせをする気なら、アドが言うようにもっと早く能力リザスを使うべきだったのだ。だが聖はそれをせず、結局一方的に甚振られるだけの展開となってしまった。

<オメェはもうちょい、自分の気持ちに素直ンなれよ。あの反社ヅラに毒盛られて、腹立ったンだろ? 警戒してたのに、まンまと罠にハマった自分にもな。で、絶不調の状態だから勝つのは無理でも、せめて嫌がらせはしてやろうって腹ァ括ったンじゃなかったのか? なら、全力でそれをまっとうすりゃイイじぇねェか。それをしねェのは、おおかた能力リザスのせいで相手の成長を促すかもしれない、ってのを心配してンだろ?>

 本音を見透かされ、押し黙る聖。

<ま、ある意味じゃ自分の気持ちに素直ではあるけどな。勝ちを譲る代わりに、それ以上はビタイチ相手に得をやりたくねェってことだし。だがこのままいくと、勝ちを譲るうえにこっちの狙いも叶わねェぞ。野郎が悠々と決勝戦に行くのを、指くわえて見送りてェか?>
 アドの指摘はもっともだ。そもそも、本気で金俣の思惑を阻止したいのであれば、体調不良だろうがなんだろうが能力リザスをフルで活用し、勝ちにいくべきだろう。明確な悪意に晒されて、気持ちが引いていたのかもしれない。ただ、聖が能力リザスの使用を躊躇ったのには、まだもう一つ、別の理由があった。

(上手く、いえないんだけど。なんか、まだ早いって気がするんだ)
<はァ?>
 訝しがるアドに、聖は自分の感じたことをそのまま口にする。
 言葉にしてみると、ぼんやりしていた予感に具体的な輪郭がみえてきた。

(なんていうか、能力リザスは僕の持ってる最後の切り札カードだ。普段なら、それこそ相手が誰であろうと通用する最強のカードだと思う。だけどなんか、あの人に対して、先に全部の手札を見せるのが怖いっていうか。あの人はきっと、僕を罠に嵌めるためにあれこれ準備してたんだと思う。ってことは、そうだ。この先も、まだ何か用意してるんじゃないかなって……)
 なんら根拠のない、弱気な発言だという自覚はある。疑心暗鬼に陥り、不必要に怯えているだけかもしれない、と。だから聖は言いながら、アドに一喝されるだろうと予想していた。だが意外なことに、アドは心底おかしそうに笑った。バカにしたようではなく、楽しそうに。

<ハハハ! へェ、思ったよりちゃんと育ってるな。見直したぜ>
(え、なに急に)
<もうちょいだな。クク、まぁこの調子ならイケるか>
(何の話してる?)
 今度は聖が訝しがり、アドに尋ねる。
 しかしアドは満足したように笑い終えると、途端に真剣な声色で言い放った。

<つべこべ言ってねェで、やれることやれ。オメェの考えは至極もっともだが、確認の手段がない以上、悩むだけ時間の無駄だ。考える価値はあるけどな。とはいえ余裕はねェし、現状でこっちが打てる手はひとつッ切り。とくりゃあ、あとはやるかやらねェかだ>

 仮に、金俣が何らかの策を、外部からの音波妨害やドーピングなどを準備していたとして。それらの手段は、実行されるまで聖に確認も対抗もできない。そしてアドの言う通り、こちらがとり得る選択肢は能力リザスを使うか、使わないかの二つに一つのみ。どのタイミングで使用に踏み切るかは検討の余地があるものの、既に先行されている以上は吟味している余裕などない。判断を保留していたら、形勢を引っくり返す時間さえ失われるかもしれない。

<こっから先、オレは口を挟まねェ。一人でやってみな。まァ、いつもイイコにしてるがよ。結果がどうあれ、これからは全部オメェ一人で考えて、オメェ一人で決めるんだ。本来、そういうモン・・・・・・だしな>
(? う、うん)

