万華鏡商店街

一条 しいな

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 少女の悲しげなまなざしが洋吉を浮かれた心から冷静なものにさせた。彼は少女の話を聞くことにした。
「喜久子さんっていうの。あの人」
「うん。そうだよ」
 少女はおかっぱから鋭い目つきを見せた。まるで怒りで我を忘れたような目つきだった。少女がそんな表情をするとは意外で洋吉は寒気を感じた。
 晴れている中、洋吉はだんだん頭が冴えていくようだった。頭のもやが晴れていく。気がつけば、客が来ている。洋吉はまず靴を磨いた。安いのか薄い皮である。しかし、大切に使っているのか皮を直した跡がある。
「やれやれ、ひとさらいがあるようだよ」
「えっ」
 洋吉は驚いているとニヤリと男は笑った。ちょびひげで年をとった中年男性である。痩せた手にはタバコを持たせ、気障な口調で言った。彼は唇にタバコを寄せた。
「あくまで、若い男らしいよ。海外に猿のように売られるらしい」
「はあ」
「君はどう思うかね」
 タバコの煙に包まれた男が言った。男はしばらく黙って洋吉を見ていた。男は丸っこい目玉を洋吉に向けた。洋吉はなんと言えばいいのかわからなかった。憤慨するぶきか、シニカルな笑みを浮かべていうべきかを迷っていた。
「組織的な犯行なんでしょうか」
「まあ、人はどこの国もほしいよ。特に若い男の働き手は」
 まったくと、男が言った。片方の靴が終わったのでまた反対の足を出す。洋吉はなぜか動揺している自分に気がついた。まるで試されているようだった。洋吉はわざと下を向いていた。顔をあげるのが怖かった。
「君、ありがとう。ピカピカだ。お礼だ」
 いつもより過分にもらう代金がなぜか心苦しい。その理由は知っているはずだが、洋吉には思い浮かばない。洋吉はしばらく黙っていた。
「ありがとうございます」
「じゃあ」
 男は立ち去った。その背中を見ながら、なにか妙な胸騒ぎがした。それは言いようのない不安となって洋吉の心に影を落とした。少女は仕事を終わった洋吉に語り始めた。
 彼らは家族だ。女の子の兄弟達はキャラメルをもらってはしゃいでいた。一つまた一つ、大切に味わいながら彼らは食べていた。家に入って、小さくなっている。雨が降ったせいで家は水浸しで寒かった。しかし、彼らはそこにいることしかできずにいた。そうしてひもじい思いをした。大人達も同じだった。
 母親は働き出ていて帰って来ない。父親はいない。彼らは体を寄せ合い、暖をとった。
 九月の暖かさがまだあったから幾分ましである。虫の音が寂しげに聞こえていた。彼らは眠った。気がつけば少女だけ残っていた。まるで彼らは盗まれたようにいなくなっていた。
「こう書き置きがあったの。みんなでキャラメルのおばちゃんのところに行きます。心配しないでください。お土産いっぱいもらってくるね」
 少女は目に涙を浮かべた。
「じゃあ、喜久子さんのところに行こう」
「いやよ、あの人は悪い魔女なんだわ。だってすごく怖かった」
 えっと洋吉はまばたきをした。喜久子が怖いなど考えたことがなかった。
「とりあえず、地主に言おう」
「言ってみたわよ。でも相手にしなかった。置き手紙があったからさらわれた可能性は低い。そのうちに戻るだろうって」
「じゃあ、私だけでも喜久子さんのところに行こう」
 そう力強く洋吉が励ますように少女に言った。少女は戸惑いを隠せなかった。

