羅針盤の向こう

一条 しいな

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 寒かった。さすがに十二月に雪が降らないだろうと考えていた。まだ降らなかったが、それを連想させる曇り空だった。灰色の黒っぽい空である。なぜか明るいような印象を受ける。それは太陽の光が少し透けているからか。寒いからマフラーを巻いていた。ようやく期末テストが終わる。クリスマスの予定は空だ。
 みんな、彼女と食事とかいろいろだ。教授はふざけて「今夜予定ある人」と問いかけていた。そろそろゼミを本格的に考えなければならない。
 ふらふらしている僕は一体なにを選べばいいのかわからない。なにが知りたいとかではなく、なんとなく大学に入った。
「結局ふらふらだ」
 喜一さんのように泥船へと乗る勇気もない。自分がしたいことはなんだろうか。そんなことを問いかけた。
 夜のライブは小さなハコで行われた。男性客や女性客もいる。酒を飲むには免許証や保険証などが必要になってくる。僕は飲めないので高いソフトドリンクを買う。暖房がついた部屋はなぜか妙にソワソワする。
 埃っぽい、なぜか汗臭いにおい。スモークの匂い。
 ステージは観客が夜に触れそうな近さだ。そこに打楽器やギターを並んでいる。今回はアコースティックライブと銘打っている。
 観客達が話している。僕はスマホを見ながら時間をつぶした。辺りが暗くなり、夜の曲ではない音楽が止まる。きゃーという声が聞こえた。サポートメンバーと夜がなにごともないように、自然体で現れた。みな、シャツに黒いパンツ姿だ。材質は違うが合わせている。
「こんばんは。今日は楽しんでください」
 一曲目が始まる。おしゃれな曲、ボサノバのリズム。ギターと太鼓を鳴らす。夜の声がステージに優しく響く。観客はリズム取るように体を動かす。
 アコースティックに変わるだけで曲の印象がガラリと変わる。アレンジはもちろんしている。夜は歌う。まるで恋人に歌うように。女性客がぽうっとする。僕はそれをどう受け取っていいのかわからなかった。
 リズムがゆったりとしたものになる、見せ場になる。ギターが情緒たっぷりにゆっくり弾く、場が飲まれる。僕は夜しか見ていなかった。夜は美しい。橙色のライトを浴びながら輝いている。
 夜が歌うのは誰のため? 僕はそんなくだらないことを考えていた。美しい余韻が会場を包んだ。そうして歓声。口笛が鳴る。
「どうもありがとう。じゃあ次」
 リズム隊が鳴らす。さっきとは違って、早いビートである。それを聞きながら僕は楽しくなった。単純だなと思いながらもどこか気分が音楽に乗っている僕がいた。
「ラスト」
 気がつけばラストだった。アンコールはあるが、一応最後ということにしているのだろう。
「新しい曲の予定。未完成だけど」
 打楽器がたたんと鳴る。夜は歌う。ギターと一緒に。優しい声で。僕は驚いた。夜が僕にこう歌ってくれたなと思った声だからだ。うわっと、空に浮かぶ感覚がした。いい音楽で確かに、胸を打つ。
 美しいメロディーライン、感情がこもったバラード。しんっとした会場にゆったりと観客が動く。
 それのせいかわからない。僕は頬に流れるものがあった。ずるいと感じた。いつの間にそんなところに行ってしまったんだろう。僕の知らない夜になっていたんだろう。喜ばしいはずなのに。なぜか切なくて、胸がいっぱいになる。違う意味で隣の女性が泣いていた。
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