羅針盤の向こう

一条 しいな

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 怖かったというのは本当だ。だから、過ちを認めたくない。と僕は考えていた。夜に恋をしたことが間違えということに。
 僕は窓の外を見る。今日は学校がない。ゴロゴロしようかと考えていた。午後からバイトだったから。
 玉部さんがひょいっと現れたのはそんなときだ。僕は部屋の中に入れた。今にも降りそうな空模様だった。秋雨前線に影響されているらしい。秋は晴れが多いから調子が狂う。
「元気か」
「元気です」
 あれから暗い考えにとらわれていた僕をすくい上げるように玉部さんが現れた。玉部さんはおみやげにスルメイカをくれる。自分の酒のつまみらしい。その割には、酒臭くない。
「元気ないな」
 つぶやくように言われた。つぶやくから何気ないということではない。視線は絡みつく植物のようだった。何年も放置された植物ではない、ゆったりとした速さで絡みつくようだった。
「そうですか」
 とぼけてみせた。とぼけるのはわかっていたのだろう。玉部さんはしばらく黙っていた。音楽を流ますとつぶやいた。スマホから流した。お互いにぼんやりとしていた。玉部さんは漫画を読んだ。僕は横になりながら、空ばかり見ていた。窓から見えるのは高いコンクリートと小さな空。箱庭に押し込められたらこんな気持ちだろうか。
「暇だな」
「暇ですね」
「だからどうするつもりもないがな」
 玉部さんはスマホを持った。相当暇らしい。僕は「音楽を止めますね」と断った。いいぞと短く言われた。
「夜はどうなった」
 触れたくないところを触れたような気分に僕はなった。だが、スマホを見ながら「別に」と答えた。
「別に変わりはありませんよ。夜に彼女ができたくらいかな」
 何気なく僕は笑う。あっ笑うことができるんだと僕の一部が、気がつく。傷ついた癖にと意地悪くもう一人の僕は笑えた。
「そうなったら当たって砕けろ、だな」
「は?」
 今度は玉部さんが笑っている。夜にはどんな気持ちで伝えば心に響くかということを考えた、一瞬だけ。それを振りほどいて「何を言っているんですか」と僕は慌てていた。
「冗談。マジにするなよ」
「本当ですか」
「本当だ」
 そう言った玉部さんは穏やかな顔をして言った。悪意のない言い方だったから、僕はそれ以上追求もしなかった。それはほどよく僕にいい影響を与えた。だって、変な目で見られなかった。
 それだけでほっとする。怖いザラザラとした恐怖もない。気持ち悪い、偏見で見られることを僕は怖かった。小さなやわい丸いものが鋭い針で破裂しないだろうかと思うように。僕って繊細なんだと思う。
 僕はゴロゴロしながら、怖いものを見たさで自分の心理状態を把握しようとした。
「元気だせよ」
「元気ですよ」
「ならいいんだ」
「心配性だな」
 そう僕はつぶやいていた。僕の腕を見て玉部さんは悲しそうな顔をする。火傷の跡が残っているからだ。パン屋のバイトの跡。
「なんかそれ、痛々しいな」
「長袖必須ッスよ」
「夏場は悲惨だったよな。おまえ。かわいい顔が汗塗れ」
「まあ。暑いですけど。心配性な家族に知れて怒られました」
「ああ」
「コンビニのバイトじゃあ安いし」
「実際得るもんはあるけどな」
「ないない。迷惑な客に目を付けられたとか」
「顔だよな」
 ストーカーに近いものもあったから苦い思い出だ。不器用ながら頑張ったが、結局ストーカーまがいにあってやめた。
「まあ接客業じゃない分、楽しいです」