「時間です」
 主審がセット間の休憩終了を告げる。
 アドは自らリンクを切ったのか、気配が消えた。
 短く深呼吸し、ラケットを握って立ち上がる聖。

「どうした、寝不足か?」
 そんな折、コートチェンジですれ違いざま、金俣が小声で挑発してくる。
 聖のなかで消えかけていた怒りの火が、小さく揺らめく。
 決断するには、充分な理由だった。聖は無視して、ポジションへ向かう。

(アイツの思い通りにさせてたまるか)
 ネットの向こう側にいる金俣が、聖と視線を合わせて微かに嗤う。
 聖は怒りが零れ落ちないよう腹に力を込めながら、つぶやいた。

「マクトゥーブ」

           ★

(フン、やっぱりだ)
 若槻のプレーが急に良くなり、金俣は得心した。

(やはり、コイツもアーキアの被検体だ。しかし幾島からはロクな情報が得られなかったところを考えると、沙粧のプロジェクトには恐らく関係していない。となればGAKSOの、新星ジジイ実験体サンプルか? ま、その辺りはあとで慎重に調べるとするか。場合によっては直接吐かせるのも悪くない。しかし今は)
 第1セットとはうって変わり、若槻が反撃してくる。冷静に対処しつつ、金俣はそのプレーを観察。そしてすぐに、金俣の知っているアーキアとは異なるパフォーマンスを見せていると気づいた。遺伝子を書き換え、身体能力を大幅に向上させる類のものではない。恐らくは神経系に作用し、技術的な能力の向上を図っているのだろう。バランスやリズム、タイミングの取り方が驚くほど完璧に近い。まるでかつてのトップ選手をその身に宿しているかのようで、美しさすら感じた。

(現存した選手のデータが元になってるらしいな。アーキアの初期コンセプトモデルか? だが結局、過去は過去。いくら昔強かった人間をなぞったところで、先は無い。だからこそ、生命の設計図である遺伝子を書き換えて、人類の上位互換を目指す遺伝子真化ゲノムエンハンスドモデルに移行した。今さら初期コンセプトを見直しているのか? それとも、ジジイはそれをするに足る何かを見つけたのか?)

 若槻の放つ鋭い一打を、金俣がいとも簡単に捉えて反撃に転じる。まるで倍返しのような一撃を浴び、呆然とする若槻。恐らく、若槻にとってアーキアは切り札だったのだろう。なぜ初めから使わなかったのかは不明だが、金俣からすれば想定の範囲内に過ぎない。体調不良を押して出てきた最大の理由は、これがあったからに違いない。そう読んでいた金俣は、第2セットで最初から自身に宿しているアーキアを起動させていた。

(ジジイが何の目的でオマエを使ってるのか知らんが、邪魔をするようなら叩き潰すだけだ。利害が一致するなら利用してやらんでもなかったんだがな。オマエみたいなぽっと出がでしゃばる場面じゃない。しかしそうか、コイツを使えば、素襖の弱味にもなり得るかもな)

 未だ消えぬ、屈辱的な記憶。それは、金俣が素襖春菜に敗北した事だけではない。勝負の場において絶対など存在しないのだ。そのことを金俣は充分に承知している。いや、そのことを素襖春菜からの敗北で学んだ。そういう意味では、金俣は彼女に感謝している。しかしその代償が『女子中学生に負けた日本No.1』という評価では、割に合わない。加えて、金俣の敗北に何かしら理由をつけたがる連中の存在も気に入らない。花を持たせただの、時差ボケがあっただの、適当な原因を勝手に作り上げ、金俣を擁護しようとする。その行いこそが却って言い訳がましく、彼女を潰すつもりで挑んだ金俣のプライドに泥を塗っていた。