 喜久子のところに行く。人はいなかった。喜久子がいた部屋は誰かがいた様子などなかった。喜久子の家は小さかった。仏壇があった。それを痛ましい気持ちで洋吉は見ていた。洋吉はしばらく喜久子を待つことにした。ぼんやりとしている。喜久子の部屋をあさるつもりがないが、書留があった。それを見たとたん、洋吉は走り出していた。どこに行くという考えが消えていた。気がつけば洋吉は暗い中にいた。
「ネズミか」
「さあ。この紅のミキ子様から物を盗むなんてフてえ野郎だ」
 ドスが効いた女の声が聞こえた。洋吉は目覚めると揺れる中にいた。寒いなと思っていると裸だった。腕が痛い。動かしていると縄がキュキュと鳴った。自由がきかないことで洋吉はようやく縛られていることに気がついた。
 辺りを見回すがなにがなにかわからなかった。洋吉は舌打ちした。
「喜久子、いるんだろう。人売りの喜久子」
 洋吉は叫んでいた。喜久子は人売りだった。靴磨きの子供達とあと三人の男がいた。それは外つ国に渡す手はずになっている。いわゆる闇ルートで渡す手はずになっていた。
「はい、はい。喜久子だよ」
「なぜあなたがこんなことを」
「あんたも商品なんだから、声を枯らしちゃだめだよ。外国人にしちゃ、かわいい東洋人は愛玩にされるから。教養もある人間は高値で売れる」
「あれは、うそだったのか」
「バカだね。ホイホイ信じるからさ」
 このまま術にはまっていれば助かったのにねと喜久子はタバコに火をつけた。タバコの火が喜久子を照らす。
「私を売るために近づいていたのか」
「当たり前だよ。あんたみたいな乳臭い子供。誰が相手にするか。童顔はいいんだよ。ガキを相手にしているみたいでかわいいんだ」
「くそっ」
「まあ。眠っていな」
 ふわりと喜久子は笑っていた。そうして洋吉は悔しい顔をした。悲しかった。苦しい。あの気持ちが裏切られた。怒りを洋吉は感じた。
「やれやれ。ついてきたらこんなことになるなんて」
 三津堂の声だ。
「ちょいとあだな姉さん。やりすぎでしょうに」
「どこからいたんだい。この紅のミキ子様から逃げられると思っているのか」
「猿だ。ミキ子姉さん、でかい猿が出た」
 洋吉には誰かが入ってきて明かりがカーテンのように入ってきた。まぶしさから目を細めていると猿がいた。猿は男達をかみついている。巨大。見たことがある猿だった。雪子を好きだと言った猿だ。
「あーあ。歌わなきゃならないか。あんたの話を」
 じゃらんと三味線が鳴る。女は爪を鋭くして、噛みつくように三津堂を飛びかかった。三津堂は素早くによける。
「わたくし、ケンカは嫌いな人間でね」
 三味線を高らかに鳴らした。
 女がいた。女は孤独だった。孤独で周りがうらやましいくらいだった。女は美しくなかった。だから化粧をした。化粧は内面まで美しくしなかった。人を魅了する力を手に入れた。そうして人を騙して売る。
 怖いねえ。
 女には好きな男がいた。若い男だった。自分よりもずいぶん若い。かわいがった。小遣いもあげた。そうして幸せだった。女は人を売った金で男をあまやかした。そうして男はうまくだませた。しかし男はしょせん浮気な生き物。
 美人に恋して金を持って逃げ出した。女が怖かったのか、それとも美人に魅了されたのかわからない。
「ミキ子も偽名でしょうに」
「なんだい。そのうるさい歌は」
 怒り、悲しみ、目の前に現れて消えて、今再び現れんと三味線を鳴らしながら三津堂が言った。それは歌のようだった。洋吉には見えたものがあった。カーテンが開かれ、明かりのまぶしさの中、確かに見えた。
 鏡の中に醜い女の顔を。
「やめろ」
 女は叫んだ。叫び声をあげたとたん、喜久子の美しい顔が崩れて、団子鼻、小さな目、ただれた肌、しわ、しみができた顔になった。やめろ、やめろと喜久子は叫んだ。
「あたしは、紅のミキ子だよ」
 顔はまったくの別人になろうとしたが、それでも三津堂は三味線を鳴らした。
「三津堂旦那。こっちは片付けましたぜ」
 猿が言った。そうして洋吉を見つめるとプッと笑った。それが恥ずかしくなり、洋吉は顔を伏せていた。子供達はぼんやりした顔でそんな洋吉を見つめていた。


「おはよう。洋吉君」
 憔悴した洋吉をねぎらうように神川が言う。ご飯を用意する女将さんは相変わらずぼんやりしている洋吉にプリプリと怒っていた。
「喜久子さんにだまされたんだね」
「ああ。あの女だ」
「誰もあの人がきれいだと思っていたのに、実際は醜い顔だったとは」
「もうなにも言わないでくれ」
「で、どうなったんだい」
 はあとため息をついた。その後、機関が来て、喜久子は捕まって、そうして子供達や捕まった人達は事情聴取。聞かれたくないことまで洋吉は言ったのだ。
「三津堂はニタニタと笑っていたよ」
「そりゃあね」
「私が解放され、勉学に励むようにと言われてしまった」
「まあ我々は勉学の徒だからね」
 洋吉は煮付けを食べていた。女将さんはなんだかんだと洋吉の体を気遣っているのを神川は知っていた。
「まあ。そんな悪女と縁がきれてよかったじゃない。洋吉さんにはきっと素敵な方が現れるわよ。それまで体力をつけて、明日に備えておきなさい」
 女将さんは笑っている。洋吉の頭の霧は晴れたようだった。騙された男達も喜久子の幻想に囚われたようで、事件発覚後に喜久子を求めることはなかった。むしろ、拒絶した。事件は新聞の一覧に小さく乗り、マスコミにはたいして興味がなかったようだ。
「悪夢を見ていたようだよ」
「でももしかしたら僕も食い物にされたかもね」
 神川の言葉に洋吉は不思議そうにしていた。そんなに魅力的だと思わない。喜久子の顔を見れば百年の恋も醒めるだろうに。
「喜久子さんは幻術使いなんだよ。しかも人間ではない」
「よしてくれ。怖い話をして私を驚かせたいのかい」
 洋吉はまともに話を合わせることもせず、彼の精神は穏やかなものになりつつあった。
「なぜか、美人に見えたんだ。なぜだろう。薬かな」
 と洋吉はぼやいていた。
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