羅針盤の向こう

一条 しいな

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 バス停の地面はびしょ濡れ。台風が来たような大雨だった。僕はバカみたい梨田さんを待っていた。バス停では僕と同じように待っている人がいる。並んでいると梨田さんが来た。
 バス停は雨の中、憂鬱な空の下、バスが来た。灰色のバスに一気に人が上がり込んでくる。イスは少ないタイプで後ろには座席があるが、前はイスをくりぬいたようにがらんとした空間が広がる。その中に入る。人が、次々と入ってきて、ラッシュ時を連想させる。なんとかスマホを持っている人もいるが、みな自分のおしゃべりに夢中だった。
 梨田さんは僕の隣にいた。前には人がいる。僕らは黙っていた。バスを降りて駅前についた。一気に解放された気分を味わう前に生徒達は駅構内に歩いていく。
「真澄ちゃんの家を知っている?」
 梨田さんが尋ねてきた。スマホの地図を見ると呆れたような顔をした。
「じゃあ行くか」
 真澄ちゃんの家の最寄り駅まで乗る。切符を買う僕を梨田さんは待ってくれた。
「カード、持っていないのか」
「家です」
「真澄ちゃんの家になんで行くことになったけ」
 階段を上りながら聞いていく梨田さんに「女子に頼まれました」と梨田はなんとも言えない、呆れたような、バカにしたような顔をした。
「おもちゃにされたんだ」
 ズバリである。車両を待っていると、会社帰りなのか向かうのかサラリーマンや同じように帰る学生がいた。
「なんというか。拓磨君ってバカなんだな」
 寒そうな空とそびえ立つビル群を見ながら言った。ビルには看板やら、広告物が並べられている。ビールを持つ女性が笑っている広告もある。
「バカですか」
「迷ったとか言えばいいんだよ。途中でいなくなった」
「そうですけど」
「期待なんてどうしても裏切るもんなんだから」
 電車が来た。メタリックなボディーに人々が入っていく。今日は混んでいるなと梨田さんが言った。傘を持った人々がずらっと横一列に座っている姿はなかなか見れるものではないような気がする。傘を持って出入り口付近に立つ。ゆるやかに速度が上がっていく。ビル街が見える。野球場も見えてくる。
「真澄ちゃんらしからぬ」
「何がですか」
「今メッセージを送った。そちらに向かいますって」 
「僕も送りました」
 既読になっている。こっちは既読になっているが、梨田さんのグループは未読になっている。僕も首を傾げた。
「わからないな」
「わかりませんね」
 最寄り駅についたので降りる。意外と多くの人が降りて行った。梨田さんの背中を見ながら、真澄ちゃんの家へと向かった。


 真澄ちゃんは普通のマンションだった。チャイムを鳴らして「真澄ちゃん、来たよ」と言った。
「いいわよ。開ける」
 咳をしながら、マンションに入れるようにロックを外す。そうして梨田さんがエレベーターの階を押して、そのまま真澄ちゃんの部屋の階にたどり着いた。
 狭いワンルームに、真澄ちゃんは布団を引いて眠っていた。
 膝掛け、着る膝掛けを着ている真澄ちゃんのインパクトはなかなかあった。後ろ姿は女子だが、振り返ればおっさんという化粧っけのない顔だったからだ。
「真澄ちゃん。メイクしていないね」
 僕がからかい気味に言った。
「意外と早く来たからね」
 清涼飲料水を飲むと「生ぬるい」と文句を言う。梨田さんがレトルトのお粥を温めようとする。茶碗を探して、レンジに悪戦苦闘する。
「真澄ちゃんは眠っていたの」
「暇だからスマホゲームをしていたわよ」
「寝なきゃだめだ」
「風邪は起きた方がいいのよ」
 信じていないわねと言いながら真澄ちゃんは咳き込む。真澄ちゃんの部屋はかわいらしいものだった。とある有名キャラクターのぬいぐるみや茶色や黒に統一された部屋にきれいに飾られていた。
「あんたさ。女子におもちゃにされたんでしょ」
「うんまあ」
「結局圭介ちゃんを使うあたり、抜けているか抜けていないんだが。圭介ちゃんにお礼を言うのよ」
「はいはい。安静、安静」
「ったく」
 真澄ちゃんの顔色は悪くない、苦しい峠を越したのだろうか。梨田さんがなぜか大皿にお粥を乗せてこちらに来た。真澄ちゃんも僕もギョッとした。
「なんで大皿になるのよ」
「それしかなかった」
「あんたねえ」
「なんで未読だった」
「何が」
「メッセージ」と梨田さんと僕は同時に言った。呆れたように真澄ちゃんはため息をついた。
「下着を隠したのよ」
「男性用なら」
「私は女性用を着ているのよ。あんた達には見せないわよ」
 梨田さんも僕を冷えた目で見つめていた、真澄ちゃんはムッとした顔を見せていた。
「何を着ようと私の勝手よ」
「笑わないが。男性用の方が」
「バカ言わないでよ。女が男性用を着るなんて」
「最近着ている人もいるらしい」
「逆も」
 真澄ちゃんは急に笑い出した。涙が流しているのかと思ったら、苦しんでいる。
「あー笑った。私の考えって狭いのね」
「別にいいんじゃないのか。下着ぐらい」
「うんまあね。でもあんた達に言うけど罪悪感はあるわよ」
 真澄ちゃんと僕は言いそうになった。梨田さんは「そうか。そうか」と明るく言った。真澄ちゃんは笑って「圭介ちゃんって優しいのね」と言った。
「優しいかわからないけどさ。粥を食べろ」
「梅干入れなきゃ食べられない」
「味な。ないのか」
「まったくね」
 そう言いながら真澄ちゃんは食べていた。真澄ちゃんはちょっとだけ寂しそうな顔をした。