(凡人も天才も、全員オレの踏み台にしてやる)
 金俣が放った強烈な一撃を、若槻が鮮やかにカウンターで切り返す。吹き抜ける一陣の涼風にも似たその反撃に、尋常ならざる反応速度で対応する金俣。人とは思えぬ膂力が産み出す剛力で、暴風を巻き起こさんばかりの一振りを見舞い、涼風を掻き消してみせる。

(新しい人類の、その頂点に立つのはオレだ)
 ポイントを決めると、金俣が会場の全員を威嚇するように咆えた。
 力を込めて踏ん張ったせいだろう、足元のコートが一部、大きく削れている。

 その姿はまるで、テニスコートを蹂躙する獣のようだった。

           ★

 自らの意思で能力リザスの使用に踏み切り、反撃の狼煙を上げるはずだった聖の目論みは、しかし真正面から打ち破られることとなった。

(通用、しない!?)
 体調不良と、非撹拌事象であるが故に能力の自動調整リサイズが発生しているとはいえ、かつて実在した名選手の力を宿しているにも関わらず、聖は状況を変えることができなかった。それどころか、第1セットのとき以上に大きな実力の差を感じさせられる。

(やっぱり、ドーピングかッ!)
 アゼルバイジャンで試合をしたときも、相手の選手が同じようにドーピングをしていた。もちろん、その証拠を見つけたわけではない。あくまで憶測の域をでないことではある。だがこれまで、能力リザスを宿しながら試合をするとき、聖は相手の選手と呼吸や波長が噛み合う感覚を覚えることがあった。勝敗を懸けて挑み合いながらも、どこか攻防のやり取りを通して通じ合うような、不思議な感覚。主観的で感覚的なことなのでなんとも言い難いが、聖はそれが恐らく能力リザスを使うことで相手の未来の可能性の撹拌に繋がっているのだろうと思っていた。

(この人やカリルには、それが無い)
 影響を与えているのか与えていないのか、聖には判別のしようがない。ただやはり、あくまで自分の感覚を信じるならば、金俣やカリルに対して、ある種の共同作業のような心地よさを感じない。それどころか全く逆の、拒絶感にも似た印象を覚えずにはいられなかった。

(ATP250に出てくるような選手に対して、僕はまだ能力リザスを使ってようやく互角に戦えるレベルだ。ということは、もっと上のランクの選手が相手なら、能力リザスが通用しないこともあるだろう。それならまだ分かる。でも)

 今相手にしているのは、恐らくは本来持つべき以上の力を、ルール外の方法で手に入れた選手だ。これがもし、金俣相手でなく、トップ選手だったなら。聖は喜んでその敗北を受け入れただろう。その身ひとつで、研鑽の果てに辿り着いた純粋な実力を持つ者なら。超常の力を使い、本来ならば立ち入れない領域へ踏み込んできた自分を。例え、「ここはオマエの来る場所ではない」と、追い返されても、何も言うことはなかった。

(どうしてアンタみたいなのが、こんな所にいるんだよ)

 頭に浮かぶ批難の言葉は、しかし自分にも突き刺さる。

(ここにいていいのは、アンタみたいな卑劣なヤツじゃないだろ)

 聖の一打を、容易く打ち返してくる金俣。
 その反撃はまるで、言い返せない反論のように思えてくる。

――そういうオマエはどうなんだ? オマエのやり方は正しいか?

「~~ッ!」
 ボールに食らいつこうとして足を滑らせ、転倒してしまう。
 汗で濡れた手足やウェアに赤土が張り付き、酷くみすぼらしい格好になる。
 その様を、金俣が遠目に眺めて、僅かに笑みを浮かべている。

(くそ……!)
 胃の腑が煮え立つ思いを飲み込み、立ち上がる。主審からの声かけに、素っ気ない態度を返し、すぐに再開を要求する。身体についた汚れも、転んで擦り剥いた痛みもどうでもいい。ラクに勝ち上らせないだのなんだの、そんなことは考えない。絶対にコイツを勝たせない。勝たせたくない。強くそう思いながら、劣勢のまま聖は挑む。すると激しい感情に呼応するように、能力リザスが強まるのを感じた。

撹拌者スターリンガー、危険です>
(悪い、黙ってて)
 リピカを無視し、聖はプレーを続行する。
 試合後の代償が強くなろうが、知ったことか。

(アンタみたいなのを、勝たせてたまるか!)

