万華鏡商店街

一条 しいな

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 洋吉、大滝、神川の三人はジャガイモを食べている。お互いに会話が少ない。洋吉は神川を見た。彼の顔には大滝に対する恐れは浮かんでいなかった。
 洋吉が三津堂といるのと変わらない。友情のようなものがあるのではないかと洋吉は、かすかに感じ取れた。そんな洋吉の観察など気にせずに大滝は最後のジャガイモを食べていた。
 彼の細長い顔がもぐもぐと顎を動かしているさまをみていると不思議に思う。人間というものはあれほどあったジャガイモを消化してしまうのだから。二人ではなく三人だからゆえであると洋吉は気がついているが、そう思ってしまうのだ。
「それにしても、洋吉。いつまでもここにいるつもりだ」
「えっ」
「えっ、じゃない。俺はおまえのお守りはごめんだ。ジャガイモを食べたなら、さっさと帰れ」
「大滝さん」
 注意するように神川がいうが。神川の言葉を無視するように、大滝は洋吉をにらんでいた。
「一仕事するならいいぜ」
 はあと洋吉はつぶやいた。探偵の仕事なんてあまり得にもなりそうにはないと洋吉は気がついた。立ち上がり、頭を下げる洋吉に大滝は手を振る。気の毒そうに洋吉を見送る神川がいた。
 もう一度古本屋朝霧に向かう。正直、いい気持ちなど洋吉はしていない。まるで子供のように、追い出されてしまった洋吉はつまらない気分だった。洋吉自身、大滝とは親しいつもりだったから余計に、洋吉は苦々しい気分になった。
 古本屋のガラス戸に手をかける。今度がガラスが音を立てながら動いた。洋吉はさっかの気分など忘れて「おーい。こんにちは。三津堂」とふざけて言っていた。
 三津堂は店内にはいなかった。奥の部屋で誰かと話しているようだ。はて、一体と洋吉は考えていた。
「おや、洋吉さん」
 奥の住居から三津堂が顔を出した。そうしてちらっと客人が見えた。女だった。洋吉は急に自分が恥ずかしくなり「たまたま寄っただけだ、客人がいるならいい」と言って立ち去っていた。
 三津堂はきょとんとしたまま、洋吉の後ろ姿を見ているだろうと予想できた。
 そのまま、洋吉は下宿先に向かっていた。洋吉は自分が情けない人間に思えた。女性がいるだけで逃げるように立ち去ったからだ。女性は庸子くらいだ。あとはみんな、だめ。妙齢の女性は特にだめである。洋吉はずんずんと足を動かした。
「あら、洋吉さん。お手紙よ」
 下宿先の女将さんが渡してくる。きれいな紙、上等な紙だとわかる封筒に女が書いた文字で住所と洋吉の名前が書いてある。
 お礼をそこそこに手紙をもらっていると女将さんは興味津々で「ねえ、誰から」と聞いてくる。
 洋吉は苦笑して「知り合いですよ」と答えても彼女の満足する答えでもなかったようだった。
「恋人?」
「友人です」
 洋吉はそう言って逃げるように二階へ上がっていく。彼は手紙の裏側を見た。庸子だ。洋吉は笑っていた。嬉しいのだろう。それは言うまでもない。
 自分の部屋に入る。文机にそっと、手紙を置く。はやる気持ちを抑えて、火鉢に火を付け、コートをかける。そうして彼は手紙の封を切るためにハサミを持っていた。ゆっくり刃を入れ、封筒の中に入った折りたためた紙を見つめた。洋吉はごくりと唾を飲んだ。
 こんにちは、洋吉さんで始まる手紙には今日の出来事、おかしかった話などつづられている。洋吉はくすりと笑った。
 今度見合いをすると書かれていた。洋吉は楽しい気分がしぼんでしまった。庸子も気乗りではなく、しぶしぶである。洋吉さんは別だが、男の人は怖いと書いてある。
 洋吉は優越感に浸っていいのかわからずじまいだった。洋吉を男として見ていないのはわかったからだ。
 洋吉は少しだけ悲しい。しかし、いつかという思いがあった。
 ゴロリと彼は寝転んだ。もしかしたら庸子は洋吉よりも見合い相手を選ぶのではないかと洋吉は考えていた。
 彼は電灯を見上げて、まぶしすぎる光を見ていた。彼は体が疲れていると気がついた。なぜか空虚な気持ちになった。自分はなにもない書生であることは確かだ。肩書といえば大学にいることくらい。昔ならばそれで大義名分があったが、今はそうではない。
 彼の頭の中で庸子の手紙の返事を考えていた。はがきにするのはいささか恥ずかしいので封筒を用意する。それにしては長い文章を書かなければならない。しかし、書くことがないと気がついた。万年筆を取り出したのはいいが、書くということが苦手だと洋吉は思った。
 火を消して換気をしてやる。雨が降りそうな空模様。怪しげな雲がふわふわと空一面に居座ろうとする。洗濯物を入れようと洋吉は立ち上がる。


