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ドラゴン退治
しおりを挟む―――涙が出て、しょうがなかった。
ずっと一緒に過ごしてきた幼馴染が、ある日突然、勇者になるべく立ち上がった。いつの頃からか、振り回していた木の枝を剣へと握り直し、滅茶苦茶だった動きも洗練されたものになった。思えばあの時から嫌な胸騒ぎはしていたのだ。どうして農家を継ぐはずの長男が、弟妹をいじめっ子から助ける以上の力を得なければならないのかと。
気づけばその腕前は村一番から、街一番になり。いつからか国一番ではないかとまでささやかれるようになり、普通に逢って視線を交わすことすら難しくなった。
村も黄昏に染まる頃、久しぶりに村へ帰ってきた幼馴染を捕まえて思い出の丘へと引っ張ってきた。お互いの両親や村の人たちの目を盗んできたから、さほど時間はない。焦るあまり、伝えたい言葉は一向に形にならなかった。
「そんなに引っ張らないでも、お前が何を伝えたいのかは分かっているよ」
呆れたように彼がそう口にしたのは、何度と知れず口を開け閉めしてからだった。
普段はこちらが伝えたいことなんて全く汲み取ってくれないのに、どうして変に敏いところがあるのだろう。驚きに目を見開く私を見て、くすりと笑った後に私が見慣れた山並みを見つめる。
私にとっては何ら珍しくないものでも、最近何かと忙しそうな彼には懐かしいものなのだろう。「自分の力を試したいんだ」なんてこの村を飛び出してから、すでに二年が経過していた。だいぶ筋肉がついてたくましくなったとみんな言うけれど、私に言わせれば「多少肌が焼けたね」という程度の実感しかない。
「ドラゴンを倒せば、勇者として大金を得ることが出来るんだ」
何を夢物語のようなことを言っているのかと、呆れてものが言えない。
如何すればこの気持ちをうまく伝えられるのかと考えているうちに、少し思い込みの激しい所のある幼馴染は、沈みゆく夕日を見つめてさらに続ける。
「大金を得れば、この村をもっと豊かにすることが出来るし、お前が好きなプルーニャの実を買いやすいようにだってなる」
馬鹿なことを言っている彼の言葉を止めたくて、何度となく首を振る。
弱弱しいその動きは、はるかかなたを見つめる彼には気づいてもらえず。私が好きなプルーニャの実よりずっと濃くなった夕焼けが赤く彼の顔を照らす。どうしてこんな時に、私の言葉は出てきてはくれないのだろう。本当は考え直せと諭したいし、思い上がるなと怒鳴ってやりたい。それなのに、気持ちを音に乗せることはできず。遠くを見つめる彼には、辛い感情がまざまざと浮かんでいるだろう私の顔を、見てもらうことすらできない。
「っ……」
「心配しなくても大丈夫だって。俺も前より、料理できるようになったんだぜ?」
そんなの所詮、簡易食を少しアレンジした程度の物だろうと鼻を鳴らす。
「少し街へ行く」なんて軽くいう彼に不安になって、沢山簡易食を持たせて本当に良かったと思う。気づけば彼は、勇者なんて呼ばれる存在になって、手紙を寄越せどこのニ年間は一度も戻ってこなかった。ドラゴン退治なんて大層なことに挑戦するより、もっと料理をできるようにしていれば旅の道中も心配じゃないのに……。なんて、何度お小言を言いたくなったかしれない。
「ちゃんと戻ってくるから、安心してくれ」
―――優しい彼は、きっと「ついて来てくれ」なんて言ってはくれない。
だって、幾多もの人々がドラゴン退治に名乗りを上げ、成功せずにはかなく散ったのだ。腕に自信のある者たちばかりだというのに、厳しい道のりにドラゴンの姿を見ずに終わった者も少なくないと聞く。
そんな旅へ、優しい彼は途中までだとしても連れて行ってはくれない。
