万華鏡商店街

一条 しいな

文字の大きさ
20 / 35

20

しおりを挟む
 洋吉の悲惨な(?)恋が終わった。老婆に場所を借りることも終わり、負債を払った。いつも通りの学生生活に洋吉は迎えた。洋吉の精神は沈んだままで彼の神経はあの恋以来落ち着いたものになっていた。さらに彼は勉学に励むようになっていた。
 洋書を読みあさり、万年筆でなにかを書いていた。彼は秋の寂しさをまぎらわすように勉学をしていた。結局彼は恋に生きることの難しさを知ったのだろうか。
「洋吉君。また勉強かい」
「ああ、神川か。すまない、後少し」
「ああ、顔が青ざめている。握り飯を持ってきたよ。食べながらいいよ」
「ありがとう」
「君だけ冬ごもりだね」
「からかうなよ」
「散歩に出かけよう」
 洋吉は考えていた。洋吉は静かに立ち上がっていた。
「さあ、外に行こうか」
「握り飯を食べてからだ」
 洋吉はうなずいた。彼は食べる。一生懸命に食べる洋吉を神川はなにも言わなかった。なんとも寂しい気持ちである。洋吉の胸に去来するのは。川の枯れ葉を見ているような、曖昧なものである。
 食べ終われば、静かに火鉢の灰をいじっている洋吉がいた。鉄箸でいじりながら、洋吉は神川を眺めた。美しい男である。ふわふわとした髪は彼のあまさを匂わすようだった。そんな彼の高い鼻を見ていたら妙に憎たらしく思えた。
「心配しているのかい。私のことを?」
「まあ、そうだよ。君、家にずっといて、勉学なんて感心しないな」
「学問の徒だから」
「いいんだよ。泣いたって」
「私にはいらないよ。同情なんて」
「同情か」
 洋吉の言葉に神川がつぶやいた。しみじみとなにか感じているのだろうか。怒らせただろうかと洋吉は顔を上げた。
「すまない」
「同情でもかまわない。君は私の友人だからね」
 神川の言葉に洋吉は自分を恥じた。そうして神川の人の良さにある意味感心した。彼の心は、ねじ曲がったところがないだろう。誰かに愛されたことで不器用ながらも、心配できるのだろう。
 洋吉の心はすうすうと冷たい風が吹いたようにうら寂しいものになっていた。彼は火鉢に近寄って温まろうとした。
「君はいいよ。誰からも愛されて」
「おや。洋吉さん。すねているんですかい」
 声がする方に顔を上げた洋吉の目には三津堂がいた。三津堂は籠を持っている。そうして彼は寒そうな顔をしていた。彼のこれと言って特徴のない顔がニヤリと笑った。
「三津堂」
「神川さんにあまえていたんですね」
「違う」
「おや。違うんですか。へえ」
 ニヤニヤと三津堂が笑う。明らかに彼は洋吉をからかって楽しんでいた。洋吉にもそれがわかったので「その話はいいだろう」と逃げていた。
「三津堂は心配しました。だから来たんです。いけませんか」
「それはありがとう」
「八つ橋を買ったのでみなさんで食べましょう。女将さん、お茶はどこですか。三津堂が用意します」
「相変わらずだな。三津堂さん。女将さんはいないから私がやろう」
 神川の言葉にすみませんねえと三津堂は言って洋吉の側に座る。手で火鉢の前に出している。
「ここにはおこたはないんですか」
「すまないな。ない」
「そりゃあ残念だ。ぬくぬくしたかったから」
「三津堂、なにしに来たんだ」
「忠告です。あなたはまた、面倒事に巻き込まれるから」
「安心しただろう。家にいて」
 はいと三津堂が笑った。三津堂は焼き八つ橋を持ってきた。貴重な甘い八つ橋に洋吉の心は落ち着いたようだ。むしろ、反対に食欲が刺激された。
「おや、もう食べているのかい」
 神川が茶を持ってきた。暖かな空気に包まれながら三人は談笑した。
 今年は雪が降るか。寒くなって着物に綿を入れないと面倒だ、という三津堂の言葉に「外套はないのかい」と神川がいう。
「外套ねえ、出さなきゃならないんですよ」
「着物に綿を入れる方が難儀だと思うが。女将さんはそこまでしてくれないから私は自分でするよ」
「神川。えらいな。私は兄がいるから、兄の細君にしてもらっているよ」
「そりゃあお兄さんの奥さんが大変じゃないか」
「まあ、針は持ったことがあまりなかったから、手を血だらけにしたら、兄の細君が自らしてくれるとね」
 洋吉の言葉に神川は苦笑していた。三津堂は黙って茶を飲んでいた。秋の天気は変わりやすいのか、窓に雨粒がたたく音。それに気がついた三津堂はおやという顔をした。
「女心と秋の空は変わりやすいというけれど本当ですね」
「洗濯物」
「ああ」
 慌てて二人は庭に出た。自分達と女将さんの洗濯物を取り込む。雨に濡れながら、濡れた洗濯物をどうするにもできずにいた。二人はため息をついた。
「まったく油断できない」
「どうしようもないな。明日に持ち越しだ」
