意地悪な彼

麻戸槊來

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意地悪な恋人

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俺は普段、夜型人間である。
そのため朝はぎりぎりまで寝ていたいし、月曜なんてとくに休みの倦怠感を引きずっているため遅刻することもしょっちゅうだ。早起きは三文の徳というけれど、三文なんて今の時代消費税も払えない額より、二度寝の魅力に勝るものはないと思っている。
ーーーそれにもかかわらず、俺は何故か月曜の早い時間に、公園でこうして座っている。

爽やかで清々しいはずの朝の空気は寝不足気味の体にはこたえるし、急に主役気取りで現れた太陽の暑っ苦しい熱攻撃も勘弁してほしい。だが、国中の人がどこかそわそわと楽しみにしている様子を見ると、とてもじゃないが悪態など口にできそうもない。言えない文句の代わりに、俺は違う言葉に変換して呟いた。

「こんな早い時間から起きているなんて、何年振りだろ……」

特別隣にいる存在に苦言をていしたつもりはなかったのだが、敏感すぎる彼女には秘められた苛立ちが伝わってしまったようだ。びくりっと体を震わせたあと「ごめんなさいっ」と謝ってきた。長い間空を見上げて反らすことはなかったのに、現在は俺をうかがうように見ている。

「……別に、ここに来たのは俺の意志だから気にしないでいいよ」

俺の言葉を聞いた途端、申し訳なさそうに手渡されたコーヒーで眠気を払う。
2012年5月21日である今日は、日本全土で金環日食を見ることが出来る、またとないチャンスであるらしい。一か月以上前から騒いでおり、様々な注意事項やおすすめスポットをいろんな場面で見かけていた。

これを逃せば、今度日本全土で見ることが出来るのは、300年後になってしまうというプレミア感からか、大人から子供まで注目しているのが微笑ましくも面白い。現にこの公園でも様々な年代の人間が一斉に空を見上げており、不思議な光景が繰り広げられている。


けれど、俺にとってそれは傍目で見ているだけにすぎず、まさか自分も観覧する事になるとは思ってもいなかった。

「珍しい君からのお誘いだしね」

「えっと……今日は、付き合ってくれてありがとう紅粉くん」

どういたしましてと言葉を返すが、実際のところこの公園は俺の家の近くだし、金環日食用のグラスを二個用意したのは彼女なのだ。俺は家から近いという理由で大学を選んだため、近所の公園で観賞すれば日食が終わってからでも充分講義には間に合う。「朝が辛いようなら、軽くつまめるものを用意するから公園で食べよう」と彼女に誘われてうなずいただけだ。


滅多にない彼女からのおねだりは拍子抜けするものだったが、純粋に日食を楽しんでいる様子を見て安心した。
多少罪悪感から控えていた手も、どんどん伸びるというものだ。食べやすいように片手でつまめるおかずもサンドイッチも物珍しく、起きてから何も食べていなかった俺にとっては魅力的だった。俺の両親は共働きのため、家庭料理など久しく食べていないから、何気ない食事がありがたい。

「これに誘われたときは、『指輪でもよこせっ』て言われているのかと思ったけどね」

「えっ!?」

彼女から出た裏返った声が、変なたくらみなどしていなかったと証明している。
世のロマンチストの中には、この日を利用してプロポーズしようと考えている人間も少なくないらしい。
付き合いだして一年にも満たない上に、学生という立場である俺たちにそれが当てはまらないことは予測できたが……。大学では「彼女に指輪をせがまれた」などという話は嫌になるほど聞いていた。


それを承知で何も用意しなかった俺もどうかと思うが、本気で驚いた様子の彼女もどうかしている。高校を卒業後に俺は留学することもなく、家から近い大学を選んだ。高三の秋から付き合っている彼女も、この近所の大学に通っている。

しかし彼女の家はここから少し距離があって、普段電車で通学している。
今日にいたっては弁当まで作ってきているから、七時にここへ来るには相当早起きしなければいけなかったはずだ。睡眠時間を削ってまで、俺とこれを見たいなどというのは変わっていなければ考えないだろう。―――ここまで誠意を示されてしまえば、さすがに俺も罪悪感を抱いてしまう。

「この金環日食を利用して、プロポーズする恋人も多いって聞いた事がない?」

「あっ、そうか……。
 でも、私はもう紅粉くんに告白を受け入れてもらえたから」

そうわずかに頬を染めて俯くのは結構だが、ふっと見上げた空はだいぶ山場を迎えているのだが、肝心の瞬間を見ないでもいいのだろうか?
これまで真面目に空を見上げてきた彼女がいい瞬間をのがして、気が向いた時だけ空をうかがっていた俺だけが見るのは不公平だろう。「もう少しで、輪になりそうだけど?」と教えてやると、急いでグラスを掲げたのが横目で窺えた。

「うわぁ……すごいね。ちゃんと覆いかぶさっている」

「そうだね」

「朝の電車内で膝を曲げて窓から空を見上げている人を見た時は、気が早いなぁと思っていたけど、これは見て正解だなぁ」

確かにそれは気が早いかもしれないが、そうまでして見たい!と思う気持ちは分からなくもない。
公園内にいる人々の小さな歓声を聞いていると、不思議な一体感が生まれる。
珍しい現象を共有できるというのは、考えていたよりも悪くなかった。彼女と付き合いだしてから、様々な小さな発見がある。