私なら体も丈夫だし、旅の途中で食料が少なくなっても、うまく対応して見せるのに。上手く声にできない言葉を文字にすることも考えたけれど、自分の名前と少しの単語しか書くことが出来ない私には、到底できない芸当だった。
私はまともに彼へ気持ちを伝えることも出来ないまま、『勇者』として彼を送り出すことしかできなかった。
✾ ✾ ✾ ✾ ✾ ✾ ✾ ✾
涙が出て、しょうがなかった。
数年後に戻ってきたのは、冷たくなった彼で。
傷がひどかったらしくて、遠目に少し顔を見るだけで終わってしまった。少しでもその姿を目に焼き付けたかったけれど、直接遺体を見た彼の両親や村長にとめられ二人きりで最期の挨拶することもかなわなかった。彼が運ばれてきたのは、国の用意した豪勢な棺だったけれど、村についた時には、腐敗が進み過ぎた。その臭いと死者を長く弔っていない罪悪感から、村の人たちは早々に彼のお葬式を行って埋葬してしまったのだ。
私の村に幼馴染が『英雄たち』と到着したのは、城下町で盛大なパレードが済んでからだった。本当は「もっとお祝いのため、時間がかかってもおかしくなかっただろうに……」なんて、村長はありがたがっていたけれど。私からすれば、もっと早くに彼を送り届けることだってできただろうと、喚き散らしたい気分だった。……もう少し早ければ、私も彼との別れを惜しむことが出来たかもしれないのに。
彼は「必ず戻る」と言いながら、泣くように笑うのだから碌に恨み言も言えやしなかったから、沢山伝えたい言葉はあった。それこそ、直接目を見てはいけないことをすべてぶちまけてやろうと思ったのに……。これでは本当に、永遠に文句すらいえなくなってしまったではないか。あんな顔しながら嘘を吐かれたら、何度も見ている癖だとしても、指摘できなくなってしまう。
いつもいつも、こちらが可哀想になるような……泣き出しそうな顔をしながら嘘を吐くなんて、本当に酷くてしょうがない。「必ず」なんて確証がないのは、お互いにわかりきっていた事だった。
涙が出て、止められなかった。
優しくて大ばか者な彼は、一瞬のすきにドラゴンへとどめを刺そうとしたのだという。しかし、親を守ろうと目の前に出てきた幼いドラゴンを殺すことが出来ず、わずかに動きを止めてしまった。相手はそんな隙を見逃さず、固い鱗がびっしりとついた尻尾で彼を遠く吹っ飛ばしたのだという。
そのせいでお腹は割け、頭をひどくぶつけたために助けられなかったと彼の仲間は語った。「幼いドラゴンなんて、親のドラゴンと一緒に刺し殺してしまえばよかったのに」と思ったけれど、大ばか者な彼にそんなことが出来る訳ないかと、ため息がこぼれた。
彼は良く、「お前のため」なんて言っていたけれど、冗談じゃない。
全ては彼の自己満足だ。ドラゴン退治は、苦しむ人々を見たくないから。大金が欲しかったのは、食い扶持を減らすために子を養子に出す村人をなくしたかったから。いつだってそうだ。彼は何かと言えば私のことを持ち出すけれど、結局自分が見て見ぬ振りできない、究極のお人よしな性格なだけなのだ。
前々から気になっていたお人よしさ加減は、倒すべき敵に情けをかけたがゆえに究極となってしまった。おまけに、彼の仲間は弱ったドラゴンを倒し、みんな大金を手にしたのだという。
幼いドラゴンも、将来の危険を残さないために倒したと言っていた。
……本当に、これではどうして彼が死んだのか分からないではないか。それでも、ドラゴンを倒した『真の英雄』たちを責めることなどできるはずもなく、ただただ頭を下げるしかなかった。
乾いた地面が色を変え、英雄たちが慰めてくれるのにも答えず、ひたすら歪む視界のなか地面を見つめた。
彼らの顔を見たら、己の中にある非難する言葉が伝わってしまいそうで恐ろしかった。彼の家族でさえも、感謝の言葉を並べているというのに。ただの幼馴染である私が、彼らを責めることなどできる訳がない。