「三津堂の洗濯物は大丈夫か」
「三津堂は大丈夫です。洗濯物はきっと誰かが入れてくれます」
「不用心だな」
「取られるものはちゃんと守っています」
 三津堂は笑っていた。そんな三津堂が金に対してがめついのは洋吉も知っているので三津堂らしく感じていた。雨ですっかり冷え込みが強なり、三人はもう一つ火鉢を出した。赤々燃える灰は、暖かい熱を放ち、まるで冬が来たような寒さを和らげてくれる。
「餅があればいいのだが。そこはさっぱりで」
 神川はすまなそうな顔をする。
「いいです。いいです。お茶をいただけただけでも結構です」
 三津堂はニヤニヤと笑っていた。三津堂が持ってきた焼き八つ橋を食べながら、三人は黙っていた。
「神川さんの恋の方面はどうですか。そりゃあ美人のご令嬢とか」
「いや、そんなことはない。令嬢の家庭教師くらいはしているけど、仕事ですからね」
「えらい。そこは神川さんのモテる秘訣かもしれませんね」
 三津堂をじろりと洋吉は見つめた。
「洋吉さんの恋の方面はどうですか」
「君は幼稚だな。僕の中で恋だの愛だのは終わった。勉学に邁進するのみ」
「とかいいつつ、またあなたは女性の誘惑には勝てないんでしょうね」
「勝てる」
「僧都みたいなことを言い出して」
「いいじゃないか。学問に専念したっておかしくない」
 神川は困ったように洋吉と三津堂を見つめていた。三津堂が洋吉を心配しているのか、わからないが、からかっているのはわかっているからだ。
「確かに女性は離れられない。僧侶のように女性から距離を置いていかない限り、離れるなんてできまい」
 神川がしみじみというので、三津堂は笑って「まったくだ」と言い出す。
「君、自分だけ経験者みたいな顔をするな」
「三津堂は経験者です」
「へえ。君の恋の話、聞いてみたいな」
「さる旅芸人です。お芝居は男と決まっていますが、女は曲芸みたいなことをしていました」
「サーカスみたいな」
「まあ、そうです」
「三津堂は若かったから、きっとのぼせていました」
「ほう」
「彼女の手を触れて血が熱くなるような思いをしました」
 神川は茶を飲まないで三津堂を見つめていた。洋吉は話が怪しいものになってそわそわしていた。
「それだけです」
 そう三津堂は言った。洋吉はほっとしたのかわからなかった。どうしていいのかわからなかった。迷っていた。三津堂を慰めるのも変だ。といってからかうのも好きではない。
「三津堂」
「私は思い出されてなれませんね。あの人の美しい顔を。本当に美しい人だった」
「悪いことを聞いてしまったかな」
「あまり、気にするな。また会えるのではないか」
 洋吉がいうと三津堂はニヤニヤと笑いながら「そうかもしれませんね」と答えていた。洋吉はなぜかほっとした。洋吉の気持ちは三津堂に伝わってしまったのだろうか。洋吉を見る三津堂の目は優しげなものと変わっていたように洋吉は思えてしまった。
「まあ。恋とはわからないものだよ。罠みたいなものだ」
 洋吉がいうと二人は笑いをこらえていた。洋吉は当たり前のようにいうが、洋吉の言葉はある意味実体験に基づいているものかもしれない。そこに二人は気がついてしまったので笑うことをやめた。
「そうだね。恋とは厄介なものだ」
 神川がいう。神川の恋をするところ、見たいような見たくないような、洋吉はそんなことを考えていた。
 鉄瓶を持ってきた神川は火鉢に置く。
「寒くなったな」
「ええ。今年は寒いのかな。困ったな」
「三津堂は困りません。着物に綿をいっぱいつめます」
 そうだねと神川が言った。洋吉は少しだけ穏やかな気持ちになっていることに気がついた。彼の石のように固かったなにかが柔らかく弾力を取り戻してきたような気がした。
「おやおや。眠くなってきました」
「うん。なんだか、暖かくなって」
「じゃあ、寝るのかい」
 いやと洋吉は言ったが、まぶたが重くなってきたようだった。重くて仕方がないようだと判断した神川は布団を取り出す。
 火鉢の火を消していた。そうして三津堂は立ち上がった。
「神川さんが女性に人気な理由がわかりましたよ」
 えっと神川がいう。フフッと三津堂は笑う。洋吉は三津堂を見つめていた。本当はお礼を言いたかったが、忘れていたのだ。助けてくれてありがとう。それが聞きたいのかとなじりそうな洋吉がいて、なかなか切り出せなかった。
 洋吉は緊張の糸が切れたような感覚だ。そうして神川に布団をしいてもらい。冷たい布団の中でぼんやりとしたまま、目をつぶっていた。
 喜久子のことは忘れようと洋吉は自分に言い聞かせていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

処理中です...