慣れない恋のはじめかた

午後野つばな

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 ひどく意外な言葉を聞いた気がして、思わず瀬戸をまじまじと見ると、何ですか、といつもの不機嫌そうな顔が返ってきて、犬飼はいや別に、とごまかした。
 ときおり吹く風が、はらはらと桜の花びらを散らす。普段は瀬戸と一緒だと、自分でも意識しないどこかが緊張するのに、環境がいつもと違うせいか、それとも昼間から酒を飲んでいるせいか、犬飼は不思議なほどにリラックスしている自分に気づいていた。
「お前さ、仕事は楽しい?」
「別に仕事は仕事です。楽しいかなんて考えたこともありません」
「だよなあ。お前いつもつまらなそうな顔してるもんなあ」
 ひどく正直な答えが返ってきて、犬飼は少しだけ笑った。もちろん瀬戸は仕事ができる。特にそのデザインは、才能があるとはこういうやつのことを言うのかと思い知らされるほどだが、それ以外の分野、特に人間関係では大いに問題がある。瀬戸ひとりがいるだけで、職場の空気がとたんにギスギスするのは大きな問題だった。
 もともとスタッフのほうは瀬戸に対して悪感情があったわけではない。最初は期待していたのだ。瀬戸が自分以外はどうでもいいといういまの態度を取るまでは。
 もし、たとえほんのわずかでも瀬戸のほうから歩み寄りを見せたら、向井のことも、そしてほかのスタッフとも何かが変わるのではないか。特に向井に関しては、瀬戸への憧れを逆にひどく拗らせたものだと犬飼は理解している。しかし、それを瀬戸にどう伝えたらいいものか。
 犬飼が何て言おうか迷っていると、瀬戸がこちらを見ていた。
「そういう犬飼さんはどうなんですか? 仕事は楽しいんですか?」
「俺? 仕事が楽しいか? ……さあ、どうなんだろうな」
 楽しいよ、だからお前もいまよりももっと人間関係を大事にしろ。そんなふうに何か適当な言葉で誤魔化してもよかったのに、犬飼の口から出たのは本音だった。
 確かに昔は楽しかった。デザインが好きで、この仕事に憧れていまの職場に入った。いつからだろう、あれほど好きだったデザインの仕事が苦しくなったのは。もし自分に瀬戸や笠井のような才能があったらどれほどいいだろう。仕事においてもプライベートでも、自分はいつも中途半端だ。
 じっとこちらを見る瀬戸の視線が苦しくて、犬飼はカップにビールを注ぐと、一気に飲んだ。口の中に含んだビールが、なぜだか急に苦く感じられる気がした。
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