その声が聞きたい

午後野つばな

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 十八年後。東京ーー。
 夜の街は、大勢の人であふれていた。チカチカとまたたくネオンサイン。いまにもポツリと降り出しそうな空は、濁っていて星のひとつさえ見えない。
 じっとしているだけで汗ばむほどの暑さは、人々の心を苛立たせた。さとりの足元を、白い毛玉の妖怪が遊んでいるかのように、ふわふわと漂う。
「きゃっ」
 すれ違いざまに誰かの肩がぶつかり、さとりはふらついた。
 若い女はさとりを見ると、ぎょっとしたように目を見開いた。
『やだ、髪の毛はぼさぼさだし、しばらく切ってないみたい。若いのにホームレスか何か?』
 眉をひそめ、汚れがついたかのように、空いた手で触れた箇所を払う。
『もう、なんなのよ。ぼけっとしてないですみませんの一言でも言ったらどうなのよ!』
「あの……、おいら……」
 女はさとりを睨むと、ふいっと顔を背けて立ち去った。
『死ね! バーカ気持ち悪いんだよ!』
 去り際に吐き捨てるように聞こえてきた心の声に、さとりは凍りついた。
『あー、蒸し蒸しして気持ち悪ぃなあ。おっさん、邪魔なんだよ』
『久しぶりのデートだっていうからおしゃれしてきたのに、そこらの居酒屋なんてやぼったい。やっぱり別れるべきかなあ。でも、もうすぐ誕生日だから、それが過ぎてからかなあ』
『人ばっかごちゃごちゃして、ほんとウンザリする。半分くらいの人が一気に消えちゃわないかなあ。あ、いまデブの腕が触れた。ぺちゃだって。気持ち悪い。デブだったらもっと大人しくしていなさいよね。あんな姿人前にさらして恥ずかしくないのかなあ。あたしだったら死んだほうがマシ』
『あー、予備校いきたくねーなー。マジだっりー。サボりたいなあ~』
 絶えず聞こえてくる声に、さとりは具合が悪くなった。誰に向かって吐き出されるのではない心の声が、消化しきれないおりになってさとりの中に溜まっていく。 
 初めて目にする「東京」は、これまでさとりが知るどんな景色とも違っていた。どこからきたのだろうと不思議に思うくらいの、あふれんばかりの人、人、人。見るものすべてが驚くことばかりだ。煌々こうこうと灯る街の明かりは、一晩中祭りをしているみたいだ。
 この街のどこかにそうすけがいる。
 さとりはどうしてもそうすけに会いたかった。ただひたすらにそれだけを願って、長い月日そうすけとの約束を待ち続けた。
 もしも、もう一度そうすけに会うことができたなら、自分は消えてしまってもいい。
 そう思って、さとりは勇気を出して龍神に会いにゆき、ある取引をしたのだった。
 夜の街を、ほのかな光を放つ一本の糸がまっすぐに伸びている。さとり以外の誰にも見ることはできないという糸は、いまにも切れてしまいそうにか細く頼りなくて、けれど何よりも確かな道しるべとなってさとりをそうすけのもとへと導いてくれる。
 そうすけ……。
 いきなりどこからかにょっと伸びてきた手が、さとりの足首をつかんだ。とっさのことに受け身がとれずに、さとりは地面に転がる。見ると、さとりの膝丈ほどしかない傘の妖怪がケラケラと笑いながら路地裏に消えていった。
『いま何もないところでこけたよ』
『だっさー』
 いきなり何もないところで転んだように見えるさとりを、人々が好奇の眼差しでちらっと眺めてから、何事もなかったかのように通り過ぎていく。
 故郷にはさとりの居場所はどこにもなかったけれど、それでも夜空を見上げればまたたくほどの星が見えた。虫たちがさとりを慰なぐさめてくれた。でも、「東京」の街には自然は数えるほどしかなく、いくら目を凝らしても星は見えない。
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