 寒いなあと洋吉はつぶやいた。教室には文芸誌について討論する友人がいた。友人は劇団に舞台の台本を書いたらしいが、落選したらしい。洋吉はまったくといって筆無精なので友人から声をかけられない。
 やっても代筆くらいである。代筆だけは早いと言われていた。
「洋吉君。なにをぼんやりしているんだい」
「いや、横田君。たいしたことではないよ」
「ははあ。君もあれか」
「あれ?」
「恋だね」
 恋かあと洋吉はつぶやいた。洋吉の失敗、失恋を知っているかのこどく、彼は楽しげである。洋吉はまたぼんやりした。
「君も神川以外の恋人を作りたまえ」
「神川は関係がない」
「まあな。君はちょっと神川に肩入れすぎている」
「また神川に女を取られたのか。君は美形ではないからな」
 洋吉が呆れたようにいうと、横田はムッとしたような顔をした。彼自身、自分が美形ではないことを知っているらしい。思わぬ反撃に彼は機嫌を悪くした。
「わかっているよ。それくらい。どうだい。そんな君に、これをあげよう」
「なんだい」
「簡単さ。音楽会。君は文学には無頓着なくせに、音楽は好きだよね。だからさ」
「二枚、ある」
「好きな女性を誘えたまえ、うん」
「悪いなあ」
 代わりに手を出されたしまった。洋吉は友人の横田をにらみつけた。
「ただじゃないよ」
 さも当たり前の様に言われた。しかし、洋吉は音楽会の指揮者が珍しい方なのでつい買ってしまった。洋吉は買って途方に暮れてしまった。
「まんまと買わされた」
 そんなことをつぶやきながら、洋吉は廊下を歩く。大学内は静かだった。洋吉は寒い教室に歩き出す。横田はホクホクした顔で学食に向かう。
「まったくがめつい」
 そんな独り言をいう洋吉には本当に庸子を誘えるか不安だった。庸子は洋吉と違い、裕福な家庭である。
 どこの馬の骨かわからない洋吉の誘いに乗るだろうか、ちょっとずつでいいのだが。そんなことを洋吉は考えていた。
 寒い風が窓ガラスを揺らしている。洋吉は重い足取りで教授の教室に向かう。
 そこは整理整頓された部屋ではなかった。机には書類と本であふれ、わずかなスペースに書類を書き込んでいる教授の姿があった。失礼しますというと教授は顔を上げた。棚にはぎっしりと洋吉が学ぶ専門書が並べ、先輩の一人が読みふけっていた。
「こんにちは」
「こんにちは」
 というが、教授は上の空ということはわかっていた。
 先輩はこちらに気がついたが、社交的ではない人と知っているので頭を下げるばかりだ。
 教授はストーブをつけているせいか、少し顔が赤い。ストーブの前で陣取るように洋吉は座った。
 あれこれ話す。学術論文が載っている雑誌の話をする。教授も見たらしく感心するように言った。
「なに用かな」
 こちらにお世話になりたいんですと洋吉がいうと教授はほおとつぶやいた。
「卒業してからも」
「まあ、そうです」
「どう思う、柏木(かしわぎ)君」
「さあ。私にはさっぱり」
「なにをいうかね。現場は君に任せているからね」
 笑っている教授に対して柏木と呼ばれた先輩は顔をしかめた。柏木は洋吉を上から下、視線を送る。
「違う教授に当たった方がいい」
 柏木は冷酷にも言いのけた。洋吉はそこをなんとかと言った。
「君は寿(ことぶき)教授のところの生徒だろう」
「教授には教師になれと」
「いいではないか」
「安月給ですよ」
 本音をいう洋吉に「君は教師にはなれないね」と教授はいう。確かにその通りだと洋吉も思う。
「情熱がなければなにも成せない」
 フフと笑う教授がいた。笑いことではないのだが、洋吉はストーブの前に座ってはあとため息をついた。
「君のような奴に教師になってほしくないね。教師とは尊い職業だ。若い芽をいかようにもできる。堕落させる、成長させる」
「そうですね」
「張り合いのない」
 教授はそう言ったまま、洋吉を見た。
「私には無理なんです。一人、なにかを教えるほど賢くはない。優しくもない。厳しくもない」
「おや、わかっている」
「ダメ教師になりそうで」
 プッと柏木が笑った。
「なんですか。こちらは真剣ですよ」
「それがわかっているならやるべきことはあるだろう」
 柏木は本から目を離した。おかしな先輩だと洋吉はようやく気がついた。
「ああ、時間を無駄にした。君もしっかり将来を考えてくれ。寿教授には言わないでおく。いや伝えた方が面白いかな」
「私はおもちゃですか」
「いやいや。君を思ってのこと。暇つぶしにもならない。私も教師の端くれのようなものさ」
 教授の言葉を信じるべきか洋吉は迷ってしまうのだ。単純な自分を洋吉は呪いたくなるのだ。
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