近所にある喫茶店は静かで落ち着けるということや、花壇にある花がもう見頃だとか。それこそ……どうでもいいことから意外と役立つことまで、これまで興味のなかったようなことも知ることが出来た。今となっては、「いい天気ですね」なんて会話もできるようになったのだから、彼女の影響は大きいだろう。

感慨深く思いながら、モソモソと口、手を動かしていると、徐々に輪っかだったものが三日月のような形に変わっていく。

「あぁ……もう欠けちゃうんだね。もう少し見ていたかったなぁ」

「うん、想像していたより悪くなかったかもね。
 おまけに、次見ることが出来るのは、18年後に北海道だけらしいよ」

そっかぁと、寂しそうにつぶやいた彼女の様子が気になって隣を見ると、情けなく眉を曲げている姿が目の端に入った。―――あまりに彼女が残念そうな顔をしていたから、つい口を滑らした俺はその時可笑しかったのかもしれない。

「そんなに気に入ったのなら、次回の北海道でも付き合ってあげるよ」

「―――えっ?」

驚きに目を見開いた彼女の顔を確認して、俺自身なにを口走ったのか、すぐには分からなかった。

口をぽかんとあけたままこちらを見つめる彼女を見て、ようやく自分が発した言葉を徐々に理解しだした。
これまでの会話を思い出すと、まるで彼女とその時まで一緒にいるのが当たり前のような口調だったと反省する。いくら普段口調がきつく毒舌だと言えど、そこまで押し付ける気はない。こんなロマンを理解しない人間と共に見るより、彼女だってテンション高く一緒に喜んでくれる奴の方がうれしいだろう。

「別に、他の奴を連れて行きたいなら、無理にとは言わないけれど……」

困惑した様子の彼女から目を逸らし言うが、何の返答もない静かな空気が居た堪れない。
二人の間に流れる静かな空気に反して、日食を見終わった親子たちは学校へと急いでいく。学校の中には、一時間授業の開始時間を早めて全校生徒で観賞するところと、逆に一時間遅らせて個々で干渉するようにさせている所があるらしい。
いくら学校が近くても、急がなければならない時間帯なのだろう。そそくさと去っていく姿を見送った。ほんの少しあった連帯感と、非日常的な感覚が薄れていく。


悠長に座っているが、自分たちも時間が差し迫っている。
彼女は俺の大学より少し遠いため、さっさと見送った方がよさそうだ。彼女が用意してくれた『カラになった弁当箱はひとまず俺のうちに置いておこう』と、荷物を片付けはじめた。その間も呆然とした様子の彼女をずっと放っておいたが、さすがに急がないと彼女が遅刻してしまっては大変だ。

グイッと彼女の手を引っ張り椅子から立ち上げさせると、そのまま荷物を持ち歩き出した。

「あっ!ちょっとまって、紅粉くん!自分のカバンくらい持つからっ」

「そう?」

なぜか赤面している彼女を振り返って、大人しくカバンを返すことにした。
大きめの弁当箱と彼女のカバンを持ったまま手をつないでいるのはちょっと大変であったため、都合がよかったのだ。

ここから大学へ向かうには二人とも俺の自宅前を通るため、ぽいっと玄関先へ置くと、俺は再び彼女の手を引いて歩き出した。後ろでは「わざわざ置かせてもらうのは、申し訳ないからっ」などと彼女が騒いでいるが、食べ終わった弁当箱など邪魔でしかないだろう。

「朝早くから弁当つくるなんて無理させたんだから、器くらい洗って返すよ。
 ―――それとも俺、もしかして洗い物すらできない奴だと思われている?」

確かに料理はからっきし駄目だが、洗い物くらいならできる。
あまりに不本意な認識をされているのではないかと、なかなか本気で心配した。
その時にしていた己の表情など分かるはずないが、どうやら思っている以上に真剣な顔をしていたらしい。彼女はぶんぶんと首を振ると、「そんなことないっ」と否定してくれた。

「じゃあ、問題ないね。いくよ、結菜」

「っ!うん……」

これまで蒼い顔をしていたのが、面白いほど赤へと一瞬で変化するのを見届けてから俺は歩き出した。
付き合って半年以上たつのに、彼女はいまだに俺が名前を読んだだけで頬を赤らめる。これまで『君』と呼んだり苗字で呼ぶことが多かったのだから、しょうがないと言えばしょうがないが……。ここまであから様に恥ずかしがられると、こちらまでつられて赤面しそうだ。

照れ隠しをする様にぐいぐい彼女を引き連れて歩いていると、微かにつないだ手を引っ張られる感覚がして、振り向いた。

「ん?どうかした?」

「―――さっきの、」

何か忘れ物でもしたのかと考えもしたが、どうやら違うようだ。周囲の住宅から聞こえる生活音にも負けそうな声に、そっと耳を寄せる。真面目な彼女が、時間に猶予がない中でも引き止めるのなら、その言葉はきちんと聞いてやりたい。これを逃したら、なかなか聞くことが出来ないだろうことは、これまでの関係でわかっていた。言葉を飲み込みがちな彼女は、時々こちらを驚かせたり、喜ばせるような台詞も飲み込んでしまうからこそ、今言葉を聞きたい気持ちが沸き上がる。

いくらでも待ってやると言う気持ちで見つめていると、ますます困ったような顔に変わっていく。どこか戸惑った様子で目を泳がせ、囁くような小さな声でしゃべりだした。

「さっきの……北海道について来てくれるって、本当?」

潤んだ瞳で問いかけてくる彼女を見て、俺は『次の金環日食の時には、指輪を用意するのも悪くないかもしれない』と考えていた。

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