どうして、彼だけ死ななければならなかったのかとか。
どうして、彼が命を懸けて守った幼いドラゴンまで、殺してしまったのかとか。
考えればきりがない恨み言が、ずっと頭を巡ってしょうがない。
こんな私に対して、村の人たちはみんな英雄を祝福して、普段はない娯楽を楽しむような装いだ。いつも散々お金がないと嘆いている村長も、英雄たちを迎えるためここ数年見ていない豪勢な料理をふるまっているし、村の大人たちはどこに隠していたのだというような一張羅を着ている。
いつも私同様汗にまみれているはずの同年代の娘たちは、ちょっと大人っぽい服装を選んで英雄たちにお酌していた。村長には、お前も綺麗な服を着ろと言われたけれど、とてもそんな気にはならなかった。普段通り、つぎはぎだらけの簡素なワンピースを着て、『英雄たちの歓迎パーティー』へ出席した。
「彼は立派な最期を迎えました」
「嗚呼。本当にあいつがいなければ、ドラゴンを倒すなんてことできなかった」
英雄たちの言葉を聞いて、心ですべてを否定した。
負け犬でもどうでもいいから、私は彼に帰ってきてほしかった。ドラゴンなんて倒さなくていいから、ずっと傍にいてほしかった。私の願いはどれもささやかなはずだったのに、幼馴染が勇者と呼ばれるようになってから、世界一難しくて、恥知らずと呼ばれる望みになった。
どうして普通の幸せが欲しいと願っただけで、みんなを裏切ることになるのだろうか。
たまたま剣の腕がたったら、命を懸けて人々を守るのは、当然の責務なのだろうか。
頭が悪い私には到底分からない答えに、みんな当たり前だとうなずくだけで「どうしてなのか」理由を説明してくれないのだから酷い話だ。
結局私も、彼のことを思っている振りして、自分のことしか考えていない身勝手な人間なのだろう。自分が「世界一大好きな存在」を亡くしてまで己のことしか考えていないだなんて、愚かすぎて笑えない。
「あんた!さっきから私たちが話しかけてあげているのに、返事くらいしたらどうなの!」
「おい、やめておけよ」
「そうですよ。彼女だって、大切な幼馴染を亡くして辛いのでしょう……」
ぐいっと、いきなり英雄の一人である女の子に肩をつかまれ、思わず痛みで眉をしかめる。
踊り子だという彼女は刺激的な格好をしていて、華奢だというのに案外力が強い。それでも所詮「私たちよりは力が強い」程度でしかないのに、どうしてドラゴン退治にこんな女の子が必要だったのだろうと思ったけれど、話は簡単だ。英雄の一人が恋人なのだという。
多少腕が立つのだとしても、それなら「どうして私は連れて行ってもらえなかったのだろう」と、後悔とも妬みともいえる感情が胸を苦しくする。旅立つ彼の荷物をわざと隠したりして、必死に連れて行ってもらおうと、画策したのに。早朝から旅の準備を整えた私へ、子どもを諭すように笑ってかわされてしまった。……あの時は、こんな形で帰ってくるとは思わなかったと考えた所で、またしても涙が一筋零れ落ちた。
「おっ、お待ちくださいっ。この娘は、生まれた時から話すことが出来ないのです」
ほら、お前からも無礼な態度をとったことを謝罪しないさい!なんて両親が言うけれど、到底頭を下げる気にはならない。どんなに謝ったって、礼儀正しくしていたとしても、彼が返ってくることはない。
―――やっぱり、どうやったってこの涙を止めることは難しいみたいだ。
彼を『あのとき』引き留められなかった事よりも、
たった一言『好きだ』と伝えられなかった事のほうが、
絶望するほど、悲しかった……。
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