 怒りを起爆剤にして、全身全霊で抵抗する聖。
 だがその強い思いとは裏腹に、無情にも形勢は覆らない。

「Game set and match. Kanemata、6-0、6-1」

 突きつけられた結末は、到底受け入れ難いものだった。

           ★

 目が覚めたとき、記憶が飛んでいた

 なぜ、自分はここにいるのか

 ここはどこで、今はいつなのか

 というか、自分は誰だったか

 意識が浮上していくに連れて、記憶の断片があれこれと頭のなかを駆け巡る

 そういえば、ひどくクソ真面目なヤツの面倒をみていた気がする

 なんだか、妹の世話を押し付けられているような気分だった

 あのバカは、これから一人で大丈夫だろうか

 ガラにもなく、身体を起こしてそんなことをぼんやり考える

 ドアの開く音がして、隙間から光りが入り込む

 そこでやっと、今は夜で、なにやら暗い病室みたいな所にいると気付いた

「まさか、意識が? ドクターを呼んで」
 顔は見えないが、神経質そうな声色の女が驚いた様子で指示を出している。無機質な蛍光灯が点って部屋を照らす。病室と呼ぶには殺風景なうえに、検査用らしい機械があちこち無造作に置かれている。どちらかというと、実験室みてェな場所だなと思った。

「喋れる?」
 近付いてきた女の顔はやっぱり神経質そうで、ソバカスだらけ。化粧っ気が無いせいでそう思うのかもしれないが、看護師にしちゃなんとも温かみの感じられない表情を浮かべている。患者が目を覚ましたところに立ち会ったというより、実験動物が想定してない行動をしたのを見つけました、みたいな顔付きだ。

「自分の名前は言える?」
「名前……?」
 つぶやいて、強い違和感を覚えた。これは、オレの声じゃない。そのことについて考えを巡らせようとしたら、ドタドタと騒々しく他にも白衣を着た連中がぞろぞろと部屋に入ってきた。ハゲ、デブ、ノッポ、ブス。覚える気もない顔を見ては、取り合えず特徴的な部分を抜き出してあだ名をつける。昔から、あだ名をつけるセンスには自信があった。誰も喜びはしなかったが。

「本当に目を覚ましたのか」
 ハゲが言って、馴れ馴れしく視線を投げてくる。その様子にイラっとしたので睨み付けようかと思ったが、どうも表情筋が固い。寝起きのせいだろうか。そういえば妙に全身がだるい。

「アーヴィング女史に連絡を」
「驚いた、あの状態から回復するとは」
「すぐに検査の手配を」
「この時間、技師はいませんが」
「叩き起こして呼べば良いだろう」
 ピーチクパーチクと喧しくなり始め、思わず顔をしかめたつもりだったが、やっぱり顔の筋肉が動いた感じがしない。なんというか、そもそもが自分の身体じゃないみたいな、そんな錯覚さえ覚えてしまう。

「いやしかし驚いた。喋れるかい? 被検た、いや、モノストーンくん・・・・・・・・

 ものすとーんくん? コイツは今、オレに言ったのか? くん、ってのは敬称のことか? ものすとーん君? オレが? 人違いだ、と感じると同時に、じゃあオレは誰なのか、というシンプルな回答が出て来ない。オレはモノストーン君とやらではない。だが、イマイチ自分の名前がハッキリと思い出せない。記憶に鍵でもかかっているようで、どうにも候補すら出て来ない。そのことがやけに不愉快で、つい口から不満が出てしまった。

「何いってンだ? このハゲ」

 出てきた声はやはり、自分のものではなかった。

                                続く
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