 女子がいる。バイト先に。女子といっても販売担当で女子大生だ。多分自分じゃなかったら付き合いたいなんとかと考えただろう。鈴さんはどうだろうか。あの人はいやなだと僕は考えていた。
 夜のことは考えない。蒸し暑い、パンが焼ける匂いに包まれる。パン生地の仕込みをした後、おばちゃん達はさっさと作る。僕もする。発酵して落ち着かせたパン生地に冷えたクリームを丸めて包む。クリームパンは昔ながらの甘さで疲れた女性に人気だ。あまりくどい甘さではない。
 しかし、もちもちのパンにつめられたカスタードが疲れた脳に活力を与えるようにほっとする。不思議と形は丸い。パン生地を作るのは鈴さんだ。後は芳賀(はが)さんだ。芳賀さんはパートというよりパートナーだ。パン職人の鈴さんと一緒に経理をして、鈴さんと一緒にメニューにも考える。
 だが、二人が結婚している事実はない。だから、鈴さんは慌てている様子もなかった。
 鈴さんの手の中は不思議なほど美しいパンが生まれる。パン生地を焼くだけを残したパンはすでに光沢があり、焼きたてになった美味しいと思う。
「大貴(たいき)大丈夫」
「こっちは大丈夫だよ」
 大貴というのは芳賀さんの名前で、鈴さんは芳賀さんを呼び捨てにする。その変わり、鈴と呼ぶのだ。芳賀さんは。僕は他のパンを作り始めていると鈴さんは「丁寧に」と注意をしてきた。丁寧にしているつもりだが。慌ただしい職場でなかなか丁寧にできないでいた。
「コロッケ揚げて」
「はい」
 持ち場に仕切る鈴さんは勇ましい。僕は緊張しながらピリピリとした持ち場を早歩きで行く。あっという間に終わった。何もかも早くて怒鳴れて、気がつけば朝の十時だ。そろそろ終わる。十二時になれば販売を手伝って、と考えていた。ゆっくりと休憩時間を取らないと。
 外の自販機に行く。夜明けの冷たさが頬に刺激する。タオルで汗を拭いて、透明なマスクを外す。ガチャンと、缶コーヒーが出てくる。おばちゃん達はもう先に買っている。
「あちい」
「拓磨君、お疲れだね」
「ああ、土橋(つちはし)さん」
「いいよ。京香(きょうか)で」
 うんじゃあ、と言って逃げるように販売機から立ち去る。販売機の明かりに土橋さんの顔を浮かび上がらせた。土橋さんはクスッと笑ったような気がした。なぜ笑うんだろうと僕は思った。
「拓磨君、風邪を引いちゃう」とおばちゃん。
「はーい」
「気をつけなさいよ。拓磨君。京香ちゃんって何を考えているかわからないから」
「そうですか。普通の子ですよ」
「わかっていないわね」
 はあ、と僕は言った。
「あんた、頼りないから言うけど利用されて、ぽいよ」
「そんな想像で」
「だって、いやいいわ」
 おばちゃんが何がいいのかわからなかった。僕は鈴さんにまた怒られた。


 お昼の町に歩いている。なぜか土橋さんを連れて。土橋さんは待っていたということらしい。女子大生一人で歩くなら、護衛とおばちゃん達に言われたらしい。昼の町は沈黙を吸い込むように静かだ。
 時折車か流れるように後ろから来る。僕は後ろを振り返った。
「拓磨君はさ。彼女いるの」
「いないよ」
 そっちは軽い調子で言われた。土橋さんは考えているようで「いないよ」と言っていた。
「これから行くとこある」
「ない」
「コンビニいい。甘いものがほしくて」
 ちょっとだけ寄り道をしていた。昼のコンビニは人が多い。やる気のなさそうなくたびれた店員が「いらしゃいませ」と力なく言う。暖かい店内で頬が解けそうな錯覚をする。冷えた体にはコンビニの暖かさはありがたい。
 コンビニでご飯を買っていると土橋さんがちょっと意外そうな顔をした。
 トントンと背中をたたかれた。振り返ると夜がいた。僕はちょっと驚いたままだったが、土橋さんが誰という目で見ていたので慌てて「知り合い」と言っていた。
「彼女?」
 はっとするように夜が言って慌てて首を振った僕に夜は「なんだ」と言う。まぜなんだという、どうしてそんな顔をするのか知りたかった。土橋さんは「先にお会計してくるね」と気をきかせたのでうなずいた。
「なんだ。違うんだ」
「バイト仲間」
「マジかよ。狙っているのか」
「まさか」
「オネエと付き合っているって噂されているのに」
「なにそれ。初耳」
「オネエに小説のモデルになれって付きまとわれたら」
 笑っていると笑えないと夜が言った。夜がこちらをうかがって、それは黒目が印象的で僕はぼんやりと見ていた。かっこいいなと思う。なぜなら夜だから。それ以上に何があるんだろうか。僕はじっとしていた。
「狙っているんだろう。要は」
「そんなタイプでもないな」
「じゃあ。ちょっと顔のいいおまえをおもちゃにしたいだけ」
「あり得る」
 夜はため息をついた。ずっとスマホを持ち出した。
「ライン交換しよう」
「えっ」
「心配だから。でも俺は携帯を携帯しない人だから、あんまり返事できない。バイトだったり曲を作っているから」
 僕はうなずいた。夜は多分おかしいんだと僕は言い聞かせた。スマホを取り出してラインの交換をした。なぜか夜は笑った。それだけで良かったのかもしれない。夜は相変わらずのんびりしている。
「まあ。たまに見るから期待するなよ」
 そういわれて、僕はまじまじとスマホに見た。夜と書かれたチャットルームができていた。



「かっこいい人だね」
「ああ。ミュージシャンだからね」
「すごいじゃん」
「インディースだからね」
 僕がいうとなんだと土橋が言った。土橋さんは「私さ、拓磨君ってちょっとあっちの人だと思っていたよ」
「あっち?」
「男の人が好き」
 ニヤリと土橋さんが笑った。
「違うよ」
「まあなんでもいいけど」
「そういえば、何を買った?」
「話題を変えたいんだ」
 ふーんとニヤニヤと笑う。ゲイという証拠はないけど、僕は土橋さんが何を考えているのかわからなかった。
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