 梨田さんと電車に乗る前に別れた。罪悪感があると真澄ちゃんは言った。真澄ちゃんに罪悪感がないと思っていたが、そうではなかった。真澄ちゃんを慰めようとした僕がいた。
 真澄ちゃんは悪いことをしていない、自分に正直に生きているだけだよ。そんな言葉よりも「そうか」の方が優しいのかと僕は考えた。ひるがえってみたら、僕が言われたいことかもしれない。電車は揺れている。混んでいた。人がたくさん集まって、ぎゅうぎゅうにやっとこ、電車を降りていくと、自分の街に帰ってきたような気がした。
 そこで歩きながら、やっぱり僕はあまちゃんなんだなと思った。闇の中、雨粒が落ちていく。看板の明かりでようやく雨粒の一つ一つが見える。商店街を抜けて、学生が住む地域になると、暗闇がぐっと濃くなる。僕は水溜まりに足を取られないように、気をつける。寒さが体に張り付くようだった。
 自分の部屋に着いたとき、戸井田からメッセージが来ていた。
『尻は大丈夫か』
「何にもなかった」
『女子に報告しないと』
「好きにしろ」
 自分に夕食を作る。簡単なものだ。お惣菜とサラダだ。ご飯をチンして食べる。一人で食べることにも慣れてきた。スマホで音楽を流すわけもいかず、ただぼんやりしていた。食器洗いをして、小テストに向けて勉強する。それくらいしかできなかった。
『なんか疲れたか』
「疲れていない。戸井田はどうだった、彼女」
『いやあ。いい香りがした』
「良かったね」
『なんでおまえそんなに不機嫌なんだよ』
「違うから」
 考えすぎと僕はメッセージを送った。そうしてため息をついた。きっとまたおもちゃにされるんだ。そんなことを思うとイライラする。梨田さんの顔が浮かんだ。あの人の言った通り、そのまま帰れば良かった。いや。違うのだ。本当は。
 自信に満ち溢れているように思えた真澄ちゃんが意外なことに弱いところを見せたから僕は動揺しているんだ。あんた、勝手ねって真澄ちゃんは言うかもしれない。


 学校に行くと案の定女子達に待ち伏せされた。
「拓磨、男になった?」
 不躾な質問に「もともと男だけど」というとつまらなそうな顔をした。一部の女子達には格好の噂なのだろう。適当にあしらっていると。
「大人気だな」
「戸井田。おまえは他人事みたいに」
「先輩と一緒に行ったの。本当」
「うん」
 いきなり女子に言われた。
「つまんない」と言った。
「だってせっかく私達が二人っきりにしたのにさ。なんであんたが先輩と来るのよ」
「それは」
「意気地なし」
 はあとため息をつかれ、一方的に言われた。
「おまえ、人が良いな」
「うぜえ」
「うぜえのはあの女子だろう。人の気持ちも知らないで勝手なことを並べて、要は娯楽を求めている自分がかわいいだけの」
「辛辣だな」
「おーい。拓磨。尻どうなった」と内田が聞いてくる。明らかに楽しんでいる。
「うるせえ」
「わー怖い」
「おまえの尻が、危なくなるぞ」
「キャー」
 明らかにふざけている内田の前にしてようやく僕は舌打ちした。うぜえと言った。
「不機嫌そうだな」
「まあ、自業自得だな」
 結局遊ばれている僕がいた。戸井田は、はああとあくびをした。
 一部の女子、といってもほんの二人くらい僕を卑怯者と呼んでいるらしい。周りの女子はそんなことは言わない。ただ、おもちゃにして満足だったようだ。影でこそこそホモ野郎と言われるより、マシである。
 真澄ちゃんは平然としていた。そういう扱いも慣れている様子だった。
 秋の雨がようやく上がり、晴れ間が出てきた。憂鬱だった気持ちを太陽が和ませてくれるようだった。
 日差しの中、僕はベンチでぼんやりと横になっていた。このまま昼寝がしたかった。誰もいないし、日差しは暖かいのでうとうとしていた。
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